「…まったく、部屋に来た途端に…何をやってるんだお前は」
体温計を見ながらその男―八神庵は自分のベッドを占領している妹に言った。
「倒れなかっただけ良かったが…体調の良くない時は外出するなと父さんや母さんからいつも言われてるだろう」
「でも、どうしてもそれを届けたかったのですもの…」
彼女の視線の先にはプレゼントの包みが三つ。彼は溜め息をついた。
「子供じゃあるまいし、今更誕生日を祝っても仕方ないだろう。それより自分の身体を大切にしろ、また入院したいのか!」
「すみません…」
しゅんとする彼女の額を彼は慰めるようにゆっくりと撫でた。
「過ぎた事を言ってもしょうがないがな…母さんには俺から電話しておくからお前はゆっくり寝ていろ」
「よろしいのですか?兄様今日どなたかとご予定がございますでしょう」
「別にないぞ、紫野」
紫野の意外な言葉に少々狼狽しながらも彼はきっぱりと言った。本当はある男との約束があるのだが、そんな事は口が裂けても言えない。彼女はそんな兄の姿を熱で潤んだ目で見つめて微笑んだ。
「隠してもだめですわ、私は兄様の事なら何でもお見通しですもの」
「…お前は余計な気をまわしすぎだ。そんな気を遣う暇があったらさっさと寝ろ」
「はい」
そう言うと紫野は目を閉じ、静かな寝息をたて始めた。それを見ながら庵は今日の約束をした男にどう言い訳をしようかと考え、大きな溜め息をついた――
「…何だよぉ!人が折角祝いに来てやったのに」
本日の『ご予定』であったその男――草薙京はむくれた。誕生日は二人で祝おうと何日も前から決めていたのにいきなり、しかも訪ねて来てから断られてはむくれたくもなるというものだ。とはいえ妹がいて、しかも具合が悪い以上庵も京を入れる訳にはいかない。
「すまんが今日は引き取ってくれ。急用ができたんでな」
「俺と祝うより大事な用なのかよ!…お?女物の靴じゃねーか」
そこにはよそ行きの靴がきちんと揃えて置いてあった。勿論紫野の靴である。
「もしかして…彼女かよ?」
「貴様には関係ない!さっさと帰れ」
「そう言われると余計気になるなぁ、どれどれ」
「あっ…こら待て」
庵の制止も聞かず京はずかずかと部屋へ入って行く。庵は慌てて後を追った。
「待て京、入るな!」
「リビングにいねぇとすると…寝室かぁ?やるねぇ、庵」
京は寝室のドアに手を掛ける。
「人の話を聞かんか!貴様は」
「俺様との約束をすっぽかそうとしたお前が悪いんだぜ。お嬢さん、こんばん…は…」
庵の制止も間に合わず京がドアを開けると、予想外の展開に驚いてしまった。女の子がいるまでは予想通りだったがそこに立っていた少女が見覚えがある娘だとは思わなかったからである。
「紫野!寝ていろと言っただろう」
「少し眠ったら大分楽になりましたわ。もう大丈夫です、兄様」
「あれ…?君は確か…」
「はい、その節はお世話になりました。『草薙京』様」
「えっ?…何で俺の名前を…」
「草薙の方は気配で分かりますし、そうでなくとも兄よりかねてから話を聞いておりますもの。直ぐに分かりましたわ」
微笑む紫野に唖然とする京。
「『兄』って…まさか…君の言ってた兄さんって…こいつだったの…?」
「はい」
「うそだーっ!」
頭を抱えて悶絶する京を見て紫野はくすくすと笑う。二人の様子に庵は不思議そうに尋ねた。
「紫野、こいつと顔見知りの様だが…」
「兄様に贈る物を選んでいた時に入ったお店で働いていらしたのです。訳を話したら色々と相談に乗って下さって…」
「ということは…紫野、こいつが来ることを最初から…」
「はい、知っておりました」
「何故黙っていた!」
「兄様が隠したがっていたご様子でしたので」
にっこりと微笑む紫野に庵は苦々しげな表情を見せる。こういう所が妹にはかなわない。
「まぁ、いい。ここまでばれてしまっては仕方がない。とはいえお前の具合が悪いのだから今日のところはこいつには帰ってもらう。おまえもいいな、京」
「そっか…病気か…病人がいるんじゃしょうがないもんな…じゃな、庵」
帰ろうとする京を紫野が慌てて引き止めた。
「そんな…私ならもう大丈夫です。それよりも折角草薙様がいらしたのですから三人でお祝いを致しましょう、兄様」
「え?でも…」
「私のことならお構いなく。さ、ご遠慮なさらずに」
そう言うと紫野は改めて京を部屋へ招き入れる。
「お前はそういう無理ばかりしているから体を壊してばかりなんだぞ。少しは自重しろ」
「でも私、嬉しいのです。いつも兄様が話して下さる御本人にお会いできたのですもの。それに兄様がその様に感情を素直に出していらっしゃる所を見るのは久し振りですわ」
「な…」
狼狽する庵に紫野はくすりと笑いかけると、京の方へ向き直り微笑みながら自己紹介をする。
「では改めて。私、八神紫野と申します。以後お見知りおきを」
「俺は…あ、もう知ってるんだったな。ま、よろしく。俺のことは京って呼んでくれていいぜ」
「では兄様に京兄様、簡単なお食事を作りますから少々お待ち下さいね」
そう言うと紫野はキッチンへと入っていった。
「『京兄様』って…ま、いいか。んじゃ俺、酒とジュース買って来る!」
「こら京!勝手に決めるな!」
「いいじゃねぇか、今日は楽しい宴会だ!」
「…なぁ、庵…」
「何だ」
病み上がりの紫野を寝室に引き取らせた後、リビングで二人は改めて飲んでいた。
「…いい娘だな…あの子」
「お前には渡さんぞ」
「ばーか、そーいうイミじゃねーよ。何かさ、『掌中の環』ってやつか?あの娘を見てるとお前達がほんとに大事に育てたんだなって分かるからさ…」
「当たり前だ。自分の家族が可愛くない奴がどこにいる」
「あのなー…でも何であの娘、俺のこと引き止めたんだろ」
「あいつは体が弱いせいで外にあまり出られんから、親しい友人が少ないんだ…俺も友人を家にあまり上げんし、『友人とお祝い』がよほど嬉しかったのだろう」
「ふーん…」
京は勢い良くソファにもたれ掛かった。
「しっかし『京兄様』ってのは…もしかしてバレてんのかな、俺達の事」
「さあ…もしかするとそうかも…な」
「げっ…いいのか?」
「あいつはむしろ啀み合う方が悲しむだろうからな…別に構わん」
「そっか…そうだろうな」
「何だ」
京は天井を見詰め、呟く様に口を開く。
「あの娘を見てると何ていうか…家どうしの対立なんかないんじゃないかって思っちまうもん」
「俺の両親は俺達がこれ以上家同志の憎しみに囚われないようにと育てたからな。あいつは俺と違ってその通りに育ったんだ」
「お前だってそうだろ、今だって俺とこうしてるじゃんか」
「いや…俺は始めお前を憎んでいた。そうしなければならないと感じたんだ。しかしお前と出会ってそうできず、逆にお前に魅かれている自分に気付いたんだ…」
「庵…」
庵はきまりが悪いのか拗ねたように顔をそらすと、照れ隠しの様な無愛想な口調で口を開く。
「しかしお前、何故バイトなど…」
「んっ?ああ…そうだ…これ、開けてみろよ」
京が小さな包みを渡す。中に入っていたのは…
「…ガボールのチェーン…」
「お前、そういうの好きだろ?高かったんだぜぇ、それ。小遣いや貯金だけじゃ足んなくてさ、楽器屋でバイトしてやっと買えたんだ。大事にしろよ」
胸を反らせて言う京に庵はそっけなく応える。
「こんな事をしている間があったらちゃんと学校へ行け。今だって修行にかまけて二留の身だろうが」
「…んだよぉ、文句言うんだったら返せよなぁ…んっ…」
庵はむくれる京を引き寄せると耳元でそっと囁いた。
「ありがとう…京…」
長い長いキス。
「ハッピーバースディ…庵」
――じゃ、バンドやってんだ。あんたの兄さん――
――ええ、少々無愛想ですけれどとても優しくて友人思いですのよ――
――へぇ、俺のダチそっくりだな。そいつってばわがままでブアイソで一見あぶねー奴だけど、ほんとは寂しがり屋で優しい、いい奴なんだ――
――ちなみに翌日庵が結局熱がぶり返した紫野と二日酔いに苦しむ京の看病に追われたというのは余談である…――