「やっほー、おねーちゃん」
ある春の一日。女の子が垣根越しに縁側で裁縫をしている少女に声をかける。その少女の名前は八神紫野。あの八神庵の妹である。紫野は縁側を降りると声のするほうへ歩いて行き、そこにいる女の子に声を掛ける。
「どうかいたしましたの?千枝子ちゃん。いつもならすぐに入って参りますのに」
紫野が尋ねると『千枝子ちゃん』と呼ばれた女の子はもじもじしながら答える。
「んー…おねーちゃん、いそがしそうだったから。そっちにいっていいかな」
「どうぞ。ではお茶を用意いたしましょうね」
「でもいいの、そのおしごと」
「ええ、これは急ぎませんし」
「わーい!じゃ、ここまわってくるね」
千枝子が入ってくる間に紫野は手早く裁縫を片付け、お茶とお茶菓子の用意をした。千枝子は庭に入ってくるといつもの様に縁側に腰掛ける。
「さ、どうぞ」
「んーと、おかしはいいや。おちゃだけのむね」
そう言うと千枝子は湯のみに手を出してお茶を飲む。紫野は微笑みながらその様子を見守り、千枝子が一息付いた所を見て声を掛ける。
「それでは、お茶を頂いたら何をして遊びましょうか」
「それよりね、さっきおねーちゃんおうたうたってたでしょ。あれもういちどうたってくれないかな。なんかおもしろそうだったもん」
「あら、聞いていたのですか。何故か思い出してつい歌ってしまったのですが…」
恥ずかしそうに紫野が笑う。千枝子は紫野の着物の袖を掴んでお願いする。
「ねー、いいでしょ。ちょっとだけぇ」
「仕方ありませんね。では少しだけ…」
そう言うと紫野は恥ずかしそうに小さな声で歌った。
ゆきふってこい
てんさらばさら てんさらばさら
かぜにまってこい
おしろいたべて ゆきよんでこい
「おもしろーい!なぁにそのてんさらばさらって」
千枝子が無邪気に笑いながら尋ねる。紫野は少し考えると千枝子にも分かりやすいようにかみくだいて自分の聞いた話を話した。
「私のお祖母様が言うには、ふわふわした雪のようなもので、白粉をふりかけると少しずつ増えて、誰にも内緒で増やすと増える度にいいことがあったりお願いが叶ったりするらしいですわ」
「へぇ、でもほんとにそんなものがあったらいいねぇ」
「あら、お祖母様は見付けたことがあるらしいですよ」
「ほんとぉ!?いいなぁ」
「でもお願いが叶ったかどうかは知りませんが…」
「ふうん…」
そこまで言った時、また生け垣の向こうから声が聞こえる。
「八神さーん、こんにちはー!矢吹でーす!」
「あ、真吾おにーちゃんだ。さいきんよくくるねぇ」
「そうですわね。呼んで参りましょうか」
そう言うと紫野は縁側から庭に出て真吾に声を掛けた。
「矢吹さん、いらっしゃいませ。何か御用ですか」
紫野が声を掛けると真吾は頭をかき、なぜかあたふたしながら口を開く。
「えっと…あの、古典で分からない所があったんで教えてもらおうかと…」
「そうですの?ではお教え致しましょうか。私も数学で聞きたいところがございますし…その前に今ちょうど千枝子ちゃんとお茶を頂いていたところですの。ご一緒にいかがですか」
「えっ…いいんですか?」
「どうぞ、お構いなく。あちらへお回り下さいな」
「じ…じゃあ遠慮なく…」
真吾はそう言うと玄関の方へダッシュしていく。紫野はそれを微笑みながら見送ると縁側へ戻った。
「では千枝子ちゃん、矢吹さんの分の湯のみを持って参りますからお相手をお願いしますね」
「うん、分かった」
紫野が奥へ入っていくと同時に真吾が庭へ入ってきた。
「お邪魔しまーす…あれ、八神さんは?」
「おにーちゃんのぶんのゆのみをとりいったよ」
「そっか…あっ、やあ千枝子ちゃん、よく来てるね」
「それはおにーちゃんもおなじでしょ、このすけべ」
「ス…こら、そりゃどういう意味だ」
「そーいういみ」
「あのねぇ…」
千枝子の言葉に絶句していると紫野が湯のみを持って縁側に戻ってくる。
「まぁ、お話が弾んでいらっしゃる様ですわね」
「…そう思ってくれるとうれしいんですけど」
「さ、どうぞ」
「あっ…どうも…」
真吾はすすめられたお茶をぎこちなく受け取り一口すする。
「それで、一体何を話していたのですか?」
「あっ…ええと、何でもないよな、千枝子ちゃん」
「うん、まあねー…あれ、おにーちゃん、かたになにかついてる」
「あら、そういえば…何でしょう」
「あっ、いいです。自分で取ります!」
取ろうとして近付く紫野を制して慌てて真吾が肩をはたくとその肩から白い雪のようなものが落ちてきた。
「あれ?これってもしかしておねーちゃんがいってた…」
「まさか、それはないでしょう」
「何ですか?一体」
驚いた顔をして落ちてきた白いものを見詰める二人に一人だけ分からないでいる真吾が尋ねる。今度は千枝子が紫野の話してくれた話を一生懸命に話した。
「はぁ、じゃあこれがそのてんさらばさら…」
「かもしれないと申しているのですわ」
三人は真吾が持って(付けて)きた『てんさらばさら』をそれぞれの手のひらの上にのせて見詰める。そのうちに千枝子がふとつぶやいた。
「…あたし、おねがいしてみようかなぁ」
「あら、千枝子ちゃん、お願いがございますの?」
「うん、ほしいぬいぐるみがあるんだ!…でもおしろいがないし、いちいちかけるのもめんどくさいもんなぁ、ま、いいや」
「まあ」
「おいおい」
あっさり諦める千枝子を見て、二人は微笑んだ。つぎに真吾が口を開く。
「でも本当に願いが叶うなら、俺もこれ欲しいなぁ。俺の願いは…」
「ほのおがだしたい」
「炎を出すことですわね」
「…」
二人にハモられ真吾は絶句する。しかし図星なので反論はできない。黙り込む真吾を見て紫野が口を開く。
「でも、矢吹さんは炎が出なくても一生懸命がんばっていらっしゃるではないですか。私はそうした矢吹さんが好きですわ」
「えっ…す、好きって…その…」
真吾は意外な言葉に赤面すると、間をもたせるためにお茶を飲み、お茶菓子の饅頭にかぶりついた。それを見てその言葉の意味が分かっている千枝子が紫野に声を掛ける。
「…おねーちゃん、あんまりきたいさせることいっちゃだめだよ」
「あら、私何かおかしなことを申しましたか」
「…」
その言葉を聞いて真吾も紫野の言葉の真意が分かり再び絶句する。しかしすぐ立ち直り饅頭を頬張ったまま口を開いた。
「ふぇ、ふぇほ…」
「あーっ、おにーちゃんきたなーい」
「まあ、あわてないでゆっくり食べて下さいな」
「ん、んぐう…はぁ」
二人に言われて真吾はお茶で一気に饅頭を流し込み一息付いた。そこまで見届けてから紫野は口を開く。
「それで、矢吹さんは何がおっしゃりたかったのですか」
「えっ?…ああ、さっきから八神さんは笑ってばっかりだけど、俺たちみたいに願い事がないのかなって思って…」
「あら、私にも願い事がございますわ」
あっさりと答える紫野に千枝子と真吾は興味しんしんでつめよる。
「えーっ!?何ですかその願い事って」
「なになにおねーちゃん、おしえてよぉ!」
「内緒ですわ」
二人の興味津々の問いも紫野はにっこり微笑みやんわりとはねのける。しかし、興味が先に立っている二人は聞きたくてしょうがない。
「ずるいよぉ!あたしたちはおしえたじゃない!」
「いいじゃないですか、俺たちだけにこっそり教えてくれても…」
しつこく食い下がる二人に紫野は困ったように微笑んだ。
「では、内緒ですよ。私の願い事は…」
「うん、うん」
「いつまでも皆さんと私が元気で、仲良しでいられることですわ」
そう言うと紫野は片目をつぶる。
「…なんか、おねーちゃんらしいねぇ」
「いや、俺感動しました!俺みたいに自分中心の欲を満たそうとしないなんて!八神さんは何ていい人なんだ!」
「まあ、褒めても何も出ませんわよ」
「…おにーちゃん…ひょっとしてばか…?」
目を潤ませて感動する真吾に紫野はくすくす笑い、千枝子が突っ込みを入れる。と、その時急に強い風が吹いてきて『てんさらばさら』を吹き飛ばした。
「あーっ!」
「勿体ない…」
残念そうに言う二人を見て、紫野は微笑みながら口を開く。
「でも、願い事は自分で叶えてこそ意味があるものでしょう?これでよかったのかもしれませんわ」
「…そう言われれば…」
「そうかもね…」
三人は顔を見合わせると吹き出した。ひとしきり笑った後、千枝子が大きく伸びをする。
「…でもあれ、ほんとうにてんさらばさらだったのかなぁ」
「さぁ…分かりませんわ。さ、お茶のおかわりはいかかです?」
「あっ、俺もらいます」
「あたしもー。もういっぱいちょうだい」
ある春の一日。暖かな陽射しのあふれる縁側では楽しいお茶会の真っ最中である。