2月14日、四国アイアンドッグスの面々は、例年に漏れずバラエティーに富んだプレゼントを受け取っていた。今年は何故か例年は『我関せず』の小次郎も気もそぞろ。その様子が不思議で、知三郎が代表で小次郎に問い掛ける。
「ねえ兄貴。どっか今年心ここにあらずだけど、何かファン以外であてがあるの?」
 知三郎の素朴に見えて計算し尽くされた問いに、小次郎は無愛想な表情で答える。
「…ノーコメントだ。それより…」
「あるって事だね」
「!」
 知三郎の更なる突込みに小次郎は顔を真っ赤にして絶句する。それを見たチームメイト達が口々に騒ぎ立てる。
「いや~あんちゃん、正直でいいな~」
「『鳴門の牙』って呼ばれてた監督にも、ついに春が来たか~」
「でも監督は荒っぽく見えて誠実な方ですわ。きっと素敵な女性に出会われたんですわね」
「じゃあ、その女からプレゼントが来るか一口1000円で賭けよか?」
「乗りました!」
「やかましい!俺の事はほっといてくれ!…っと、本題を忘れるところだった。不知火は?」
「ああ、不知火さんならまだブルペンで投げてますよ。今年は『恒例行事』こそないですけど、ご機嫌で平和なもんです」
「…ま、半同棲の生活送ってりゃバレンタインもあったもんじゃないな。とはいえ、そのおかげで今年も万全な状態になってるのは有難いがな」
「それもそうですね~相手の上司さんに感謝ですね」
 そう言って一同は笑っていた――

 一日ハードだが心が弾む練習が終わって部屋に帰ると、不知火は今日も仕事で遅い『彼女』のために夕飯を作る。『彼女』の料理もおいしいのだが、『彼女』が自分の料理を『おいしい』と言ってくれるのが嬉しくて、いつの間にか二人の間では不知火が松山にいる時には先に帰って来た方が食事を作る事に決まっていた。とはいえ自分達二人は夫婦ではない。婚約者ではあるが、まだ出向として松山に来ている彼女の赴任先が今後どうなるか分からないのでむやみに籍を入れるのも良くないとお互い判断し、『彼女』の処遇がはっきりするまでという期限付きでこの半同棲的生活を送っている。しかし籍は入れていなくとも二人ともお互いをかけがえのないパートナーだと自覚していた。その思いのままに過ごす二年目の、しかし二人きりでは始めてのバレンタイン。二人でどんな夜を過ごすのかと思いつつ胸が高まるのを彼は感じていた――

 そうして夕飯ができた頃、『彼女』――大久保真理子から連絡が入り、『これから帰るけど何か夕飯で買ってきて欲しいものある?』と問い掛けてくる。不知火は『夕飯は作ったからとりあえずは何もいらない。真っ直ぐ俺の部屋へ来い』と言った。彼女は戸惑う様な様子を見せながらも『…うん』と頷いて『後十五分くらいで帰れるから』と言って電話を切った。その後しばらくして玄関のインターホンが鳴る。出ると真理子で戸惑いがちな『ただいま…入れてくれる?』という言葉に彼も戸惑いながら『あ…ああ』というとドアを開ける。真理子は何やら紙袋に入れた道具を持って入って来た。そうして彼のお茶で一息入れた後、彼女は彼に問いかける。
「夕飯は何?」
 その問いに不知火は静かに答える。
「湯豆腐にした。あっさりしたものが食いたくて」
「そっか…今日はバレンタインだものね。ファンからのチョコやお菓子で胸焼けしてるの?」
 からかう様な真理子の言葉に、不知火は冗談だと分かっているが不機嫌な表情で言葉を返す。
「俺は…チョコは食ってない。カード以外は武蔵や雲龍にあげた」
「それはまた乙女心を考えない仕打ちね。でも嬉しいかな…なんて言ったらファンの皆に悪いかな」
「いいんだ。俺は真理からチョコがもらえればそれだけでいい」
「守さん…」
 嬉しさと戸惑いが半々づつ出ている真理子に不知火は微笑みながらキスをすると、急なキスで驚いた真理子に微笑み掛けたまま更に言葉を掛ける。
「さあ、丁度いい具合に出来上がっているぞ。食べてくれ」
「うん、いただきます。…あ、おいしい。これ時々来るリヤカーのお豆腐屋さんのでしょ」
「当たり。今日偶然会えてな、真理はここの豆腐が好きだろう?だから買ったんだ」
「…ありがとう」
「どう致しまして」
 そう言った後、二人は暖かで幸せな沈黙の中で湯豆腐を食べて行く。食べ終わって二人で片付けをした後、真理子がふと不知火に言葉を掛けた。
「あの…守さん、今年のバレンタインだけど、ちょっと趣向を変えてみたの。受け取ってくれる?」
「え?…ああ、いいが…どういう事だ」
「まずは用意させて」
 そう言うと真理子は湯を張った洗面器とタオルを何枚か用意し、何かのランプに水を入れ、更に何やらその中に2~3滴垂らすと電源を入れ、明かりを薄暗くする。先刻電源を入れたランプからはぼんやりしているが柔らかい雰囲気の光とともに、甘い香りが漂ってきた。その香りに突き動かされる様に不知火は彼女を抱き締めようとするが、彼女はやんわりとそれを拒み、代わりに『ちょっと…上脱いで』と声を掛けた。その言葉は官能的や淫靡というよりむしろどこか優しさに包まれていて、その温かさに包まれる様に不知火はトレーナーとシャツを脱ぐと言われるままに床に座る。彼女は『ちょっと油っぽいけど、我慢してね』と言いながら肩から腕に掛けて何か爽やかな良い香りのする油を塗りながらマッサージをする。香りもそうだが、マッサージ自体も心地よく、彼は彼女のされるままになっていた。そうして首と両肩から腕にかけて、特に投げる右肩と腕は丹念にマッサージをして、湯で固く絞ったタオルでふき取ると、服をもう一度着せ、問い掛ける。
「どう…?少しは楽になったかしら。部屋に漂わせた香りは気持ちを落ち着けるイランイラン、で、マッサージに使ったのは筋肉痛や首とか肩のこりに効くっていうブレンドのマッサージオイルよ。嫌じゃなきゃいいんだけど…」
「ああ、いい香りの中で真理のマッサージが受けられるなんて最高だった。ありがとう」
「…」
 不知火の言葉に、真理子は恥ずかしげに俯く。不知火は真理子の心遣いが嬉しいと思いつつも、作業療法士とはいえ彼女がいつの間にこんな技術を手に入れていたのか聞きたくなって問い掛けた。
「なあ…真理。お前、どこでこんな技術を身に付けたんだ?」
 不知火の問いに、真理子は恥ずかしそうに答える。
「実はね。リハビリとか緩和ケアの中でアロマテラピーを利用しようっていう動きが病院で出てきて、試験的に看護師さんや理学療法士さん達が勉強してるの。で、あたしも興味があったから一緒に勉強させてもらってるんだ」
「それはまた…何で」
「作業療法のリラックス効果とかに使えないかなって言うのが一つ。それから…」
「それから?」
 不知火の重ねての問いに、真理子は顔を真っ赤にして答える。
「言うのは…野暮よ」
 その言葉に真理子の想いが真っ直ぐに伝わり、不知火は喜びのあまり彼女を抱き締める。彼女は彼に抱き締められるままになっていたが、やがて静かに言葉を零した。
「これから、もっと勉強して…守さんが最高のピッチャーでいられる香り、必ず見つけるから」
「ああ…楽しみにしている。でも…今日の部屋に漂わせたこんな甘い香りは…どこか誘っているとしか思えないぞ?」
「!」
「どうする…?これから」
 不知火の言葉に、真理子は困った様な表情を見せながらも彼に身体を預けて呟く。
「…答えろって言うの?」
「…それが…答えだな」
 そう言うと不知火はもう一度真理子の唇を塞いだ。