ある日都内のスタジオで、瑛理は来年のキャンペーン用のカレンダーの撮影を行っていた。とは言っても大半は彼女の姿とは裏腹の大胆なレーシングスタイル、そしてマスコミの前では表情を消してしまうその名の様な『鋭利』な表情を大切にするために彼女のレース中の写真をカレンダーに流用するのだが、今年はサプライズとして一月の写真を彼女の着物姿で飾るとスポンサー会社の社長が決めたのだ。しかもその着物も社長が彼女をとても気に入り、その彼女のイメージで作らせ商標登録された彼女のためだけの色『スピアレッド』で特別に染め上げられた着物であった。彼女はいつもの様に淡々とその『仕事』をこなしていたし、着慣れていない着物はともかく色そのものは着慣れている色であるはずなのに、どうも今回はこの『色』が落ち着かない。そんな戸惑いをどこかに持ちながらも、彼女は撮影をこなした――
「…そんな事があったんだ」
都内の小さな居酒屋の小さな座敷で、恋人の不知火がビールを飲みながら彼女の話を興味深そうに聞いていた。今日は不知火がチームの用事で都内に出て来ていたので瑛理と会い、更にそこに二人の友人である土井垣とその恋人の宮田葉月という女性も同席する事になっている。葉月が丁度埼玉の外れまで出張に出ていて少し遅れるという事なのでおそらく土井垣は彼女を迎えに行って二人だけの時間を作るだろうと予測がついていたので、だったら同じ様に自分達もしようと二人で土井垣が行きつけにしていて二人も気に入っている飲み屋に先に足を運ぶと土井垣に告げ、席を取りつつ二人の時間を増やしているという次第である。瑛理はウーロン茶を飲みながら呟く様に口を開く。
「今までわたし、こんな感覚持った事ないんです。レースについてはともかく、チームカラーについては何にも違和感がなかった。…なのに今回の着物だけはどうしても何だか変って思って…守さん、どうしてかしら」
瑛理の言葉に、不知火は少し考えて自分の言葉を口にする。
「俺としては…瑛理のあの色は、レーシングに対しては正しいかもしれないけど、瑛理の本質としては…こんな事言っちゃ悪いがそんなに合ってないって思ってるんだ。じゃあ何色が合うかって言われるとそれはまた困るんだけど…それが瑛理自身分かってて…レースのためのスーツじゃない、着物っていう物で出されたから、瑛理自身無意識に戸惑ったとか…俺の勝手な考えだけどさ」
「そうなのかな…」
「まあ俺の勝手な考えだから…っと土井垣さん、宮田さん、こんばんは」
「よお守、瑛理ちゃん」
「こんばんは、瑛理さん、不知火さん」
「こんばんは~久しぶりです葉月さ~ん!」
「こ…こら瑛理!宮田さんにくっつくな!」
二人が話していると、店のマスターに案内されたのか座敷に土井垣と葉月が入って来た。それを見た瑛理は立ち上がって葉月に抱きつき、不知火が慌てて諌める。葉月はにっこり笑って瑛理の背中をポンポンと叩くと身体を離し、優しく問いかける。
「ところで瑛理さん、今何か真面目なお話してたのを遮っちゃったみたいだけど、何を話してたか聞かせてもらえるかしら」
「あ、はい。葉月さんにも土井垣さんにも聞いて欲しいです」
「俺にもか?」
「まあ、瑛理が嫌じゃなきゃ意見は多数あった方がいい話ですから」
「そうか」
そう言うと二人は飲み物を頼んで席に落ち着き、瑛理が今しがたしていた話を聞いていく。二人は一通り話を聞いたところでそれぞれ口を開く。
「…すまん、俺には全く分からん」
「…そう…そんな感じがしたのね…そうだわ瑛理さん」
「はい?」
「その着物着たグラビアの原版はともかく、スナップ写真とか今ないかしら」
「あ、そうだ。今日こうやって守さんとか葉月さんに会うから、ちょっと戸惑ったのはともかく早く見せたくて撮影スタッフさんが合間に撮ってくれたスナップを持ってきてます。ええと…あった、はい、これです」
そう言うと瑛理はスタッフにもらったスナップ写真を三人に見せる。土井垣と不知火はそれぞれ感心した様に言葉を紡いだ。
「綺麗じゃないか瑛理」
「うん、綺麗だぞ、瑛理ちゃん」
「…」
「葉月さん?」
二人は即答したのに葉月だけ黙って写真を見詰めたままだ。不思議に思って瑛理が声を掛けると、葉月が申し訳なさそうに口を開いた。
「…うん、瑛理さんの言いたい事、何となく分かったわ。けなす様でごめんなさいね。この色、瑛理さんに似合ってないわ」
「葉月?」
「宮田さん?」
「葉月さん?」
葉月の意外な言葉に三人は声を上げる。この色は瑛理のために作られ、彼女そのものと言われている色である。それをあっさり『似合わない』と斬って捨てた葉月の本心が分からず狼狽する男二人と、その理由が聞きたいと思い問いかける様な眼差しで葉月の目を見詰めた瑛理に、葉月は説明する様に言葉を重ねる。
「ごめんなさいね、説明不足よね。確かにレーシングスーツ…洋服では瑛理さんに似合う色かもしれないけど、洋服と和服だと似合う色って変わってくるの。そういう意味で着物だとこの色は瑛理さんにはきつすぎるなって思ったのよ。それに帯とかの選択も…スタイリストさんの好みが私と違うからかしら…合ってない気がするのよね…で、結果着物ばっかり浮いちゃってる感じになってる気がしたの、私には。もっと似合う色合いの着物とか、この着物はこの着物なりに瑛理さんに似合わせる帯とか帯揚げとか色襟の選択とかがあると思うんだけど…その辺りの専門はどっちかっていうと私よりお姫とかおばあちゃまだからなぁ…う~ん…」
「そういう事だったんですか…」
「何ていうか…宮田さんらしいというか…」
「お前は本当に生真面目というか、そこまで考えるかというところまで考えるな…」
『似合わない』理由どころか『解決策』まで考えていた葉月の真面目さに瑛理は嬉しくなり、男二人は感服半分、呆れ半分という感じで呟く。そうして葉月は暫く考え込んでいたが、不意にポンと手を叩いて口を開く。
「そうね。こんな風に私だけで悩んでてもしょうがない気がしてきた。瑛理さん、急な話で悪いけど、その着物小田原に持ってこられないかしら」
「はい?」
葉月の唐突な話に瑛理は目を丸くして問い返す。葉月はにっこり笑って悪戯っぽい口調で言葉を紡いでいく。
「着物含めて服飾関係に関しては、私より私の祖母の方が詳しいの。その祖母に協力してもらおうと思ってね。祖母も最近私が仕事忙しくて顔を出さないから寂しがってるってお姫から聞いてて、丁度健診も間が開いてきたし遊びに行くついでに、こういう楽しいイベント持って行ってあげたらきっと喜ぶし一石二鳥だと思って。後前会ったお姫覚えてる?彼女にも協力してもらうわ。彼女も亡くなったおばあ様がうちの祖母と仲良かったし、そのおばあ様が着道楽で結構色々持ってたはずだから。瑛理さんの着物をネタに、女同士楽しい着物イベントを企画しようと思って。瑛理さんに時間があって嫌じゃなければ私に協力してくれないかしら」
「…はい!」
葉月の心遣いに瑛理は胸が一杯になり頷く。その二人を土井垣と不知火が優しく見つめていた。