そうして今度は帯を色々見繕ってみるが、瑛理に似合うこれぞというものが見つからない。考えた末春日が『お金はかかるけど、瑛理さんのために買いましょうか』と提案し、瑛理も『予算に無理のない範囲でなら』という条件付きで了承したので、葉月と若菜も『くれぐれも瑛理さんの懐具合を考えてあげてね』と釘を刺し、今日の着物を東京へ持っていく手筈の事もあるので、呉服屋へ行きがてらまた来訪する日にちを決め、お開きとなった。帰りも若菜が車で小田原駅まで送って行ってくれる事になり車に乗っていると、不意に葉月の携帯が鳴る。葉月は『ごめんなさいね』という風に手をあげると電話に出て驚いた声を上げる。
「…ああ、柊。どしたの?…え?何それ?柊脅すって、また怖いもの知らずってか向こう見ずだねぇ…ああ、でも今終わって小田原に帰るとこなの。柊達は?…じゃあ丁度いいか。新幹線だから裏駅だよ。…うん、じゃあ後で」
そうして電話を切ってくすくすと笑う葉月を見て瑛理は不思議そうに問いかける。
「葉月さん、どうしたんですか?」
瑛理の問いに葉月は笑ったまま楽しそうに言葉を濁す。
「いえね。『蛇の目でお迎え』が来てるみたい」
「何ですかそれ」
「まあ、行けば分かるわ」
「…?…」
そうして小田原駅に着くと、若菜が二人を車から降ろして声を掛ける。
「じゃあね、二人ともまた。今日は楽しかったわ」
「こちらこそ、ありがとうございました」
「お姫、ありがとね。でさ、毎度毎度東京来たら義経さんとこに籠もりっきりじゃん。それだと世界が狭くなるでしょ?今度義経さんとこに来たらうちにも顔出して、ヒナも一緒に遊びに行こうよ。義経さんだってそれ位許してくれるでしょ?」
「…!…うん、そうする」
「じゃあね」
そう言うと若菜は車を走らせて帰って行った。そして二人が駅構内の切符売り場に行くと――
「守さん…!」
そこには少しぶすっとした不知火と、困った様に笑った柊司が立っていたのだ。意外な『お迎え』に瑛理は驚いて言葉を失う。
「守さん…どうして…」
「俺だって瑛理が綺麗になる所を見たかったのに、仲間外れにするから…勝手に混ざってしまおうと思ったんだ。でも、良く考えたらどこでやってるのか分からなくて…」
そう言ってキャップのつばを摘んで俯いた不知火に続けて、柊司がわざと困った様に言葉を続ける。
「…で、盾野の携帯がつながんなくって葉月の携帯は分からねぇし、じゃあって前に俺の携帯教えて知ってたから俺に電話かけて来て、丁度俺もこっち帰って来てるって分かったら、ものすごい勢いで脅すんだぜ~?『連れてかなきゃ、ある事ない事土井垣に吹き込んでやる』って」
「守さん…それはちょっと嬉しいけど、かなり…怖いです」
「…う」
瑛理の突っ込みに今度は不知火が言葉を失う。それを見て柊司と葉月は笑うと、葉月が宥める様に言葉を紡ぐ。
「それに今日は別に着物着せたわけじゃないですよ、せいぜい羽織っただけです。着付けはこれからゆっくり習うんです。ね?瑛理さん」
「はい。それにわたしに似合う帯も買う事になったんですよ。だから、守さんが見たい姿はもう少し先です」
「…そうか」
葉月の言葉に続けた瑛理に、不知火は渋々納得した様に頷く。それを見てまた柊司と葉月は笑みを見せると、葉月が瑛理に言葉を掛ける。
「じゃあ後は不知火さんに任せますか。瑛理さん、今日は楽しかったわ。それに…おばあちゃまの着物を受け取ってくれてありがとう」
「いいえ、こちらこそ。…大切な着物を譲って頂いて、ありがとうございます」
葉月と瑛理の会話に、柊司が驚いた声を上げる。
「盾野、葉月のおばあちゃんの着物、譲ってもらったのか?」
「はい、丁度丈とかが合って、おばあ様が着られるのだから大切にしてくれるなら着て欲しいって言って下さって」
「あたしもあたし自身はそのままじゃ着られないんだし、瑛理さんが継いで着てくれるんなら嬉しいしね。着付けはおいおいおばあちゃまとあたしで教えるって事で」
「そうか。…盾野、大事にしてくれよ。おばあちゃんの大事な着物だ」
今日の春日との会話で柊司の言葉の中に込められた思いが分かり、瑛理はふっとそれが受け止められて、自然に返事が返っていた。
「はい」
「…そうか」
「…」
二人の雰囲気に不機嫌になった不知火に葉月が気づいて二人の間に割って入り、瑛理を不知火に引き渡しながら口を開く。
「ほらほら柊、不知火さんに瑛理さん渡さなきゃ」
「ああ、そうだな。おらよ、不知火。おら葉月、お前も今日はこっち泊りでおじさん達旅行行っちまってるから寂しくねぇ様にって、俺んちで飯食うんだったろ?早く帰ろうぜ。お袋、お前が来るって分かったらもう大はしゃぎでお前の大好物作りまくってんだぜ?…そうだ、ついでじゃねぇが飯だけじゃなくって、もしだったら風呂も入ってけ。一人分追い炊きはガス代やら薪が勿体ねぇだろ。湯冷めするほど家も離れてねぇし、覗きゃしねぇよ。何ならそのまま泊まってったっていいぞ?」
「あ…うん」
「おし、けぇんぞ」
柊司は戸惑う葉月に優しく笑いかけ引き寄せると肩を抱き、不知火と瑛理にはにっと笑いかけながら手を上げる。
「じゃな、盾野、不知火。また東京でな」
「ああ…はい。御館さん、また」
「今度はゆっくり会いましょう」
「そうだな。じゃな」
「不知火さん、瑛理さん…また」
そう言うと戸惑う葉月を引き寄せたまま、柊司は彼女を連れて駅の奥へ入って行った。それを見送って、不知火は複雑な表情を見せて言葉を紡ぐ。
「『ある事ない事土井垣さんに吹き込んでやる』って脅したのは確かだけど…何だか『ある事ある事』っぽいよなぁ。…さすがにあの二人のあの雰囲気は、土井垣さんに話したら憤死するだろうし」
「そうですね…でも」
「でも?」
「怒れるだけ土井垣さんはいいんです。…一番苦しいのは…葉月さんなんですよ」
「瑛理?」
瑛理の呟きに不知火はいぶかしげな表情を見せる。それも気にせず瑛理は続ける。
「初めて葉月さんに会った時は御館さんの事を知らなかったから、土井垣さんと葉月さんを『夫婦みたいだ』って簡単に言っちゃいましたけど…きっとそれも本当なんでしょうけど…葉月さんはずっと…そんな風な幸せと…御館さんへの気づかなかった想いの間で…苦しい思いをしてきてるんですよ。…だから、土井垣さんと一緒の時の優しい表情も本当で…御館さんに見せる戸惑った表情も…きっと本当で…そうやってずっと、二つの想いの間で揺れているんです。今回のきっかけになったわたしのスピアレッドがわたしに似合ったり似合わなかったりしたみたいに。ただわたしと違うのは、どちらかを選ばなければならないのは確かでも、例えですけど…わたしがもしスピアレッドを捨てるって決めた時にはきっとすっぱりと捨てられるみたいに…葉月さんは、片方をそんな風にすっぱりと捨てる事は出来ないって事です」
「…そうか」
「はい」
瑛理の言葉に不知火は彼女を引き寄せて、ぽつりと呟く。
「…辛いよな、土井垣さんも、御館さんも…誰より宮田さんが」
「そうですね…でも…苦しくても…ちゃんとその苦しさを乗り越えれば、その後に幸せがちゃんと待ってるのも確かなんだって…葉月さんのおばあ様は言ってました。だからしっかり苦しい思いをして欲しいって」
「…そうか」
「…はい。そうやって葉月さんも、色んな色を知っていくんです。わたしが…スピアレッド以外のわたしの『赤』を知ったみたいに」
「瑛理?」
そうだ。自分が不知火と恋をして少しずつ様々な恐れを乗り越えて、閉じていた心の目を開けて自分の中の色彩の洪水を見つけ、自分の様々な『色』を知り始めた様に、葉月も土井垣と柊司との想いの狭間で苦しみながら、それでもいつかその苦しみを乗り越えて心の目を開き、彼女の中の色彩の洪水を知る日が来るのだろう。それまでは確かに苦しいし、恐れる事や辛い事もあるのは自分も知っている。しかしそうして辿り着いたその世界は間違いではなく、モノクロやたった一色の世界より、ずっと豊かで愛おしいものだという事も、自分は良く知っている。それを教えてくれたのは不知火であり、誰よりその世界に辿り着いていない葉月自身だ。だから、彼女自身も恐れや辛さを乗り越えいつか心の目を開けて、そんな色彩の洪水が見られればいい――そう思いながら瑛理は微笑んで、不思議そうな表情を見せたまま帰りの新幹線の切符を買う不知火に寄り添った。