別れた後守さんはわたしの家に来て、ゆっくりお茶を飲みながらわたし達は今日の事を話していた。
「まあ、瑛理が宮田さんに打ち解けてくれた様で良かった。瑛理にしたら苦手なタイプかな、と思って心配していたんだが」
「いいえ~確かに宮田さんて良くおしゃべりする人ですけど、馴れ馴れしかったり押し付けがましくないせいか話していると楽しいし段々リラックスできて。不思議な人ですよね」
「そうか」
「それに思ったんですけど、土井垣さんとのやり取りを見ていると、何だかこっちまであったかくなる気がしました。本当にあの二人って仲がいいんですね。恋人ってだけじゃなくって、時々まるで夫婦みたいに見えましたし」
 私の言葉に、守さんはくくっと笑って楽しそうに話してくれた。
「ああ、その感想は当たりだな。瑛理だからばらすが、本当ならあの二人は今頃とっくに結婚していて、早けりゃ子供の一人もいてもおかしくない仲だから」
「そうなんですか?」
「ああ。冗談抜きで新球団ができなければ、あの時のオフに結婚するはずだったんだよ。でも新球団ができて、土井垣さんが監督に就任しただろう?だからチームの基盤が落ち着くまで待つって、彼女から延期を申し出たそうだ。土井垣さんはけじめもあるし入籍だけでもって言ったそうだが『そんな騙し討ちみたいな事はしたくないし、かと言ってこのまま結婚して私生活が変わる事でチーム作りの最初に支障が出て欲しくないから今は野球の事だけ考えて』って彼女、突っぱねたらしいな」
「そうなんですか~優しい感じがして、結構頑固な人なんですね」
「そうだな、それと彼女なりの仕事に対しての姿勢があるんだろう。瑛理が倒れた時の態度や、あの場で瑛理に話していた内容でも少しは分かるだろう?」
「そうですね…でも」
「でも?」
「いい人だなって事は分かりましたけど、あんなに楽しそうに笑っていられる人なのが少し羨ましかったです。周りからも好かれているみたいですし、そういうものを得られて自然とそんな風に笑える様な、楽しい人生を送ってきた人なんだろうなって思えて」
 わたしの言葉に守さんはふと複雑な表情を見せた。その表情が不思議で私は思わず問いかける。
「どうしたんですか?」
「ああ…瑛理にもそう見えたんだな」
「どういう事ですか?」
 わたしの問いに、守さんは複雑な表情を見せながらもゆっくりと話してくれた。
「瑛理には瑛理の事があるから話さない方がいいかとも思ったが、瑛理だからこそ話した方がいいかな。実はな、俺も彼女と知り合った最初の頃土井垣さんに今の瑛理と同じ様な事を言ったんだ。でも土井垣さんは『彼女の笑顔はそんなに単純なものじゃない』って言って、少しだけだが彼女の話をしてくれたんだ」
「『単純なものじゃない』って…」
「一番簡単な事を話すと、別に大きな病気をしている訳じゃないんだが、ああ見えて彼女は本当はあんまり丈夫じゃないんだ。今日の最初の挨拶で俺も言ったが、俺が良く会っていた頃は会う度に痩せるというよりやつれていた時期もあったし、今でも無理をするとすぐ倒れるらしい」
「そうなんですか?」
 元気な笑顔で明るく話していた宮田さんからは想像できない話にわたしは驚く。守さんは静かに続けた。
「ああ、それに土井垣さんはこうも言っていた。『彼女は確かにいつも周りを和ませる笑顔を絶やさないしそれも嘘じゃないけれど、それは彼女がそうやって全てと闘っている証拠なんだ』って」
「笑う事が闘っている証拠…?」
 言葉の意味が分からず問いかける私に、守さんは静かな口調のまま更に詳しく話してくれた。
「ああ。詳しい事は教えてくれなかったが、丈夫じゃない事も含めて彼女は彼女なりに色々な物を背負っていて、色々な傷も負ってきたらしい。それでも彼女はそれに笑顔で立ち向かって、周りに愛を精一杯注ぐ事を選んで仕事も含めてそうしているんだって、土井垣さんは言っていた。だから土井垣さんは彼女の笑顔で安らげて励まされるし、それと同時にそんな彼女の笑顔を守って、そんな彼女が泣ける場所になりたいとも言っていた。彼女もそれが分かっているんだろうな、土井垣さんの気持ちに彼女なりに精一杯応えようとしている様だし」
「そうなんですか…自然に笑ってるなんてわたし、表面しか見ていなかったんですね」
 守さんの話にわたしには翳りなど露程も見せなかった宮田さんの姿を思い出し、わたしは何も考えずに羨ましいと思った自分が恥ずかしいと思った。それを感じ取ったのか、守さんは慰める様にわたしに声を掛けてくれた。
「彼女は自分で選んでそうしているんだ。瑛理が気にする事じゃない。むしろそうやって思ってくれる方が喜ぶし、理由が分かったからと気にする方が悲しむだろうって、今の瑛理と同じ様になった俺に土井垣さんは言っていたよ」
「でも…」
「いいんだ。土井垣さんの言う事は当たっていると思う。何しろ、お互いの事を一番理解しようとしながらどんな形であれお互い相手を大切にしているからな、あの二人は。その土井垣さんの言葉だ、説得力があるよ。その事を聞いてから二人を見ていると、土井垣さん単体の時はもちろんだが、二人揃うと付きあって来てお互いの存在のおかげで土井垣さんも彼女も本当にいい方向で変わってきたと思う。その証拠かな、二人が揃うと周りも暖かくなるのは俺も感じているよ」
「そうなんですか…土井垣さん、本気で宮田さんの事が好きなんですね。それに宮田さんも」
「そうだな。二人は無意識かもしれないが結婚して様がしてなかろうが、いい意味でもうお互いなくちゃならない存在にもなっている様だし。あの場で土井垣さんをからかっておいて何だが、そういう意味ではからかうのは野暮だな」
 そこで何となくわたし達は黙り込む。気まずくはないけれど何となく居心地が悪い沈黙の後、その沈黙の中わたしが考えていた事が自然と言葉になって零れ落ちた。
「…やっぱり羨ましいです、でもいい意味で。お互いそうやって頑張って、自分達だけじゃなくって周りまであったかくできるなんていいなって思います」
「そうか…でもな」
「何ですか?」
「俺も瑛理に対しては同じ気持ちでいるんだぞ」
「…ありがとう」
 そう言うと守さんはわたしを抱き締めてキスをする。わたしは守さんに身体を預けていたけれど、ふっとまた土井垣さん達の様子が頭に浮かび、くすりと笑いながらそれを言葉に乗せる。
「…今頃、土井垣さん達もおんなじ様にしているのかしら」
「どうだろうな。まああの二人はあの二人、俺達は俺達っていう事で」
「ふふ」
 守さんに身体を預けながら私はまた二人に思いを馳せる。陽だまりのような雰囲気でお互いを支え合っている二人。わたし達もいつかそうなれるだろうか――いいえ、そうなりたい。死ぬためにレースを続けてきた自分から、同じ様にレースをしていてもそういう風に人を好きになって生きてみたい、と思える様になった守さんの存在が嬉しくて愛しくて、わたしは守さんにキスを返した。