「…若菜さん…どうした!?」
 若菜は自分が泣いている事に気がつくと、宥める様に、でも流れる涙は止められないまま呟く。
「え?…あの、ごめんなさい…」
「だからどうして謝るんだ」
 義経の珍しく問い詰めるような口調で、若菜は自分の中の想いが止められなくなり、泣きながら心の中の言葉を零していく。
「こうやって…好きな食べ物とかいろんな好みが、何でもあんまり一緒過ぎて…いい事なのかもしれないけど…でも、わがままだと思うけど寂しいの。…だって…私達…あんまりいろんな事が重なりすぎて…喧嘩らしい喧嘩もした事ないでしょ?私とおよう達とか、土井垣さんとおようとか、微笑さんとモモとかが沢山喧嘩しながら仲良くしてるのと全然違うじゃない…こんな風に何でも合っちゃうって関係、今まで無かったから…怖いの…!あんまりうまくいきすぎてる分、反動で…いつかこの関係、どうしようもない位ボロボロに壊れちゃうんじゃないかって。…そうしたら私、どうしたらいいのって…!」
「…心外だ」
「え?」
 珍しく激しい口調でまくし立てすすり泣いている若菜に対し、いつもなら優しく宥める義経から同じ様に珍しくいつになく厳しい口調が返ってきたので、彼女はふと泣きやんで顔を上げる。そこには口調と同じ、怒りのためか厳しい表情になっている彼がいた。その表情に何も言えなくなっている彼女に、彼は更に厳しい口調で言葉を掛けていく。
「どうしてあなたはそれ程合うと思っているのに、それを幸せに思ってくれない。それどころか、いつか必ずこの関係が壊れる様な事を言って…言っておくが、俺は絶対にこの関係を壊そうとは思わないし、あなたにも壊させない。だから絶対に壊れない!…あなたがそんな不安を…確かにすぐにでも籍を入れたい関係ではあるが…一方ではまだある意味始まったばかりに近い、幸せで満ちているはずの俺達の関係で、あなたが持つ事に…俺は腹が立っている」
「…」
 若菜は一瞬驚いた表情を見せた後、また涙を零す。それを見て義経は更に厳しい口調で言葉を続ける。
「まだ不安があるのか」
 その言葉に若菜は静かに頭を振って小さくかすれた声で呟く。
「違うの…初めて光さん…本気で私を怒ってくれた…それがちょっと悲しいけど、嬉しいの…」
 若菜の言葉に義経は彼女の気持ちが分かり、ふっと笑うと一転した優しい口調で彼女に言葉を掛ける。
「そういえば…あなたも初めて俺に面と向かって、本気で怒っていた気がする」
「うん…そうかも。やっと…光さんと喧嘩ができた」
「希望とあらばもっと怒るし…喧嘩を続けてもいいが」
「ううん…今は…これ以上怒られたり喧嘩が続いたら、悲しい方が勝っちゃうから…もういい」
「…そうか」
 その後二人はしばらく無言で義経は雑煮を平らげ、若菜はお茶を飲む。そうして一息つくと、彼は考え込む様に呟き、不意に何かに気づいた様に赤面して言葉を止めた。
「しかし、色々考えていたとはいえこんなに不安定なあなたは珍し…ああ、もしかして…」
「どうしたの?光さん」
 義経の様子が不思議に思えて首を傾げる若菜に、彼は赤面しながら小さな声で途切れ途切れに問いかける。
「若菜さん…その…今、気分が悪いとか…腹とか頭は痛くないか」
「え?…でも…そう言われたらちょっと…って…ちょっとごめんなさい」
 若菜は不意に立ち上がって手洗いに入ると、しばらくして恥ずかしそうに出てきた。
「…そういう事…うん、そう」
「…そうか」
 若菜が自分の言っている事の『意味』を理解したと分かり、義経も気恥かしくなりお互い赤面する。しばらくの気まずい沈黙の後、彼女が恥ずかし気に問いかける。
「でも…光さん、何で分かったの?」
 若菜の問いに義経も気恥かしげにあたふたしながら答える。
「いや…さすがにこう頻繁に会ったり泊まったりしているうちに…その、下世話な考えではないが、大体の日数が予測できる様になってしまって。…それに、女性は『こういう時』精神的に不安定になりやすくて、あなたはそれが特に出ると…その、大体様子が分かってから朝霞さんや宮田さんにこうなると話して、その、親友だというだけじゃなく医療関係者だし、どうしたらいいか分かると思って尋ねて聞いていたから…」
「…そう」
「もう一つ。さすが二人とも医療関係者と言うべきか…『『これ』は女性達の間でも最近まで日陰の話だったが、本来は恥ずかしい事ではないし、健康管理にも役立つから状態を知るのは大切だし、理解して変化を見極めながら労わってやれ』…と同じ様に二人から釘を刺された」
「…」
 男性である義経から逆に女性の身体の機能について言われるのが気恥ずかしいのか、若菜は真っ赤になって俯いたまま沈黙している。彼はそんな彼女を恥ずかしがらせない様に、優しく労わる様な態度と口調で言葉を掛けていく。
「…とりあえず、手当てをして…冷やさない様にしないと」
「…はい」
「それから、風呂の用意は」
「…ええと、時間見計らって…丁度いいくらいだと思うわ」
「じゃあ一応球場でもシャワーは浴びてきたが、悪いがもう一度先にさっと入らせてもらうから…食事の片づけを頼む。それで俺が出たら…ゆっくり入るといい。こういう時こそ…その、風呂に入って身体を清潔にしたり温めた方がいいそうだし」
「…そうね」
 そうして二人は気恥ずかしくなりながらも、食器の片付けをしたり互いに風呂を使う。そうして若菜が義経の気持ちに甘えてゆっくり風呂を使い、いつもの様に寝室へ入ると、彼がベッドの端に座って何やらファイルを読んでいた。その表情に彼が何を読んでいるのか聞きたくなって、彼女はそっと問い掛ける。
「…何を読んでるの?」
「ん?…ああ…まずはこれを飲みなさい」
 そう言うと義経は若菜が風呂に入っている間に作ったらしいホットミルクを隣に座った彼女に渡す。時間を見計らうためだろう、大方の時とは違い電子レンジではなく時々使う小鍋で温めたらしいホットミルクは、心地よい熱さで彼女の身体に染み通る。彼の思いやりの様なそのホットミルクを口にして彼女は幸せな気持ちになりにっこり微笑む。それを見て彼も微笑みを返すと、彼女がホットミルクを飲み干したのを見届けて、少々戸惑い気味だが静かに、優しい口調で言葉を紡いでいく。
「…いや、実はな。宮田さんに若菜さんの好物の作り方の資料をもらったんだ。それで…彼女は菓子の作り方まで入れていたから、そこまでしてくれる彼女の事だし…その、俺が尋ねていた事もあるから、もしかして『こういう時』にあなたの気持ちが落ち着くような食べ物なり、飲み物なりが入っていないかと…その、調べていたんだ」
「…」
「そうしたら…好みの飲み物の作り方の中にやっぱりあった。『風邪や『それ』で頭痛や吐き気が一番辛くなっている様に見える時には、昔は手に入りづらかったが、今は大きな食料品店に行けば大抵市販されているミントティーの温かいものをゆっくり飲んで気分と口の中をすっきりさせて楽にしている様だし、実際吐き気予防や鎮痛作用だけでなく、鎮静作用もあるから気分が不安定な時にも有効』だと」
「おようったら…そんな事まで書いてるなんて…」
 恥ずかしさで顔を赤らめる若菜に、義経は生真面目に応える。
「いや、俺は感心したぞ。親友の事をちゃんと見ているんだなと…となると一番辛いのは、その…多分明日や明後日だろう。だから明日にでも買って、ちゃんと常備しておかなければな」
「…いいの?」
「当たり前だ。あなたが辛い表情を見せるのが俺にとっては一番辛い事なんだから」
 照れくさいのか、顔を赤らめながら少しぶっきらぼうに言葉を紡いだ義経に若菜は微笑みかけてぴたりと寄り添うと、甘える様な口調で小さく囁く。
「だとしたら…わがままかもしれないけど…もう一種類買ってもらっていい?」
「ああ、高価なものでもないから構わないが…何を?」
「もう一種類は…カモミール。ポピュラーなハーブティだし、おように聞いて試してみたんだけど…そのまま飲んでも少し甘い位でさっぱりしてるから緑茶とかコーヒーと違って気持ち悪い時も飲めるし…今みたいなホットミルクに煮出して飲んでもとってもおいしいし…これもリラックス作用とか風邪予防の効果あるらしいし…ミントみたいな強い癖がないから好き嫌い分かれなくて…光さんにもいいかなって思って…」
「…そうなのか?」
「…そう」
「…ありがとう」
 若菜の想いが分かる提案に義経はふっと微笑んで額に軽くキスをすると優しくベッドへ誘う。
「じゃあ、大分俺も腹がこなれたし…あなたも眠った方が楽だろうし…寝るか」
「…そうね」
 若菜も優しく微笑みを返すとベッドへ共に潜り込む。最初に泊まった時こそ彼女用に客用布団を用意したが、最初からそれは必要がなかった。布団だと干したりする手入れが年中飛び回っているプロ野球選手の身には大変だからと土井垣に言われ、でも慣れていないので落ちるのも嫌だと用心で買った少し広めのセミダブルのベッドは、プロスポーツの選手で山伏でもある身にしては割合細身の自分と明らかに華奢な彼女の二人が寝るのに丁度良い広さで、肌を合わせる、合わせないに関わらず互いの体温や息遣いを感じて眠る心地よさから、当たり前の様に二人でこのベッドで眠っている。そうしていつもの様に義経のパジャマの袖をそっと掴みながらその腕に若菜がぴたりと寄り添って、互いの体温と息遣いの心地よさを楽しみながら眠りに就こうとした時、不意に彼が彼女に声をかける。
「…なあ」
「…何?」
「その…冷えない様に…足位なら乗せても大丈夫だから…乗せたかったら…乗せなさい」
 やはり照れ臭そうな口調で、しかし優しさは十分伝わる義経の言葉に、若菜はくすりと笑うと、軽く彼の足に自分の足を絡めて耳元に囁く。
「ありがとう…おやすみなさい」
「…お休み」
 若菜は彼の頬に軽くキスをした後、目を閉じて静かな寝息を立て始める。義経も自分の身体が感じている彼女の体温や息遣いや感触に幸せを感じながら、安らかな眠りに就いていった。