小次郎は程よい酔いと胸に温かなものを覚えながら、土井垣に話しかける。
「聞いた事ない歌手だが…いいじゃねぇか」
「だろう?」
土井垣も満足げにグラスを傾ける。そうして二人でグラスを傾け取り留めもなく話していると、第二部が始まる。今度は割とメジャーなカバーや洋楽のカバー等を中心に演奏した後、ゲストそれぞれの曲をそれぞれが歌い、また男性の曲に入っていく。そして『じゃあ今日はありがとうございました~最後の曲で~す』というと客から不満げな声が出る。小次郎ももう少し聴いていたい気がしていたが、仕方がないとため息をついた。が、土井垣は何故か笑みを見せている。その表情が不思議で小次郎は問いかける。
「…おい、土井垣、随分余裕じゃねぇか」
「ああ、『最後』でもないからな」
「…?」
小次郎が首を傾げていると、男性は譜面を出しながら『今日はプロがいるからこの曲歌うの恥ずかしいんだけど…いっちゃうか!』と言う。その言葉に耳ざとく気づいた客の一人が、『プロって何ですか~?』と問いかけると、男性が自分達を指して『はい、まあいつもここ来てる人にはお馴染っちゃぁお馴染だけど…そこにプロ野球選手が来場してま~す!』と紹介をする。小次郎は騒がれる様な余計な事をしやがってとあせったが、客達は全然有名人が来た様な騒ぎ方をする様子もなく、ただからかう様に声を上げたり、拍手をするだけだった。土井垣は慣れているのか笑顔で手を上げて客に会釈している。小次郎も倣って会釈した所で『じゃあいくよ~!』と言ってテンポの速い曲を演奏し始める。小次郎は騒がれないのは安心したが、何故恥ずかしいのかと考えていたが、聴いていく内に理由が分かる。歌詞の中に『内角低めの140kmのストレートだってもう かっとばしていかなくちゃ 本気出していかなくちゃね』というフレーズがあったのだ。確かにこの歌詞単体だけで聞いたらプロ野球選手の前でこのフレーズは野球を知らないと思われるかもと恥ずかしく思うかもしれない。でも全体からするとその歌詞が意味するものはよく分かり心地よく、気持ちよく聴けた。そうして最高に盛り上がった所で大きな拍手の中全員が去っていくが、奥へ消えても拍手は止まらないどころかだんだん一定のリズムを持ってメンバーを呼ぶ様に叩かれる。土井垣も合わせて叩いていた。小次郎が不思議そうにしていると、メンバーがまた戻ってきて拍手がまた起こる。小次郎は感心した様に口を開く。
「へぇ…皆分かってんだな」
「ああ。本当の『最後の曲』は決まっているから」
「…?」
また首を傾げる小次郎を、土井垣は柔らかな微笑みで見つめていた。そうしてアンコールでも変わらないパワフルさでハイテンポの気持ちいい曲を演奏すると、何と男性のギターの弦が途中で切れてしまう。何とか演奏しきった後、男性はチューニングだけして弦は切れたまま次の曲を演奏する。この曲は客との掛け合いをする曲らしく、客はワンフレーズに同じフレーズを返している。分かりやすかったので小次郎も一緒にいつのまにか歌っていた。そうしてその曲が終わった所で『じゃあこれでホントに最後の曲、このライブはこの曲で終わるって決まってます』と言うと、向かって右のゲストからギターを借りて、最後を締めくくる様に柔らかく、温かい声で歌い出す。途中のフレーズに『こうやってずっと帰らずにみんなといたいけどな』とあって、客と彼の心を表している様な気がした。そしてギターの最後の一音が響いて、拍手と共にライブは終了する。小次郎は満足げにため息をつくと、土井垣に笑いかけて言葉を紡ぐ。
「…今日は、来て良かったぜ。宮田に礼を言っといてくれ」
「そうか。そう言ってくれると葉月が喜ぶ」
「…今度、俺も彰子連れて聴きにこようかな」
「…それも葉月が喜びそうだ。まあその時は葉月に頼んででもいいから予約を取る様にな」
「分かった。確かにこの客じゃ予約とらねぇと席が確保できねぇな」
そう言っていると、いつの間に来たのか、歌手の男性がグラスを片手に二人に声を掛けてくる。
「やあ、今日はありがと。かんぱ~い」
男性の気さくな様子に、土井垣は笑いながら、小次郎は戸惑いながらグラスを合わせる。土井垣も男性に話しかける。
「今日も楽しかったです。でも今日の曲目だと、葉月は来れなかったのを残念がりますね」
「そう?彼女好みの曲多かったんだ」
「ええ」
「犬飼監督はどうだった?」
男性の気さくな言葉に戸惑いながらも小次郎は素直に思った事を口に出す。
「いえ、俺は初めて聞いたんですが、すごく引き込まれました。また聴きに来たいです」
「そう言ってもらえると嬉しいな~ここだけじゃなくて大阪とかは行くんだけど、四国にも遠征してみようかな~」
「そうしてもらえると、ありがたいかもしれませんね」
そう言うと三人は笑った。と、思い出した様に男性は言葉を紡ぐ。
「ああごめんね挨拶もしないで。でも本当に嬉しいんだ。犬飼監督まで来てもらって。俺君のファンでさ、宮田さんが日ハム時代に初めて土井垣監督連れて来た時に、『確かライバルだったよね、犬飼投手は無理なの?』とか要求しちゃってさ~でもまさか実現するとは思ってなかったよ~」
「葉月に冗談は通じませんよ。できる事なら時間かけてでも必ずこなします、彼女は」
「だったね」
そう言って笑う二人を見て、小次郎は驚きながらも問いかける。
「じゃあ…俺をここに連れて来た理由ってのは…」
「ああ。この人にお前を会わせるためだと思う。まあ俺も確証は持ってなかったがな」
「…あいつ、おっとりしている様で結構な策士だな」
小次郎は呆れた様に言葉を紡ぐ。二人はそれを見て更に笑った。男性はニコッと笑うと、グラスを掲げて言葉を紡ぐ。
「じゃあ本当にまたおいでな。待ってるから」
「はい」
そう言うと男性はまた違う客の所に行った。小次郎はそれを呆れつつ見詰めていたが、やがてふっと笑って言葉を紡ぐ。
「はめられたが…でもありがたかったな。こんないいもんに出会わせてくれて」
「そうか」
「ああ」
そう言うと二人は笑い合う。そうして二人はまたしばらくの間余韻を楽しむ様に酒を飲んだ。