店に入ると小さなフロアにいくつかのソファ席と後ろに小さなバーカウンターとテーブル席が二つあるきりで、フロアの真ん中には丸椅子が臨時に置いてあり、ステージも客側と区切られていないこじんまりとした店だった。その店構えで、小次郎は普段の店の様子が分かる気がした。そうして店を見ていると、店員らしき女性が土井垣を見て『いらっしゃいませ、…ああ、あなただとするとちゃんと取ってらっしゃると思いますが一応…ご予約はしていますか』と言葉を掛ける。土井垣が『ああ、多分『宮田 2名』で取っていると思うが…』と答えると、店員はメモ用紙を見て『はい、宮田様2名様でご予約承っております。あちらのソファ席へどうぞ』とステージ右前側のソファ席に二人を案内する。二人は促されるままにソファに並んで座ると、そこに置いてあるメニューを土井垣が説明する。
「とりあえず初めて来たのだから勧めるとするとこの『リングイッサ』といういわゆるソーセージか『コシーニャ』というコロッケにビールというのが定番かな。ご飯ものは欲しいか?
「ああ、試合後だし、がっつり食いてぇな」
「だとすると…俺と葉月なら二人で一つが丁度いいんだが、お前とだとちょっと考えるな」
「何だよその引っかかる言い方はよ」
 小次郎がぶすっとした口調で口を開くと、土井垣は苦笑してまた説明する。
「すまん、言い方が悪かったな。ここのご飯ものはひと皿分の量が多いんだ。小食な女性なら2人で食べても余らせるくらいでな。でもお前結構食べるだろう。一人で食いきる可能性もないとも言えんからな。かといってふた皿は多い気もしてなぁ…」
 小次郎は土井垣の言葉に納得して、折衷案を出す。
「ああ、そう言う事か。だったらひと皿で様子見て、腹に余裕があったらまた頼めばいいじゃねぇか」
「ああ、それもそうだな…だとしたらどれにするか…」
「お前に任せるよ。俺は全然分からねぇから」
「葉月とだとあいつは胃が弱いから大抵この『カンジャ』という鳥雑炊を頼むんだが、お前となら他のものでもいいな…まあ、お前は初めてだからこの『フェイジョアーダ』を頼むか」
 そう言うと土井垣は手をあげて店員を呼び、リングイッサとビールとコシーニャとフェイジョアーダを頼む。ビールが来て乾杯をした所で、小次郎は店の外で訪ねた歌手と葉月のそもそもの馴れ初めを聞く。土井垣は飲みながらのんびりと答える。
「へぇ…宮田の姉さんの同級生がその歌手とバンドやっててCDお義理で買ったのが最初って訳か」
「ああ。文乃さんはそれ程気に入らなかったそうだが、葉月が置いてあったCDを聴いてすっかりファンになったそうでな。お年玉でCDを買い集めたり、大学に入ってアルバイトを始めてからはそのアルバイト代でライブに行く様になって、よく話す様になったそうだ。割とあの人はファンと距離も近いし、ライブが終わった後朝まで残ったファンと一緒に飲み明かしていた場所もあったそうだからな」
「そりゃまた豪気な奴だな…でもそれだけ飲めるなら、俺、仲良くなれるかもな」
「だろうな」
 そう言って土井垣はふっと笑いながらビールを口にした。

 そうして話しながら飲んでいるとしばらくしてまずリングイッサとコシーニャが運ばれてくる。土井垣に勧められるまま、添えられて来た酸味のある付け合わせの野菜と一緒にリングイッサを食べると、脂がその野菜で相殺されて、そのおいしさに確かにビールもリングイッサも進む。コシーニャもそれほど油っぽくなく、ビールによく合った。
「うめぇ…」
「だろう?」
 小次郎の言葉に、土井垣は満足げに笑った。そうしてビールをもう一杯頼んだ所で今度はフェイジョアーダが来る。黒豆と豚肉を煮込んだものでご飯にかけて食べるとこれもおいしい。おいしい料理にすっかり小次郎はご機嫌になってしまった。
「俺、ブラジル料理って食った事なかったが、うめぇな」
「なかなかないからな、ブラジル料理店は。俺もここにきて初めて食べた口だ」
「へぇ…じゃあついでに酒もブラジルのもの飲みてぇな」
「そうか。だとすると…ちょっと待ってくれ」
 土井垣はもう一度店員を呼ぶと、ブラジリアンビールがあるか確かめる。残念ながら今回は品切れだったが、代わりに『強いですがそれでよろしければ』とピンガという酒のカクテルを勧められた。小次郎はかまわないと応え、店員に勧められたカイピリニーニャというカクテルを頼んだ。店員がオーダーを聞いて去って行った所で、小次郎は土井垣に問いかける。
「そういや、宮田はここ来た時何飲んでるんだ?あいつ酒あんまり強くなかったよな」
 小次郎の問いに、土井垣はふっと笑って答える。
「ああ、あいつもここに来た時くらい変わったものを飲みたいと思っているのか、店員に勧められてから南米のお茶という事で大抵マテ茶だな。酒が飲みたくなった時は、ちゃんと頼んでカクテルをごく薄くしてもらっている」
「へぇ…前お前に連れて行ってもらった『うわばみ』といい、いい店だな」
「ああ、確かにそうだな。店員さん達も葉月と不思議と仲がいいから、葉月の人柄もあるんだろうが、いい店だよ」
「…ったく、これっぽっちの酒で酔ったか?のろけるなって」
「…」
 土井垣の言葉に、小次郎は呆れた様に言葉を返す。土井垣は赤面して沈黙した。そうしてカイピリニーニャが運ばれてきたので一口飲んでそのうまさに顔が緩んだ時、不意に先刻の男性が店の奥から現われて、ギターのチューニングを始めると、BGMが消え、フロアの照明が暗くなり、ステージ側の照明が明るくなった。そうしてチューニングが終わった所で歌手は挨拶をするといきなり『ごめん、焼酎水割り一杯!』と男性はカウンターに声を掛け、運ばれて来たところで口をつける。これから演奏する側が酒を飲むという見た事がない光景に、小次郎は目を白黒させ、土井垣に小声で問いかける。
「…おい、これから演奏だろ?酒なんか飲んでいいのかよ」
 小次郎の言葉に、土井垣も苦笑して応える。
「…ああ、このライブはこれが普通なんだ。演奏する側も、聴く側も、飲んでのんびりした雰囲気で進行するのがこのライブの特徴でな。まあ俺も初めて来た時には面喰ったが、飲んでも別に腕が落ちるわけじゃないから大丈夫だ」
「そうか…ならいいが」
 そうしている内に演奏が始まる。Tシャツにジーンズ、更に傍らに焼酎という姿からは想像できない位不思議と柔らかいギターの音と共に歌われたそのギターの音の様な恋の歌に、客達は酒を片手ながらも聴き入っている。小次郎も思わず吸い込まれる様な気がした。そうして改めて挨拶した後、時節柄のトークをはさんで、『ではここでいつもの相方と、ゲストの一人を!』と新しいメンバーを呼ぶ。新しく来た小次郎達と同年代位の男性達はそれぞれ男性の向かって左側のギターと右はじのキーボードの所に座り、それぞれ楽器の調子を確かめた後、ギターの男性も焼酎を頼み、キーボードの男性はコーヒーを頼んだ所で『じゃあ、この時期は就職とか、新学期とかあるから、この歌を』と次の曲を演奏し始めた。ギターとキーボードのセッションはやはり柔らかい音を奏でながら新しい日々に旅立つ心境を歌った曲を歌う。そうしてまた一人ゲストを呼んで客と一緒に乾杯すると、途中にカバー曲を入れながら、柔らかいブルースや速いテンポの心地よい曲などを、酒を飲みながらどんどん演奏していく。小次郎は全部初めて聴く曲だったが、不思議とその演奏や歌声に引き込まれていく。途中のトークも楽しくて自然と笑っている自分を感じ、土井垣や葉月がこのライブが気に入った理由が分かる様な気がした。そうして聴いていると、ある曲で自分の心が更に惹きつけられていくのを感じた。

――コンクリートの河を泳いでく
錆びたヘヴィ・ゲージ弾くように
すぐ楽にしてくれる薬はない
まず水を飲んで溺れるほどに

チェインギャングの無頼な顔たちは
ダイヤモンドさ 午前3時の太陽
いつもおれに少しの勇気をくれる
いつも通り やればいいのさ

It`s one day 消えちまいそうな声で
伝えた言葉 I’ll walking on the outside
夢から覚めずに立ち尽くした
もう行かなくちゃいけないよ

Beautiful view いまシグナルはブルー La La La…
Beautiful view 欲しいものはTrue La La La…

おれたちは未だ草を噛みしめてた
風に全部を任せてた
今日はただ昨日の続きでしかない
雨にヤラれた顔を見せたくはない

全て流れてゆくだけさ
本気にするかい? Who is a pretender?
荒野でまた会おう 枯れやしない一輪ずつの花を持とう

Beautiful view いまシグナルはブルー La La La…
Beautiful view 欲しいものはTrue La La La…――


 小次郎は土佐丸時代の自分達がよぎった気がした。その殺人野球から不良チームと呼ばれ蔑まれても、そんな事は意にも解せずただ勝つ事のみに全力を傾けていた自分、でも本当は何を求めているのか分からずもがいていた自分、そして土井垣に出会い、生涯のライバルとして自覚し、打倒明訓、打倒土井垣に心血を注ぎつつ、でもいつもまた会える日を楽しみにしていた自分――そんな青春のほろ苦い思い出を胸に染み透らせる様に小次郎はグラスを傾ける。曲はこう続いた。

――十年後は今日さ いつだって今日さ
コンクリートの河は続いてる
そしておれはお前を思い出すよ
オイルまみれ あのセカンドハンズ

Beautiful view いまシグナルはブルー La La La…
Beautiful view 欲しいものはTrue La La La...

Beautiful view La La La…
Beautiful view La La La…――
(片岡大志『Beautiful view』)


 そうだ。十年以上経って、プロの選手になって監督同士になった今、土井垣は一番のライバルで、親友になっていた。でもただライバル視していたあの日も、今もその時は今日なんだ。そしてこれから十年後はどうなっているかは分からない。土井垣とは縁が切れて思い出の対象になっているかもしれない。それでもその日は今日なんだ。そんな一コマの時としてとらえているのに時の流れを感じさせる、心に残る曲だった。小次郎は葉月が自分をこのライブに指名した理由が分かった気がした。彼女はこの曲を聴いてほしかったのかもしれない。土井垣と二人で――そんな彼女の心遣いに彼はふと胸が温まる様な気がした。曲が終わり、小次郎は惜しみない拍手をしながら、土井垣に話しかける。
「…宮田の意図が見えてきた。これが一つの『理由』か?」
 土井垣もふっと笑って応える。
「…多分な。あいつ、この曲を聴く度に、『まるで犬飼さんと将さんの曲みたいね』と言っていたからな」
「そうか」
 小次郎もふっと笑う。そうしてもう一曲柔らかい声で、途中に語りの入る温かく、でも少し切ない曲を歌ったところで『じゃあ第二部まで少し休憩もらいます、お手洗い行ったり、お酒頼んだり、お酒頼んだり、お酒頼んだりしてね~』と言って常連客から『つまり飲んでろ、と』と冗談半分の口調で突っ込まれつつ、一同は店の奥に入っていった。