『そういえば、真理子ちゃんはどうしているんだろう』
酒を飲みながら不知火はふと真理子に思いを馳せる。ドナー家族とは会わない事が原則となっている上、葬儀時は入院中であったこともあり、白新野球部として参加する事もできず、それから真理子との繋がりは断ち切れていた。元気でやっているだろうか、兄が死んであの席上では気丈にしていたが、本当は兄の死がショックで、立ち直るのに時間がかかったのではないか――そんな風に彼は彼女の事が心に引っかかった。そんな酒の席の数日後彼は彼女の事が心に引っかかったまま、目の定期健診に病院へと向かった。彼は誠の残した目とその心を決して粗雑に扱ってはならないと決意していたので、目に対するケアは欠かさない。そうしていつもの様に健診を終え、何となく病院内の中庭を歩き回っていると、不意にカルテらしき冊子を持ったケーシー型の白衣姿の女性にぶつかった。彼は女性に謝罪する。
「あ、すいません」
「いえ、こちらこそ前方不注意で…あ…」
不意に女性がファンに囲まれたのとは違う驚いた表情を見せたのが不思議に思い、不知火は思わず問い掛ける。
「あの…俺が何か…」
不知火の問い掛けに女性は懐かしげに微笑むと口を開く。
「不知火さん…お久し振りです、私です。…大久保真理子」
「え?真理子ちゃん?」
不知火は驚いた、まさか彼女の事を考えていたからと言ってこんな近くで会えるとは思っていなかった。不知火は驚きながらも言葉を掛ける。
「真理子ちゃん…久し振り、すっかり大人になったね」
「はい、不知火さんこそ立派なエースになりましたね」
「いや…それより真理子ちゃん、ここで働いてるのか?」
「はい、作業療法士として今年の4月から」
「そうなんだ」
「はい」
二人は偶然の再会を喜び、微笑み合う。とはいえ真理子は仕事中だという事を思い出して不知火は申し訳なさそうに口を開く。
「ああすまない、真理子ちゃんは仕事中だったっけ…引き止めてしまった」
「いえ、私も不知火さんと久し振りに会えて嬉しかったです」
「そうだ…じゃあこれを」
不知火は自分の個人連絡先の書いた名刺を差し出すと、言葉を重ねる。
「ドナーの家族とは会っちゃいけないって言われたけど…こうして患者とその病院の職員って関係になったんだからもういいだろう。だから、気兼ねなく連絡くれていいよ」
「ありがとうございます、お言葉に甘えてその内連絡しますね…あ、そうだ」
「何だい?」
立ち去ろうとする不知火を真理子は引き止める様に声を掛ける。不知火が立ち止まって振り返り彼女を見詰めると、彼女は彼をまっすぐに見詰め返して笑顔で口を開いた。
「その…兄の目で、たくさんの物を見てあげて下さい、そして兄と一緒に…少しでもたくさんの勝利を味わって下さい。お願いします」
不知火はその笑顔に重なって誠の笑顔が一瞬見えた気がした。彼は目を瞬かせたが、そこに見えるのはもう真理子の笑顔だけ。しかし彼の目には誠の永遠の笑顔が焼き付けられる。彼は微笑むと、真理子に応えた。
「ああ」
「それじゃあ…失礼します」
真理子は一礼すると足早に立ち去った。不知火はしばらくそこに立ち尽くしていたが、やがてふっと笑うと空を見上げて呟いた。
「忘れませんからね…あなたは俺の最高の、そして永遠の恋女房なんですから」
不知火はしばらく澄み切った青空を見上げ、病院を後にした。