「なあなあ山田、すごく綺麗だな!」
「...ああ、そうだな」
 月明かりと雪洞に照らされた満開の桜をはしゃぎながら見ている里中を山田は見詰める。スーパースターズとして再び同じチームになり開幕してから初めてのオフ、里中は急に「夜桜を見に行こう」と山田を連れ出した。里中が山田を唐突に連れ出すのは珍しい事ではないし、プロ入りしてからも頻繁に会っていたとはいえ、明訓時代のように始終一緒にいられるわけではないのでこうした呼び出しは山田にとっても喜ばしいものではあったのだが、今回に限ってはいつもの呼び出しとはどこか違うという事を山田は感じ取っていた。実際こうしてはしゃいでいる里中を見ていても、いつものはしゃぎ方ではなく何か無理をしているのが感じられる。黙って里中を見詰めている山田に、里中は明るい声で問い掛ける。
「どうしたんだよ山田、ずっと黙ってて」
「...お前こそ、何を無理してるんだ」
 山田の言葉に里中は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに苦笑して口を開く。
「...お前には何でもお見通しなんだな」
 そう言うと里中はふっと視線を虚空に向けるとぽつりと言葉を零す様に問いかける。
「...山田、俺達出会ってからずっと、こうやって花見をゆっくりした事ないって知ってたか?」
「...そうだな」
 そう、中学時代に出会った頃やプロ入りして離れてからはともかく、明訓時代にもそういえば二人は花見をした記憶がない。それだけ練習に時間を費やしていたという事だろう。山田は彼の言葉をそういう意味に一度とらえたが、その口調はそう思うにはやはり違和感がある。そう思っていると里中は更に続けた。
「初めてお前とこうして桜を見てるけど...こうやって桜を見てると、何もかもが夢だって思えてこないか?...桜は夢を見せるっていうからな」
「里中...?」
 怪訝そうに山田が声を掛けると、里中は視線を虚空に向けたままぽつりと呟く。
「...なあ山田、俺達本当にまた同じチームになったんだよな」
「...」
 里中の言葉に山田は何も言えずに彼を見詰める。
「夢じゃないんだよな、また俺と俺の事を一番分かってくれるお前でバッテリーが組めるんだよな」
「...」
 沈黙したまま自分を見詰めている山田に対して語っている様にも、自分に言い聞かせる様にしている様にも見える口調で、里中は更に続けた。
「...ずっと、ずっと夢見てたんだ。プロの世界で、同じチームでお前とバッテリーを組んで野球をする夢。かなう事はないと思ってた夢...」
 虚空を見詰めていた里中はふと真剣な表情で山田の方に向き直る。
「瓢箪さん、袖ヶ浦、プロに入ってからだっていいキャッチャーに俺は恵まれたと思う。...でも違うんだ、やっぱりお前じゃないと俺、駄目なんだ...だから夢がかなって嬉しいんだ...でもこうしていると、これは本当は夢なんじゃないかと思うんだ。こうしているうちに今にでも覚めてしまう夢に...それに」
 里中は唇を噛むと、苦しそうに続ける。
「...俺、桜が怖いんだ。桜は夢を見せるから...確かに綺麗だと思うけど、夢を見せながらいつの間にか散って、散った後夢が覚めるとその後には...いつも辛い事があったから」
「里中...」
 その言葉に山田は里中の心を読み取る。高三の時、里中の母の病気が悪化したのは確か桜が散り始めた頃からだった。あの時の里中は何も言わなかったが、きっと中退の事はその頃からすでに考えていたのだという事は今では分かっている。そして何よりプロとして敵同士になる道へ進まなければならなかった高校卒業――里中にとって、いや山田にとっても桜は決していい意味を持っていなかったのだ。里中の言葉に山田はその事を気付かされた。痛々しげに里中を見詰める山田を、里中も不安げに見詰め返す。
「...なあ、夢じゃないんだよな。俺はお前とまたバッテリーを組むんだよな?ずっと一緒にいられるんだよな!?」
 里中の目から涙が零れ落ちた。涙を流す里中を山田はゆっくりと抱き締めると、彼を宥める様に、そして自分も彼の存在を確認する様に里中に囁きかける。
「...夢じゃないさ。お前はちゃんとここにいる。俺だってちゃんとここにいるだろう?」
「...ああ」
「これからはずっと一緒だ。この桜が、いや、これから毎年桜が咲いて散っても...」
「山田ぁ...」
 二人はしっかりと抱き合った。二人はしばらく抱き合っていたが、やがて山田は里中の顔を両手で包んで自分の顔としっかり向き合わせる。
「里中...俺達がプロとしてバッテリーを組むっていう事は甲子園だけじゃない、日本中のマウンドでバッテリーを組むって事だ。お前がそんな夢をずっと持っていてくれたなんて俺は嬉しいと思うよ。しかもそれをかなえた里中、お前はすごい奴だよ」
「そうかな...でもそうなんだよな」
「どうしたんだ?里中」
 何かを思いついた様に表情が明るくなる里中に、山田が問い掛けると、里中は最高の笑顔で嬉しそうに口を開く。
「今度は甲子園だけじゃない。日本中のマウンドが俺達のマウンドになるんだよな」
 里中の言葉に山田は思わず顔がほころぶ。マウンドは自分だけのものではなく、二人のもの。その考えが山田には嬉しかった。山田はその喜びを素直に口にする。
「そうだな...日本中のマウンドを俺達のマウンドにしていこう」
「ああ」
 里中はもう一度山田の胸に顔を埋める。山田は里中を胸に埋めさせたまま囁く様に問い掛けた。
「...もう桜は怖くないか」
「大丈夫...お前がいるから」
 そう言うと里中は幸せそうに桜を見上げる。月明かりと雪洞に照らされてはらはらと散る桜を、二人はいつまでも見詰めていた。