開幕前の短いオフのある日、東京スーパースターズの有志は、ある合唱団のコンサートのプログラムの一端にある有志の合唱構成『ぞうれっしゃがやってきた』の中で葉月がソロを担当すると聞いて、その合唱団の演奏会を聴きに来ていた。葉月以外のこの構成を歌う有志とも知り合いである土井垣はもちろんだが、葉月と幼馴染の里中と彼に誘われてやってきた山田、葉月の歌声を一度聴いてみたいと興味津々の三太郎や緒方や星王やわびすけなどスターズの有志一同に加えて、『ちょっと聴きてぇから、行くづら』の一言でこういう席には珍しい殿馬が参加していた。葉月達の出番は最後だったので、一同は女声コーラス団である主催合唱団の合唱を聴きつつ、彼女の出番を今か今かと待っていた。アマチュアとはいえこの合唱団の歌の技術も相当のもので、一同は楽しく聴いていた。そうして彼女の出番の前の休憩に入った時、三太郎が殿馬に問いかける。
「こんな事聞くのは野暮だけどさ、俺達からしたらうまいと思ったけど、お前の耳としてはどうだ?」
 三太郎の言葉に、殿馬はさらりと応える。
「普通にうめぇづら」
「ふぅん」
「さて、やっとお待ちかねの宮田さんの出番だぜ」
「葉月ちゃんの歌声聴くの久しぶりだから楽しみだな。昔っから飛びぬけて歌が上手な女の子だったんだぜ?」
「へぇ…で、中学とか高校時代は『奇跡の歌声』とか『マリア・カラスの再来』とか言われてたってか…」
「しかも明訓が弁慶高校に負けたのと同時位に表舞台から急に姿消してるから、尚更伝説の存在になってるのか」
「らしいな。俺も葉月と付き合い始めて調べて知ったんだが、当時の資料からすると当時から留学も目の前にあった位の技量を持っていたらしいな。彼女は『今は相当下手になりましたよ』と謙遜しているが、俺からしたら今もその腕は落ちていないと思っているがな」
「そうですか…でもそんな有名な人間だとお前並みだろ?殿馬。同い歳で音楽やっててコンクールにも出てた位なら、本当は前からお前知ってたんじゃないか?宮田さんと俺達が初めて会った時の鍋会では初対面でございって面してたけどさ」
「づら」
「何だよ、黙秘権か?…まあいいか。俺達の知ってる宮田さんは、おっとりしてて優しくてお茶をいれるのが上手で、こうやって音楽も好きな普通の女性だからな。それでいいさ…おっと、始まるぜ」
 そうして話しているとブザーが鳴り、また会場が暗くなってくる。そしてピアノの伴奏と共に照明がパッと明るくなり、子ども達の『サーカスだ、サーカスだ、サーカスがやって来たぞ!』というセリフから歌が始まった。サーカスの楽しさを歌う子ども達の幼いながらも一生懸命な歌声を包む様に、また導く様に大人達の合唱が重なって、その明るい曲調と歌声、そして途中で出てきたピエロによるぞうの紹介が一同の心を楽しませた。そして曲が終わったところで、男性の語りと共にピアノの伴奏が転調し、ゆったりとした寂しげな曲調に代わる。そうして男性の語りが終わるとともに、簡単な衣装を着た葉月が舞台の端に現れ、歌い始める。その歌はサーカスのぞう使いの娘が『動物園にぞうを売らないで』と懇願する歌だった。ぞうとの楽しい日々を思いながら、その後『ぞうを売らないで、どこへもやらないで』と切々と語る様に歌った後、感情を爆発させるかの様に泣き叫ぶ様な歌声で『ぞう達が行くなら私も行きます。私も一緒に売って下さい』と絶唱した彼女の歌を聴いていると、まるで本当に彼女がサーカスの娘で、目の前に団長がいて泣きながら頼んでいるかの様に見えた。歌い切ったところで彼女はすっと舞台から姿を消し、一瞬の間の後、割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こった。一同も惜しみない拍手を彼女に捧げたが、何故か殿馬は拍手をしない。怪訝に思った三太郎が殿馬に小声で問いかける。
「…殿馬、宮田さんの歌、気に入らなかったのか?」
「…違うづら、あいつに表の拍手はいらねぇづら」
「…何だよそれ。すげぇ失礼だな」
「これは、俺とあいつにしか分からねぇづら」
「…?…」
 そうして構成は続いていく。また曲調が変わり、柔らかい伴奏と共に、ぞうが売られていく様子が歌われる。彼女は衣装から他の有志と同じTシャツにバンダナという姿に着替えてそっと後ろを回り曲の途中からアルトパートで参加する。先刻の目立つ歌声とは裏腹に彼女の歌声は一同に溶け込んで、柔らかいハーモニーを形作る。そうしてまた子ども達が加わり一時の楽しい動物園の様子を歌った後、戦争が悪化し、動物を殺せという軍からの指令、それに反発する園長、それでも動物達が殺されていく様子、それでもぞうだけでもと守ろうとする園長、それでも死んでしまうぞうの様子などが合唱や園長役らしき男性のソロや、軍人のセリフなどで綴られていく。二頭のぞうが死んだと歌われたところで、一同は葉月の歌声をふと思い出し、ぞう使いの娘の言う事を聞いて動物園に売らなければぞうは死ななかったのではないかという悔しさが溢れ、涙が出てきた。そしてそんな思いを抱かせるだけの力量を持った彼女の歌声に感動する心を感じていた。そうして戦争が終わり、二頭のぞうが生き残った事が男性の語りで告げられ、子ども達が子ども会議の中で『動物がいなけりゃ動物園じゃない。ぼくたちに動物達を、動物園を返して』と訴え、その中である動物園で二頭生きているぞうがいると知り、見たいと思った子どもたちが動物園の園長に『一頭でもいいですからぞうを貸して下さい』と頼み、それに対して園長が『長い戦争で弱っている身体を寄せ合って必死に生きているぞう達を今引き離したら生きてはいけない、どうか住み慣れた動物園でそっと見守って欲しい』と諭し、その上で子どもたちの熱意が大人達を動かしてその動物園へ子ども達を送るぞう列車を走らせた事が構成で分かっていく。そしてぞう列車が子ども達の希望や戦争で夢をなくし、しかし新しい時代を生きていく人たちの心を走っていく様な思いがするこの構成でも一番有名な『ぞうれっしゃよはしれ』が歌われ、そしてぞうと楽しく遊ぶ子ども達の楽しい様子と共に『生命を慈しむ心をいつまでも忘れないでほしい』という大人達の心が歌われていき、最後にもう一度全員の合唱が入った後大人達のハーモニーと子ども達の歓声で構成が終わり、すっと伴奏と歌声が消えた時、今までで一番大きな拍手と歓声が湧きあがった。そして司会者によって、伴奏や指揮者と共に、それぞれソロやセリフで出てきた人間の役と名前が紹介され、葉月もぞう使いの娘として紹介されると、大きな拍手が彼女に降り注ぐ。彼女は恥ずかしそうに一礼した後すっと後ろに下がった。そしてアンコールという事でもう一度『ぞうれっしゃよはしれ』が手拍子と共に歌われた後、大きな拍手でコンサートは終わった。一同も心一杯の拍手を捧げて、一時今日のコンサートの良かった所や彼女の歌声の素晴らしさについて語り合いながら、『飲みに行こう』という事になり、席を立つ。と、里中が殿馬がいなくなっている事に気づく。
「あれ?殿馬がいない。どこ行ったんだ?」
「トイレとかじゃないのか?」
「じゃあとりあえず携帯にメールしてロビーで待ってみるか」
「そうだな」
 一同はそんな事を話しながらロビーに出ていった――

「お疲れ様~!」
「大成功~!」
「とりあえずさっと着替えて片付けましょ?そうしたら打ち上げ!」
「そうね~…って宮田ちゃん早い!もう着替えたの?」
「あはは、職場で慣れてますから…って訳で一足先に戸浪さん達の片付け手伝ってきますね」
「でも、大丈夫?今日かなり頑張って歌ったじゃない。一休みしてから行った方が身体にいいんじゃない?」
「いいえ。少ない休み時間で休んでる間ジリジリしてるより、パッと片付けて早くおいしいご飯一杯食べて沢山楽しいおしゃべりしてお風呂のんびり入ってぐっすり寝た方が身体にいいですから」
「宮田ちゃんらしいわね~じゃあお願いね、行ってらっしゃ~い」
「は~い」
 控室で一足先に着替えた葉月は片付けを手伝うためにステージへ向かおうとする。と、ホール入り口のドアに手を掛けた所で不意に呼び止められた。
「おっよぉ」
「はい…あ、殿馬さん、どうしてここに…?」
「おめぇとちっと話してぇと思ったづら。…こういう場で会うのは15年ぶり…づらか」
「…覚えてたんですか」
「あたりめぇづら、偉そうな事言ったのは俺の方づら」
「いえ…殿馬さんの言った事は当たってましたよ。あの頃の私の歌は、命も心もない、ただ機械を再生している様なものでしたから…それが殿馬さんに分かってしまって、自分がすごく恥ずかしかった…」
「でも、おめぇはそうしたくてそうしてたんじゃなかったづら。それを望んでたのは周りの人間だったづら。それに、機械みてぇな歌い方をしてた代わりに、おめぇは機械になり切るために、本当の生命を削って歌ってたづら。あの頃の俺にはそれが分からなかったづら。明訓の奴らと野球をして年を重ねていってからおめぇともう一度会って、今日のおめぇの歌を聴いて、それを痛感したづら…だから、性に合わねぇづらが、あの時に言った言葉を謝りに来たづら」
「いいんです、謝らなくて。殿馬さんに…いえ、殿馬さんだからこそ、その事を分かってもらえただけで私は嬉しいんですから」
「そうづらか?」
「はい」
 そう言うと二人は当時を回顧する様に沈黙した――