――15年前――
「それではただいまより推薦留学者の発表をいたします。なお三位までの入賞者がその資格を得られます。…一位入賞…殿馬一人、明訓高校…二位入賞…宮田葉月、古城高校…」
 推薦留学者の発表が終わり、表彰式で葉月も賞状をもらい、全てのプログラムが終わると足早にステージを後にし控室へ向かい、手早く荷物をまとめ、夕闇せまる会場を後にし、帰るために車で会場に来ている家族との待ち合わせ場所へ向かう。疲れ切り、軽いめまいも起こしている身体を少しでも早く休ませたいのに、どこから来たのかマスコミらしき人々が彼女を囲み、話を聞き出そうと声を掛けてくる。
「いや宮田さん、推薦留学の資格は得られたとはいえ、二位とは残念だったね」
「いえ…二位でも私には信じられない位の栄誉です」
「いやいや、謙遜しなくてもいいよ。中学時代からソプラノからアルトまで何でも歌える広い音域を持った『奇跡の歌声』に、技術と表現力も最近は更に磨かれて『マリア・カラスの再来』と言われる程になった天才少女じゃないか君は」
「…ええ、まあ、周囲の方達はその様な過分な評価を下さっているらしいですね」
「それにね、今審査員の人達から話を聞いたんだけど、ここだけの話一位の殿馬君と最初は同点、決定投票で僅差だったそうだよ」
「…そうですか。彼のあの言葉にできない程素晴らしいピアノとそこまで競えただけで、私は最高です」
「いやいや、続きがあるんだ。声楽とピアノ、分野が違うからはっきりした優劣がつけられないって審査員も相当迷って本当に苦渋の選択だったそうだよ。つまり君も実質的には一位という訳だ。しかも二人とも一年生だ!本当に素晴らしい!」
「彼のピアノと君の歌、この二つが融合したら世界一だと思わないかい?」
「天才的ピアニストと『マリア・カラスの再来』といわれる位の声楽家の誕生で、日本の音楽界が史上最高の盛り上がりを見せる日も近いね」
「…はあ」
 いつもなら最初からアポを取られたものは別として、こういう突発的インタビューは音楽教師が自主的に一手に引き受けてくれるので面倒がなくていいのだが、今日は運悪く教師も入場できるのは客席のみにされてしまっている。熱に浮かされた様に質問や感想を述べてくるマスコミをある理由があり冷めた心で見つめながら、でも顔には微笑みの仮面をつけて対応していると、不意に声を掛けられる。
「おっよぉおめぇ」
「あ…」
「おお!殿馬君じゃないか!」
「推薦留学候補者一位、二位が顔合わせか!こりゃいい記事になるぞ!」
「二人とも、並んで笑って!写真撮るよ!」
「殿馬君、今宮田さんと話していたんだが、どうだい?一度彼女の歌に君のピアノを合わせてみては。きっと最高の演奏になると思うんだけど」
「あの、ええと…」
 記者達の攻勢に戸惑う葉月とは裏腹に、殿馬はあっさりとその願いに答えを出す。
「断るづら」
「そりゃまた殿馬君、どうして…」
 殿馬の言葉と態度に浮かれた様子を見せていた記者達はすっと静かになる。静かになった所で、殿馬は葉月に言葉を掛ける。
「おめぇにひとつ聞きてえ事があるづら」
「何ですか…?」
 戸惑う葉月に、殿馬は真っすぐ心を貫く様に問いかける。
「おめぇ、何で歌ってるづら?」
「…え?」
「おめぇの歌声は死んでるづら。命もねぇ、心もねぇ、ただ正確で綺麗なだけの再生機械づら」
「…」
「殿馬君!宮田さんに失礼じゃないか!」
「それだけじゃない!今の言葉で彼女を推した審査員も侮辱した事になるんだよ!」
「そう思いたけりゃそう思えばいいづら。俺のあんな失敗作で一位をくれる様な審査員の評価なんざてぇした事ねぇづら」
「殿馬君!」
 更に激昂する記者達とは裏腹に葉月は静かに、彼の言葉を噛みしめて聞いていた。彼のピアノを聴いた時、自分など足元にも及ばない、彼こそが本当の音楽家だと瞬時に理解した。そして本当の音楽家には、どんなに隠してもやはり分かってしまうのだ。彼女が周りの望む通りに歌う余り、歌に命を与えていない事が――無言で見つめている葉月を一瞬見つめ返すと、すっと殿馬は踵を返して、去り際にこう言い残して飄々と去って行った。
「…おめぇが本当に言われる様な天才づらなら、本当に命を込めた歌が…聴きてぇづらな」
「…」
「…まったく、一位を取ったからと言って何て傲慢というか失礼なんだろうね、宮田さ…えっ?どうしたんだい!?」
 不快感を露わにしながら振り返って葉月を見た記者の一人が驚く。葉月は泣いていたのだ。涙を流す彼女に記者達はおろおろして何とか泣き止ませようと、自分達が思っている事を彼女の思いと混同して宥めようとする。
「そうか…あんな酷い事を言われたんだものね。悔しいよね」
「違います…そうじゃありません…」
「いいんだよ隠さなくても。確かに悔しいよね、あんな事言われたら」
「いいえ、いいえ…!…」
 確かに悔しかった。でもそれは殿馬があんな言葉を発したからじゃない。歌う事が何より好きで、人に何かを残せる様な素敵な歌を歌える様になりたい、と努力してきたはずなのに、いつの間にか大人達の望むままに、自分の生命を削ってまで目的もなく歌う『歌う機械』と化していった自分自身が悔しかったのだ。前の様にただ無心に、歌の心を自分の身体に入れて、それを伝える様に歌いたい、でもそうして歌う歌い方を忘れてしまった自分がここにいる。自分は身も心も機械になり果てたのか――その事を思い知らされて、悔しくて、哀しくて、葉月はただ泣き続けた――