20XX年のクライマックスシリーズは、東京スーパースターズとの壮絶な戦いの末、四国アイアンドッグスが制し、日本シリーズへの出場を決めた。そのクライマックスシリーズ最終戦をシーズンオフで帰国していたため不知火に招待され観に来ていた瑛理はその試合後、瑛理たっての願いで不知火と対戦相手だった土井垣、そしてその土井垣にやはり招待されて観に来ていた恋人の葉月と一緒に飲んでいた。多少悔しげながらも満足そうな表情を見せ、土井垣が口を開く。
「今年はしてやられたな…まああれだけいい試合をして負けたのだから悔いはないがな。守、俺達の代わりに日本一、しっかり取ってくれよ」
「はい、土井垣さん。頑張ります」
「瑛理さんも不知火さんが日本シリーズ出られて嬉しいでしょう?」
「はい、でも葉月さんはちょっと悔しいんじゃないんですか?」
「う~ん…他のチームだったら悔しがるかもしれないけど、アイアンドッグスならいいかなって。不知火さんも好きだから、私。それに…土井垣さんが日本シリーズ出られないのはちょっと残念だけど、その代わり秋季キャンプまでちょっとだけ長く土井垣さんと一緒にいられる時間が増えるから…それも嬉しい…なんて言ったら土井垣さんに悪いかな」
「葉月…」
顔を赤らめながら言葉を紡ぐ葉月に、土井垣も赤面する。そんな二人を瑛理と不知火は微笑ましげに見詰める。その視線に気付いたのか、土井垣はわざとらしく話題を変える。
「そうだ、葉月。神保さんの芝居は明後日と明々後日だったよな?こういう結果になったから、今年は気兼ねなく観に行けるが…行ってもかまわんか?」
「あ、ええ…多分微笑さんも今頃ヒナに同じ事話してると思うんで、いいですよ。チケットはまたお姫に頼んでその場に用意してもらいますから」
「そうか」
「え?お芝居って…新年に言ってた人のお芝居ですか?」
「ええ。毎年恒例、劇団荒久の本公演よ」
瑛理の問いに葉月はにっこり笑って答える。瑛理はその答えに少し羨ましそうに言葉を紡ぐ。
「いいな~わたしも観に行きたいな~」
「こら瑛理、二人の邪魔をするんじゃない」
たしなめる様な不知火の言葉に、葉月はにっこり笑って言葉を返す。
「いいえ~ヒナ達も一緒ですし、むしろ観に来てもらった方がお姫もチケット売れて喜びますから、いいですよ。折角だから小田原の観光案内も含めて、観に来ます?ホテルを予約するのは今からじゃ無理でしょうからうちに泊まる事にして。その代わり、私の親友も一緒になりますけど、それで良ければ」
「いいんですか?行きます!はい!」
「瑛理!こら我侭ばかり言って…」
「いいんですよ。私もあの劇団の芝居は観て欲しいんですから」
「葉月、瑛理ちゃんと朝霞さんを泊めたら、その…俺が泊まる所が無くなるじゃないか」
「将さんは柊の所に泊まればいいですよ。柊も座長が演研のチョロビーの事もあって、お姫が入る前から毎年観てたらしいですけど、お姫が入ってからはお姫の馴染みのお客さんになって、いつもは別口ですけど毎年観に行ってますし」
「『チョロビー』?」
「『長老OB』の略です…って訳で、今年は柊も一緒に行く事にして、微笑さんも含めて柊の家に泊める様に頼めばオッケーですよ。おじ様も、おば様もいい方だから快く泊めて下さいますよ」
「…」
口々に言葉を紡ぐ土井垣と不知火に対し、しれっと言葉を返す葉月に二人は言葉をなくす。しばらく不知火は言葉を捜す様に沈黙していたが、やがて顔を葉月に向けると、はっきりと口を開く。
「…俺も行く。かまわないか?宮田さん」
「え?ああ、別にかまいませんけど…」
「守!お前は日本シリーズに向けての練習があるんじゃ…」
「とりあえず今週一杯は休息も兼ねてオフなんですよ。ただ四国には帰るんで帰るのを遅らせなきゃいけませんが…まあそれは監督に今から言います」
慌てる土井垣に不知火は冷静な口調で言うと、携帯を取り出し、小次郎らしき人間に掛ける。
「…ああ、監督。俺です、不知火です。明日の松山への飛行機のチケット、俺の分キャンセルして下さい。で、俺は一足遅れて日曜の夜自力で帰りますから…何でかって?ちょっと用ができまして…え?良く分かりましたね。代わりますか?…そうですか。土井垣さん、監督が代わって欲しいそうです。はい」
不知火は携帯を土井垣に手渡す。土井垣は携帯を受け取ると、苦い表情で会話する。
「…ああ、俺だ…いやな、俺も止めたんだが、守がどうしても俺の用に乗りたいと言って聞かなくてな…分かってる。とりあえず今週一杯はオフにしたんだろ?いいならとりあえず俺が預かるから…大丈夫だ。故障する様な事じゃない。メンタル面には逆にいいかもしれん…何?ちょっと待て!…仕方ないな…いつも飲んでる店だ。分かるな…ああ、待ってるから早く来い」
土井垣は携帯を切ると、小さく溜息をついて重い口を開く。
「葉月…お前のせいで大事になってきたぞ」
「え?どうしたんですか?」
「小次郎が『俺もその話に乗せろ』と言ってきた」
「あらら、そりゃまた話が大きくなって…」
土井垣の言葉に、葉月は一見驚いた様な、しかし実際はお気楽な口調で言葉を紡ぐ。土井垣はそれに苦い顔をすると、更に口を開く。
「とりあえず詳しい話を聞きたいから、これからここへ来るそうだ」
「え?監督さん来るんですか…?」
少し引き気味の瑛理を見て葉月が不思議そうに言葉を掛ける。
「どうしたの?瑛理さん」
「いえ…あの監督さん、ものすごく申し訳ないんですけど、ちょっと怖くって…」
瑛理の言葉に葉月は苦笑すると、納得する様に言葉を続ける。
「確かにね、瑛理さんには…ちょっと怖いかな?でも大丈夫、不知火さんも、私も、土井垣さんもいるんですから」
「はい…」
そんな事を話していると、店の中に小次郎が入って来て四人の所へ店員が用意した椅子へ腰を下ろす。
「よお宮田、久し振り。そっちにいるのは確か…不知火の女だったよな」
「はい、お久し振りです、犬飼さん」
「…」
無言で引いている瑛理を見て、小次郎は苦笑して言葉を紡ぐ。
「…ったく、いい加減慣れてくれてもいいだろうによ…まあいいか。で、土井垣。『用』ってのは一体何なんだ?」
小次郎の問いに、土井垣は事の次第を瑛理の事は不知火のためにも、瑛理のためにも抜きにして話す。小次郎は納得した様に頷いて言葉を紡ぐ。
「…そうか。宮田の親友の芝居を観に、観光がてら小田原へ行くって事なんだな。確かに故障はしねぇ事だし、メンタル面では良さそうな話だな。うちのメンバー全員連れて行きてぇ所だが…今からじゃそうもいかねぇな。でも俺は乗った。一緒に行くぜ」
「おい、守はともかく、監督のお前がそんないい加減でいいのか?」
「ま、帰るだけだからガキじゃねぇんだしメンバーはコーチに任せればいいしな。ところでどんな劇団なんだ?宮田」
小次郎の問いに、葉月は説明する様に答える。
「ええと、アマチュアでは神奈川でも、日本でも随一の歴史を持つ劇団で、実力もプロに負けない高レベル、創設期には北条秀司っていう脚本家では大御所の人が関わってたり、映画の『学校』の一作目の元を作った脚本家の人がそこから出てて、その芝居やったり、40周年記念の時かな?確か創設期に演技指導してくれた有名な俳優さんが客演してくれたり、時々テレビドラマとか、映画のエキストラ協力で劇団の名前も出たりって、地味に見えて何気に派手な活動してるとこですよ」
「…ほう、実力は去年の公演でよく分かっているが、そうするとかなりすごい劇団なんだな」
「そういう劇団の芝居なら俺のモチベーション向上のためにも観て損はねぇな。ついでにできればビデオでもあれば借りて、メンバーのモチベーション向上にでも努めるか。宮田、手配できるか?」
「あ、はい。じゃあお姫に頼んで過去の公演のビデオとかDVD借りますよ。来年の開幕の時にでも、土井垣さんづてで返してくれればいいですから」
「ありがとうよ」
「しかしこれで三太郎、俺、守、小次郎の四人が御館さんの家に泊まったら大変なんじゃないか?それに…下手をすると、義経も泊まる事になるかもしれんぞ。あいつの事だから、神保さんの芝居は確実に行くだろう」
土井垣の言葉に、葉月はにっこり笑って応える。
「だいじょぶです。柊の家結構広いし、お祭りの時に若い社員の方達手伝いに来させると、必ず泊めてますからね。それに…義経さんはもう自分でホテル取ってるか、お姫の所に泊まるんじゃないですかね」
「…そうか」
「まあでも柊とヒナにはちゃんと言っとかないと。ちょっと待って下さいね」
そう言うと葉月は携帯を取り出して弥生らしき相手に電話を掛ける。
「…ああ、ヒナ。今大丈夫?…良かった。あのね、今度の芝居なんだけど土曜に行くでしょ?でね、一緒に前あんたに話した盾野さん…そうそう、あんたの大好きな盾野瑛理…彼女が一緒に行きたいって言ってね、折角だからあんたもうちに泊まってさ、日曜も皆で小田原観光案内しない?…うん、じゃあオッケーって事で。後のメンバーは土井垣さんでしょ?そっちは微笑さん行くんでしょ?…そう。じゃ、微笑さんと義経さんも公演は一緒に行くのね。それからね、こっちはアイアンドッグスの不知火さんと犬飼小次郎監督と、男衆泊める場所確保するために今年は柊も一緒してもらおうと思って…そだね、ホント今年はツアーだよね…じゃあそれもオッケーね。チケットはあたしからお姫に頼んで入口に用意してもらうから、チケット代持って来れば大丈夫って微笑さんに言っといて…うん、じゃあ土曜の4時に小田原ね、おやすみ」
そして一旦電話を切ると今度は柊司らしき相手に電話を掛ける。
「…ああ、柊?…うん、あたし。あのね。今度のお姫の公演、土井垣さんだけじゃなくって、盾野さんとか微笑さんとか不知火さんとか犬飼監督とかが一緒に行きたいって言ってね。その後観光するって事になって…それで泊める事になったんだけど、男衆はうちには泊められないでしょ?だから悪いんだけど柊のとこに泊めて欲しいの…うん、ごめんね。でね、泊めてもらうためもあるけど、一緒に今年は芝居観に行って、終わったら飲んで、観光も一緒にしようよ…うんそう、土曜の夜の方の公演…そうなんだ。じゃあお願いしていい?…うん。泊めるメンバーは今言った通り、男衆だから土井垣さんと、微笑さんと、不知火さんと、犬飼小次郎監督の四人、大丈夫?…じゃあ4時に小田原駅の改札でヒナと待ち合わせだから…うん、ありがと…おやすみ」
葉月は電話を切ると、にっこり笑って言葉を紡ぐ。
「ヒナも、柊も承知してくれましたよ。とりあえず初日…とは言っても二日二回公演ですけど…土曜日の夜の公演に行きますから、午後4時に小田原駅の…そうですね、東京駅出発メンバーが多いから新幹線の改札もいいけど、裏駅になっちゃうし、市民会館は表駅側だから…東海道線の改札に集合って事で。いいですか?」
「ああ、分かった」
「了解」
「瑛理さんは…バイクで来ます?」
「どうしようかな…守さんと一緒に電車もいいけど、日曜別れたらバイクの方が楽かな…うん、バイクで行きます」
「だとしたら少し早め…そうね、2時頃うちに来てくれる?バイクで来るなら置いていって欲しいから。うちの場所は一度来たから分かるわよね」
「あ、はい。…でも直にバイクで会場に行っちゃいけないんですか?」
瑛理の言葉に葉月は苦笑して答える。
「会場の市民会館はね、古い場所だからバイクも車も置くスペース、お客の分はないのよ。自転車がやっと少しある位。だからうちに置いていって、一緒に電車と歩きで行きましょう?」
「ホントですか?じゃあお願いします」
「ええ。…という訳で他の方も車やバイクは遠慮して下さいね」
「宮田さん、瑛理の我侭ばっかり聞いていいのか?」
「いいんです。私も楽しんでるんですから」
「俺は楽しくないぞ…」
折角二人で過ごせると思ったら邪魔者(と言ったら不知火や小次郎はともかく瑛理には悪いが)が大量について来る事になり、土井垣は苦い顔をしてぼそりと呟く。それに気付いた小次郎と不知火は苦笑い。葉月と瑛理は全く気付かずはしゃぎながら飲み物を飲んでいる。と、思い出した様に、不知火が口を開く。
「そうだ、宮田さんの親友も役者で出るんだろ?」
「え?はい」
「じゃあ花束を用意した方がいいな」
不知火の言葉に、葉月は少し考えた後、にっこり笑って応える。
「…いいえ、できるなら花束じゃなくてご祝儀用意してくれますか?…あ、瑛理さんはご祝儀じゃなくて差し入れにお菓子…できれば個包装の焼き菓子がいいかな…を男性と女性の分二包み持って来てあげてくれます?」
「おい、いきなり現金請求かよ」
呆れた様に口を開く小次郎に、葉月はにっこり笑ったまま続ける。
「はい、お姫の劇団本格的な分、規模も大規模なんですよ。それだけ出て行くお金が大きくて。チケット代が安い分、それだけだと中々懐事情が大変らしくて。だからプライスレスの感動の分をご祝儀で還元してあげれば、劇団にお金入って翌年もいい芝居作りできますし、チケット売り中々できないお姫も喜びますから」
「確かに。チケット代だけじゃなくてご祝儀を払っても損はない実力だぞ」
葉月の言葉に土井垣も同意する。
「そうか…ちなみにチケット代はいくらなんだ?」
「千円ぴったりです」
「おい…それで採算取れてるのかよ?」
驚く小次郎に、葉月はにっこり笑ったまま更に言葉を紡ぐ。
「まあ、市や団体からの補助と、さっき言ったご祝儀含めてで何とかって感じらしいですけど、それがこの荒久のポリシーだそうですよ。『安い値段で、気軽にいい芝居を観てもらうのが大衆演劇の目的だ』って座長も言ってますし。その代わり今言った通り『これで千円でいいの?』っていうプライスレスの感動は必ずつけるのもポリシーとしてありますけど」
「へぇ…」
「それに、お姫のお父さん、厳しくて花束持って帰ると必ず誰からかチェック入るから嫌だって言ってますんで、花束よりは手元に形の残らないご祝儀をあげる方が助かりますし…お姫からしたら一人から花束もらえればそれで充分幸せですから」
「へぇ…その一人ってのは?」
「それは…行けば分かります」
「何だよ、濁しやがって」
「だって、お楽しみがあった方がいいでしょう?」
そう言って悪戯っぽくウィンクする葉月に小次郎は苦笑する。その話を聞いて、瑛理は申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。
「だとしたらわたしもご祝儀の方がいいんじゃ…」
瑛理の言葉に葉月はにっこり微笑んで言葉を返す。
「瑛理さんは差し入れにしたのは、劇団の中に知ってる方がいるから、ご挨拶できる様にご祝儀や花束よりは差し入れって思ってね。久しぶりに会いたいでしょ?」
「え?誰ですか?」
「宇佐美さんのお父さんの方。お祭りの時、自治会の本部にいて瑛理さんとも色々話したでしょ?」
「ああ!息子さんとそっくりなあの大柄な優しいおじいさん!あの人も入ってるんですか?」
「ええ、劇団の中でもベテランの中のベテランよ」
「そうなんですか、確かに会いたいです~!」
「宮田さん、瑛理をあんまり増長させない方がいいぞ」
不知火の言葉に、葉月はにっこり微笑んで返す。
「いいえ、宇佐美さんも久しぶりに会いたいと思うんで。ちなみに土井垣さんはともかく、犬飼さんや不知火さんが来たって分かったら、他の劇団の男性陣も会いたがって大騒ぎですよ。だから懐かしいけど、中々会えない瑛理さんだけ特別に」
「ありがとうございます~!」
そう言って微笑む葉月と喜ぶ瑛理に男三人は更に苦笑した――