オフの昼下がりの新宿、義経は着替えを買うために歩いていた。道場では装束があるので着るものは気にしなくていいのだが、シーズン中は世間にいるとあって、それなりに洋服も揃えないといけない。少しづつは揃えていたのだが、やはりスポーツをしている身だと着替えは多くないと中々大変だとこの一年で分かった。とはいえどういう物を買っていいのか分からずデパート内をうろうろと歩いていた時に、不意に声を掛けられる。
「あれ?義経さんじゃないですか、こんにちは。どうしたんですか?」
 見ると、腰まである長い髪をバレッタで留め、ロングスカートに白のダッフルコートを着た女性がいた。その見覚えある顔に、義経は挨拶をする。
「ああ、こんにちは、宮田さんか。今日は監督と一緒じゃないのか?」
「私だってそうしょっちゅう土井垣さんとばっかりは出歩きませんよ。今日は地元の親友が買い物がてら遊びに来たんで、ウィンドウショッピングしながら案内してるんです」
「そうか。その隣にいる女性がそうか?」
 そう言うと義経は葉月の隣にいる女性を見る。身長は葉月と同じか少し高い位で、ジーンズにジャンパーというボーイッシュな格好。そして葉月ほどではないが、それでも長い髪を前髪までポニーテールにしてきりっと束ね薄化粧した顔は、愛嬌がある日本美人といった感じだ。義経に見られている事に気付いた女性は格好に似合わず恥ずかしげに俯いたが、葉月は安心させる様に宥めながら挨拶する様に勧める。
「ええ。…ほらお姫、挨拶しなよ」
「え?でもおよう…いいの?」
「いいのいいの。ヒナだって紹介したんだから、お姫も紹介しなきゃ」
 葉月の言葉に、『お姫』と言われた女性は恥ずかしげに微笑みながら義経に挨拶をした。
「じゃあ…初めまして、神保若菜です。宮田さんとは小さい時から色々な縁が重なっててその頃からの、義経さんも知っているらしい朝霞さんとは、高校時代からの親友なんです」
「こちらも…義経光です。…おや?宮田さんはあなたの事を『お姫』と言っていた様だが…」
「ああ、それは私のあだ名なんです。『若菜』から『若』になってそれが転じて『お姫』っていう風に。私も葉月さんの事を頭の漢字から『およう』って言っていますしね」
「ヒナもお姫は弥生で桃の節句から『モモ』って言ってますし、ヒナは私の事前義経さんが聞いた通り『はーちゃん』って言ってますし、ヒナは名前の由来からお姫の事『おゆき』って言ってますし、皆お互いの事好き放題あだ名付けまくってたんですよ」
「ふむ…仲が良かったんだな。君達は」
「ええ、男子からは『ややこしいから統一しろ』って大ブーイングでしたけどね」
「そうだったね、およう」
 そう言うと三人は笑った。ひとしきり笑うと、葉月が義経に悪戯っぽい口調で問い掛ける。
「そういえば義経さん、何しにデパートを歩き回ってるんですか?何か傍から見たら挙動不審ですよ」
 葉月の悪戯っぽいが素朴な問いに、こうした素直で素朴な性格だからか彼女相手だと不思議と素直になれるため、彼はそのまま答える。
「いや、こっちで着る服を探して歩いていたんだが…どうも決められなくてな」
 義経の言葉に、若菜がふと相槌を打つ。
「確かに…かっこよくて何でも似合いそうですものね」
「え?」
「え?…あ、いえ…」
 若菜は自分が発した相槌に気付いたのか、顔を赤らめて俯いた。義経はそんな彼女を不思議に思いながらも、同時に彼女が何となく気になっている自分も感じていた。その気持ちがあったからか、話が続く様に義経も葉月に問い掛ける。
「宮田さんは、じん…ぼ…さん…と何を買いに出てきたんだ?」
 義経の問いに、葉月はにっこり笑って答える。
「ああ、お姫がドーラン買いたいって言ったんで、最近見つけたお店を教えるついでに、お姫は東京久し振りなんでデパート巡りをしてたんですよ」
「ドーラン?何でそんなものが必要なんだ?」
 義経の問いに、葉月はにっこり笑ったまま答える。
「お姫はこう見えて役者なんですよ。結構キャラも立ってるし、声はいいしで、評判なんですから」
「ほう…?」
 感心する義経に、若菜は慌てて訂正する様に葉月と彼に言葉を掛ける。
「ちょっと待っておよう!役者って言ってもアマチュアだって言わなきゃ駄目でしょ!…義経さん、誤解しないで下さいね。私の本業は市役所の職員です。芝居は趣味なんですよ」
「でも、ドーランを使うとなると結構本格的なんですね」
「はい、市民ホールの大ホール使う芝居を年一回公演するんです。時代劇が主なんですけど、かつらも衣装もそれなりに本格的ですよ」
「皆セミプロ級にうまいですし、中から本当にプロに行く人がいる位なんですよ」
「それは特別よ、およう…まあ、残ってるベテランは皆うまいのは認めるけど、私はまだまだよ」
 二人の言葉に、義経は何故だか興味が湧いてくる。彼はそれをそのまま口に出した。
「ほう…一度見てみたいですね」
「お上手ですね。一応歴史のある劇団ですが、結局は素人芝居ですよ」
「でも興味が湧きました。是非機会があったら呼んで下さい」
「…はい」
 若菜は恥ずかしそうに頷いた。と、話が随分ずれてしまった事に気付き、義経は謝る。
「ああ、すまない宮田さん。折角友人と買い物をしていたのに邪魔してしまって」
 義経の言葉に、葉月は何故かにっこり笑うと、彼と若菜に提案をする。
「いえ、私達も本当の用は済んでるんで…もしだったら義経さんに付き合いましょうか?人がいた方が決めやすいでしょうし…いいでしょ?お姫」
「え?でも…おようの彼氏にばれたらまずくない?それに、義経さんには義経さんの都合があるでしょ?あんまり邪魔しちゃ…」
 二人はそれぞれ言い合っていたが、義経は先刻感じた彼女が何となく気になる感情も相まって、何だかもう少しこの二人といたい気持ちが湧いてきた。その心のままに彼はふと引き止める言葉を出す。
「お願いできないか?どうも俺一人では決められないと思うから…監督には内緒で」
「ええ、その辺りは心得てますよ。…それに、お姫ともう少しいたいでしょ?義経さん」
「え?」
「いいえ~?何でも。で、予算はどれ位ですか?」
 葉月はさらりとした態度で義経に予算などを聞いて、適当な店を捜す。義経は葉月と若菜に見てもらい、何着か服を買った。買った服を入れた袋を提げた義経は二人にお礼を述べた。
「いや…今日は助かった。ありがとう、宮田さん。それから…神保さん」
「どう致しまして。でも、私はほとんど役に立ってませんよ?…ほとんどお姫の好みで買ってたし」
「何か言ったか?宮田さん」
「いいえ~」
「私もお役に立ってないですよ。でも楽しかったです。男の人の洋服を見立てるって初めてだったので、いい勉強になりました」
「ほう…?こんなに素敵な女性なのに、恋人やご夫君はいらっしゃらないのですか?」
「義経さん、それ下手するとセクハラ」
「あ、ああ…すまない」
 思わず若菜に問い掛けた義経に葉月が突っ込みを入れ、その突っ込みで彼も自分の掘った墓穴に気付き若菜に謝る。若菜は宥める様に笑うと、彼に明るく言葉を返す。
「いえ…独り者なのは事実ですからいいです。…第一『不動明王二代目』って言われてる私に近付いてくる男性なんていませんよ」
「『不動明王二代目』?」
「ああ、そうか。お姫はお父さんから仕事を教わったんだっけ。そりゃ怖くもなるわ」
「どういう事だ、宮田さん」
 訳が分からず問い掛ける義経に、葉月は説明する様に答える。
「うちの父も元市役所の職員で、仕事ぶりから『不動明王』って職場の人から言われてたんですよ。で、お姫はその部下で直に仕事覚えたんですよ。…でしょ?お姫」
「そう。宮田課長…もう定年で辞められたし、おじ様ってまた言ってもいいかしら…の仕事の姿勢はすごく正しいと思うし、部下として働いた何年かは私にとって財産だと思うから後悔はないのですけれどね。同僚から怖がられるのはちょっと…」
「ほう…こんなにおとなしそうに見えるがな。…まあ宮田さんも似た様なものだからあり得るか」
「そう思ってもらえると幸いです」
「それどういう意味ですか?義経さん」
 若菜は納得したが、葉月は不満そうに義経に問い掛ける。義経はふっと爽やかな笑みを見せて答える。
「この間初めて宮田さんと会った鍋会の後、朝霞さんから『二次会』で聞いたんだ。宮田さんは『微笑みの夜叉姫』と言われる位仕事に関しては怖いとな」
「私も前会った時モモからそれ聞いたのよ、およう。おば様の仕事振りもちっちゃい頃からおようと一緒に見て知ってるし、両方合わせてさすがおじ様達の娘って納得しちゃった」
「~っ!」
 二人の言葉に、葉月は真っ赤になって絶句する。それを見た二人は顔を見合わせてふと笑いあった。しかしそれに気付いて、自然とそうした自分達が何となく気恥ずかしくなり目を逸らすと、義経は葉月に提案する。
「…ああ、そうだ。ここまで付き合わせたから疲れただろうし、一息つくためにも礼のためにも、コーヒーの一杯くらいはご馳走するよ」
「ああ、いいですよ。私達はこれで帰らないと…っていうかお姫が明日は仕事なんで、これから小田原へ戻らなきゃなんですよ。それに、お姫は親と同居なんで、食事一緒にしなきゃなのよね」
「そう。お気持ちはありがたいのですけど、そういう事なので…気持ちだけ受け取っておきます」
「そうか…じゃあ、その内お礼がてら会えるといいですね」
「そうですね、その時はおよう通して会いましょう」
「じゃあ…また」
 義経は少し残念な気持ちがあったが、事情があるなら仕方がないので素直に引き下がった。しかし何故残念な気持ちになったのかまでは分からず、そのまま二人と別れた。

 そうして買った洋服は東京のマンションに残して、義経は修行のために道場へ帰る。毎年恒例の荒行を行いつつも、彼はどこか集中できない自分を感じていた。集中しなければならないと気を引き締めるのに、そうすると余計に集中できない。何故か分からないが動悸はするし、何となく息苦しい気分に時折襲われる。しかしその原因は分からないまま彼は荒行を終え、キャンプの準備をするために一度東京へ戻った。

『義経…戻ったか?』
 東京へ戻ると土井垣から留守電が入っていて、用があるから自分のマンションへ来い、とあった。マンションまで呼び出す用とは何だろうと思いつつも土井垣のマンションへ行くと、土井垣は申し訳なさそうに義経に言葉を掛ける。
「悪いな、呼び寄せて。しかし、個人的な用だったからキャンプ前に済ませたいと思ってな」
「何ですか?個人的な用とは」
 義経が問い掛けると、土井垣は袋に入った何本かのビデオとDVDを差し出した。
「葉月からだ。多分お前が見たいものが入っているだろうと言っていたな」
「はあ…」
 ラベルを見ると手製で、市販のビデオなどではない事が分かる。それで義経はある事に気づいた。もしかして、これは――彼ははやる気持ちを抑えてお礼の言葉を述べる。
「ありがとうございます。お借りします」
 義経はそれらを借りると、自分の部屋のビデオデッキ付属のDVDプレーヤーで観る。土井垣から『戦力分析のビデオを見る時もあるから買っておけ』と言われた時にはあまり気が進まなかったが、今は買っておいて本当に良かったと思った。やはりその中に映っていたのは若菜が出ている舞台。内容はほぼ全て時代劇で脚本もオリジナルの様だが、中々ビデオでも見ごたえのあるものだった。主要キャストが主に映されているせいか、端役がほとんどの若菜はほとんど映らないが、しかし時折映るその姿はその演技と相まって愛らしく、その声も他の役者より一段と通っているのが良く分かる。彼は一度でいいから彼女の舞台を生で見てみたいと本当に思うと同時に、荒行の時に感じていた動悸や息苦しさがまた起こって来るのを感じた。どうしてこんなに苦しくなるのだろう。この苦しさはどこから来るのだろう――

 そんな気持ちを抱えつつも春季キャンプを無事終わらせ、東京に帰ってから土井垣に頼み葉月に会わせてもらい、借りていたビデオをお礼の言葉と共に返す。
「宮田さん、ありがとう。堪能させてもらった。確かにいい芝居だな」
「でしょう?舞台の内容も地元が主ですし、小田原っ子の粋の全てが入ってますから。その劇団には」
「そうなのか」
「それに…お姫はちょっとしか出なくても一生懸命だし、可愛いでしょう?」
「あ、いや…それは…」
「葉月、義経に何を貸したんだ?」
「内緒です」
 そう言ってにっこり笑う葉月に土井垣が不満そうな表情を見せたので、彼女は宥める様に言葉を続ける。
「後で…二人だけの時にゆっくり見せてあげますから、今は内緒…って事で」
「…分かった」
「…それで、礼なんだが。…監督、ドームの試合で金曜のナイターか土日のゲームのチケットは手に入りますか?二枚程」
「ああ、葉月と朝霞さんにだな。葉月は土日が今忙しい時期だから、金曜のナイターがいいか?」
「ううん、お姫は土日休みだからあたしが休みを合わせて…土曜のデーゲームがいいかな。できれば今回は外野席がいいな。で、更に叶うならセンターに近いとこ」
「え?朝霞さんじゃないのか?」
「違いますよね~義経さん」
「…」
 悪戯っぽい口調と笑顔の葉月に義経は絶句する。その二人の様子を土井垣は不思議そうに見詰めていた。