そうして土曜日の外野指定席を土井垣に手配してもらう事になり、義経は更にオープン戦をこなしていく。今年は土井垣からストッパーも頼まれ多少大変だとは思ったが、不思議と以前あった胸苦しさは消えて、心は軽く役目をこなせる自分が不思議だった。そして約束の日――
「きゃ~っ!光様~!!」
「義経様~!今日も頑張ってくださいね~!」
相変わらずの女性ファンの黄色い声に苦笑しながらも、義経はふと守備位置に付いた時に外野席を見渡す。どうしてここまで気になるかは分からない。しかし葉月は彼女を連れて来てくれたのだろうか。そして、彼女もそれに乗ってくれただろうか――そんな思いが頭をよぎっていた。そして無意識に見た筈なのに、すぐに彼女の姿を見つける。葉月に説明されながら彼女は控えめに、しかし確かに自分をじっと見詰めていた。彼女が来て自分を見ていてくれた事が何故か嬉しくて、彼はふと笑顔が零れる。それを見た周りの女性ファンがまた騒ぎ始めた。
「光様が笑ったわ~!」
「絶対あたしに笑いかけたのよ!」
「違うわ、あたしよ!」
そんな言い争いが繰り広げられる横で葉月がふと彼女に耳打ちをして、それに彼女が一瞬驚いた顔を見せた後、恥ずかしそうに微笑んで自分に向けて控えめに小さく手を振るのが見えた。それがまた微笑ましく、義経は彼女が気付いていても気付かなくても嬉しくて彼女に向けて更に笑顔を見せた後向き直り、試合に集中した。
そうしてこの試合もストッパーをこなしつつ無事勝利で終わり、試合後のミーティングから着替えに入っている時に、監督室で着替え終わった土井垣がロッカールームに顔を出し、義経に声を掛けた。
「義経、葉月がお前に用があるらしいから、一緒に出るぞ」
「え?ああ…はあ」
「え~?葉月ちゃんが義経に用?」
「まさか浮気とかじゃないですよね~」
「義経~監督から宮田さん盗っちゃ駄目だぞ~」
「いや…そういう訳ではないと思う…」
「やかましい!お前ら好き勝手言うな!」
土井垣と義経をからかうチームメイトの言葉に、義経は苦笑し、土井垣は声を荒げる。そうして皆に好き勝手な事を言われているのを背に二人で球場を出て、葉月に指定されたらしい場所へ行くと、そこには葉月が立って手をぶんぶんと大きく振っていた。
「あ~!将さ~ん!こっちです~!」
二人が葉月に近付くと、葉月はにっこり笑って土井垣に抱きつくと口を開く。
「勝って良かった~!とっても締まってていい試合でしたよ!」
「あ…ああ、そうか…」
土井垣は義経の前でこうした行動をされるのが恥ずかしいのか、狼狽した様子を見せている。義経は葉月の素直な一面をまた見た気がして微笑ましく見つめていた。やがて彼女は義経の方に向き直ると、感心した様に言葉を紡ぐ。
「そうだ、義経さん器用ですね~。センターでもあんなに高くジャンプできるだけじゃなくって、ストッパーまでこなしちゃうんですから。初めて義経さんのストッパー姿見ましたけど、堂に入ってますね」
「そうか。そう言われると嬉しいな」
「義経さんの試合姿初めて見たお姫なんてすごくびっくりして、でもすごく喜んでましたよ」
「そ、そうか…」
葉月の言葉に、義経は何故か自分でも分からないが気持ちが乱れ、狼狽する。それには気付かない土井垣は葉月に説明する。
「山田に言われて今年から試してみたんだが…本職には悪いが、これ以上ないストッパーなんだぞ、義経は」
「そうなんですか~確か昔ピッチャーだったんですよね。昔取ったなんとかって奴ですか?…あ、そうだ。呼び出しといて何なんですけど、義経さんはもうちょっとここで待ってて下さい。将さん、行きましょう?」
「おい、義経に用があったんじゃないのか?」
「私の用はここまでです。義経さんはもうちょっとしたら『待ち人』が来ますから…すいませんが待っていて下さい」
「さっきから分からない言葉が色々出てるが…何なんだ?一体」
「宮田さん、まさか…」
「そういう事です…将さんにはこれからゆっくり教えてあげます。じゃあ…行きましょう?将さん」
言葉を失っている義経に葉月はウィンクすると、訳が分からず首を捻っている土井垣の腕を引き、去っていく。義経は無意識に身づくろいをして『待ち人』を待つ。と、二人と入れ替わり位にお茶とスポーツドリンクのペットボトルを持った若菜が走って来た。
「およう~、この辺り自販機もコンビニもないじゃない!大変だった…って…」
いるはずの葉月がおらず、代わりに義経が立っているのを見た彼女は驚いて立ち尽くす。義経は苦笑しながら、彼女に説明する様に声を掛ける。
「いや…どうやらお互い宮田さんに一杯食わされたみたいですね」
義経の言葉に、立ち尽くしていた若菜は少し顔を赤らめると、呟く様に口を開く。
「ちょっと…失礼します」
そう言うと若菜は携帯電話を取り出して、誰かに掛ける。どうやら葉月に連絡を取っている様だ。やがて繋がったらしく、彼女は少し怒った口調で電話口に話しかける。
「…ちょっと、およう、どういう事?…あんた、一体何考えてんのよ!義経さんが迷惑じゃない!…ふざけないでよ!第一おようのとこに今晩も泊めてもらう約束じゃない!離れたら困るでしょ!?…まあ、何度か泊まってるし分かるけど…ちょっと!それどういう意味!?…あんたってば~!」
若菜は電話を切ると、小さく溜息をついて義経の方に向き直り、申し訳なさそうに口を開く。
「すいません、何かおようが悪ノリしたみたいで。…義経さんにまでご迷惑を掛けて…しかもこんな風に待ちぼうけ食らわせてた上で、悪いんですけど…私と一緒じゃご迷惑でしょうから、ここで失礼するって事で…」
そう言って頭を下げて踵を返そうとした若菜の手首を、義経は反射的に掴んでいた。若菜はもちろん、義経自身も自らの行動に驚き、二人で顔を赤らめて視線を一瞬合わせた後俯く。しばらくの気まずい沈黙の後、義経がゆっくりと口を開いた。
「あ、いや…この間のお礼もちゃんとできていないし…できるなら、そのお礼という事で一緒に夕食でもどうかと思って。…それとも…俺が相手じゃ嫌ですか」
義経は内心祈る気持ちで、しかし静かに誘いを掛ける。若菜はしばらく沈黙していたが、こちらもゆっくりと、静かに応えた。
「本当に…いいんですか?」
「ええ」
若菜は少し考える素振りを見せ、やがて顔を赤らめつつもゆっくりと小さく頷く。
「でしたら…私でよければ…お付き合いします」
「…ありがとう。本当の事を言うと、宮田さんからあなたの芝居のビデオを借りて観て、色々話が聞きたかったんです。聞かせて下さい…あなたの話を」
「…」
義経の言葉に、若菜は顔を真っ赤にする。義経自身も『これだとまるで恋の告白だな』と内心苦笑したが、以前の胸苦しさも思い出し、ふとその思いが当たっている気がしてきて不意に鼓動が早くなる。そうしてどこかぎこちなくなりながらも、若菜が葉月のマンションに泊まるという事で、葉月のマンションに割合近くの大きな駅まで二人で行き、適当な居酒屋に落ち着いてお互い飲み物と食事になるつまみを頼み、飲みながら義経は様々な事を聞いていく。芝居の事はもちろん、住んでいる土地の事、葉月や弥生との縁の話――若菜は言葉少なではあるものの、芝居や仕事に対する熱意、幼い頃からずっと住んでいる土地の素晴らしさ、葉月や弥生との縁に関する楽しい思い出など、話す事は全て目を輝かせ、本当に楽しそうに、幸せそうに話した。その輝く目にまた義経は惹きつけられつつも、若菜が今日観た彼のプレーに驚きながらも感動した事を話した後、逆に聞いてきた義経のプロフィールや野球に対する想い、山伏の修行の激しさなどを丁寧に、しかしいつもの自分からしたら明らかに饒舌に話した。そうしていつの間にか二人は、どこかお互いに惹かれるものを感じ取り、お互いにそれを口に出す。
「不思議ですね、何だか話しても話しても話し足りない気がします」
「俺もです。いつもはこんなに話す事はないのですけれど…本当に不思議だ」
そう言った所で二人は顔を見合わせ、酔いを含めつつも更に顔を赤らめ、沈黙する。しばらくの沈黙の後、義経は口を開いた。
「また…会えますか。とは言っても俺はシーズン中全国を飛び回っていますし、神保さんもそう東京には出て来られないですね。それにオフは俺が修行に出てしまいますから、会う機会はほとんど無いかも知れませんね…」
「そうですね…でも、また会えるといいですね。…そうだ」
「何ですか?」
「義経さん、携帯もパソコンもないんですよね。…でしたら、会えない分…お手紙はどうですか?私はいつでも読めますし、義経さんも東京に戻ればゆっくり読めますよね。…遠征先から葉書とかでもいいですから…あの…出してもらえると嬉しいかなって今思って…」
顔を赤らめながら言葉を紡ぐ若菜の言葉に、義経はふと胸が高まりつつも、その言葉が嬉しくなり、その提案に乗る事にした。
「…ああ、そうですね。それはいい考えだ。そうしましょう」
そう言うと二人はお互いの住所をメモし、交換するとふっと笑い合った。
「何だか…昔に戻ったみたいですね」
「そうですね…でも、不思議と気持ちが弾みます。絶対に出しますから…読んで下さい」
「私も…ちゃんと出す様にします」
そう言って二人はまた微笑み会うと、穏やかな空気の中で酒を飲み、多少名残惜しくはあったが、これからの楽しみを胸に抱き、義経は若菜を葉月のマンションの最寄り駅まで送ると、お互いに笑顔で握手をして別れた。
「…ふむ、今度はこれがいいかな」
逗留先で楽しそうに絵葉書や便箋を選ぶ義経を、チームメイト達は不気味がりながら見詰める。
「…今更絵葉書を探してるって…」
「義経…おかしいよな」
「一体奴に何が…」
そんな風に不気味がられているとも知らず、義経は幸せな気持ちで心を込めて葉書を選ぶ。彼女も想いを充分込めてくれた事が分かる色々趣向を凝らした手紙を送ってきてくれるので負けてはいられない、と自分も精一杯の想いを込めて、そうして選んだ葉書に書き込む文章を考える。そんな義経を土井垣だけが微笑ましそうに見詰めていた。