7月7日の東京ドーム。今日は七夕カップルデーという事で浴衣を着た男女ペアの観覧者にはフリードリンク券のサービスと記念品が配られ、更にそこでそのカップルの中から一組中継カメラによる『織姫・彦星』の抽選がされ、当選者には更に豪華な景品&東京スーパースターズのメンバーとの交流イベントが企画されていた。土井垣はこの日が恋人の葉月の誕生日という事もありプレゼント代わりに彼女と友人であり三太郎の恋人である弥生に(記念品とフリードリンクがあるし一応は)二枚セットでチケットを贈っていたが、彼女はにっこり笑って『ありがとう』と言ったきりそれ以上は何も話してくれないので二人(というより葉月)が男連れで本当に来てしまうのかと気が気ではない。三太郎は事前に何やら弥生から聞いているのかいつも通りの飄々とした態度で、それが余計に不安を煽る。そんな気もそぞろな心情で監督室に行こうとすると、今日の対戦相手であるアイアンドッグスの監督である小次郎が声を掛けてきた。
「よお色男、悩む姿も色っぽいねぇ」
「…うるさい、野犬…というか野獣が」
「まあまあ…それよりほら、これあいつにやってくれよ。今日誕生日だったろ」
「…よく覚えていたな」
「そりゃ、最近は武蔵もサブも世話になってる仲いい友人だし、そうじゃなくても仲良くなったらこんな覚えやすい誕生日そうねぇからな。どうせ今日試合招待したんだろ?邪魔する野暮はしねぇからお前づてでさ。ちなみに俺からは茶屋で厳選して貰ったうまいって評判の茶を何種類かと日本茶から作った紅茶だ。珍しいだろ。武蔵からはこないだ電話で話したらしい松山の隠れた名店のカステラ、サブは欲しいが柄選びで買いかねてるって聞いてたちりめんの風呂敷だと」
「…まあ、礼は言っておこう」
「じゃあな、そんなしけたツラしてねぇで今日もいい試合しようぜ。でないと折角のあいつの誕生日が最悪になっちまうし、そんなツラと同じしけた試合したらあいつは泣くぞ?」
「…そうだな」
 そう言うと小次郎は自分のロッカールームへ去って行った。土井垣は彼らの手によるものなのか少し雑だがそれでもそれなりに形になっているラッピングされた包み(知三郎かららしい物だけは綺麗だった)を見ると小さくため息をついて監督室へ向かった――

 そして試合が始まり、土井垣はDHとしてスターティングメンバーで出場する。先発は土門と緒方。そうして守備につく選手たちを見送ってベンチに戻る時にさりげなくバックネット裏に取った席にいるはずの自分の恋人とその友人を探す。そしてそれ程探した訳ではないのに彼は彼女の姿をすぐに見つける…というより見つけてしまった理由があった。彼女は浴衣を着ていた。それだけではない、同じ様に浴衣を着た男連れ、しかも『一番連れて来て欲しくなかった男』と一緒に来ていたのだ。彼女も彼の視線に気づいて戸惑いがちににっこり微笑んで手を振り、『その男』もにっと笑って彼女の肩を抱き土井垣に向かって親指を立てる。それを見た土井垣は怒りで顔を赤くし顔を背けると荒々しくベンチに入り、いつも試合開始後しばらくは立っている彼にしては珍しくすぐにどかりとベンチに座り込む。その様子を見ていた北は『さわらぬ神に祟りなし…』と呟いたとか呟かなかったとか。

 そうした土井垣の怒りからくる打撃は恐ろしい位爆発力があったが、ベンチ内の雰囲気は彼の機嫌の悪さに『さわらぬ神に祟りなし』状態、全員一致で『早く守備につきたい…』という面持ち。そして6回からトリオ・ザ・ブルペンにバトンタッチした先発の緒方に至っては『ああ何故俺がこんな目に…何でこんなこの人にも突っ込める里中が登板じゃないんだ…』と我が身の不幸を嘆いていた。そして土井垣の怒りが爆発したのがラッキーセブンの抽選会。何の手心を加えた訳でもないのに抽選で葉月と『その男』が『織姫・彦星』に当たってしまったのだ。ドームのオーロラビジョンには戸惑いがちに笑う彼女と彼女を自分の胸に抱き寄せ密着し、にっと笑ってVサインをする『その男』の姿が映し出される。その当選映像を見た途端、土井垣の顔が真っ赤になった直後蒼白になり、拳が振り上げられる。そのままその拳がベンチに叩きつけられそうになったのを見て慌てて北が羽交い絞めにして止め、義経が必死に宥める。
「監督、殿中…じゃない、試合中です!とりあえず故障したら困りますから物には当たらないで下さい!」
「宮田さんが無神経にあんな事をする女性じゃないって一番監督が分かっているでしょう。とりあえず冷静になって下さい」
「でも、『あいつ』に対する態度だけは俺も予測がつかない!あいつは何を考えてるんだ…!」
 すると荒れている土井垣をずっと恐れながらも楽しそうに見ていたらしい三太郎が『もうそろそろ限界かな』という風情でさらっと言葉を土井垣に掛ける。
「宮田さんは特に何も考えないで気楽にできて野球好きだし詳しくて浴衣着られる『あの人』連れて来ただけですよ。それに他の土井垣さんが知らない男連れて来たらそれはそれで土井垣さんどう思います?それ考えたら一番順当な選択じゃないですか。『あの人』は土井垣さんの反応を面白がってるのと、まあやり方は荒っぽいですけど土井垣さんの闘争心煽って宮田さんの前で土井垣さんを活躍させてあげようっていうだけですよ」
「…う」
「土井垣さんしっかり『あの人』の『術中』にはまりましたね。まあ目論見は大当たりですよ。…ま、『織姫・彦星』に当たったのまでは『あの人』も予想外でしょうけどね」
「…」
「さて、あと少し。俺達もしっかり打って守って勝って宮田さん安心させたげましょう」
「…ああ」
 そうして更に試合は進んで結果。土井垣の不機嫌さは直らなかったものの打撃成績はホームラン二本、タイムリーツーベース一本、単独のツーベース一本という珍しく全安打、その内半分はホームランという大爆発。その分他の打者も敵味方関係なく安打やホームラン連発というこのカードと先発にしては珍しい乱打戦になったが、それでもトリオ・ザ・ブルペンによって二点差が守られスターズの勝利。土井垣はヒーローインタビューにも呼ばれた。その後『織姫・彦星』との交流イベントで二人が呼ばれ、北にエスコートされてやって来る。二人を友人であるチームメイト達は土井垣に多少遠慮しながらもにこやかに迎え入れるが、土井垣は久しぶりに恋人に会えた嬉しさもあるが、『一番連れて来て欲しくなかった男』と共にいる事による嫉妬と怒りで顔をしかめて二人を迎え入れた。その顔に葉月は申し訳なさそうに俯き、『その男』はにやりと笑って手を挙げると軽く声を掛ける。
「よっ、葉月のくじ運の良さのせいか…いや、葉月があそこで飛びぬけて綺麗だったからかな。当たっちまったぜ」
「…御館さん、よく葉月を口説き倒しましたね。隆さんだっていいじゃないですか」
 恨みがましげに言葉を紡ぐ土井垣に柊司はにっと笑って、しれっとした態度でさらりと言葉を返す。
「だってタカは今度あるレースのメカニックの件で打ち合わせがあるから無理だったからな。沼田さんは奥さんがいるからさすがにこういうイベントに駆り出すのは悪ぃしって、独りもんで暇だった俺に白羽の矢が立っただけだぜ。それとも何か?他にもいるこいつの事狙ってるお前の知らねぇ職場の同僚の独身男に連れて来させて欲しかったか?俺だったら野郎なら着物やら浴衣の着付けできるからな。そいつらに浴衣着せて送り出しても良かったんだぜ?」
「う…葉月、それ以上の他意は本当にないな」
「…うん。まあ一番気楽に楽しく観られるし、野球の詳しいプレー教えてもらえるっていうのはあるけど、感情的な意味はないわ。ほんとよ」
「…ならまあいい」
「…まっ、残念だが俺はこれが終わったら葉月はお前に引き渡すから、後は好きにしろや。ああそうだ微笑、弥生ちゃんは今日の『パートナー』送らせたら選手通用口前に戻る様に言ってあるからよ。葉月と一緒に置いとくわ」
「ああそうですか。御館さんわざわざありがとうございます」
「じゃあ時間もないしささっとサインをするか…二人分だから一人は土井垣さんのでいいんだよね、葉月ちゃん。あと一人は誰にする?」
「ああ、ごめん智君。智君と微笑さんのにして。これあたしと柊用じゃなくて、今日のヒナの『パートナー』さんへのプレゼントにするから」
「え?それでいいの?」
「うん、いいの」
「ってかそういや三太郎は余裕かましてるけどヒナさんは誰と来たんだよ」
 星王の問いに三太郎はいつもと同じ読めない笑みを見せて応える。
「弥生さんの『パートナー』はお世話になってる宮田さんの職場の名誉院長。御年91歳。歳のせいでちょっと耳が遠いから普通の診察や当直医はしてないけど、他は元気だから専門の職業病の疲労性疾患と腰痛の診察と特殊健診のレントゲン読影は現役バリバリで、冬にはスキーのドクターレスキューもやってる位元気な人。そんな人だから野球も好きで一度直に観たかったんだけど、奥さんも亡くなって子供も孫も独立してるから、この歳で一人だと野球観戦はなかなか腰も重いし機会がないって言ってたんだって。だからいい機会だしっていつも指導してくれる感謝と爺様孝行もかねて誘ったんだってさ」
「ちなみに落語がお得意な方で全国回って自作の落語使った健康教室開いてらして、その健康法で本出して『100歳まで元気に生きる』って公言してる方なんですよ。で、野球もスターズの人達に私が知り合いも多いからって応援してくれて、中でも特に智君と微笑さんのファン。だから先発緒方さんで申し訳ないですけど、ちょっとだけ残念がってたです。でも『楽しかった、ありがとう。これでまた寿命が延びたから今度は智君が登板の時を狙って自力で来たい』って」
「すげぇ…その歳でそのフットワーク…」
「91歳現役バリバリ、しかもスキーまでやっちまってるドクター…『球聖』岩田鉄五郎と茶飲み話できるんじゃね?」
「かもですね。…あ、ありがとうございます。じゃあ後で」
 そう言うと二人は記念のグラブに里中と三太郎にサインをしてもらい笑顔で手を振って去って行き、土井垣は嫉妬の怒りはまだ収まらないものの葉月の思いやりにあふれた行動に少し心が和み、ふっと笑みが漏れた。