食事が終わった後、柊司は温かいお茶を葉月に飲ませて風呂を使わせ、自分のパジャマを出して着替えさせると、『今夜は早めにゆっくり寝て、気持ちを落ちつけろ』と言って先に寝かせる。葉月が眠りに就いたのを確かめると、柊司は自分も風呂を使い、パジャマに着替えると、タオルで髪を拭きながら携帯を手にして電話を掛ける。電話口から、少し高めのテノールの声で『はい』という声が聞こえてきたのを確かめ、柊司は静かに低い声で言葉を紡ぎ出す。
「土井垣…俺だ」
『御館さんですか?珍しいですね、俺に電話だなんて』
「ああ…お前に宣戦布告しようと思ってな」
『『宣戦布告』?』
 呑気に問い返す土井垣に、柊司は今まで心に秘めていた言葉を、吐きだす様に浴びせる。
「ああ…悪いが、お前にもう葉月は渡せねぇ。俺がもらう」
『御館さん、それはどういう…』
 訳が分からないという風情の土井垣に、柊司はどんどん冷淡に言葉を浴びせていく。
「葉月がお前に心底惚れ込んでるから、俺は諦めて葉月が幸せになれる様に見守ろうって思ってたがな。いい加減今回の件でお前の無神経さに、堪忍袋の緒が切れた。お前の負担にならない様にって、お前の前では辛いの我慢して笑顔で必死にお前を支えてるが、結婚だってずっと待たされて、約束も曖昧にされて、都合のいい時しか気にかけられない事に心の中で大泣きしながら、それでもひたすらお前が帰るの待ってる葉月の気持ち、お前分かってやってるか?キャッチャーに復帰するための練習が忙しいって言ってるが、一週間に一度でいい、一言声を聞かせてやる位はできんだろ!支えてくれてる存在に甘え切って、なおざりにして泣かせてるお前みたいな奴に、葉月は勿体ねぇよ!」
『でも…』
「でもも蜂の頭もねぇよ。葉月はお前の今までの仕打ちのせいで相当参ってる。これ以上葉月が壊れてくのは俺、耐えらんねぇからな。壊れきっちまう前に俺がお前の代わりに葉月を守ってやるよ。…とりあえず横からかすめ取るのはフェアじゃねぇからな。こうして宣戦布告して、正々堂々葉月を奪わせてもらうぜ」
『…』
 沈黙した土井垣にとどめを刺す様に、柊司は土井垣にとって決定的な言葉を浴びせる。
「ちなみに、今葉月は俺ん家にいる。落ち着かせるためにしばらく置くからな。ついでに言うとうちの周りじゃ葉月は俺の『通い妻』って事になってる。泊まらせてる間に何があっても、お前には何も言う権利はねぇぞ」
『何ですって!?そんな誤解を受ける様な事、葉月がする訳が…』
 愕然とする土井垣に、柊司は言葉を吐き捨てる。
「葉月はそれだけ弱ってんだよ!それも分かんねぇ位馬鹿野郎なんだなお前!…と、言う訳で俺はそこに付け込ませてもらうからな。悪しからず…ってな訳だ」
『御館さん!そんな…』
「じゃあな」
 反論しようとした土井垣を残して柊司はブツッ!と通話を切ると、そのまま携帯電話の電源を切り、ふっと笑って呟く。
「さて…と。これであちらさんはどう出るかね」
「…柊…どしたの…?何か大声出してなかった…?」
 柊司が声のした方を見ると、葉月が目をこすりながらぼんやりと立っている。彼は優しく彼女の頭を撫でると、そのままの口調で声を掛ける。
「ああ、葉月…何でもねぇよ。…起きちまったか?」
「うん…目が覚めちゃった…」
「そうか…じゃあ、寒いだろうし、甘くてあったけぇゆず茶でも作ってやろうか。それ飲んであったまって、またゆっくり寝ろ」
「うん…」
 柊司はキッチンに行ってゆず茶を作ると、ソファに座らせた葉月に渡す。葉月はとろけそうな笑顔を見せながら、ゆっくりと飲む。
「甘いし…あったかい…」
「そうけ…そりゃ良かった。そうだ、そのゆず茶のゆずは食えるし、喉にもいいんだぞ。素にお湯注げば作れる簡単なもんだしな」
「そうなんだ…将さん、確かああ見えて喉弱かったな…勧めてあげたいな…」
 葉月はふっと寂しげな表情になって呟く。
「将さん…風邪ひいてないかな…ちゃんと食べて、寝てるかな…」
 葉月の言葉に柊司はふと胸が痛んだが、彼女を励ます様に言葉を紡ぐ。
「大丈夫だよ。土井垣はそんな簡単にへこたれる様な男じゃねぇだろ?お前こそ風邪ひいたら、土井垣が顔真っ青にしちまう。…よし、飲み終わったな。ほら、もう寝ろ」
「ん…」
 葉月は立ち上がって寝室に行こうとしたが、ふっと振り返って、柊司の傍に戻ると、パジャマの裾を掴んで俯いたまま言葉を紡ぐ。
「柊…起きちゃったのはね。目が覚めたら…寒くって…すごく寂しくなっちゃったからなんだ…柊の言った通りだ…やっぱ今一人は寂しいよ。…お願いだから柊、傍にいて…」
「…葉月…」
 葉月の意外な言葉に柊司は驚いたが、少し叱る様に言葉を紡ぐ。
「…バカタレ、お前自分が今何言ってるか分かってんのか?俺が悪い男だったら、『据え膳いただきます』って、お前を食っちまうぞ?」
「大丈夫だよ…あたし…柊の事…信じてるもん…それに…」
「それに?」
「柊だったら…何されてもいいよ…」
「…」
 柊司は額を押さえてため息をつく。心底葉月は自分の事を信頼している。その信頼を破る事は自分にはできない。土井垣にはああ言ったが、しばらくはこの距離を保っておく必要があると理解し、彼はもう一度ため息をつくと、静かに答えを返す。
「…仕方ねぇな。今晩だけだぞ」
「…うん!」
 二人はそうして柊司のベッドに入るとぽつり、ぽつりととりとめもなく話す。
「ちっちゃい時は…お互いの家に泊まりっこして、よくこうやって布団半分こしたよね」
「そうだな…お前ものすごく寝相悪くてな~俺蹴られるわ、アッパーやらラリアートやら食らわせられるわ、大変だったんだぜ~?」
 おかしそうに言葉を紡ぐ柊司に、葉月は心底申し訳なさそうに謝る。
「そうだったんだ…ごめんね」
「いいさね。昔の事だ」
「うん…ありがと。そういえば柊、煙草の匂いもお酒の匂いもしなくなったね」
「…そうか?…まあ、煙草は文が美月妊娠してから文にも、腹ん中の美月にもよくねぇと思って禁煙して、生まれてからも子どもは誤嚥しちまって命に関わる事もあるって聞いて怖ぇから続けてるし、酒は昔は一人でも毎晩飲んでたのが何か一人で飲む気分がしなくなって、宴会以外じゃ滅多に飲まなくなったからな」
「そっか。でも…あったかいのはあの頃から変わんないや」
「そうか…お前も…あったけぇままだな」
「そっか…良かった。…今日…寒いでしょ?柊ソファベッドだと寒くて可哀想だと思ったからね…こうしたのもあるの」
「…そうか…ありがとよ。でも、俺達はもうガキじゃねぇんだからな?本当は土井垣以外でこういう事したらいけねぇんだぞ?」
「うん…分かってるんだけどさ…」
 柊司の言葉にふっと寂しそうな表情を見せた葉月の頭を柊司は撫でると、優しく言葉を紡ぐ。
「分かってるよ…寒くて寂しい時は俺もあるからな。俺を安全パイだと思うんなら、好きなだけ利用しな。…俺…いつまででも待っててやるから」
「柊…?」
「何でもねぇよ…ほら、寝ろ。ゆっくり寝て…明日は元気に笑えよ」
「ん…お休み…」
 葉月は目を閉じると、静かな寝息を立て始めた。それを見て柊司は彼女を抱き締め呟く。
「最後はどっちが笑うか…手加減しねぇからな…土井垣」
 そうして柊司は葉月の額にそっと唇を寄せて、目を閉じた。