あたしは気が付いたら知らない場所にいた。何度も入って慣れてしまったから病院だという事は分かるけれど、いつも入院する山中病院じゃない。主治医だって言った露木先生って名乗ったお医者さんも知らないし、いくら待ってもお父さんやお母さんも、あたしをいつも診てくれるはずの遠藤先生も来てくれなかった。カレンダーの日付もおかしいし、何より鏡を見ているはずなのに映っているのは知らない女の人。何が自分に起こったのかあたしには全然分からない。でも何かを考えようとすると頭が痛いし気持ちが悪くて何も考えられない。でも痛い頭を頑張って我慢してお見舞いに来てくれたお姉ちゃんに色々聞いてみた。お姉ちゃんは難しい顔をしながら何があったのか少しだけ教えてくれた。

あたしはもう大人になっていて東京で働いていてここはその東京の病院だという事。
あたしはちょっとした事故に遭ってこの病院に来ている事。
お父さんとお母さんはお母さんが病気で中々外に出られなくなっている事。

 あたしはさっきの露木先生の質問を思い出しておかしい理由が分かったけれど、信じられなかった。あたしの最後の記憶はア・テストが終わって頑張ったごほうびにって、いつも元気でバリバリ働いているお母さんとこっそり二人でレストランに行った事。だから今あたしは14歳のはず。でもお姉ちゃんはこんな事で冗談を言う人じゃない。それに確かに鏡に映っているのが大人になったあたしの顔なんだと言われたら、信じるしかない。じゃああたしは記憶を無くしちゃったの?何で?――考えている内に頭がまた痛くなってくる。その様子を見たお姉ちゃんが『今は何も考えない様にしなさい』って宥めてくれた。そんなお姉ちゃんにあたしはもう一つ不思議に思っていたことを聞く。あたしが起きた時に枕元にいてくれて、芯から心配そうにあたしを見詰めていた男の人。『どいがき』と名乗ったその人がどんな人かどうしても気になって、聞かずにはいられなかった。お姉ちゃんは何故かちょっと悲しそうな表情を見せると静かに話してくれた。

『土井垣さん』はプロ野球選手で、今はパ・リーグの球団でプレーイング監督をしている事。
『土井垣さん』とはあたしが職場の人つながりで仲良くなって、今では色々な縁が重なって家族ぐるみで仲がいい事。

 お姉ちゃんはあたしが土井垣さんのプレーを見たり聞いたりするのが大好きだったって言って、『パ・リーグはあんまりテレビ中継がないから』って携帯ラジオを買ってきてくれて、今日はテレビ中継があるから時間とチャンネルも教えてくれて、『とにかくゆっくり休みなさい』って言って帰って行った。あたしは一寝入りしたら少し頭が痛いのが収まったし、お姉ちゃんが教えてくれた野球中継を見る。土井垣さんのチームも相手のチームも聞いた事がないチーム名だったけれど、確かにプロ野球の試合。テレビ越しに観たファーストで出ている土井垣さんは、監督って言うより普通の選手に見えた。そうして土井垣さんを観ているのも試合自体も面白かったから、ずっと試合を観ていると、土井垣さんはタイムリーヒットを打った。そのタイムリーヒットが元で土井垣さんのチームは勝って、そのかっこよさに思わず見とれながら、この人と仲が良かった記憶を思い出そうとしてまた頭が痛んだ。本当にあたしはこの人と仲が良かったの?最初は信じられなかったけれど、自己紹介をしてくれた時の土井垣さんの様子にその気持ちが何故か胸の痛みに変わった時から、少し考えが変わる。あたしが土井垣さんの事が分からないって事に、土井垣さんは心底傷ついていたみたいだった。どうしてそんな様子になるのかが分からない事に、今度は頭ではなくて胸が痛む。そしてその胸の痛みの中からある思いが浮かんでくる。何でだろう、『土井垣さん』の事はとっても大切な事の様な気がする。一番に思い出さなくちゃいけない位大切な事に――

 そんな思いのままに眠ると、夢を見た。あたしは広い場所にいる、周りを見渡すと土井垣さんがいて、両腕を広げて私を包み込んでくれて――目が覚めた時、ほんの少し幸せな気持ちになっていた。その夢であたしは確信する。土井垣さんの事はあたしにとってとっても大切な事。だから何よりも先に思い出さなくちゃいけないんだって――