記憶をなくしたせいでちょっと長い入院になってしまったけれど、体力も回復してあたしは今日退院する。隆兄が迎えに来てくれるのですぐに退院できる様に荷物をまとめ、ベッドに座っていると、換気のために窓を開けていたので風が入ってきて髪が揺れ、顔にかかる。顔にかかった腰を覆うまであるその髪をはらおうと手をかけた時、不意に言葉が零れ落ちた。
「長く、伸びすぎたね…」
 あたしは将さんの事を思い出していた。あたしの髪を綺麗だといつも褒めてくれていた将さん。その言葉が嬉しくていつの間にかここまで伸ばしてしまっていた。でもその言葉はもう聞けない。あたしは将さんの事を考える。全てを思い出した時に思い出したのは自分が汚れている事だけじゃなかった。全てが起こる前、あたしは将さんに出会っていた事も思い出したのだ。将さんは迷子の対応に困っていた初対面のあたしに笑って付き合ってくれた。ほんの僅かな間の出来事だったけれど、暖かい気持ちになれた思い出。その頃のままで将さんにもう一度出逢えていたら――そんな考えに苦笑しながらも胸が苦しくなる。時間は戻せない。あたしは汚れてしまって全てはもう終わってしまった事。そんな考えても仕方がない事を考えるなんてどうかしている。そんな事を考えるのはこの髪のせいだ。退院したらまず美容院へ行ってばっさり切り落としてしまおう。そうすればきっと全てが終わった事を受け入れられる――そんな事をぼんやり考えていると病室に誰かが入って来る。その『人物』を見てあたしは一瞬言葉を失った。