――――土井垣将――は朝起きてみると、隣で眠っているはずの恋人が、見知らぬ子供になっている事に気がついた――


「ちょっと待て、これはどういう事なんだ…」
 昨日は自分のオフと彼女の休暇が重なる時の習慣で、普通に仕事帰りの彼女を迎えに行き、普通に今回は彼女の部屋で食事をして、普通にそのまま泊まって――…それまではいつも通りで何一つ変わった事はなかったはずなのに、今ここにいるのはどう見ても彼女ではなく、小学校低学年…いや、下手をすると幼稚園児位の女の子。しかし着ている物はサイズは全く合っていないものの、確かに昨夜着替えていた彼女のパジャマ。そこから推理していくと昨夜眠っている間に彼女が小さくなってしまったとしか考えられない。混乱する頭を何とか冷静にしようと努めながらとりあえず件の女の子を起こす様に体を軽く揺さぶった。
「おい…起きろ、起きてくれ」
呼びかけに反応したかの様に女の子はゆっくりと目を開けると、大きなあくびをしながら伸びをした後目をこすって俺に朝の挨拶をする。
「ふあ~ぁ…あ、将にいさんおはようございます。いまなんじですか?」
 口調は幼いながらもしっかりした女の子の挨拶で、明らかにこの子供が自分の恋人だと確信した。それを確認する様に俺は更に彼女に話しかける。
「おい…お前、葉月だよな」
「…はい?あたしがあたしいがいのなになんですか?」
「…いいから、自分の姿を良く見てみろ」
「はぁ…ってなにこれ!?なんであたしがちぢんでるんですか!」
「…それは俺が聞きたい。…まあとりあえず状況は分かった様だな」
 やっと自分の状況を理解して慌て始める彼女とは逆に、この女の子が一応は自分の恋人であると分かって多少安堵した俺は落ち着いた口調で言葉を紡いだ。彼女はしばらく慌てた様子を見せていたが、その内困り果てた表情で口を開く。
「…どうしよう、きょうはだいきゅうだからよかったけど…もしあしたもこのまんまじゃ、しごとにでられない…」
「まあその時は有休を使えばいいだろう」
「…でもこえもかわってるし…だれがでんわかけるんですか」
「任せろ、俺が代理で掛けてやる」
「それのほうがだいもんだいです!」
「すまんすまん…しかし、冗談抜きでどうしてこんな事が起きたんだろうな」
 多少思考の方向性は違うが彼女も落ち着いた事に安心して軽く冗談を言いながらも、根本的な原因は解明されていないので考え込んだ後、俺は言葉を零した。彼女の方もその言葉に更に困り果てた言葉を返す。
「それがわかればくろうはないでしょう…」
「まあ、それはそうなんだが…」
 そこで俺達はため息をついて沈黙した。と、彼女が唐突に口を開く。
「あ…げんいんもなんですけど、いちばんさいしょにかんがえなきゃいけないもんだいが…」
「何だ」
 彼女は消え入りそうな声で呟いた。
「…ふく」
「そうだった…」
 彼女の言葉に俺も根本的問題に気付いて、頭を抱えた。今の彼女にいつもの服は当たり前だがサイズが合わない。と言った所で子供服などもちろん持っている筈もない。少し先の駅に行けば服も扱っている早朝開店の大手スーパーがあるが、俺が買いに行ったとして誰かが気付いたとしたらまたどんなとんでもないスクープネタにされるか分かったものじゃない。そうでなくても、今回は子供服とはいえ一揃えだ。俺にとって、子供の物とはいえ女性の下着まで買いに行くのはかなり勇気がいる。一体どうしたらいいものかと考えた末、今の状況も冷静に対処できるだろう人間に助けを借りる事にした。

「…で、あたしを呼び出したって訳」
 電話で寝起きを呼び出され、ここに来て事の次第を聞いた彼女の姉である文乃さんは、呆れた様にため息をつきながら口を開いた。
「すいません文乃さん。この状況で頼れるのは文乃さん位しか思いつかなくて…」
「まああたしも今日は事務所詰めだったから、多少遅刻しても平気だけどね。…でももしあたしがこの子を葉月だって分からなかったら、どう申し開きするつもりだったの?」
「文乃さん、それは…?」
 俺の問いに、文乃さんは『まだ分からないのか』と言う様な呆れた口調で更に続ける。
「普通あんたが言った事なんか、誰も信じないわよ。この状況だと葉月がいないのを見計らって、どっかで産ませたあんたの隠し子を連れ込んだ…って思われても仕方ないわよ?」
「…う」
「おねえちゃん…やっぱりしんじない?」
 確かににわかには信じられない話だし、そう考えられるのが普通だろう。文乃さんの言葉で冷静になったつもりでまだ混乱していた自分に改めて気付かされて俺は黙り込み、黙り込んだ俺の代わりに葉月が泣きそうな表情を見せて問い掛ける。葉月の問いかけに、文乃さんはにっこり笑うと宥めるように彼女の頭を撫で、悪戯っぽい口調で返した。
「大丈夫、信じるわよ。だって今のあんた、髪型抜いたらちっちゃい頃のあんたそのままだもの。…まあ、あんたが将君と隠れて子供作ってたのか~…とかなら、ちょっとは疑うけどね」
「文乃さん!」
「おねえちゃん!」
 文乃さんの冗談に俺も彼女も赤面して声を上げる。それを見た文乃さんは笑いながらも謝ってちゃんと本題に移っていった。
「ごめんごめん…話し方とかでちゃんとあんただって分かってるわよ。…で、服を一揃え買って来て欲しいのね」
「はい、俺が買いに行くのはちょっと…」
「そうね。この子が今外に出られない以上、いい歳の独身男が一人で女の子の服を…しかも下着含めて買いに行くのはちょっとねぇ…」
「…文乃さん、もしかして面白がってませんか?」
「あらばれた?」
「~っ!」
 楽しそうににやにや笑いながら言葉を紡ぐ文乃さんに俺はまた頭を抱える。自分の妹が客観的に見てもかなり大事になっているのに、何でこうもお気楽にできるのか…何だか腹が立ってきて俺は文乃さんに声を荒げていた。
「何でそんなにお気楽になれるんですか!大事な妹の一大事でしょう!」
 俺が声を荒げても文乃さんは全く気にもしない風情で言葉を返す。
「だってこうなっちゃったものは仕方ないじゃない。これでこの子が具合悪くなって倒れたとかなら心配だけど、今の所元気そうだし。心配しても元に戻る訳でなし、唐突にこうなったんならまた唐突に元に戻る事を願う位しかできないじゃない。ありのままを受け入れるしかないでしょ」
「…確かに」
 文乃さんのお気楽ながらもある種冷静な判断に、俺も納得して頷くしかなかった。文乃さんはそんな俺を見るとふっと柔らかい表情に変わり、言葉を重ねた。
「…でもありがとうね、ちゃんとこの子の事考えてくれて。…全くいい男を見付けたものよこの子も。将君に感謝しなさいね、葉月」
「…ん、ありがとう将にいさん」
 文乃さんの言葉に葉月は恥ずかしそうに俺に礼を言って、更に文乃さんにも礼の言葉を紡ぐ。
「…それにおねえちゃんも。あたしがあんしんできるようにしてくれてるんでしょ?」
「えっ?…違うわよ、あたしは面白がってるだけ…さ、さあ、じゃ服を買ってこなくちゃね。…っとその前に葉月、裁縫箱貸して。メジャー使うから」
「あ、うん」
 文乃さんは葉月から裁縫箱を借りるとメジャーを出して手早く彼女のサイズを測りメモをする。メモを持って立ち上がり部屋を出かけた所でふと思い出した様に振り返ると文乃さんは問いかける。
「ところであんた達、朝食は?」
「え?…ああ、そういえばまだです」
「じゃああたしが服買いに行く間に作るといいわ。そうだ、あたしの分も頼んでいい?あたしも寝起きに呼び出されたから食べてないのよ」
「分かりました」
「ちなみに、この貸しは高いわよ」
「…」
 そう言ってまたにやりと笑い文乃さんは部屋から出て行った。…この分だと今回は他の選手のサインどころか来シーズンのいい席のチケット位は頼まれそうだな…などと思いながら俺はため息をつく。その様子を見て葉月は申し訳なさそうな口調で俺に声を掛ける。
「ごめんなさい将にいさん、めいわくばっかりかけちゃってるね…」
 その言葉に彼女が小さくなった事は心配なものの落ち込ませるのは嫌なので、俺は宥める様に彼女の頭を叩く、となるべく明るい笑顔で言葉を返す。
「いいんだ。文乃さんの言った通りこうなったものはしょうがないし、それにこうなったのもお前のせいじゃないんだから。お前が気にする事じゃないさ」
「…うん」
まだ申し訳なさそうな表情を見せる彼女に俺は明るい声で言葉を続けた。
「さあ、飯を作ろう。腹が減ってるからろくな事を考えないんだ。それに何か腹に入れれば頭も働くだろうしな」
「うん、そうね」
 そうして俺達は三人分の朝食を作り始めた。とはいえ、葉月は力はもちろん体の動きも子供になったのかいつも通りの動きすら怪しい。それに気付いた俺は彼女には簡単な仕事を任せ、自分が料理を作っていった。彼女も自分の状態が分かった様で何も言わずに俺の言葉に従って自分の仕事をこなす。そうして朝食が出来上がる頃、文乃さんが袋を下げて帰って来た。
「はい、買ってきたわよ」
「ありがとうございました」
「ありがとう、おねえちゃん」
「じゃあ着替えようか。いつまでもそのパジャマじゃ動きづらいでしょ。で、どれがいい?」
 そう言うと文乃さんは袋から服を取り出す。服、下着がそれぞれ三枚、靴下も三足、靴が二足。パジャマまである。今日着るだけにしては数が多いので思わず俺は文乃さんに問いかける。
「どうして何枚も買って来たんですか」
 俺の問いに文乃さんはあっさりとした口調で答えた。
「汚す事も考えて、最低二枚は必要でしょう?それに今日一日で戻るとは限らないんだし」
「そうでした…」
 確かにそう言われるともっともだ。俺は今日一日の事しか考えていなかったが、良く考えればいつまで彼女がこのままなのかは分からないんだ――改めて文乃さんの深慮に感服しつつもこれからの事をまた考えさせられ、複雑な気持ちになる。
「とりあえずはこれだけにしたけど、後足りなければ今度はこの子も外に出られるんだから将君買いに行ってね」
「はい…」
 複雑な表情を見せる俺を宥める様に文乃さんは明るい口調で口を開く。
「ほら、言い方が悪かったけど今日だけで済むかもしれないんだし。まあ保険だと思って持っておきなさい」
「はあ…」
「うん…」
「ほら、葉月もそんな顔しないで着替えなさい。ちゃんとあんたの好み通りの服買って来たから」
「わかった…あ、ほんとだ」
 文乃さんの言葉に葉月も表情が暗くなったが、買って来てくれた服を見てほんの少しだが表情が明るくなる。こういう所を見るとやはり精神年齢は妙齢の女性のままの様だ。葉月は服を選ぶと文乃さんに髪を結ってもらい、寝室に入って着替えて来た。パステルグリーンと白を基調にしたトレーナーとジャケット。同じくパステルグリーンのキュロットに白いハイソックス。お世辞抜きで似合っていて可愛らしく、今抱えている問題は問題として思わず微笑んでしまう。俺のそうした表情を見て葉月も恥ずかしそうに微笑み、文乃さんもそれを見て満足げに口を開いた。
「うん、やっぱり似合うわね。あんた着るものに関しては自分が分かってるから助かるわ…ってところでご飯もらっていい?いい加減あんた達もお腹すいたでしょうし」
「そうですね」
「うん」
 そうして俺達は朝食を取り今度は三人で後片付けをした後、文乃さんは更に問いかけた。
「じゃああたしは仕事に行くけど…あんた達はどうするの?」
「あ、今日は二人とも休みだからどこかに出かけようって言ってたんですが…」
「これじゃでられないかなぁ…」
 俺達の答えに文乃さんはしばらく考え込むと、あっさりした口調で言葉を紡いだ。
「…そ、じゃあ予定通り外に出なさい」
「えっ…」
「でも…」
 躊躇する俺達に文乃さんは更に畳み掛ける様に言葉を続ける。
「このまま篭ってたって何の解決にもならないでしょ。だったら気晴らしも兼ねて外に出なさい。それに外に出て何か元に戻るきっかけが掴めるかもだし」
「…それもそうですね」
「…と、言う訳で外に出て遊んでくる事。分かったわね」
「分かりました」
「…うん、わかった」
 俺達が頷くと、文乃さんはにっこり笑った。
「ほら、いつまでもそんな顔してない。大丈夫、きっとすぐ元に戻るわよ。だから気兼ねなく楽しみなさい。とりあえず何かあったらあたしの携帯にかけてくれればいいから、じゃね」
「はい」
 文乃さんが部屋から出て行った後、俺達はその場に立ったまま考え込む。
「…とは言ったものの、どこへ行こうか」
「えいがとかびじゅつかんだと、こどもはいやがられそうですよね…かといってこのしんちょうだと、ゆうえんちはつまんないかも…」
「そうだな…そうだ」
 俺はふっと思いついた事を言葉に乗せる。
「じゃあ、動物園にでも行こうか。あそこならそれなりに楽しめるんじゃないか?」
「そうですね、どうぶつえんもさいきんいってないからおもしろいかも…じゃあ、どうぶつえんにいきましょう」
 葉月もその提案に楽しそうな表情で同意する。朝から来てやっと芯から楽しげな彼女の表情が見られて嬉しくなり、俺は先刻の服の時の様に、今の問題はともかくまた微笑んだ。

「わぁ~!ひさしぶりにきましたけど、どうぶつえんってけっこうたのしいですね」
「そうか、良かったな」
 俺と葉月は手を繋いで動物園をゆっくりと見ていた。朝こそいきなり小さくなってしまい戸惑っていたものの、どうにもならないと腹をくくったらしい今では、とにかく今を楽しむ事にした様だ。パンダや象を見てははしゃぎ、鳩を見ては俺の手を離して追い掛け回す。精神年齢は確かに妙齢の女性なのに、行動だけ見ていると本当に普通の女の子に見えてくるから不思議なものだ。まあ元々彼女にはこうした面もある事は確かなのだが――その内鳩を追い掛け回していた彼女が、どこから買ってきたのかお茶を抱えて戻ってきて俺に渡した。
「はい、将にいさんおちゃ。のどかわいたでしょ?」
「ああ、ありがとうな」
 彼女もお茶を一口飲むと、ふっとまた申し訳なさそうな表情を見せて口を開いた。
「…ごめんなさい、なんだかあたしだけはしゃいじゃってて。ほんとうはもとにもどることもかんがえなきゃなのにね」
「いいさ、お前が困って泣くよりは笑っていてくれた方が俺としても有難い」
「でも…」
「いいから、俺はお前が笑っていてくれればとりあえずはいい」
「…うん…」
 葉月は複雑な笑顔を見せる。それを見て俺は思わず彼女を抱き上げた。
「…それにな、今ならお前をこうできるから…俺も楽しい」
「きゃう!…将にいさんこれこわい~」
 今の翳りも忘れて慌てる彼女に俺は思わず笑う。いつもなら周りの目を彼女が気にするからあまり大胆な行動には出られないが、今なら抱き締めたりしていても傍から見たら仲のいい兄妹か、悪くても親子位に見えるだろう。他人の目を気にせずに二人で楽しめる時間がここにある。たとえ卑怯だと言われても、俺にとっては確かに幸せな時間なんだ――そう思うと自然に俺も笑顔になってきた。これからどうなるのかは分からないが、せめて今はこうしていられる時間を大切にしよう。でも――