結局一日動物園で二人ではしゃぎながら過ごして夕食はファミリーレストランで済ませた後、人気のない夜道を彼女のマンションへ戻るために歩いていると、どこから現れたのかふっと目の前に黒づくめの不思議な姿をした少年が立っていた。
「…ああ、やっぱり取り憑かれなすったね」
「何だ、いきなり」
 見覚えのない少年の唐突な言葉に、俺は彼女を守るために身構えるが、陰に隠した葉月が驚いた声を上げる。
「あ~っ!きみ、きのうあたしたちにこえかけてきたうらないしさんよね?」
「ピンポーン♪さっすが、お姉さんの方は覚えててくれたか」
 少年は悪戯っぽい口調で葉月に言葉を返し、俺はその言葉に昨日の事を思い出していた。…昨日会った占い師…そうだ、彼女を迎えに行った帰り道――

『…そこのお二人さん、占いしてかない?ぼくの占いは良く当たるんだよ』
『面白そう。ねえ将兄さん、占ってもらう?』
『占いは当てにしない方がいい。特に辻占はぼったくられたらどうする』
『あらら、冷たいお言葉…まあいいか、最近はそういう考えの人も多いみたいだし。…ただ一つだけ忠告しとくよ。お二人さんにやきもち妬いた妖が悪戯しようって狙ってるから、つけ込まれない様に気をつけな。…まあ妖って言ってもすっごく弱いから、憑いてもぼくならちょちょいと払ってあげられるけどね』
『…だって。気を付けましょうか』
『何を言ってる、どうせ金を取るための脅かしだろう。気にするな』
『…まあ、信じないならそれもいいけどね。何かあったらぼくのとこにおいで』

「そうだ…あの時の辻占か!」
「お兄さんの方もやっと気付いたか。まあお兄さんは、ぼくの事ほとんど無視だったからしょうがないけど」
 俺も昨日の事を思い出して声を上げる。そう、確かにそんなやり取りをした。けれどまさかそんな事が信じられるはずがない――胡散臭さを感じながらも複雑な心境で少年を見詰める俺に、少年はにやりと笑うと俺に声をかける。
「ああは言ったけど何となく気になって、占いと妖の気を手繰って探し当てさせてもらったんだけどね…ま~ホント見事に取り憑かれなすったもんだ。…ま、お姉さんくらい綺麗で隙だらけな魂を持ってたらそれも仕方ないか」
「しかし…妖なんかそう信じられるか」
「…ま、信じるか信じないかは個人の自由って事で。…でもとりあえず結構この妖しつこいみたいだから、払わないとずっとお姉さんこのままだぜ。それでもいいならぼくには関係ない事だからかまわないけど」
「それはそれで困るんだが…」
「…ほんとうにはらえばもとにもどれるの?」
「うん。この天才占い師様の術なら簡単にね。ぼくを信じてくれるなら払ってあげる」
 少年は楽しげに笑いながら言葉を続けていく。妖などは信じられないが、もし本当に少年の言う事が本当なら彼女を元に戻す事が一番だと思う。人の目を気にせずに彼女と接する事ができる今は確かに魅力的だが、それは幸せでも不自然で、本来なら彼女の元の姿でそれはすべき事。それを今日一日で痛感した。しかし本当にこの少年は彼女を元に戻せるのか――迷って沈黙している俺に対して、葉月は少年にきっぱりと言葉を返した。
「あたしはきみをしんじるわ。はらってくれるかな」
「お姉さんは今の方が結構幸せそうに見えるけど、いいのかい?」
「…いいの。たしかにきょうのいちにちはすごくしあわせだったけど…ほんとうは、ちゃんともとのあたしでこうしなきゃいけないってよくわかったから…だからはらって」
「そう。…じゃ、お兄さんとしては?」
 自分が感じていた事と同じ事を考えていた彼女の言葉で俺も腹が決まった。この占い師が信じられるかはどうかとして、元の姿でこうした時間を過ごして行くべき事を彼女も俺も望んでいる。だとしたらこの占い師の言葉に乗るのが正しいのだろう。俺はその心のままに言葉を紡いでいた。
「妖がどうとかは別として、俺も彼女と同意見だ。払ってもらえないか」
 俺の言葉に少年はまたにやりと笑うと軽い口調で口を開いた。
「本当にラブラブカップルなんだねぇお二人さんは。妬けるねぇ…でもいいの?これだけ色々営業しておいて自分で言うのも何だけど、こんな胡散臭い占い師の言う事信じて」
「だって、あたしたちのことしんぱいしてきてくれたんでしょ?わるいひとじゃないっておもうから。しんじるわ」
「…」
 葉月の言葉に少年はばつが悪そうな表情に変わり横を向くと、顔を掻いて沈黙する。しばらくの沈黙の後、少年は口を開いた。
「…じゃ、そういう事なら払ってあげるよ」
 そう言って少年が何やら不思議な呪文を唱えて葉月に触れる。と、触れたところから彼女の全身に光が満ち溢れ、光が収まったところで少年は口を開いた。
「はい、終了」
 とは言ったものの彼女の姿は全く変わっていない。騙されたと思って俺は思わず声を上げる。
「『終了』って…元に戻ってないじゃないか!」
 俺の抗議の言葉も通じているのかいないのか、少年はしれっと言葉を返す。
「だって、この往来で元に戻って服が破けたりしたら困るのはお姉さんだぜ?…大丈夫、シンデレラ…だっけか。あの魔法と同じだよ。12時を過ぎたらお姉さんは元に戻るから。それまでに服とかは元のを着てね」
「…ああ、分かった」
 少年のもっともな言葉に俺も渋々ながら同意する。と、葉月が少年に声をかけた。
「…で、このおはらいりょうはださなくちゃいけないわよね。いくらだしたらいいのかしら」
 葉月の言葉に、今まで悪戯っぽい表情を見せていた少年はふっと柔らかい表情に変わって彼女に応える。
「いいよ。お姉さん元の見た目がぼくの好きな人にちょっと似てるから、特別タダにしてあげる」
「いいの?」
「いいよ。…たださ、一つだけ頼んでいいかな」
「なに?」
「ぼく、その好きな人をずっと探してるんだ。だからぼくがその人にまた会える様に、時々でいいから祈ってくれない?さっき言ったけどお姉さんぼくの好きな人にちょっと似てるから、何となくお姉さんが祈ってくれたら会える気がするんだよね。そうでなくてもお姉さん位綺麗な魂を持ってる人が祈ってくれたら会えるかなって思うし」
 少年の柔らかいながらも寂しげな表情に何かを感じたのか、葉月はにっこり笑って頷いた。
「わかったわ、いのるわ。きみがすきなひとにちゃんとまたあえますように…って」
 俺も少年の表情に自分と同じ恋する男の気持ちを感じて思わず言葉を重ねる。
「俺も祈るよ。何せ彼女を助けてくれた恩人だからな」
「ぼくを信じてないお兄さんも祈ってくれるんだ。…でもありがとうな」
 少年はそう言ってまた悪戯っぽい表情に戻ると、ふと言葉を続ける。
「…そうだ、妖に憑かれてた分ちょっと体力が取られるから、明日はお姉さん多分寝込むよ。それだけは勘弁してよね」
「分かった」
「じゃあ二度と会わないとは思うけど…また縁があったら、どこかで会えるかもな。お幸せに、お兄さん、お姉さん。……行くぜ畢方!」
 そう言って少年が着ていた上着を脱ぐと上着が大きな鳥になり、少年はその鳥の足に掴まって夜空に消えて行った。俺と葉月は呆然と夜空に消えて行った少年を見送る。俺達はしばらくそうして夜空を見上げていたが、やがて俺からぼんやりと言葉を零す。
「…何だかあの占い師自体が妖怪みたいだったな」
「そうね。…でもなんだかふしぎとこわくなかったわ。いいじゃない、きょういちにちがゆめだったとでもおもえば、あのうらないしさんだってふしぎじゃないわ」
「それもそうか」
「うん」
 そう言うと俺達は顔を見合わせて笑う。ひとしきり笑った後俺は口を開いた。
「じゃあ、とりあえず帰るか。俺は念のため今日も泊まるからな」
「ん、わかった」
 俺達はまた手を繋いで彼女のマンションへと戻ると、少年の言った通り彼女にいつもの服を着せ、そのままいつもの様に眠りについた――

「…はい、今日は急に熱が出てしまって…すいませんが休ませて下さい。…はい、本当にすいません」
 葉月は受話器を置くとゆっくりとその場に座り込む。翌日目が覚めると少年の言った通り彼女は元に戻っていたが、これもあの占い師が言った通りなのか、それとも昨日はしゃぎすぎたせいで元々丈夫ではない身体に無理が来てしまったのか熱を出してしまい、結局仕事は休んで寝込む事になった。座り込んでいる彼女を抱き上げて布団に戻すと、俺は口を開いた。
「本当にあの占い師の言う通りになったな」
「そうね…」
 葉月も熱で潤んだ目でぼんやりと口を開いた。
「でもこれであの占い師さんは本物だって分かったんだから、約束を守ってあの占い師さんのためにちゃんと祈らなきゃね」
「そうだな…でもまあ今日はゆっくり寝ていろ。付いていてやるから」
「…ありがとう」
「いいさ、どうせ俺は今の時期オフなんだ。だったら少しでもお前の傍にいたいからな」
 今までなら気恥ずかしくて言えなかった言葉も、昨日の気持ちを理解した俺ならすんなりと言えてしまう。そんな素直な自分に少し戸惑いながらも彼女の額を撫でると、ふっと彼女が口を開いた。
「…でも、良かった」
「何が」
「昨日も今日も、将兄さんがこうやっていてくれて。あたし一人だったら、きっと困って泣いてたわ」
「そうか」
「うん…それからね」
「何だ」
「昨日の事でちゃんと分かった…好きよ、将さん。だからこうやって、いつまでも一緒にいてね」
「…」
 彼女の言葉に俺は赤面する。からかう口調でもなくこんなにストレートな言葉を伝える彼女は今までなかった。その素直な言葉にまた少し戸惑ったが、俺もちゃんと言葉を返す。
「…当たり前だろう、俺がお前から離れるか」
「そうなの?」
「そうだ」
「…良かった」
 そう言うと彼女はにっこり笑う。ある種とんでもない事件だったがお互いにこんな風に素直になれるきっかけを与えてくれた昨日の一件にほんの少しの感謝をこめて、俺は彼女にキスをした。