そして次のオフ、義経は若菜の家に挨拶に行った。若菜は仕事でおらず、彼の父が対応する。しかしその言葉は厳しいものだった。
「…駄目だ、認めん」
「何故ですか、若菜さんも承知してくれています」
「悪いが君と若菜との付き合いが始まった時に、色々調べさせてもらった。君は一人息子だったな。若菜も大事な一人娘だ。家を継ぐためには婿をもらわなければならない。そういう意味で君は不適格だ。君はうちを絶やす気か」
若菜の父の言葉に、義経はすでに決意していた事をその答えとして返す。
「いいえ。もし若菜さんに婿が必要と言うならば、僕がこの家の入り婿になります」
「しかしそれでは君の家が絶えてしまうぞ」
「かまいません。家の尊重で考えるなら僕を道場に送り出した時点で家の断絶を両親も覚悟していたこちらより、若菜さんの家を重んじる事が当然です。両親も納得するでしょうし…させます。そうでなくとも若菜さんと生きるための条件というなら…義経の名位、僕は簡単に捨てられます」
「それなら道場の方はどうだ。これは君だけの問題ではない。道場全ての人間に関わってくる事だ。君は次期総師としてすでに目されている。君の道場は妻帯が許されていないはずだ。それはどうする」
「それも…分かっています。今までの…俗世に身を置かない僕でしたら、総師の道を迷わず選んだでしょう。しかし今の僕は俗世に身を置きました。道場には完全には戻れないと思っています。それでも総師にならなければならないなら…禁を犯してでも、彼女を連れて行くつもりです。僕にはもう、彼女のいない生活は考えられません。ですから…若菜さんと結婚させてください!」
そう言って頭を下げる義経を若菜の父は見詰めていたが、やがて小さく溜息をつくと、彼に声を掛ける。
「そこまで…決意が出来ているんだな」
「はい」
「…分かった…許そう。うちの家系については、若菜の子どもに継いでもらえる様にしてもらえるかね…義経君」
「あ…はあ…」
若菜の父の言葉に義経は赤面する。それを見て若菜の父はふっと寂しそうに笑うと、呟く様に言葉を零した。
「若菜も…大きくなったんだな。……こんな風に、婿を連れて来るとは」
「お父さん…」
若菜の父の感慨深いが、同時に寂しそうな表情と言葉に義経はふっと胸が痛んだが、それでもこの想いは止められない事も分かっている。静かにじっと若菜の父を見詰めている義経の視線に気付いた若菜の父は、不意に無愛想な表情になって言葉を重ねる。
「今夜は…夕飯を食べていくといい。その前に…君の所へもそうだが、うちからも若菜と挨拶に行って欲しい所があるから、若菜が帰って来たら一緒に行ってくれ」
「はい…でも、どこへ…?」
「それは…若菜が知っている。じゃあ、若菜が帰って来るまで君の話を聞こうかな」
そうして義経と若菜の父は若菜の母も交えて話をした。やがて夕刻になり若菜が帰宅すると、訪れている義経を見て驚く。
「光さん、どうして…」
「一刻も早く結婚の承諾を得たかったから…挨拶に来た。認めてもらったよ」
「お父さん…それじゃあ」
「ここまで決意が固い男だ。信じてもいいだろう。…若菜、幸せになれ」
「お父さん…」
父の言葉に若菜は涙ぐむ。それを見た若菜の母親が彼女を宥めると、訪問着を出して来て口を開く。
「さあ、泣かないで…ちゃんとした男性を選んで認めてもらった事を喜びなさい。でも、その前に『おばあ様』にご挨拶が必要でしょう?これに着替えて夕食時になる前に行ってらっしゃい」
「…はい」
若菜は頷くと礼装用のスーツに着替え、義経を伴って近所の質素ながら瀟洒な一軒家へと足を運ぶ。家の前に来た時に義経は若菜に問い掛ける。
「若菜さん『おばあ様』とは一体…確かあなたの祖母君は二人とも亡くなられていると言っていたはずだが…」
義経の問いに、若菜は微笑んで答える。
「『おばあ様』は、その祖母の親友で、私も小さい時から今は亡くなられた旦那さんでもある『おじい様』と一緒に可愛がってもらったんです。だから、何かあった時には必ずご挨拶する事にしているのです」
「そうなのか」
義経が頷いたのを確かめると、若菜は門扉を開ける。表札には『酒匂』と書かれていた。インターホンを押すと、きっぱりした女性の声で『どなた?』という声が聞こえる。若菜がそれに『遅くに申し訳ありません、若菜です。ちょっとご挨拶したい事ができたので参りました』と応えると、不意に柔らかな声になって『若菜ちゃんね、いらっしゃい。今開けるわ』と応えると共に引き戸が開かれる。そこには確かに老齢だが、年齢を感じさせない黒髪のどこか毅然とした雰囲気を持った女性が立っていた。しかしその容貌に、義経は誰かの面影を見つける。この面影は誰だったろう――?女性は義経と若菜を見ると、全てを悟ったかの様に頷き『お入りなさい、話を聞きましょう』と言って二人を中へ迎え入れお茶を出すと、おもむろに口を開く。
「…あなたは、東京スーパースターズの…確か、義経選手だったわね。初めまして、酒匂春日よ。孫があなたの監督にお世話になっているわ」
「え?監督に…?」
義経の言葉に、春日はにっこりと微笑んで言葉を返す。
「土井垣将さんの婚約者の宮田葉月は私の孫娘。葉月と若菜ちゃんは、私達祖母同士の付き合いを通して小さい時から親友でね。今も家族ぐるみの付き合いがあるのよ」
「そう…だったんですか…」
そうか、この面影は葉月だったのか――驚きながらも頷く義経を見詰めていた春日は、若菜に向き直ると、またゆっくりと口を開く。
「二人で挨拶に来たっていう事は…そういう事なのね」
「はい…私達、結婚したいと思っています。それで、おばあ様にもお許しをもらおうと思って、ご挨拶に上がりました」
「…そう」
「はい」
春日はしばらく義経を見詰めていたが、やがて小さく溜息をつくと、義経に問い掛ける。
「義経さん、あなたは…若菜ちゃんと結婚したいと言ったわね。いつそうするつもり?」
春日の問いに不思議なものを感じたが、義経は静かにその問いに答える。
「僕の周辺はゴタゴタしたものがたくさんあります。でも、一刻も早く彼女と一緒になりたいんです。ですから…それは一気に片付けて、今年のオフには必ず…と思っています」
「…そう、約束できる?」
「…はい」
義経の目をじっと見ていた春日はにっこり微笑むと口を開く。
「どうやら信頼できる人の様ね。若菜ちゃん、いい人を選んだわ。…全く、うちの将さんとは大違いね」
春日の言葉に、若菜は宥める様に言葉を返す。
「おばあ様、土井垣さんには土井垣さんの事情があるのですから、あんまり責めないでやって下さいね」
「分かっているわよ。あの子達もお互いを考えて結婚を延期しているんだから。でもやっぱり待つのももどかしいし、こうして背中を押してくれそうな存在が出来てありがたいわ」
「ええ…」
「はあ…」
春日の言葉に二人は赤面して絶句する。春日は続ける。
「もし仲人さんが必要ならいつでも言いなさい。いい方を紹介するわ。本当なら私が仲人を勤めたいけれど、夫はもう亡くなっているから。でも、式には呼んで頂戴ね」
「もちろんです、おばあ様」
「ありがとうございます」
二人のお礼の言葉に春日はにっこり微笑むと、提案する様に更に言葉を重ねる。
「そうだわ。もしならウェディングドレスとはいかないけれど式の二次会にでも着るワンピースか何かを縫わせてもらえないかしら。私の縫った服で悪いけど、着て欲しいわ」
「おばあ様…ありがとうございます。是非縫って下さい。でもいいのですか?葉月さんより良くして頂いている気がしてしまって…」
「いいのよ。葉月には葉月への贈り物をちゃんと用意してあるんだから。それより、約束よ。精一杯幸せになりなさい」
「はい」
「ありがとうございます、おばあ様」
「さあ、夕食時よ。お帰りなさい。きっとお父様達が待っていらっしゃるわ」
そう言うと春日は二人を送り出した。そして家に帰ると晩酌と夕食の用意がされている。四人は食事をとり、義経は若菜の父の酒の相手をして時を過ごしたが、明日は遠征のための移動日で試合の準備をしていないという事もあり、義経は東京へ帰る事になった。若菜が車を運転して小田原駅へ連れて行き、ホームまで見送る。義経は別れがたい気持ちを残しつつも試合の事があるので、ためらいがちに別れに繋がる言葉を零す。
「試合の準備をしていれば…泊まれたんだがな」
「いいえ…ギリギリまでいて下さったのが嬉しいです。でも…しばらくはまた、会えなくなりますね」
「…ああ。…そうだ」
「何ですか?」
「後で詳しい日程は伝えるが…オールスター前後のオフは、有休をとってくれないか。一刻も早く両親と総師にあなたを紹介したいから…連れて行きたいんだ。俺の故郷へ」
「…光さん」
義経の言葉に若菜は嬉し涙をまた零す。そうして暖かだが少し寂しい時間が過ぎていき、新幹線がホームへ滑り込んでくる。二人は別れがたい気持ちを残しながらも、それとは裏腹に別れの言葉をそれぞれ述べる。
「じゃあ…また。絵葉書や電話は欠かさない様にするから」
「はい…また会える日まで…さようなら」
「ああ、じゃあ…行くから」
「…待って下さい」
「!」
新幹線に乗ろうとした義経の手首を若菜は掴むと、そっとその唇にキスをして背中を押す。彼はその勢いで車内にそのまま入り、それと同時にドアが閉まる。離れていく彼女を見詰めていると、その目には涙が光っていた。そしてその涙と共に先刻の温かく柔らかな唇の感覚を思い出し、その感覚で何か満たされない心と、同時に今までに感じた事のなかった熱い感情が呼び起こされた事に気づいた。肌を合わせずとも満ちていた恋。お互いそれで満たされていたはず。なのに今のキスを思い出すと、どこか今までの様に満たされなくなった自分がいる。満たされていた恋から、満たされないものが生まれた自分達はこれからどんな愛を育んでいくのだろう――新幹線のドアにもたれながら、義経はしばらく物思いにふけると、湧き上がって来た熱い想いを冷ます様に頭を振り、席へと向かった。
「…駄目だ、認めん」
「何故ですか、若菜さんも承知してくれています」
「悪いが君と若菜との付き合いが始まった時に、色々調べさせてもらった。君は一人息子だったな。若菜も大事な一人娘だ。家を継ぐためには婿をもらわなければならない。そういう意味で君は不適格だ。君はうちを絶やす気か」
若菜の父の言葉に、義経はすでに決意していた事をその答えとして返す。
「いいえ。もし若菜さんに婿が必要と言うならば、僕がこの家の入り婿になります」
「しかしそれでは君の家が絶えてしまうぞ」
「かまいません。家の尊重で考えるなら僕を道場に送り出した時点で家の断絶を両親も覚悟していたこちらより、若菜さんの家を重んじる事が当然です。両親も納得するでしょうし…させます。そうでなくとも若菜さんと生きるための条件というなら…義経の名位、僕は簡単に捨てられます」
「それなら道場の方はどうだ。これは君だけの問題ではない。道場全ての人間に関わってくる事だ。君は次期総師としてすでに目されている。君の道場は妻帯が許されていないはずだ。それはどうする」
「それも…分かっています。今までの…俗世に身を置かない僕でしたら、総師の道を迷わず選んだでしょう。しかし今の僕は俗世に身を置きました。道場には完全には戻れないと思っています。それでも総師にならなければならないなら…禁を犯してでも、彼女を連れて行くつもりです。僕にはもう、彼女のいない生活は考えられません。ですから…若菜さんと結婚させてください!」
そう言って頭を下げる義経を若菜の父は見詰めていたが、やがて小さく溜息をつくと、彼に声を掛ける。
「そこまで…決意が出来ているんだな」
「はい」
「…分かった…許そう。うちの家系については、若菜の子どもに継いでもらえる様にしてもらえるかね…義経君」
「あ…はあ…」
若菜の父の言葉に義経は赤面する。それを見て若菜の父はふっと寂しそうに笑うと、呟く様に言葉を零した。
「若菜も…大きくなったんだな。……こんな風に、婿を連れて来るとは」
「お父さん…」
若菜の父の感慨深いが、同時に寂しそうな表情と言葉に義経はふっと胸が痛んだが、それでもこの想いは止められない事も分かっている。静かにじっと若菜の父を見詰めている義経の視線に気付いた若菜の父は、不意に無愛想な表情になって言葉を重ねる。
「今夜は…夕飯を食べていくといい。その前に…君の所へもそうだが、うちからも若菜と挨拶に行って欲しい所があるから、若菜が帰って来たら一緒に行ってくれ」
「はい…でも、どこへ…?」
「それは…若菜が知っている。じゃあ、若菜が帰って来るまで君の話を聞こうかな」
そうして義経と若菜の父は若菜の母も交えて話をした。やがて夕刻になり若菜が帰宅すると、訪れている義経を見て驚く。
「光さん、どうして…」
「一刻も早く結婚の承諾を得たかったから…挨拶に来た。認めてもらったよ」
「お父さん…それじゃあ」
「ここまで決意が固い男だ。信じてもいいだろう。…若菜、幸せになれ」
「お父さん…」
父の言葉に若菜は涙ぐむ。それを見た若菜の母親が彼女を宥めると、訪問着を出して来て口を開く。
「さあ、泣かないで…ちゃんとした男性を選んで認めてもらった事を喜びなさい。でも、その前に『おばあ様』にご挨拶が必要でしょう?これに着替えて夕食時になる前に行ってらっしゃい」
「…はい」
若菜は頷くと礼装用のスーツに着替え、義経を伴って近所の質素ながら瀟洒な一軒家へと足を運ぶ。家の前に来た時に義経は若菜に問い掛ける。
「若菜さん『おばあ様』とは一体…確かあなたの祖母君は二人とも亡くなられていると言っていたはずだが…」
義経の問いに、若菜は微笑んで答える。
「『おばあ様』は、その祖母の親友で、私も小さい時から今は亡くなられた旦那さんでもある『おじい様』と一緒に可愛がってもらったんです。だから、何かあった時には必ずご挨拶する事にしているのです」
「そうなのか」
義経が頷いたのを確かめると、若菜は門扉を開ける。表札には『酒匂』と書かれていた。インターホンを押すと、きっぱりした女性の声で『どなた?』という声が聞こえる。若菜がそれに『遅くに申し訳ありません、若菜です。ちょっとご挨拶したい事ができたので参りました』と応えると、不意に柔らかな声になって『若菜ちゃんね、いらっしゃい。今開けるわ』と応えると共に引き戸が開かれる。そこには確かに老齢だが、年齢を感じさせない黒髪のどこか毅然とした雰囲気を持った女性が立っていた。しかしその容貌に、義経は誰かの面影を見つける。この面影は誰だったろう――?女性は義経と若菜を見ると、全てを悟ったかの様に頷き『お入りなさい、話を聞きましょう』と言って二人を中へ迎え入れお茶を出すと、おもむろに口を開く。
「…あなたは、東京スーパースターズの…確か、義経選手だったわね。初めまして、酒匂春日よ。孫があなたの監督にお世話になっているわ」
「え?監督に…?」
義経の言葉に、春日はにっこりと微笑んで言葉を返す。
「土井垣将さんの婚約者の宮田葉月は私の孫娘。葉月と若菜ちゃんは、私達祖母同士の付き合いを通して小さい時から親友でね。今も家族ぐるみの付き合いがあるのよ」
「そう…だったんですか…」
そうか、この面影は葉月だったのか――驚きながらも頷く義経を見詰めていた春日は、若菜に向き直ると、またゆっくりと口を開く。
「二人で挨拶に来たっていう事は…そういう事なのね」
「はい…私達、結婚したいと思っています。それで、おばあ様にもお許しをもらおうと思って、ご挨拶に上がりました」
「…そう」
「はい」
春日はしばらく義経を見詰めていたが、やがて小さく溜息をつくと、義経に問い掛ける。
「義経さん、あなたは…若菜ちゃんと結婚したいと言ったわね。いつそうするつもり?」
春日の問いに不思議なものを感じたが、義経は静かにその問いに答える。
「僕の周辺はゴタゴタしたものがたくさんあります。でも、一刻も早く彼女と一緒になりたいんです。ですから…それは一気に片付けて、今年のオフには必ず…と思っています」
「…そう、約束できる?」
「…はい」
義経の目をじっと見ていた春日はにっこり微笑むと口を開く。
「どうやら信頼できる人の様ね。若菜ちゃん、いい人を選んだわ。…全く、うちの将さんとは大違いね」
春日の言葉に、若菜は宥める様に言葉を返す。
「おばあ様、土井垣さんには土井垣さんの事情があるのですから、あんまり責めないでやって下さいね」
「分かっているわよ。あの子達もお互いを考えて結婚を延期しているんだから。でもやっぱり待つのももどかしいし、こうして背中を押してくれそうな存在が出来てありがたいわ」
「ええ…」
「はあ…」
春日の言葉に二人は赤面して絶句する。春日は続ける。
「もし仲人さんが必要ならいつでも言いなさい。いい方を紹介するわ。本当なら私が仲人を勤めたいけれど、夫はもう亡くなっているから。でも、式には呼んで頂戴ね」
「もちろんです、おばあ様」
「ありがとうございます」
二人のお礼の言葉に春日はにっこり微笑むと、提案する様に更に言葉を重ねる。
「そうだわ。もしならウェディングドレスとはいかないけれど式の二次会にでも着るワンピースか何かを縫わせてもらえないかしら。私の縫った服で悪いけど、着て欲しいわ」
「おばあ様…ありがとうございます。是非縫って下さい。でもいいのですか?葉月さんより良くして頂いている気がしてしまって…」
「いいのよ。葉月には葉月への贈り物をちゃんと用意してあるんだから。それより、約束よ。精一杯幸せになりなさい」
「はい」
「ありがとうございます、おばあ様」
「さあ、夕食時よ。お帰りなさい。きっとお父様達が待っていらっしゃるわ」
そう言うと春日は二人を送り出した。そして家に帰ると晩酌と夕食の用意がされている。四人は食事をとり、義経は若菜の父の酒の相手をして時を過ごしたが、明日は遠征のための移動日で試合の準備をしていないという事もあり、義経は東京へ帰る事になった。若菜が車を運転して小田原駅へ連れて行き、ホームまで見送る。義経は別れがたい気持ちを残しつつも試合の事があるので、ためらいがちに別れに繋がる言葉を零す。
「試合の準備をしていれば…泊まれたんだがな」
「いいえ…ギリギリまでいて下さったのが嬉しいです。でも…しばらくはまた、会えなくなりますね」
「…ああ。…そうだ」
「何ですか?」
「後で詳しい日程は伝えるが…オールスター前後のオフは、有休をとってくれないか。一刻も早く両親と総師にあなたを紹介したいから…連れて行きたいんだ。俺の故郷へ」
「…光さん」
義経の言葉に若菜は嬉し涙をまた零す。そうして暖かだが少し寂しい時間が過ぎていき、新幹線がホームへ滑り込んでくる。二人は別れがたい気持ちを残しながらも、それとは裏腹に別れの言葉をそれぞれ述べる。
「じゃあ…また。絵葉書や電話は欠かさない様にするから」
「はい…また会える日まで…さようなら」
「ああ、じゃあ…行くから」
「…待って下さい」
「!」
新幹線に乗ろうとした義経の手首を若菜は掴むと、そっとその唇にキスをして背中を押す。彼はその勢いで車内にそのまま入り、それと同時にドアが閉まる。離れていく彼女を見詰めていると、その目には涙が光っていた。そしてその涙と共に先刻の温かく柔らかな唇の感覚を思い出し、その感覚で何か満たされない心と、同時に今までに感じた事のなかった熱い感情が呼び起こされた事に気づいた。肌を合わせずとも満ちていた恋。お互いそれで満たされていたはず。なのに今のキスを思い出すと、どこか今までの様に満たされなくなった自分がいる。満たされていた恋から、満たされないものが生まれた自分達はこれからどんな愛を育んでいくのだろう――新幹線のドアにもたれながら、義経はしばらく物思いにふけると、湧き上がって来た熱い想いを冷ます様に頭を振り、席へと向かった。
――夏が来たら、この想いに決着が着くかもしれない。それまでは静かに、密やかにこの想いを育てていこう、二人の未来のために――