女性は先に店を出ていて、不機嫌な表情で店から出てきた不知火に少し困った様に笑いかけると、歩き出しながら口を開いた。
「もう、酔っ払いはあれだから…あ、すいません。私、あなたに謝らなきゃと思って連れ出したのに…違う方向に行っちゃいましたね」
「…あんた、何か俺に謝る事でもしたのか」
不機嫌なまま横を歩く不知火に、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべて屈託なく話し掛ける。
「だって、土井垣さんに懐いちゃってたでしょう。あなたを差し置いて」
「別に…土井垣さんが誰とどうしようと俺には関係ない」
「何拗ねてるんですか?こ~んな顔して睨みつけてたくせに」
そう言うと彼女は先程の不知火の様子を誇張して再現して見せる。その様子に不知火は不覚にも笑ってしまった。彼女も笑うとそのまま不知火に話し掛ける。
「大丈夫。土井垣さんは私が危なっかしく見えるから、つい説教してしまうだけです…それに私は他に好きな人いるし」
「へえ…」
「でもその人、ちょっと土井垣さんに似てるかな…だからつい身代わりにして懐いちゃうんですよね~本当にすいません」
その言葉を聞いて、不知火の表情がまた厳しいものに変わる。彼女はそれを見ると宥める様に更に言葉を重ねる。
「だ~か~ら~、そういう顔しないで下さいって。…土井垣さんは野球の事しか頭にない事は皆良く分かってるんですから。ですからね…」
「だから?」
「必然的に土井垣さんはチームメイトの事…特にバッテリー組んでるあなたの事しか見えてないの。自信持ちなさいな」
「な…」
知り合って間もない女性に全てを見透かされていた事に気づき、不知火は狼狽する。狼狽する不知火を楽しそうに見詰めると彼女は歩きながら更に続ける。
「恋する乙女を侮っちゃいけません。でも大丈夫、気付いたのは多分私だけよ。あそこの皆も、土井垣さんもあなたの気持ちには気付いてないから…あら?土井垣さんが気付いてないのは大丈夫じゃないのかしら」
楽しく歌う様に言葉を紡ぐ彼女に不知火は狼狽したまま次の言葉をどう繋ごうか迷う。と、彼女が振り返り、唐突に口を開く。
「じゃあ、入口に着いたんで…すいませんでした、無理言って送ってもらっちゃって」
気が付くと、もう二人は地下鉄の入口まで来ていた。申し訳なさそうに言った彼女に、不知火はこちらも今までの事を思い返し、謝罪する。
「いや…俺こそ。あんまりいい態度しなくて悪かったな」
「嫉妬してる状態じゃ仕方ないですよ。その代わり、今度会ったら楽しく飲みましょうね」
「ああ、そうだな」
「…おっと、引き止めちゃった。早く土井垣さんの所へ戻さないと。ここまでの道は覚えてますか?」
「ああ、大丈夫だ」
「良かった。それじゃまた会いましょうね」
そう言って彼女は会釈してにっこり笑いながらひらひらと手を振ると、踵を返して地下鉄の入口へ入って行った。不知火はその後姿を見送ると、大きく溜息をつく。
「…女は怖いな…」
無邪気に土井垣にくっついている様に見えて、ちゃんと自分が睨みつけていた事を、そしてその事から自分が彼女に嫉妬していた事まで気付いていた彼女の鋭さに不知火は感服する。しかしそれは反面、彼女も本当は土井垣の事が好きなのではないかという考えに不知火を導いた。今から思うと『土井垣に似た人が好き』と言ったのは彼女の本心を隠し、不知火を宥めるための彼女の小さな嘘に思える。小さな嘘をつきあえて彼に対する挑戦を避けた理由は分からないが、あの嘘は不知火の気持ちを察しての嘘だという事だけは分かった。不知火はにやりと笑うと店への道を戻りながら小さく呟いた。
「『恋する乙女は侮れない』…か。しかし『恋する男』も侮れないもんだぜ…お嬢さん」
不知火が店に戻ると、宴会は最後の盛り上がりを見せており、かなり賑やかな状態になっていた。その勢いに不知火も巻き込まれ、怒濤の様な宴会が終わった頃には彼は家に辿り着く終電がなくなっていた。土井垣は「仕方ないな」と言いつつも自分のマンションへ彼を泊める事にした。マンションへ帰る地下鉄の中で、土井垣が不知火に話し掛ける。
「どうだ、新鮮だったろ」
「ええ、あんなに楽しそうにしている土井垣さん、俺初めて見た気がします」
「そうか?」
「ええ、でもあの土井垣さんを見る事ができたのも俺だけなんですよね…結構嬉しいかも」
嬉しそうに顔を緩ませている不知火を、土井垣は怪訝そうな表情で見詰める。
「また訳の分からん事を…お前…酔ってるな」
「え?別に俺酔ってませんよ。そういえば、宮田さん…でしたっけ、彼女と随分楽しそうだったですね」
彼女の名前を不知火が出すと、土井垣は苦笑しながら口を開く。
「ああ、彼女か。歳も近いしどんな話題でもついてくるから話しやすくてな…それに」
「それに?」
「彼女は何となく似てるんだよ、俺の知っている奴に。しっかりしている様で妙に危なっかしい所があったりとか、何か大変な事があっても黙って一人で抱え込んでしまう所とかがな。だから何となく一緒になると目が離せなくてなぁ…」
ぼんやりと遠くを見詰めながら言葉を紡ぐ土井垣。不知火はその様な土井垣の表情を少し不思議に思いながらも、順当に考えた時に当てはまる『その人物』の答えを素直に口にする。
「土井垣さん、それって…里中の事ですか?」
不知火の言葉に土井垣はふと我に帰るとばつが悪そうに顔をそむけ、呟くような口調だったが、不知火にはちゃんと聞こえる声で更に口を開いた。
「馬鹿野郎…お前だよ」
その言葉に不知火は暖かな気持ちが湧き上がってくる。彼は自然に顔が緩みながらも、少し抗議する様な口調で言葉を返す。
「俺はあんなに土井垣さんにべたべたしてませんよ」
「そうか?別に彼女は俺にべたついてはいないと思うが…」
「いいえ、べたついてます。土井垣さんは人がいいから気が付かないだけですよ」
そう、だから彼女どころか俺の気持ちにも気づいてくれないんだ――その考えに行き着くと、不知火の緩んでいた顔がふと厳しくなる。不知火が難しい顔で沈黙したのを土井垣は怪訝そうな顔で見つめていた。しばらくの沈黙の後、土井垣は思い出した様に口を開く。
「そうだ…お前に渡すものがあるんだ」
彼は何かのチケットとチラシを不知火に渡した。不知火が訳が分からないという表情で受け取ると、彼は説明する様に続ける。
「今日のみんなの演奏会だ。あまりうまいとは言えないかもしれんが楽しいぞ。それに、行ったら俺達はもれなく打ち上げにも参加できるそうだ。…ちょうど空いている日だし…どうだ、乗るか?」
土井垣の行動に不知火は他意がない事は分かっているが嬉しくなった。それと同時に少し意地悪がしたくなり、からかう様に問いかける。
「土井垣さん…俺でいいんですか?彼女とかじゃなくて」
「俺にそういう人間がいない事くらい知っているだろうが…まあ、無理をしなくてもいいぞ。今日の様子だと馴染んでいた様だが、そうでもなかったのかもしれんしな」
「いいえ、行きますよ。俺もあの人達好きになりましたから」
『それに、土井垣さんが二人でって誘ってくれたのなら俺はどこにだって行きますよ』…という言葉を心の中で続ける。
「でもいつの間に買ってたんですか。そのチケット」
「さっき宮田さんが向居さんと一緒に売り込んできてな。彼女はあまりチケット売りは得意じゃないそうだが、しっかりお前の分も買わせるあたりうまいもんだ…それとも、さっきの様子からすると俺はダシで本命はお前か?」
少しからかう様に言う土井垣に、不知火はもう一度チケットを見てふっと笑うとさらりとした口調で答える。
「違うと思いますよ。普通に俺達二人に来て欲しかったんでしょう。そうでもなけりゃ彼女には押し売りなんかできません」
「知った風な口をきいているな…今日初めて会ったばかりだろうが」
「だって俺に似てるんでしょ?思考くらいは何となく想像できます」
なるほど、これが彼女なりの挑戦なのかもしれない。張り合うのならお互いに理解してから…というところなのだろう。彼女の一風変わった思考を面白いと思いつつ、受けて立つのも悪くないと不知火は思った。
「まあ…最後に笑うのは俺だけどな」
「どうかしたか」
「いいえ、何でもありません」
怪訝そうに見詰める土井垣に不知火は笑いかける。そう、自分の気持ちはいつかきっとこの人に届く。そして気持ちを返してくれる――根拠のない自信と笑われるかもしれないが、そう彼には確信できた。不知火の笑みの理由が分からない土井垣が不審そうな表情を見せていると、地下鉄は土井垣のマンションの最寄り駅の名を告げる。不知火は「着きましたね」と言うと明るい表情で土井垣の腕を引き電車を降りた。
「もう、酔っ払いはあれだから…あ、すいません。私、あなたに謝らなきゃと思って連れ出したのに…違う方向に行っちゃいましたね」
「…あんた、何か俺に謝る事でもしたのか」
不機嫌なまま横を歩く不知火に、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべて屈託なく話し掛ける。
「だって、土井垣さんに懐いちゃってたでしょう。あなたを差し置いて」
「別に…土井垣さんが誰とどうしようと俺には関係ない」
「何拗ねてるんですか?こ~んな顔して睨みつけてたくせに」
そう言うと彼女は先程の不知火の様子を誇張して再現して見せる。その様子に不知火は不覚にも笑ってしまった。彼女も笑うとそのまま不知火に話し掛ける。
「大丈夫。土井垣さんは私が危なっかしく見えるから、つい説教してしまうだけです…それに私は他に好きな人いるし」
「へえ…」
「でもその人、ちょっと土井垣さんに似てるかな…だからつい身代わりにして懐いちゃうんですよね~本当にすいません」
その言葉を聞いて、不知火の表情がまた厳しいものに変わる。彼女はそれを見ると宥める様に更に言葉を重ねる。
「だ~か~ら~、そういう顔しないで下さいって。…土井垣さんは野球の事しか頭にない事は皆良く分かってるんですから。ですからね…」
「だから?」
「必然的に土井垣さんはチームメイトの事…特にバッテリー組んでるあなたの事しか見えてないの。自信持ちなさいな」
「な…」
知り合って間もない女性に全てを見透かされていた事に気づき、不知火は狼狽する。狼狽する不知火を楽しそうに見詰めると彼女は歩きながら更に続ける。
「恋する乙女を侮っちゃいけません。でも大丈夫、気付いたのは多分私だけよ。あそこの皆も、土井垣さんもあなたの気持ちには気付いてないから…あら?土井垣さんが気付いてないのは大丈夫じゃないのかしら」
楽しく歌う様に言葉を紡ぐ彼女に不知火は狼狽したまま次の言葉をどう繋ごうか迷う。と、彼女が振り返り、唐突に口を開く。
「じゃあ、入口に着いたんで…すいませんでした、無理言って送ってもらっちゃって」
気が付くと、もう二人は地下鉄の入口まで来ていた。申し訳なさそうに言った彼女に、不知火はこちらも今までの事を思い返し、謝罪する。
「いや…俺こそ。あんまりいい態度しなくて悪かったな」
「嫉妬してる状態じゃ仕方ないですよ。その代わり、今度会ったら楽しく飲みましょうね」
「ああ、そうだな」
「…おっと、引き止めちゃった。早く土井垣さんの所へ戻さないと。ここまでの道は覚えてますか?」
「ああ、大丈夫だ」
「良かった。それじゃまた会いましょうね」
そう言って彼女は会釈してにっこり笑いながらひらひらと手を振ると、踵を返して地下鉄の入口へ入って行った。不知火はその後姿を見送ると、大きく溜息をつく。
「…女は怖いな…」
無邪気に土井垣にくっついている様に見えて、ちゃんと自分が睨みつけていた事を、そしてその事から自分が彼女に嫉妬していた事まで気付いていた彼女の鋭さに不知火は感服する。しかしそれは反面、彼女も本当は土井垣の事が好きなのではないかという考えに不知火を導いた。今から思うと『土井垣に似た人が好き』と言ったのは彼女の本心を隠し、不知火を宥めるための彼女の小さな嘘に思える。小さな嘘をつきあえて彼に対する挑戦を避けた理由は分からないが、あの嘘は不知火の気持ちを察しての嘘だという事だけは分かった。不知火はにやりと笑うと店への道を戻りながら小さく呟いた。
「『恋する乙女は侮れない』…か。しかし『恋する男』も侮れないもんだぜ…お嬢さん」
不知火が店に戻ると、宴会は最後の盛り上がりを見せており、かなり賑やかな状態になっていた。その勢いに不知火も巻き込まれ、怒濤の様な宴会が終わった頃には彼は家に辿り着く終電がなくなっていた。土井垣は「仕方ないな」と言いつつも自分のマンションへ彼を泊める事にした。マンションへ帰る地下鉄の中で、土井垣が不知火に話し掛ける。
「どうだ、新鮮だったろ」
「ええ、あんなに楽しそうにしている土井垣さん、俺初めて見た気がします」
「そうか?」
「ええ、でもあの土井垣さんを見る事ができたのも俺だけなんですよね…結構嬉しいかも」
嬉しそうに顔を緩ませている不知火を、土井垣は怪訝そうな表情で見詰める。
「また訳の分からん事を…お前…酔ってるな」
「え?別に俺酔ってませんよ。そういえば、宮田さん…でしたっけ、彼女と随分楽しそうだったですね」
彼女の名前を不知火が出すと、土井垣は苦笑しながら口を開く。
「ああ、彼女か。歳も近いしどんな話題でもついてくるから話しやすくてな…それに」
「それに?」
「彼女は何となく似てるんだよ、俺の知っている奴に。しっかりしている様で妙に危なっかしい所があったりとか、何か大変な事があっても黙って一人で抱え込んでしまう所とかがな。だから何となく一緒になると目が離せなくてなぁ…」
ぼんやりと遠くを見詰めながら言葉を紡ぐ土井垣。不知火はその様な土井垣の表情を少し不思議に思いながらも、順当に考えた時に当てはまる『その人物』の答えを素直に口にする。
「土井垣さん、それって…里中の事ですか?」
不知火の言葉に土井垣はふと我に帰るとばつが悪そうに顔をそむけ、呟くような口調だったが、不知火にはちゃんと聞こえる声で更に口を開いた。
「馬鹿野郎…お前だよ」
その言葉に不知火は暖かな気持ちが湧き上がってくる。彼は自然に顔が緩みながらも、少し抗議する様な口調で言葉を返す。
「俺はあんなに土井垣さんにべたべたしてませんよ」
「そうか?別に彼女は俺にべたついてはいないと思うが…」
「いいえ、べたついてます。土井垣さんは人がいいから気が付かないだけですよ」
そう、だから彼女どころか俺の気持ちにも気づいてくれないんだ――その考えに行き着くと、不知火の緩んでいた顔がふと厳しくなる。不知火が難しい顔で沈黙したのを土井垣は怪訝そうな顔で見つめていた。しばらくの沈黙の後、土井垣は思い出した様に口を開く。
「そうだ…お前に渡すものがあるんだ」
彼は何かのチケットとチラシを不知火に渡した。不知火が訳が分からないという表情で受け取ると、彼は説明する様に続ける。
「今日のみんなの演奏会だ。あまりうまいとは言えないかもしれんが楽しいぞ。それに、行ったら俺達はもれなく打ち上げにも参加できるそうだ。…ちょうど空いている日だし…どうだ、乗るか?」
土井垣の行動に不知火は他意がない事は分かっているが嬉しくなった。それと同時に少し意地悪がしたくなり、からかう様に問いかける。
「土井垣さん…俺でいいんですか?彼女とかじゃなくて」
「俺にそういう人間がいない事くらい知っているだろうが…まあ、無理をしなくてもいいぞ。今日の様子だと馴染んでいた様だが、そうでもなかったのかもしれんしな」
「いいえ、行きますよ。俺もあの人達好きになりましたから」
『それに、土井垣さんが二人でって誘ってくれたのなら俺はどこにだって行きますよ』…という言葉を心の中で続ける。
「でもいつの間に買ってたんですか。そのチケット」
「さっき宮田さんが向居さんと一緒に売り込んできてな。彼女はあまりチケット売りは得意じゃないそうだが、しっかりお前の分も買わせるあたりうまいもんだ…それとも、さっきの様子からすると俺はダシで本命はお前か?」
少しからかう様に言う土井垣に、不知火はもう一度チケットを見てふっと笑うとさらりとした口調で答える。
「違うと思いますよ。普通に俺達二人に来て欲しかったんでしょう。そうでもなけりゃ彼女には押し売りなんかできません」
「知った風な口をきいているな…今日初めて会ったばかりだろうが」
「だって俺に似てるんでしょ?思考くらいは何となく想像できます」
なるほど、これが彼女なりの挑戦なのかもしれない。張り合うのならお互いに理解してから…というところなのだろう。彼女の一風変わった思考を面白いと思いつつ、受けて立つのも悪くないと不知火は思った。
「まあ…最後に笑うのは俺だけどな」
「どうかしたか」
「いいえ、何でもありません」
怪訝そうに見詰める土井垣に不知火は笑いかける。そう、自分の気持ちはいつかきっとこの人に届く。そして気持ちを返してくれる――根拠のない自信と笑われるかもしれないが、そう彼には確信できた。不知火の笑みの理由が分からない土井垣が不審そうな表情を見せていると、地下鉄は土井垣のマンションの最寄り駅の名を告げる。不知火は「着きましたね」と言うと明るい表情で土井垣の腕を引き電車を降りた。