「…なあ、本当に援助はいらないのか?」
「ええ、私は私の持っている力で上に上りたいの。だからフランツの援助は受けられない」
「そうか」
「それにね、教えているつもりで子ども達に教えてもらう事って一杯あるのよ。だから私はそれを大事にしたいの」
「アマーリエらしいな」
「でしょ?それにこのミーテハウスの人達は皆いい人で、私大好きなの。同居人のカタリーナとも仲良くやっているし」
「でも、せめて防音など位の修繕はさせてくれても…」
「フランツ、余計な事はしないでおくれ。あたし達はこの娘達の音楽が、壁越しにでも聴けるのが楽しくて仕方ないんだからさ。それにこの娘達の音楽で泣いてる赤ん坊が泣き止んで笑ったり、眠ったりするのはありがたいんだよ。このままにしておくれ」
 アマーリエとフランツ――ブロッケンマン――の会話に、このミーテハウスの管理人であるケーテが割って入る。ベルリンの客演が終わった後、二人は本格的な恋に落ち、折に触れてフランツはこのミーテハウスに通う様になっていた。彼の正体は同居人であるカタリーナや管理人のケーテはもちろん、住人全員が知っている。しかしリングで見せる残虐ファイトが彼の本心ではなく、こうして住人にも気を配れる心優しく礼儀正しい青年だと知った今では、彼の正体などもうどうでもいいという風情でいつも歓迎してくれていた。心を尽くせば相手は心を開いてくれる――これはアマーリエが生まれ育った酒場で彼が知った初めての経験であり、そしてそうできる様に自然と自分を変えてくれたアマーリエが、更に愛しくなっていた。そうして今日もここに来て、そうして自分を変えてくれた彼女の音楽のための援助を申し出たのだが、彼女は決してそれを受けようとはしなかった。そうして色々話している内に、アマーリエがふと思いついた様に口を開く。
「じゃあ…ひとつだけお願いしていい?」
「何だ?」
「ここの階段、かなりきしんでるし、手すりも危ないでしょ?今後私みたいに楽器を持って来て住む人がまたいるかもしれないし、何よりここに住んでいるお年寄りのために、重さに耐えられる様な床と安全な階段の整備をして。そうしてくれると嬉しい」
「そんな事でいいのか?」
「ええ。いいでしょ?ケーテおばさん」
「ああ、そういう事なら大歓迎だね。お願いできるかい?フランツ」
「ああ、喜んで。皆が使いやすく頑丈だが、お望み通り音はあまり遮らない様な修繕ができるか相談してみるよ」
「ありがとう」
 そう言って微笑むアマーリエに、フランツも微笑みを返した――

「…でも、評価がどんどん上がっていくのに孤児達に援助をして、自分はこうした質素な生活でいいとは欲がないな」
 アマーリエの部屋に入り彼女のいれてくれたお茶を飲みながら、フランツは感心した様に口を開く。その言葉に、アマーリエは優しい微笑みを浮かべて応える。
「だって、私に才能があるって言いたい訳じゃないけど…才能があっても私みたいに貧しいからってチャンスが掴めないのは辛いじゃない。私以上に才能がある子ども達が埋もれて行くのは哀しいわ」
「そうか」
「それにね…多分私は、自分自身を孤児達に見ているんだと思うわ」
「アマーリエ…」
「私は知っての通り孤児で、姉さんと一緒に育ったわ。もちろん私達には、おじ様っていう素晴らしい『親』がいてくれた。でも私は両親がいない事が寂しかった。ほとんどの孤児はそれ以上の寂しさを味わってるのよ。私はそれが分かるの。だから皆を愛してあげる事で、寂しさを少しでも埋められたらって思うし…それにきっと、私は同時に自分の寂しさも埋めているのよ…偽善者ね」
「そんな事はない、お前がやっている事は正しいし、きっと実を結ぶ。だから…偽善者なんて言うな」
「フランツ…」
 フランツはアマーリエを抱き締める。彼女は彼に身体を預けた。と、部屋へ栗色の髪に茶色の瞳の女性が入ってくると、二人を見ておどけた様に口を開き、回れ右をしようとした。
「ただいま~…っと、お取り込み中だったのね。じゃああたしはしばらく退散するとしましょうか、じゃね」
「待てカタリーナ、からかうのは止めて…入ってきてくれ」
「いいの?じゃあおじゃましま~す」
「もう…ここはカタリーナの部屋でもあるでしょ?からかわないで」
「だって~お取り込み中のところにいるの、居心地悪いんだもの」
「もう。…で、話は変わるけど…どう?今度の役、うまく行きそう?」
 アマーリエの言葉に、カタリーナはにっこり笑って答える。
「ええ、声も大分伸びてるし、緊張しなければうまくいきそう」
 カタリーナは新進気鋭のソプラノ歌手で、アマーリエとはコンサートの客演で出会って意気投合し、生活のためにも二人で暮らす様になった仲である。その明るい性格はどこかローザに通ずるものがあるせいか、アマーリエも気楽に過ごせる様だ。その彼女の明るい言葉に、フランツは激励の言葉を贈る。
「良かったな。君も最近評価が上がってきている様だし、二人ともチャンスを確実にものにして頑張るといい」
「ええ、もちろんよフランツ」
「ありがとう、フランツ」
 二人はフランツにお礼の言葉を述べると、その後はとりとめも無く話した――