飲みながら小次郎は今度は葉月に詳しいプロフィールなどを聞いていく。葉月は遠慮がちに答えられる範囲内で答える。かつては漁が盛んだった土地に育って、自身も良く地引網等に親しんでいたと聞き、興が乗った小次郎も自分の育った高知の話をすると、緊張が解けた様に葉月は楽しげに聞き、更に自分の育った土地のや、趣味の合唱の事などを話した。それを見ながら土井垣も安心した様に優しげな目で葉月を見詰め酒を飲んでいた。そうして時間が過ぎて行き、9時頃になった時、不意に葉月が口を開く。
「…あ。そろそろ帰ります」
「いいじゃねぇか、まだ宵の口だぜ」
「帰りは送るから心配ないぞ。もう少しいたらどうだ」
「いえ…お二人で飲んで話したい事もあるでしょう?私もそんな野暮じゃありませんし。だからお名残惜しいですけど今日はこれで」
小次郎は彼女の気遣いにあふれた言葉に引き止めるのは悪い気がした。土井垣の方はもうこう言ったら聞かないと分かっているのか、『仕方がない』という様子を見せ、口を開く。
「そうか…じゃあ今度また会う日は連絡を取り合うとして、駅まで送っていくか。…小次郎、悪いが留守番を頼んでいいか」
小次郎は土井垣の言葉に一旦は同意しようとしたが、ずっと引っかかっていたある思いがあり、それを実行するためにその方法を言葉に乗せる。
「いや、俺が彼女を送るぜ」
「しかし…」
「家主はでんとしてろ。…大丈夫だよ、送り狼にはならねぇから」
「…」
土井垣は苦い顔で沈黙する。沈黙を肯定と取った小次郎は更にダメ押しした。
「じゃあ送っていくからな。いいな」
「…分かった」
「すぐに帰って来るからよ。それじゃあ宮田、俺が送るから」
「あ…はあ、お願いします。じゃあ将兄さん今日はこれで…」
「ああ…またな」
そうして小次郎と葉月は土井垣のマンションを後にする。帰る道すがら小次郎は葉月に声を掛けた。
「悪ぃな、無理矢理俺が送る事にしちまって」
「ああ、いえ…こちらこそ送ってもらってすいません」
「いや、いいんだよ。本当の事言うとな、土井垣のいねぇところでちょっとあんたと話してぇと思ったんだよ。あいつがいると聞きづれぇ事もあったからな」
「ああ…はあ…」
「そんな顔するなよ。難しい話じゃねぇから…って事で駅にも着いたし、そこのカフェテリアでちょっと話さねぇか」
そう言うと小次郎は駅の傍にあるカフェテリアに葉月を入れる。お互いアイスコーヒーを注文すると出されたコーヒーを持って席に座り、一口飲んだところでおもむろに小次郎が口火を切る。
「…まあ、あいつがいると聞きづれぇ話って言うのは簡単なんだがな…あんた、あいつがああいう奴で寂しくねぇか?」
「え…?」
小次郎の問いに葉月は思わず聞き返す。小次郎は説明する様に更に話を続けた。
「いやな、初めてあんたの事を聞いた時に、あいつがあんまりあんたに連絡しねぇし、あんたも連絡あんまりしてねぇって聞いたんだよ。あいつは『お互い連絡したい時に相手が連絡してくるからお互い寂しいと思った事がねぇ』って言ってたがよ、あいつはあの通りの朴念仁だからな。本当はあんたの方は連絡したいし、連絡して来ねぇあいつを待って寂しいと思ってやしねぇかなって思ってな」
「…」
小次郎の言葉に葉月はしばらく沈黙していたが、やがてアイスコーヒーに一口口をつけると、口を開く。
「…私の地元の祭り歌にこんな文句があるんです…『惚れて通えば千里も一里だ』。別の流儀には『惚れて通えば相模の橋も長い廊下と諦める』って言うのもありますが、私は先の方が好きですね」
「どういう事だ?」
問いかける小次郎に葉月は更に口を開く。
「先のは、好きならどんなに離れていても距離を感じないって意味です。後のは『好きで会えるんだから、その距離は長くても諦めるって言う意味ですね。それに」
「それに?」
「私は土井垣さんのそういう所も含めて好きになっちゃったんです。だから少しくらい寂しいと思っても我慢しなくちゃって思ってます。それに寂しいと思った分会ったり連絡来た時は本当に嬉しいって思えますし…もうはっきり言って惚れた弱みですね」
「…」
葉月はそう言って苦笑するとまたアイスコーヒーに口をつける。小次郎もアイスコーヒーに口をつけしばらく沈黙が続いたが、やがて呆れた様に口を開いた。
「…まったく、本当にあいつは朴念仁だな。もっと大事にしてやれって言ってやりてぇよ」
「いいですよ。寂しさもそれなりに楽しんだりしてますし、何より私は野球の事で一生懸命な土井垣さんが好きなんです。その事でほっとかれるのは寂しくないですし、私自身も仕事の方が大事で寂しいなんて思っていられない時もありますし」
そう言ってまた苦笑する葉月を小次郎はしばらく見詰めていたが、やがてゆっくりと口を開く。
「…あんた、本当にいい奴だな。『いい女』じゃなくって『いい奴』だ」
「…ありがとうございます」
小次郎の言葉の意図を察し、にっこりと笑う。小次郎は何か考え付いた様にポケットを探り、一枚の連絡先が書いた紙を差し出した。
「そうだ、これやるよ。俺の連絡先だ。折角縁ができた事だし、何かあいつの事で愚痴りたくなったら俺に連絡くれていいぜ」
「そんな…悪いです」
「いいんだ。俺、あんたの事が気に入った。この事抜きでも友人として付き合っちゃくれねぇか」
「…いいんですか?」
「ああ」
葉月はしばらく考える様に沈黙していたが、やがてまたにっこり笑うと小次郎から紙を受け取り、自分も持っていた名刺の裏に連絡先をメモして差し出した。
「ありがとうございます、じゃあこれが私の連絡先です。よろしくお願いしますね犬飼さん」
「小次郎でいいぜ。あんたも知ってるだろうが、犬飼は三人いるからな」
「いえ、でも私他のお二人とは知り合ってませんから犬飼さんって呼ばせて下さい。で、もしご縁があって他のお二人ともお知り合いになれたらそう呼ばせてもらいます」
「そうか。結構融通きかねぇんだな」
「はい」
そう言うと二人は笑った。ひとしきり笑った後小次郎が口を開く。
「じゃあ引き止めて悪かったな。またこっちに来た時には土井垣通して会おうぜ」
「そうですね。私もまたお会いしてお話したいです。じゃあ私はこれで失礼しますね」
「ああ、こっからは一人なんだから気をつけて帰れよ」
「はい、ありがとうございます」
そう言うと二人は別れ、葉月は駅へ入って行った。小次郎はそれを見送って土井垣のマンションへ戻る。土井垣は不機嫌そうな顔で小次郎を部屋へ入れるとその表情のままの口調で口を開いた。
「…遅かったな」
「何だよ、たった30分じゃねぇか。大丈夫だよ、手なんか出してねぇから」
「小次郎!」
「へぇへぇ…でもよ土井垣」
「何だ」
「宮田の事、大事にしてやれよ。滅多にいねぇぞあんなに気の優しい女は」
「そんな事、俺が一番良く分かってる」
「いいや、分かっちゃいねぇな。分かってるならもっと大事にしてやれ」
「…」
小次郎の言葉に土井垣は苦い顔のまま沈黙する。小次郎はそれを見てにやりと笑うと口を開いた。
「…さあ、飲もうぜ。まだ夜は長いからな」
小次郎はそう言いながらふと葉月の事を思い出していた。心底土井垣に惚れ込み、彼が気付かない位さりげなく彼を暖かく包み込む様に接している彼女。土井垣がその事に気付くのはいつの事だろう、そして気付いたらどうなるだろうと思い思わずふっと笑うと、小次郎は土井垣に酒を注いだ。