「…監督だけどさぁ」
「何だ?」
「今日、何となく変だよな」
「ああ、そう言えばそわそわしてるっていうか…一歩間違うと挙動不審だよな」
「そう言われると…確かに。監督に一体何があったんだろう」
 春季キャンプのある一時、東京スーパースターズの面々は、監督である土井垣の様子がおかしい事で、それとなくこそこそと話していた。この日の土井垣は、確かに指導はしっかりしているが、いつもの厳しい様子とは打って変わって朝から心ここにあらずという風情で、一歩間違うとチームメイトの一人が言った様に、挙動不審と言われてもおかしくない様子だった。そうして何故彼がそんな状態になっているのか皆で練習をしながらも考えていた時、不意に三太郎が声を上げた。
「…ああ、そうか!」
「え?何だよ」
 訳が分からず問い掛ける他のチームメイトに、三太郎は謎賭けをする様に言葉を重ねる。
「里中へのプレゼント攻勢で分からないか?…ついでに俺達にも多少は来てるだろ」
「ああ、そういう事か!」
 その言葉にチームメイト達も理由が分かり、頷いた。今日はバレンタインデーだったのだ。しかし、それでも腑に落ちないところがあり、チームメイトは首を傾げる。
「でも、宮田さんって確か監督へはバレンタインのチョコあげない、って公言してたよな」
「そうそう、その割に去年は皆にヒナさんと連名でとはいえ手作りのカステラ送ってきてくれたから、監督不機嫌マックスになってさ、宥めるのに苦労したもんな」
「ああ、あれはヒナさんが気を利かせて『一緒に作って贈ろう』ってやってくれたらしいぜ。…土井垣さんには不憫だったが」
「おい三太郎、何でそんな舞台裏知ってるんだよ」
 星王の問いに、三太郎はしれっとした態度で答える。
「ヒナさんにホワイトデーのお返しした時に、その話して聞いた」
「何?抜け駆けは無しって言ってただろ?」
「みんなの分も代表でだよ。ちゃんとそこら辺は心得てる」
 そう言って三太郎は読めない笑顔で笑う。とはいえ他のメンバーも何だかんだ言いつつ周囲には秘密でそれなりに弥生(と一緒に葉月)にはお返しをしていたのだが。…気を取り直した様に三太郎は続ける。
「まあ話を戻して。…毎年宮田さん個人ではあげてなかったみたいだから、今から思うとそれが多分理由で監督いつもこの時期不機嫌だったのに、今年はどういう風の吹き回しだ?」
「もしかして…今年こそ宮田さん個人からチョコが来るとか」
「しかもキャンプ先に届けに来るからとか」
 チームメイトの言葉に、こうした事にはある種無縁を通す義経も話に混ざる。
「ふむ…彼女の言動からして仕事をおろそかにしてまで恋愛にかまける女性ではないと思うから、ここへは来ないと思うが…何かをする約束をしたのは確かだろうな」
「まあ、不機嫌マックスよりはいいんじゃない?平和で」
「そうだな」
 そう言うと一同は笑った。そんな事を言われているとも知らずに、土井垣は心ここにあらずでも、しっかりと選手に指導をしていた――

「…今年もバレンタインは無しなのか!?」
 キャンプへ出発する直前の夜、土井垣は恋人の葉月に問い詰める様に問い掛ける。彼女はその雰囲気に圧されながらも、きっぱりと言葉を返す。
「毎年言ってるじゃない、一年の一番大切な時でしょう?野球に専念しなきゃ。バレンタインで浮かれてたら、日本一なんて夢のまた夢よ」
「…その割に、去年は他の連中には…まあ俺も含まれていたが…朝霞さんと一緒にカステラを贈っていた様だが」
「あれは…ヒナが強引に『一緒に作って贈ろう』って言ったからで…」
 土井垣の問い詰めに、葉月はおずおずと答える。彼は溜息をつくと、静かに問いを重ねる。
「…そんなに俺にはバレンタインのチョコを贈りたくないのか?」
 土井垣の言葉に、葉月はしばらく沈黙すると、やがて寂しそうに応える。
「そうじゃないの。…あたしは忙しくて行けないっていうのもあるけど、それ以前に部外者だから、キャンプ先に入っちゃいけないって思ってるの。だから直接は渡せないし…だからって言って宅急便とかにしたら、他のファンと一緒になっちゃうもの…それが嫌なの。…あたしはちゃんと…将さんの特別でいたいの」
「…」
 葉月の言葉に、土井垣は思わず赤面したが、彼女の想いが分かり嬉しくなってにっこり笑うと、囁く様に口を開いた。
「そうだったのか…やっと本心が聞けた」
「…ん」
 そうして二人はお互い赤面してしばらく黙っていたが、やがて土井垣はさらさらとメモ用紙に何やら書くと、葉月に渡す。
「…ここに送れ、逗留先のホテルだ。フロントにはお前の荷物は別に扱って貰う様に頼むから、ここなら直接俺に渡る」
「…いいの?」
「ああ。だから…絶対に送って来い」
「…うん!」
 葉月は頷くと心底幸せそうな笑顔でにっこり笑う。それが更に嬉しくて、土井垣は彼女を抱き締めた。

 そんな経緯があっての今年のバレンタイン。約束をしたからとはいえ、遠慮深い彼女の性格だ。特別扱いは悪いと考えたら送るのをやめてしまうかもしれない。でも送って来て欲しい――そんな思いで練習を終え、選手達はホテルへ帰る。ホテルへ帰るとどこから調べたのか球場と同様、土井垣を含む選手達に送られて来たチョコや、里中に至っては誕生日も近いので、誕生日プレゼントも数多く送られて来ていた。里中は嬉しさ半分、げんなり半分の様子で口を開く。
「ファンの気持ちは嬉しいんだけど…こう量が多いと、処理が大変なんだよな~」
「まあそう言うなよ。皆里中の事を祝ってくれてるんだから」
「そうだけどさ。…俺は山田が祝ってくれれば充分なんだぜ」
「里中…」
 山田の言葉に、里中は頷きながらも照れ臭そうに口を開き、山田もその言葉に感動で言葉を失う。チームメイトは毎年の風景に慣れた様子を見せてそれぞれ自分に送られて来た品を受け取る。
「あ~はいはい、毎年ごちそう様…っと。俺達の分はこれだな」
「ヒナさんから今年も来てるぜ。とりあえず土井垣さん代表で『東京スーパースターズ一同様』って」
 三太郎が土井垣の荷物から勝手に弥生のプレゼントを取り出すと、チームメイトに見せる。
「ホントだ!ヒナさん律儀だよな~今開けちまおうぜ」
 そう言って包みを開けると、チームメイトは感嘆の声を上げる。
「やりぃ!今年もうまそうなケーキだ!」
「カードもついてるぜ。何々…『ハッピーバレンタイン、今年はマーブルケーキと紅茶のケーキをまたはーちゃんと焼きました。皆さんでどうか召し上がって下さい』…だと。やったね!」
「早く誰かの部屋へ行って皆で食おうぜ!ほら監督も折角ですから一緒に」
「…ああ」
 土井垣は落胆して頷く。今年も弥生と一緒にケーキを焼いているという事は、やはり個人的にはチョコを送って来ていないのだろう。あんなに固く約束したのに――そんな落胆した気分で盛り上がっているチームメイトに近付こうとした時、不意にフロントの人間が「土井垣様」と声を掛けた。彼がそれに気付いてフロントへ行くと、フロントが少し大振りの包みを差し出して口を開く。
「お話を聞いていたお荷物です。どうぞ」
 荷物を渡された土井垣は送り主に葉月の名前を確認し、不意に鼓動が早くなる。彼女は約束を破らないでいてくれた。その事が嬉しくて早く荷物を開けたいという衝動に駆られる。その衝動のまま彼はチームメイト達に『俺は先に部屋へ戻る。皆でそれは食っていいぞ』と声を掛け、自分の部屋へ戻った。部屋へ戻って荷物を確かめると、大きさも重さもチョコやケーキにしては中途半端だ。何が入っているのだろうと包みを開けると、そこには何かのティーバッグと、茶葉のパックが入っていた。一緒にカードが入っていたので彼はカードを読む。そこには子供の様な、しかし読みやすく愛らしい字でこう書かれていた。

――将さんへ
 バレンタインなのでチョコにしようと思いましたが、多分他のファンの人から一杯もらうと思うし、キャンプも中盤で疲れてきていると思うので、チョコにはちょっと合わないかもしれませんが、チョコと一緒に飲める様にハーブティを贈ろうと思います。気分が落ち着くカモミールと、ストレスに効くレモンバームを選びました。ティーバッグは普通の紅茶と同じ様にいれられるので、その時の気分に合わせていれて飲んで下さい。
葉月――


――追伸
 葉っぱの方はキャンプから帰ってきたら私がいれます。だから、ちゃんと元気で持って帰って来て下さい――


「あいつめ…」
 土井垣は彼女の心遣いに胸が一杯になってくる。それと共に彼女が言った『自分の特別でいたい』という言葉を思い出し、この贈り物に彼女らしい自己主張を感じ、彼はふっと笑みが漏れた。
「本当に…俺はお前にはかなわんな。…でも、ありがとう」
 土井垣は彼女の想いに胸が満たされるのを感じながら一杯試しに飲んでみようと、自分にお茶をいれる時の微笑む彼女を思い出しながらティーバッグを取り出した。