2月14日、四国アイアンドッグスの面々は、練習の合間に宅急便や直渡しでチョコやプレゼントを受け取っていた。その多彩な選手のキャラクターのせいもあり、プレゼントには個性的なものが多く、女性選手であるマドンナにも一部の男性ファンや、彼女が取材やインタビューで殿馬への想いを臆面もなく話すからか、何故か恋する野球乙女の教祖的存在と化しているため、そうした女性ファンからプレゼントが届き、三吉に至っては彼の傾向を分かっているのか書留で金券や現金すら送られてくるというバリエーションがある。そうして例年通り賑々しくそうしたプレゼント攻勢を受けつつ、選手は楽しく話していた。
「まあ、わたくしにあやかりたいという女性の方がこんなに?嬉しいですわ」
「まいど~。いや~嬉しなぁ、ちゃんとわてのファンはわての事分かってるわ」
「…しかしマドンナはともかく…三吉のファンってコアな奴多いよな」
「しっかり三吉が喜ぶものを分かってるものな…」
「まあいいんじゃない?本人が喜ぶのが一番って事で…あ、出たよ『恒例行事』」
「ああ、本当だ。今年も変わらずやってますね、不知火さん」
 選手達が賑やかにプレゼントを喜んでいる側で、不知火は必死の形相でそのプレゼントの中から『何か』を探している。そしてその『何か』が見つかると、彼の表情は一気に明るくなり上機嫌で一日を過ごすのが常なのだ。これはバレンタインと不知火の誕生日にいつも見られる光景なので、チームメイトから『恒例行事』と呼ばれていた。しかし今年は様子が少し違っていた。不知火が心底落胆した表情で頭を垂れたのである。その様子に、チームメイト達は怪訝そうな様子を見せる。
「不知火、どうしたんだ?そんなに落ち込んで」
「…ない…」
「ない?何がですか?」
「うるさい!ないものはないんだ!」
「まあ不知火さん、そんな声を荒げてはいけませんわ。どうしましたの?もしかして毎年の『想い人』さんからのプレゼントが今年はなかったとか」
「…」
 マドンナの言葉に、不知火は赤面して沈黙する。その様子に、チームメイト達は冷やかし半分、宥めるのが半分といった口調で声を掛けてくる。
「どうやらビンゴみたいですね、不知火さん」
「そうか~不知火、哀れだな~。毎年必死で探し出すくらい熱烈に想ってた人に、とうとう振られたか~」
「いいや!絶対そんな事はないはずなのに…」
「あのな~不知火、この世の中に『絶対』っちゅう出来事は存在しないんやで」
「でもおかしいですわね、不知火さんがここまで激昂して否定する位ですから、送られてくるのは確実と思っていいはずですのに」
「マドンナ、不知火をあんまり期待させる事を言うなよ。振られた現実を受け止めさせてあげろ」
「いいえ、これは恋する乙女の直感です。絶対裏に何かありますわ」
「マドンナ…お前の直感ほど当てにならないものはないんだがな」
「あら酷いですわ、これでもわたくし勘は鋭い方ですのよ」
「うるさい!黙れお前ら!」
「…」
 不知火は面々の言葉が聞いていられなくなり声を荒げる。その声に、面々は気圧されて沈黙する。しばらくの気まずい沈黙の後、それを破るかの様に、監督である小次郎が入って来た。
「おい、どうしたお前らその葬式みたいな面とムードは」
「不知火さんのせいですわ、監督。もう本当に不機嫌になってしまって…」
「兄貴、不知火さん隔離してよ。こんな不機嫌な不知火さんが一緒じゃ練習になんかならないよ」
「ああ、そのつもりだ」
「え?」
 面々は小次郎の言葉に驚く。小次郎は不知火に近付くと声を掛けた。
「不知火、お前はこれから後は別メニューだ」
「…はい」
 不知火は不機嫌ながらも監督の言う事は聞かねばと素直に頷く。小次郎は続けた。
「メニューの内容は…『今から自分のマンションに帰って、来ている引越しの手伝いをする事』」
『は?』
 余りに素っ頓狂な『別メニュー』に、不知火だけでなくチームメイトも驚く。小次郎自身も複雑な表情で言葉を紡いでいく。
「いや…俺が故障でリハビリをした時にお世話になった方の部下が、しばらくこっちへ来る事になったんだ。で、その人の引越しが今日でな。誰か手伝える人間はいないかと打診してきたんだ。お門違いだと思って俺は保留してたんだが向こうで調べたらしくて、丁度お前のマンションだからお前を出せと言って来たんだよ。かなり世話になった方だから断るに断れなくてなぁ…すまんが、行ってくれ」
「…はあ」
「それに、向こう方の言い分では『この『別メニュー』をやらせれば、お前の今年は万全だ』と言い切ってきてな…」
「どういう事ですか?」
「行けば分かる。…それから、その引越ししてきた人にこれを渡す様にも頼まれているから、渡してくれ。…全く、食えねぇばぁさんだよあの人も」
「はぁ…?」
 小次郎の言葉も行動も訳が分からず、不知火は彼が渡してきたアイアンドッグスの表示の入った封筒を受け取り、首を捻っている。首を捻っている不知火を、小次郎は促して送り出した。
「とりあえず…行け」
「…はあ」
 とりあえず不知火は着替えて自分のマンションへ帰る。帰る道すがらからふと彼は先刻の落胆が胸に襲い掛かってくる。絶対に来るはずの『彼女』からのプレゼントが届かなかった――。確かに自分達は親に反対されている身だし、本当は公的な理由でも会ってはいけない身だが、自分達の想いはどうしても止められず、何があってもこの想いは貫き通そうと決意した矢先だったはず。なのにどうして『彼女』はその決意を裏切る様な行動をしたのだろう。やはり大きな哀しみを背負っている両親を幸せにする事の方を『彼女』は選んでしまったのだろうか――そんな様々な暗い想いを抱えてマンションに戻ると、丁度引越しのトラックが到着した様子だった。彼も車を駐車場に止め、そのトラックに近づき、引越し業者らしい人間に対応している女性の顔を見て、彼は心底驚くと共に鼓動が高くなってくる。まさか、でも、どうして――高鳴る鼓動を抑えつつ、彼はその女性に近付き、声を掛けた。
「どうして…ここにいるんだ、真理」
 彼の声に『真理』と呼ばれた女性は驚いて振り向くと、こちらも言葉に詰まる。
「どうして…ここにいるの、守さん」
 彼女の名は大久保真理子――彼女こそが不知火を『恒例行事』に駆り立てていた『想い人』だった。彼は彼女がいる事に心底驚きながらも、説明をする。
「…いや、監督から引越しの手伝いをしろと戻されたんだが…お前の事だったのか?」
「あたしも…上司の山崎さんから『お手伝いの人が来るから』って聞かされてたけど…あなたの事だったの?」
「どうやら…そうらしい」
「やっぱり…はめられたみたいだわ、私」
「どういう事だ?」
「詳しい事は後で話すわ。とりあえず業者さんに指示を出さないと」
「そうだな…お願いします」
 そう言うと二人は業者に荷物の搬入を頼む。荷物の量も大きさもそれ程大した事はなく、搬入はすぐ終わり、業者は帰って行った。細々とした部屋の配置をし、一息ついた所で不知火は近くの自動販売機で缶コーヒーを買って来ると、二人で飲みながらお互い事の経緯を話した。
「じゃあ…守さんはここに住んでるの?」
「ああ、階は違うが…お前こそ、これから一年こっちの病院に出向になったのか」
「そう。もしかすると、場合によっては移籍もありうるって事で、能力と身軽さを考慮してあたしに打診したって言ってたけど…山崎さん、守さんとの事裏取ったっても言ってたし、住所がピンポイントでここだったって事は…本当にやってくれたわ」
「それじゃバレンタインのプレゼントがなかったのは…」
「この出向の準備で忙しくて、用意できなかったの。今日が終われば何とか余裕ができるから、後で用意して渡そうとは思ってたんだけど…ごめんなさい」
「いや…もうそれはいい。でも俺がここにいるって事は知らないにしても…松山の病院だって事だけは分かってたんだろ?…お前もよく来る気になったし、それに…よくお父さんが許してくれたな。こう言っちゃ何だが…松山には俺がいるのに」
「ここに来た理由は、守さんの事は抜きにして、自分の力を試したいっていうのがあったから。お父さんの事は…これが答え。お父さんから。『これ以上言う事はない』って」
 そう言うと真理子は使い古されたキャッチャーミットと封書を渡す。不知火はまずそのキャッチャーミットで彼女の父親の心を知る。このミットは明らかに彼女の兄であり、そして彼のかつての先輩であり、今では彼の左目となっている誠の物。彼女の父はこのミットで誠の心と共に真理子を託す、と言いたいのだろうと瞬時に彼は察した。そして封書を開けてみると端正だが、少し怒った様な文字でただ一言、こう書かれていた。

――返品不可。大切にする様に――

「お父さん…」
 真理子は父の心を知って涙ぐむ。この一言に全てが凝縮されていた。先輩の妹と兄の後輩という関係だけだったならばよかった。しかし二人は同時にドナー家族とレシピエントという間柄のため、二人の仲は簡単には祝福できないものだったのだ。彼女の父親もそのため二人の仲を反対していたのだが、二人の想いはどこかで分かっていたのかもしれない――不知火はこの言葉を受け取り、真理子に言葉を掛ける。
「…今度、お父さんに挨拶に行く。『真理を一生大切にします』って誓いに」
「守さん…」
 真理子は不知火の言葉に、更に涙を零す。不知火は彼女の涙を拭うと、きつく抱き締めた。しばらく二人はそうしていたが、不意に彼は小次郎から渡された封書の事を思い出し、彼女から身体を離すと、封書を差し出して口を開く。
「そうだ…これ、うちの監督から。何だかお前の上司って人から頼まれたらしい」
「そう。何かしら…って…これ…」
「おい…冗談にも程があるぞ…」
 真理子は封筒を受け取って封を開けると絶句する。不知火もそれを見て絶句した。何と出てきたのは婚姻届だったのだ。しばらくの絶句の後、二人はお互いに呟く。
「山崎さん…絶対あたしをはめたんだわ…もう」
「監督の態度の意味がやっと分かった。全く…確かに効果的な『別メニュー』だよ」
 二人は呟くとおかしそうに笑い合い、二人で顔を見合わせる。
「どうする?…住民票は明日出しに行くからついでに出しちゃう?」
「確かに…保証人欄に監督とお前の上司らしい人の名前が入ってるから、出そうと思えば出せるが…」
「でも…もう少し、このままでいようかな」
「そうだな。もう少し…俺がちゃんと挨拶して、お前が仕事に慣れてから…出そう」
「そうね」
 二人は顔を見合わせて笑うと、そのまま顔を近づける。そして唇が触れそうになった時――

――ピンポーン…ピンポーン――

 二人は驚いて顔を離すと、真理子が立ち上がってドアに近付く。
「誰かしら?まだご近所にはご挨拶してないのに…え?あの、どちら様方ですか?」
 真理子がドアを開けると、そこにいたのは…
「よお不知火、『別メニュー』の進み具合はどうだ?」
「監督…」
「不知火、良かったな~振られたんじゃなくて」
「武蔵…」
「松山にようこそいらっしゃいました。どうか二人で支えあって、お仕事頑張って下さいませね」
「マドンナ…」
 他にも三吉、土門、影丸、知三郎、雲竜、犬神、左貫、丸亀などドッグスの主要メンバーのほとんどがそこに立っていた。
「…何しに来たんですか…揃いも揃って」
 呆然とする不知火の言葉に、小次郎が楽しそうににやりと笑って応える。
「いや、俺がお前の『別メニュー』の出来具合を見に行く、と言ったら皆付いて行きたがってな。歓迎会も兼ねて参上したって訳だ。ところでメニューだが、全部はこなせてないか?…まあそうだろうが」
「…監督」
「…」
 小次郎の言葉の意図を察し、不知火だけでなく真理子も赤面して絶句する。小次郎は更ににやりと笑い、言葉を続ける。
「とりあえず、『練習』はここまででいい。後は歓迎会だ。…三吉、酒と食料を買って来い。武蔵と雲竜、荷物持ちに付いて行け。後の連中は待機だ」
「よっしゃ!」
「分かった」
「はい」
「不知火は…大久保さん…だったな…にこの辺りを案内してくるといい。日用品とかを買っていないんだったら、買いがてらでいいぞ。俺達がゆっくり留守番していてやる」
「…はい、行ってきます」
「…お気遣い、ありがとうございます」
 『ゆっくり』が明らかに強調された言葉に二人は更に赤面したが、小次郎の真理子をちゃんと気遣う気持ちも分かるので素直に頷いて、日用品を買いがてら、二人で近所を散策し、不知火は真理子に主だった店や医者などを教える。そうして戻って来ると、宴会の準備は既に出来ていて、その後は真理子を巻き込んでの大騒ぎの大宴会になった。チームメイトは真理子の明るく意志の強い性格に感心し、真理子もチームメイトの気さくさにすぐ打ち解け、親交を深める。そうして皆で大騒ぎした後片付けて、夜半に大宴会は終わり、面々は軽く二人をからかいつつ帰って行った。二人は面々が帰ったのを確かめて、大きく溜息をついて座り込む。
「…全く、何を考えてるんだ皆は」
「びっくりしたけど、でも…いい人達だったわね。守さんいいチームに恵まれて、幸せね」
「そう思ってくれたか?…あんな連中なのに」
「うん」
 不知火の呆れ半分の言葉にも、真理子は楽しげに頷くと、少し顔を赤らめて幸せそうに呟く。
「これからは…守さんが側にいてくれるのね」
「そうだな。俺も…真理が側にいてくれるんだな」
「うん」
「これから…お互い頑張ろうな」
「うん。頑張ろうね」
「さて…とりあえず今夜は…どうするか。まだベッドがちゃんと用意できていないから…その…俺の部屋に来るか?」
 不知火のぶっきらぼうながらも心は伝わる彼の誘いに、真理子は顔を赤らめながらも頷く。
「うん…悪いけど…そうさせて」
「じゃあ…来い」
 そう言うと、不知火は真理子を自分の部屋へ招きいれ、夜を共に過ごした――

 翌日。不知火は真理子と朝食をとって、キャンプ先の坊ちゃんスタジアムへ向かう。到着すると、チームメイト達は全員とうに来ていて大騒ぎをしながら彼を迎え入れる。
「やった~!勝ちましたわ!不知火さん、よくちゃんと来て下さいましたわね」
「ちくしょ~!何で来るんだよ!休めよ今日は!」
「おい…どういう事だ?」
 騒ぐチームメイト達と訳が分からず立ち尽くす不知火の間を、三吉が泳ぐ様にすり抜けていく。
「へ~いへいへい、ほんじゃ回収させてもらいま~。中、三千円な。犬神は…千円、シブチンやな~。阿波…お前張ったな~五千円…っと…」
「おい三吉…何をしてるんだ…?」
 声を押し殺して問い掛ける不知火に、三吉はしれっとして答える。
「ああ、お前が今日来るか休むかを一口千円で賭けたんや。ちなみに…8対2で『休む』に賭けた奴が多かったで~」
「三吉…お前…」
「ええやんか、わてはお前が来る方へ掛けたんやで」
「…お前ら~…!」
 段々怒りのボルテージが上がっていく不知火を尻目に、三吉は楽しげにチームメイトから賭け金を回収していく。そこへ小次郎がやって来た。不知火は小次郎に抗議の声をあげる。
「監督!あいつらどうにかして下さい!人を掛けの対象にして…」
 不知火の抗議にも、何故か小次郎は無言でいる。そこに三吉が声を掛けてきた。
「監督も回収させてもらいま~」
 三吉の言葉に、小次郎は無愛想な表情で無言のまま財布から一万円札を二枚出す。三吉はわざとらしく更に小次郎に声を掛けた。
「いや~監督、大負けでんな~」
「…監督…あなたって人は~っ!」
 絶叫する不知火を尻目に、アイアンドッグスの面々は(不知火を覗き)こうして更に親睦を深めていくのであった――