「…さてと、できたわね」
「そだね。焼き具合も最高の出来だし、皆きっと喜ぶよ」
 ある日の都内のマンション、弥生と葉月はバレンタインのプレゼントとして東京スーパースターズのメンバーに贈るケーキを焼いていた。こうして二人がケーキを贈る様になったきっかけは、葉月が監督である土井垣と付き合っていて、その事がチームメイトにばれて会いたいと言われた時に葉月が『弥生と一緒なら』という条件で会い、会った時に弥生自身もチームメイトと意気投合したからだった。ついでに言えば、葉月はおっとりして優しい性格と愛らしさが受け、弥生はその気風の良さと知的な美人という事もあって、彼女達を知ったチームメイトのアイドル的存在にもなっていた。ただし葉月に関しては土井垣の視線が怖いので隠れアイドルなのだが(笑)。そんなこんなで、今年もチームメイトへの激励と挨拶の意味も込めてケーキを焼いたのだが、今年は少し風向きが違っていた。今年は毎年絶対に個人的にはチョコなどの贈り物を土井垣には贈らなかった葉月が土井垣の説得もあって個人でもプレゼントを贈ると言い、フリーの弥生も誰かは秘密にしているが、本命を贈る気配があるのだ。無事に焼き上がって安心し、伸びをしながら葉月はふとその事を思い出して、弥生に問い掛ける。
「そういえばさヒナ」
「何?」
「こないだの話からすると、ヒナも今年は…本命贈るんでしょ?」
「え?…うん、まあね…」
「やっぱ気になるんだよね~誰?あたしの知ってる人?」
「ん~…内緒」
「ずる~いヒナ。こら、教えろ」
 悪戯っぽい口調で、それでも何とか聞き出そうとする葉月をかわしながら、弥生も悪戯っぽい口調で言葉を返す。
「だ~め。ちゃんと一番に紹介してあげるから、もうちょっと秘密にさせといて。…それよりはーちゃん、土井垣さんへのプレゼント買いに行くんでしょ?早くしないと、欲しい物なくなっちゃうかもよ」
「…」
 弥生の言葉に葉月は赤面して沈黙する。弥生は優しく微笑むと、更に言葉を重ねる。
「片付けとカードとかのラッピングはあたしが後やっとくから行っていいよ。住所は皆が教えてくれたから大丈夫だし」
「いいかな。じゃあ一番おいしいとこだけやって悪いけど、後お願い」
 弥生は葉月の申し訳なさそうな表情を宥める様に、にっこり笑って送り出す。
「いいからいいから。…さ、はーちゃん、ファイトだ!あたしも頑張るからね」
「ん、ヒナも頑張って」
 そう言うと葉月は荷物を持って弥生のマンションを出て行った。葉月が出て行った後、弥生はふっと溜息をつき、呟く様に言葉を零す。
「とは言ったものの…何だか気恥ずかしいんだよね…」

 弥生は『彼』の事を思い出して赤面する。『彼』とは初めて会った時からすぐ意気投合し、何の警戒もなく、すぐに携帯の番号とメアドを交換していた。その後『彼』からは結構な回数誘いの電話が入って何度か応じ、そうしていく中で『彼』に少しづつ惹かれて行くのを感じていた。今まで何人か好きになった男性もいるし、付き合う寸前まで行った事もある。でも、大抵はその相手から彼女の気風のいい性格を『がさつだ』と言われてそこで止まってしまい、友達で終わる事ばかりだった。でも『彼』は違った。あれは三回目位の誘われて飲みに行った時。弥生が彼を試すために、わざと中年男性が好みそうな飲み屋を選んで(とはいえ弥生もそこは心からお気に入りの場所なのだが)『彼』を連れて行った時の事である。

「へぇ~ヒナさんって、こういうお店が好きなんだ」
「そうよ。幻滅した?」
「いいや、気に入ったね。おしゃれなバーとかで気取って飲むより、こういうリラックスして楽しくしゃべりながら飲めそうな場所の方が、俺は好きだな」
「お上手よね。さすがプロ野球選手、女の扱い手馴れてるじゃない」
「お上手で言ってるんじゃないよ、本心さ。だってさ、本音隠して気取ってるより、いろんな事本音でしゃべる方がいいじゃん。それに俺はヒナさんの事、仕事も、夢もちゃんと知りたいんだぜ?」


 その言葉通り『彼』は本当に、彼女の事を積極的に知ろうとしてくれた。彼女の趣味や、仕事に対する情熱、将来の夢の事――。そして『彼』はそれを何の抵抗もなく受け入れ、無理はしない様にとは言っても、根本的なところでは応援してくれた。『彼』の友人を含めて、大抵の男性は彼女の仕事や夢を話すと『女の人なんだから、そんなに肩肘張って生きなくてもいいんじゃない』と言って本気で取り合ってくれなかったのに、彼はそんな彼女を自然に受け止めてくれた。こんな風に自分を自然に受け入れてくれた初めての男性。そうして会って話していく度に、彼女の方も彼の明るく一見軽そうに見えるが一本筋の通った性格と、人をその本人が気付かない位さりげなく思いやれる性格に気付き、いつの間にか恋におちていた。そして自分でもこんなに人が好きになれるとは思っていなくて、その事に戸惑いを感じていた。そんな想いが募った今回のバレンタイン。彼女は想いを伝えたいと思いながらも、結局は前と同じ様に、友人で終わってしまうかもしれない不安も感じ、初めて好きな男の子にチョコを贈った時の様な躊躇を感じていた。
「結局はあたしもはーちゃんの事は言えないって事よね…」
 彼女は溜息をつきながら一旦器具を洗った後、コーヒーを飲んで一息入れ、改めて『彼』に対するプレゼントを作り始める。想いが届くかは分からない。でも精一杯の事はしてみよう――

「朝霞先生、お疲れ様です」
「お疲れ様です。じゃあお先に失礼します」
 そして2月14日、弥生は夜診も当直もないので真っ直ぐ家に帰る。皆にも『彼』にも、多分今頃プレゼントは届いているだろう。多分皆の分は誰かがすぐに見付けるだろうが、『彼』のプレゼントはおそらく他のプレゼントに紛れて多分気付かれないだろう。でももし気付いてくれたなら――そんな思いを抱えながら夕食を作り食べ、暇つぶしにDVDを見ていると、不意に携帯が鳴った。もしかして、でも――相反する感情を抱えて彼女が『はい』と出ると、電話口から聞こえて来た声は――
『ヒナさん。俺…三太郎』
「微笑君…」
 弥生は言葉に詰まる。言葉に詰まっている彼女に、三太郎はいつもの饒舌な彼とは違い、言葉に詰まりながら話していく。
『良かった。今日は夜の仕事なかったんだ』
「…ええ、今日は昼番だから」
『で…さ、その、ケーキもそうだけど、チョコマフィンありがとう。すごくうまかったよ』
「あ…うん…でも、マフィンに良く気付いたわね。送るって一言も言わなかったのに」
『ああ、俺ももう一歩で他のプレゼントといっしょくたにするとこだったんだけどさ…でも』
「でも?」
『こんな事言うと、キザだって思われるかも…だけどさ。…沢山のプレゼントの中でヒナさんの包みだけ…その、呼んでるみたいに光って見えたんだ。…ホントだぜ』
「…」
 弥生は言葉を失う。彼はプレゼントに精一杯込めた、自分の想いに気付いてくれた。その事が嬉しくて、いつの間にか涙が零れていた。言葉を失っている彼女に三太郎は更に照れ臭そうに、しかし真摯な口調で言葉を掛けていく。
『で、その…さ、カードに『もし14日に気付いたら連絡下さい』ってあっただろ?って事は…俺に何か伝えたい事があるって思い上がっても…いいのかな』
 三太郎の言葉に、弥生は決心を固めてゆっくりと、しかしはっきり自分の想いを告げる。
「…ええ、そう…あたし…微笑君が好きなの」
『ちょっと待ったヒナさん、もしかして泣いてるのか?』
 弥生の口調に三太郎は彼女の状態を感じたのか、心配そうに言葉を紡ぐ。弥生は涙ぐみながらも取り成す様に言葉を返した。
「ごめんなさい…本当に気付いてくれるって思ってなかったから…嬉しくって…」
 涙ぐみながら言葉を紡ぐ弥生を三太郎は宥める様に、しかし真摯な口調で言葉を紡ぐ。
『そりゃそうだろ。俺だって…精一杯ヒナさんに気持ちを伝えてたつもりだぜ。同じ気持ちだったんだから…気付かない訳ないじゃん…やっぱりヒナさん、俺を呼んでくれてたんだな』
「ええ…そう。微笑君、気付いてくれてありがとう」
『俺こそ…ありがとう。でも俺、皆に恨まれそうだな』
「そうね。『アイドル』が不祥事を起こしちゃったんだものね」
 やっと気を取り直して弥生が悪戯っぽい口調で言葉を紡ぐと、三太郎もそれに返す様に悪戯っぽく、しかし真摯な心は伝わる口調で言葉を紡ぐ。
『…その代わり、これからは宮田さんが土井垣さん専属のアイドルなのと同じ様に、ヒナ…弥生さん…も、俺専属のアイドルになってくれるんだよな』
「…ええ」
『俺、残りのキャンプの日程も頑張るよ。だから、弥生さんも仕事、無理しない程度に頑張れよ。で、帰ったら会おうぜ』
「…ええ、そうね。あたしも頑張るから…微笑君も無理しない程度に頑張って」
『ああ。じゃあ…おやすみ、本当にありがとう』
「あたしこそ…ありがとう。おやすみなさい…『三太郎君』」
 弥生は電話を切ると、幸せな気持ちで胸が一杯になる。彼に想いが届いただけでなく、彼も同じ想いでいてくれた。まずはそこがスタートライン。そうしてこれからあるだろうたくさんの出来事で、二人の想いを育てていこう――弥生はそんな気持ちを抱きながらも、幸せを胸一杯に感じながら眠りに就いていった。