「何?クリスマスに仕事が入っただと!?」
 12月半ばの土井垣のマンション。彼は少し不機嫌さを含んだ口調で、恋人に問い掛ける。恋人である葉月は、その言葉に申し訳なさそうにおずおずと言葉を紡ぐ。
「うん…急に24日から26日まで、宿泊で健診が入っちゃって…婦人科があるから、女性スタッフがどうしてもリーダーにならなくちゃいけないの…」
「だったら、お前じゃなくても上野さんや他の保健師がいるだろうが。そっちに任せたっていいだろうに。丈夫じゃない上、ただでさえ最近疲れ気味のお前に連泊の仕事を任せるなんて、上はどうかしているぞ」
「うん…でも、上野さんはお子さんのクリスマス会があるからどうしても出られないし、他の保健師の皆も色々用があるみたいで…そうじゃなくても、巡回のパートさん達はあたしと上野さん以外の保健師の皆を『外の事も知らないで保健師様ってお高くとまってる』って嫌がるのよ。それ弦さん知ってるから、一番何事もなく済む様に苦渋の選択だったみたいなの…頼み込まれちゃったら断れなくて…それに、下手に他の保健師さん出してホントにスタッフ同士でトラブル起こしちゃったら、一番ご迷惑かけるのは受診者様だもの…ごめんなさい…」
「…23日は例年通り白杖合唱団との合同うたごえ喫茶だろう?」
「うん…でも、24日は日曜だけど午後からの健診だから通常時間で出勤できるし、26日に帰って来たら27日は年末休暇前だけど、代休含めて連泊後の体力回復のためって言って一日休みは確保したから、それで許して…ね?」
「…」
 申し訳なさそうに宥める様な口調で言葉を紡ぐ葉月の気持ちは分かっているが、土井垣は不機嫌な心持ちがどうしても振り払えなかった。プロ野球選手であり、監督でもある彼にとって、冬のオフは貴重な彼女とゆっくり過ごせる時間。特にお互い7月が誕生日である事もあり、クリスマスは二人で甘やかな時間を過ごせる唯一のイベントなのだ。それを仕事なのだから仕方がないとはいえ、妨害されて土井垣は腹立たしくなる。上野の子供のクリスマス会という理由は仕方がないとしても、どうせ他の保健師の用は自分達と同じ様な理由だろう。それを考えるとどうして自分達ばかり我慢をしなければならないんだ、という気持ちが振り払えない。その心のままの表情を見せている土井垣を見て、葉月は哀しげにほろほろと涙を零した。
「ごめんなさい、断れなくて…あたしだって将さんとクリスマス一緒に過ごしたかった。…でも…こればっかりは仕方がなかったの…本当にごめんなさい…」
 ほろほろと涙を零す葉月に気付き、土井垣ははっとして宥める様にゆったりと抱き締める。
「すまん…お前は責任感の強い性格だからな。…悔しいが…我慢する」
「将さん…」
「その代わり…前後はずっと一緒だぞ」
「…ん…」
 涙を零しながら頷く葉月の涙を拭い、土井垣は彼女の額に軽くキスをした。

 そして23日、合同うたごえ喫茶には土井垣も一緒に参加する。軽食やアルコールも含めた飲み物を口にしながら時折合わせて歌いつつ、陽気に歌い、時に踊る面々と葉月を見ながら、これはこれで楽しいとは思うのだが、やはり二人で過ごしたい、という気持ちは拭えない。とりあえず夕刻でこのうたごえ喫茶は終わるので、その後の打ち上げは辞して、二人で過ごす時間を少しでも多く作ろうと彼は考え、それを実行した。彼女は少し名残惜しそうだったが、それでも彼と過ごす時間が増えるのが嬉しいのか、幸せそうに彼に寄り添って彼を自分のマンションへ招き、夜を共に過ごした。とはいえ夕食後、着替えなどをバッグに詰め、出張の準備をしている彼女はどこか寂しそうで、彼も胸が締め付けられる感覚が襲ってくる。いつもと同じ二人きりの甘やかな時間のはずなのに、今夜はどこか胸苦しく、切ない時間だとお互い感じていた。一番甘やかに過ごしたい時間を過ごせない、それどころかその時間が後朝になるからなのだとお互いに分かっている。しかし覆せない現実は、受け入れるしかない。二人はそんな切なさを抱えて夜を過ごし、朝食後彼は彼女を見送りながら、彼女の部屋を辞した――

「…で、俺達を呼んだって訳ですか」
 その日の夜、土井垣が用意した料理を味わいながら、三太郎が呆れた様に口を開く。土井垣は自分のマンションに帰った後、やけっぱちに料理を作り、チームメイト達を呼び出したのである。呼び出されて応じた何人かのチームメイトと、三太郎から連絡が入りやはりやって来た弥生と実家に戻っていた不知火は、土井垣の作った料理を堪能しながらも、不機嫌な表情で酒を飲んでいる土井垣に呼び出された理由とその表情が表す心情を知ると、口々に呆れた口調で土井垣にとどめを刺していく。
「俺達を宮田さんの代わりにしないで下さいよ」
「いくら一人でクリスマス過ごすのが辛いからって、俺達を呼び出して、楽しいですか?」
「…うるさい、だったら乗っているお前らは何なんだ」
「そりゃ、宮田さんと過ごせないで落ち込んでる土井垣さんを少しでも励まそうと思って来たに決まってるじゃないですか~」
「それに朝霞さんまで何でいる」
「いえ~私は微笑君に話を聞いて、丁度当直明けで何か作るの面倒だったし、ご馳走あるなら食べに来ようかな~って思って。一応秘蔵のシャンパンとケーキを焼いて持ってきましたから、物々交換って事でいいですよね」
 本当は皆土井垣の落胆振りを見て楽しもうという気持ちも多少あり来ているのだが、さすがにそれは表には出さない。不機嫌そうな土井垣をそれとは気付かない様に楽しげに見物しながらも、面々はそれなりには心配もしているので、何とか場を盛り上げようと言葉をどんどん紡いでいく。
「そういえば、山田君と里中君は?」
「あいつらは家族ぐるみ…ってか巻き込んで二人でクリスマスパーティやってますよ。毎年俺らの事はガン無視」
「岩鬼もいないな」
「あいつは、何か用があるって乗ってこなかったな」
「殿馬もそういやいないや」
「あいつはマドンナにでも捕まっているんだろう」
「そうだな…義経は?」
「あいつは修行でとっくに道場に帰ってる。今頃荒行で山ん中だろ」
「ほら、監督。山田達はともかく、この通り世の中には義経みたいにクリスマス関係ない人間もいるんですから、元気出して下さいよ」
「俺達だって彼女いなくてこうして監督のご厚意に甘えさせてもらってるんですから」
「それでも気が晴れない様だったら、ここにいる元旦那に当たって鬱憤を晴らして下さい」
「ちょっと待て!俺が呼ばれたのは生贄にされるためか!?」
「当たり前だろ。でなきゃヒナさんとお前を会わせる様な真似、俺達がするかよ」
「不幸はお前が一手に引き受けろよ」
「ついでに言えば、ヒナさんはスターズのアイドルだ。敵チームのお前は手を出すなよ」
「~っ!」
 面々の言葉に絶句する不知火を宥める様に、弥生がケーキを差し出した。
「まあまあ不知火君…でしたね。皆さんの冗談はともかく、土井垣さんを慰めるために一肌脱いで下さい。とりあえずはお近づきの印にこれどうぞ。私が焼いて来たケーキです」
「え?ああ…朝霞さん…だったか。ありがとう」
 不知火は弥生が差し出したケーキを受け取り一口口にすると、感嘆の声を上げる。
「うまい…」
「本当?ありがとう」
「ああ、いや…」
「あ~!ずるいぞ不知火お前ばっかり!」
「ヒナさん、俺にも下さいよ~」
「はいはい、皆さんもどうぞ…土井垣さんも食べて下さい。甘い物を食べると少しは気持ちが落ち着きますよ」
「…」
 弥生はケーキを切り分け、メンバーと土井垣に渡す。土井垣はそれを受け取り口にした。確かにうまいと思うが、このケーキと一緒に葉月の紅茶があったらどれだけ幸せになれるだろうと思うと、また胸が苦しくなってくる。と、メンバーの一人が残念そうに口を開いた。
「あ~あ、こんなにおいしいケーキだもんな。ここに宮田さんのおいしいお茶もあったらきっともっと楽しかっただろうな」
「!」
 自分の考えていた事を口に出され、土井垣は胸苦しさが強くなり、更に顔が厳しくなる。それに気付いたメンバーは『しまった!』という顔を見せて、申し訳なさそうに口を開いた。
「…すいません、監督」
「…いや」
 メンバーを意気消沈させてしまった事に後悔しながらも、土井垣は彼女がいない寂しさと胸苦しさが耐えられなくなり、更に厳しい顔つきになった。その様子をずっと見ていた弥生は、その重い雰囲気を吹き飛ばすかの様に呆れた口調で土井垣に声を掛ける。
「…土井垣さん、そんな顔する位だったら、どうしてはーちゃんを無理矢理にでも引き止めなかったんですか?」
「それは…そうしたかったが…葉月も断り切れなかったと聞いたら、送り出すしかないだろう」
「…まあ、はーちゃんは責任感が強い分、損な役回りが多い子だから、仕方ないといえばそうなんでしょうけど…そこを何とかするのが土井垣さんの手腕でしょう?それが出来なかったんですから、うじうじ落ち込んでる暇あったら、帰って来た時にどうするかでも考えたらいいじゃないですか。結構土井垣さんて女々しかったんですね」
「う…」
 弥生のもっともな突っ込みに土井垣は言葉を失う。言葉を失ってむっつりと黙り込む土井垣を弥生は更に呆れた様に見詰め、何かしばらく考え込む様な素振りを見せると、ふっと溜息をついた後口を開いた。
「…仕方がないですね。世話が焼ける二人に、私からクリスマスプレゼントお贈りしますよ」
「…え?」
「とりあえず一日待って下さい。明日連絡しますから。土井垣さんの連絡先教えてもらえますか?」
「…ああ」
 訳が分からないながらも土井垣は彼女に自分の携帯番号を教える。弥生は番号を携帯に記録して土井垣にも自分の番号を教えると意味ありげな表情で土井垣に微笑みかけた。その後は面々で一晩中騒いでクリスマスイブは終わった――