大晦日の不知火の家、瑛理は『年末に一人もつまらないだろうし、自分達も一緒に過ごしたい』という不知火と彼の父の勧めで年末から彼の家に滞在していた。夜に不知火の父の作った年越しそばを食べつつ、瑛理は二人の温かい心遣いに心から感謝の言葉を紡ぐ。
「ありがとうございます、守さん、守さんのお父さん。わたしまで一緒にこうさせてもらって」
「いいんだ。俺がこうしたかったんだから」
「私も、瑛理さんと過ごしたかったしね。受けてくれてありがとう」
「…はい」
 二人の言葉に、瑛理は更に心が温まってくる。何だか自分に叔父夫婦だけではない、もう一つの家族ができた様な嬉しさと、ほんの少しの気恥ずかしさ覚えながら、彼女は年越しそばを幸せと共に味わった。そうして何となくテレビをつけて見ているのがもったいない気がして、三人は瑛理のレースの事、不知火の野球の事などを取りとめもなく話し、話に花を咲かせる。そうしてあっという間に時が過ぎて行き、夜中に近くなった。それにいち早く気付いた不知火の父が気を利かせる様な、悪戯っぽい口調で二人に言葉を掛ける。
「…そうだ、守、瑛理さん。折角だから二人でそこの寺まで、除夜の鐘をつきに行って来たらどうだ?今年の最後の時間くらい、私は席を外すよ」
「…」
 彼の言葉に、不知火と瑛理は顔を赤らめて黙り込む。二人の様子を見た不知火の父は、悪戯っぽい笑みを見せたまま更に言葉を掛けた。
「行って来るといい。守、シャレじゃないが瑛理さんをしっかり守る様にな」
「…ああ」
「…お言葉に甘えて…行って来ます」
「じゃあ、行って来なさい。私は先に寝ているかもしれないから、帰ってきたら瑛理さんは客間に布団を敷いておくからそこで寝なさい」
「はい、ありがとうございます」
 そうして二人は不知火の父に見送られて、除夜の鐘をつきに近所の寺まで足を伸ばす。寺の鐘楼にはもう大分人が並んでいて、つく順番を待っていた。瑛理は不知火に問い掛ける。
「守さん、確か除夜の鐘ってつく数108回ですよね。もし108人以上集まっちゃったらつけないんですか?」
 瑛理の素朴な問いに、不知火は微笑ましそうに笑って答える。
「いや、つく人間が決まっている様な厳しい寺ならそうかもしれんが、こういう普通の寺は108以上になってもつく人間がいる限りつかせてくれるんだよ。だから心配しなくていい」
「そうなんですか~お寺の人って親切なんですね」
「親切…と言うよりある種の必然だな。普通の人間が寺の鐘をつけるなんていう事はこんな時しかないから、皆つきたがって集まっているのに、途中で打ち切ったら不満が残るだろうし」
「そうですね」
 そう言っている内に寺の住職らしき人間の挨拶があり、最初についた後、並んでいた人間が鐘をつき始める。つかれていく鐘の響きに瑛理は心がどこか改められていく感覚と共に、こうして不知火と共に年を越しているんだという実感が湧いてきて幸せで暖かい気持ちが更に強くなる。そんな気持ちで彼女が不知火に寄り添うと、彼も彼女の気持ちを読み取ったのか彼女を引き寄せた。そうしている内に二人に順番が回ってきて、初めて除夜の鐘をつく瑛理のために不知火、瑛理の順番で鐘をついた。瑛理は彼のつき方と同じ様にまず合掌をして鐘をつき、一礼して鐘楼から降りる。初めてついた除夜の鐘は周囲に響き渡り、彼女はびっくりしながらも何だか楽しくて胸が弾んだ。その気持ちのままに彼女は彼に声を掛ける。
「何だかすごくドキドキしました~。いいですね、こうやって鐘をつくって」
「そうか?瑛理が楽しいなら良かった」
 そう言って不知火はまた瑛理を引き寄せる。そうして二人で時折不知火に声を掛けてくる近所の人達に挨拶をしながら、少し体が冷えたのでたき火で暖まりながら寺で振舞っていた甘酒をもらい飲んでいると、不意に不知火の携帯が鳴る。不知火は年が変わった時間とはいえ誰だろうと電話に出ると、驚いた声をあげた。
「…土井垣さんですか?…ああ、どうも。あけましておめでとうございます。でも何でまたいきなり電話なんて…そうですか。じゃあ代わって下さい…あけましておめでとう、宮田さん」
「え?葉月さん?」
 不知火の口から出た嬉しい名前に瑛理は反応する。不知火はそれには気付かず、更に言葉を紡いでいく。
「何でまた年始一番の電話を俺にしたんだ?…大当たり。勘がいいな、宮田さん。もしだったら代わるか?…ああ、じゃあそうするよ。…瑛理、宮田さんが年始の挨拶をしたいから代わって欲しいそうだ」
「ホントですか?代わります!」
 瑛理は胸を弾ませながら不知火から携帯を受け取る。『もしもし』と声を掛けると、やはり除夜の鐘らしき鐘の音を背後にメゾソプラノの特徴的な声が聞こえてきた。
『瑛理さん、あけましておめでとう。何だか今年一番最初に挨拶がしたくって、聞いてた瑛理さんの番号に掛けても繋がらなかったから、駄目元で土井垣さんに不知火さんに掛けてもらったら…ビンゴでしたね』
 そう悪戯っぽい口調で話す葉月に、瑛理はふと自分の携帯に電源を入れていなかった事に気付いて、ばつが悪くなる。かと言って電源を入れていても『不携帯』なのだが…ばつがわるくなって、瑛理は思わず謝罪の言葉を紡ぐ。
「…すいません、電源入れてなくって」
 ばつが悪そうな瑛理の言葉に、葉月は宥める様に言葉を返す。
『いいのよ。今だと電波が飛び交って、電源入れてても入れてなくてもかかる確率は五分五分だし。多分古い私の携帯だとどっちにしろかからなかったと思うわ。一番のお手柄は不知火さんと土井垣さんの携帯よ』
「…ありがとうございます」
 葉月の心遣いに瑛理は少し心が温かくなる。そしてこうした暖かい彼女の声を聞いていたら、ずっと彼女に会っていない事を思い出し、何となく会いたくなって、瑛理はその思いがふと零れ落ちた。
「…葉月さんに会いたいな…会えませんか?」
『え…?』
 電話口の葉月は一瞬驚いた様子を見せる。そうしてしばらく電話口の土井垣と葉月が話す様な声がした後、葉月はゆっくりと言葉を紡ぐ。
『…本当に悪いんだけど、私の方は用事があって出向けないの。だから、瑛理さんの方から来てもらえれば会えるけど…いいかしら』
 葉月の言葉に、瑛理は自分に対する気遣いと、希望を何とか聞き届けようとする姿勢を感じ取って嬉しくなる。瑛理はその言葉に二つ返事で言葉を返していた。
「はい、守さんと一緒に行きます!だから会いましょう?」
「ええ?おい、瑛理…」
『ごめんなさいね、我侭言っちゃって…でも私も瑛理さんや不知火さんと会えるなら嬉しいわ。じゃあそういう事で…で、もう二つくらい悪いんだけど、瑛理さん達を連れて行きたい所があるから、一つは…まあ不知火さんが一緒なら大丈夫だと思うけど…バイクは申し訳ないけど今回は遠慮して。もう一つは、早いけど朝の9時位に小田原駅に来てもらえないかしら。大丈夫?』
「分かりました。大丈夫です、頑張って行きます!」
「お…おい、瑛理、勝手に話を進めて…」
 おたおたする不知火を尻目に、瑛理は話を進めて行った。そうしてまた楽しげにしばらく話した後、瑛理が不知火に携帯を手渡す。
「守さん、葉月さんがお話したいそうです。はい」
 不知火は携帯を受け取ると話し始める。
「いいのか?瑛理の我侭を聞いても…そうか、ならいいが…う…俺は…いい。じゃあ明日9時だな……分かった。じゃあ」
 不知火は電話を切って溜息をつくと、瑛理に少しお説教をする様な口調で言葉を掛ける。
「瑛理、宮田さんも自分の予定があるんだ。あんまり我侭言って困らせるな」
「でも、どうしても会いたかったんですもの。それに、葉月さんも守さんに会いたがってましたよ」
「…」
 瑛理の無邪気な言葉に、不知火は少し苦い顔を見せて呟く。
「…本当なら、瑛理と二人で正月は過ごしたかったんだがなぁ…多分、土井垣さんだって同じ気持ちだろうし」
「守さん…」
 不知火の想いを感じ取り、瑛理は鼓動が早くなり顔を赤らめながらも、取り成す様な口調で口を開く。
「それも…嬉しいですけど、きっと皆でお正月を過ごしたら、それも楽しいですよ。それに葉月さんと会うのは明日一日だけですから…その…その後はお父さんがいますけど…二人ですし」
「…そうだな」
 瑛理の言葉に、不知火も顔を赤らめる。そうして二人で寄り添いあって家に戻り、眠りに就いた――