翌朝、二人は少し早起きをして不知火の父のために雑煮を作り、三人で食べた後不知火の父に予定を話して家を出る。不知火の父は『少し寂しいが…まあ、二人で過ごしなさい』と送り出してくれた。二人は電車に乗って小田原駅に行き、改札を通ると先に葉月と土井垣が待っていてくれた。久し振りに会う嬉しい顔に、瑛理は思わず飛びつく。
「本当に葉月さんだ~!あけましておめでとうございます~」
「こ…こら、瑛理、あんまりくっつくな!土井垣さんがいるだろう!」
 慌てる不知火とは裏腹に、土井垣は微笑ましげに二人を見詰め、葉月も楽しそうに声を掛ける。
「あけましておめでとう、瑛理さん。久し振りに会えて嬉しいわ」
「あけましておめでとう、瑛理ちゃん。守もおめでとう」
「あ…ああ、土井垣さん、おめでとうございます。宮田さんもおめでとう」
「はい、おめでとうございます」
 そうやって四人で挨拶をした後、不意に瑛理が問い掛ける。
「そういえば葉月さん、『連れて行きたい所』って一体どこですか?」
「それに『動きやすくてあったかい格好をして来い』って言ってたのは何でだ?」
 二人の問いに、葉月は悪戯っぽくウィンクすると、そのままの口調で答える。
「それは…これから分かりますよ。さて、お二人には悪いんですけど、もう少し電車に乗ってもらいますね。こっちへどうぞ」
 そう言うと葉月と土井垣は二人を駅の隅の小さなホームに案内して、切符を買うと二人に渡してローカル線らしい車両の少ない電車に乗せる。
「今日は晴れてるから…こっち側に座って下さい」
 そう言うと葉月は駅側のシートに二人を座らせ、自分も土井垣と一緒に座る。やがて電車はかなり緩やかなスピードで走り出した。この電車は地元ローカルなのかかなり一駅の距離が短く、細かに止まって客を乗せていく。そうして10分程乗っていると、不意に葉月が二人に声を掛けた。
「…あ、ここだわ。瑛理さん、不知火さん、ちょっと後ろ向いてみて下さい」
「え?…わぁ~、綺麗ですね~」
「へぇ…こんないい景色が見られるのか」
「いいだろう、俺も初めて葉月にこの景色を見せてもらった時は驚いたんだ」
 感嘆する二人に土井垣も満足そうに声を掛ける。そこには田畑と住宅街の向こうに雪を被った富士山が青空の中大きく見えていたのだ。電車のスピードが遅いおかげでゆっくりとその景色を鑑賞できて二人は楽しくなる。更に15分程乗ると終点に辿り着き、四人は電車を降りた。電車を降りた所で葉月が口を開く。
「じゃあ、この後山登りますんで、今のうちにお手洗い行ったり、あったかいお茶とか買っておいた方がいいですよ」
「え?…山登りって?」
「宮田さん…俺達をどこへ連れて行く気だ?」
 訳が分からなくなり問い掛ける二人に、土井垣が説明する。
「いや、この山の上には寺があってな。丁度初詣に行くつもりだったから、二人も連れて行こうと言っていたんだ。本当はそこからバスも出ているんだが、葉月はバス酔いするのと、体力作りにいつも歩いて寺まで行くんだよ。山とは言ってもちゃんとハイキングできる位の道はできているし、そんなに険しくないから二人なら大丈夫だろう…問題はお前だ、葉月。今日の体調は大丈夫だな」
「うん、大丈夫。でも、皆のスピードにあたしついてけないと思うから、ゆっくり歩いてね」
「ああ…と、言う訳だ。頼むな、二人とも」
「はい…」
 土井垣の言葉に二人は何となく言葉が出なくなる。新年早々初詣とはいえ、ハイキングがてらのデートをするこの二人は一体何者なんだろう…そんな気持ちで途中の水分補給のためのお茶を買い、葉月の案内で四人は坂を上り始める。住宅街に沿った坂道を道路が狭いため車に気をつけ歩きながら、四人は取りとめもなく話す。少し坂が急なので、話しながらだと葉月は息が切れそうになるが、話している方が楽しいのか率先して話していた。やがて住宅街を抜けると道路だけではなく、綺麗に舗装された歩道と、両端に立派な杉の森が現れる。杉に覆われた山は空気が澄み、どこか神聖な雰囲気すら感じられた。瑛理はすっと背筋が伸びる様な気がして、その思いを口に出す。
「何だか…気持ちが改まりますね。どこか神秘的って言うか…」
 瑛理の言葉に、葉月がにっこりと笑って答える。
「でしょう?私もこの雰囲気が大好きで歩くのよ。ここは修験道を引いてるらしくて、山自体が全部お寺みたいなものなの。この杉の木も『千年杉』って言われてるご神木で、雷とか嵐で折れた木も昔は提灯の底と蓋になって、旅の人のお守りになってたの。その提灯…小田原提灯は昔の旅人の必需品だった位有名で、小田原の人はそれが誇りで、地元のアマチュア劇団の人達も題材にしましたし」
「そうなんですか、良く知ってますね~葉月さん」
 感心する瑛理に、葉月は照れ臭そうに笑ってネタ晴らしをする。
「私も、この知識はそのお芝居を観て覚えたんですけどね」
「そうなんですか~それにしても葉月さん、合唱だけじゃなくってお芝居も観るんですね」
「ううん、お芝居を観るのはそこだけ。小田原っ子はここの劇団の芝居を観るのが粋だし、私は友人が偶然劇団に入ってるからそれもあって観てるだけなのよ」
「俺もその話は初耳だな。演劇関連という事は…朝霞さんか?それとも他の友人か?」
 土井垣の問いに、葉月は説明する様に答える。
「演研の親友だけど、ヒナじゃないわ。お姫…じゃない、神保若菜っていう子でね、大学通いながら役者目指してたけど、どうもプロは自分には無理って思ったらしくて、今は市役所の職員しながら趣味で芝居してるの。とはいえここの劇団アマチュアなのにそこからプロ出す位レベル高いから、そこで見劣りしないって事は、かなり彼女もうまい部類に入るんだけどね」
「ほう…どうしてそんな楽しそうなものに俺を連れて行かないんだ」
 永年付き合ってきたはずなのに初めて聞いた話に、土井垣は不満そうに口を開く。葉月はそれを宥める様に続ける。
「だって、ここの劇団の公演って毎回日本シリーズとか秋季キャンプと重なってるんですもの。連れて行きたくても連れてけないの…その内彼女に頼んで公演のDVDいくつか借りてきてあげるから、それで許して…ね?」
「…」
 宥める葉月に土井垣はむっとした表情を見せながらも、それとなく彼女を引き寄せる。その雰囲気に当てられて、不知火と瑛理は何となく気恥ずかしくなりながらも、自分達も寄り添って歩く。そうして杉に囲まれた景色を楽しみ、爽やかな空気を吸い込みながら四人は山道を歩いた。坂道は切り開いたのか緩やかにされているし、歩いている歩道は柔らかなクッションの様な舗装がされていて、膝に負担がかからず歩きやすい。確かにこれなら葉月の体力でも歩けるだろう。そうやってのんびりと歩いているうちに、段々と土産物屋らしい建物が増えていき、出店も現れた。様々な出店は参拝客らしい人でごった返していたが、四人は葉月と土井垣の案内でそれをすり抜け、石段を登り、山門に辿り着く。山門を通り抜けると、広い境内が目の前に広がった。
「広いですね~」
「先もあるみたいだが…良く見えないな。かなり大きい寺なんだな」
 感嘆する二人に葉月がまたにっこりと笑って応える。
「さっき言った様にここは山全体使ってお寺になってますから。それに良く分からないですけど、何か日本一広いお寺だとかいう話もありますよ」
「そうなんですか~」
「たくさんお堂がありますから主だった所だけお参りしましょうか。案内しますね」
 そう言うと葉月は案内を始める。まず最初の大きなお堂に並び、参拝する。皆拍手を打たないので瑛理は不思議に思い葉月に問い掛ける。
「あの…手、叩かなくていいんですか?」
 瑛理の問いに、葉月は優しく笑うと噛み砕いて説明する。
「ここはお寺だから、逆に手を叩かないのよ。普通に拝むだけで大丈夫」
「そうなんですか…知りませんでした」
「普通は皆分からないわよ。お寺と神社の区別なんて。私は地元で巫女やってるから覚えただけ」
 葉月の言葉に、瑛理は知らないのは自分だけじゃないと分かって何となく安心する。そうして拝んで先に進むと鐘楼があり、「自由についてください」という札があるためか、多くの参拝客が鐘をついていた。瑛理はその柔らかな音に昨日の除夜の鐘の嬉しさを思い出して何となくつきたくなり、葉月に声を掛ける。
「葉月さん、あの鐘、ついてきちゃ駄目ですか?」
 瑛理の言葉に、葉月は微笑んで応える。
「やっぱり行きたくなったか…土井垣さんも最初に連れて来た時、つきたがったのよ」
「え?そうなんですか?」
「ええ」
「…」
 微笑んで言葉を紡ぐ葉月と裏腹に、土井垣はばつが悪いのか赤面しながらむっつりとした表情を見せている。葉月は微笑んだまま続けた。
「不知火さんと一緒に行って来るといいわ。…という訳で不知火さんもどうぞ。私達はお邪魔しない様に、ここで待ってますから」
「…」
 葉月の言葉に、不知火も赤面する。瑛理は赤面している不知火の腕を引いて声を掛ける。
「じゃあ守さん、一緒に行きましょう?」
「…ああ」
 二人は列に並び、順番を待つ。そうしてしばらくして順番が来た時、瑛理は不知火に声を掛ける。
「守さん、一緒につきましょう」
「え?」
「だって…折角こうやって二人で並んだんですから…」
「…そうだな」
 二人は一緒に綱を持ち、鐘をつく。大きいが、柔らかな音が境内に響き渡った。二人は何となく照れ臭くなり、顔を赤らめながら見合わせた後、鐘楼から降りてくる。降りてきた二人に葉月は声を掛ける。
「いい音出してましたね~」
「そうですか?」
「ええ。ウェディングベルみたいでしたよ」
「…」
 葉月の悪戯っぽい言葉に、二人は顔を赤らめて俯く。葉月はそれを微笑ましげに見詰めると、更に奥へと案内する。次の門をくぐると警備の人間がいて、参拝客が整列して並んでいた。二人が一緒に並ぼうとすると、葉月がそれを止める。
「大丈夫ですよ。ここに並ばなくても」
「いいんですか?」
「本当は怒られそうですけど…ちょっと裏技があるんです」
「裏技?」
「…まあ、葉月の体力だとあの階段はきついし、用もあるからかまわんさ」
「…?」
 葉月と土井垣の言葉に瑛理と不知火は訳が分からなくなる。訳が分からない様子を見せる二人を葉月は案内して行列の後ろを通り、破魔矢やお札が積み上げられているお堂の前で止まると、土井垣に声を掛ける。
「じゃあ、今年もお返ししますか」
「そうだな」
「一年間、護ってくださってありがとうございました」
 そう言うと二人は守り袋を取り出し、中から紙の包みを取り出すと、お堂に奉納する。そうしている間にもお堂の横からそうして奉納されたらしい品が取り出され、火にくべられていた。
「ええと…どういう事ですか?」
 二人の行動が分からず、瑛理は問い掛ける。瑛理の問い掛けに土井垣が説明する様に答える。
「ああ、ここは古いお札やお守りを奉納して、処分する所なんだ。お守りも一年経つと縁起が悪い品になるから、俺達は毎年ここで初詣がてら買ったお守りを奉納して、買い換えているんだよ。このお守りは中身だけ変えればいい物だし」
「そうなんですか、知らなかったです~」
「俺も知りませんでした。…お守りって長く持ってちゃいけないんですね」
「まあ、場合によるらしいがな。俺も葉月のおばあさんに話を聞くまでは知らなかったんだよ。でも良く考えれば毎年破魔矢やお札は買い換えているし、それと同じと考えれば納得いくな」
「そういえばそうですね」
 土井垣の言葉に二人も納得した様に頷いた。そうしてその後はそのお堂と、もう一つ小さなお堂の前を通って、緩やかな坂道の参道を通ると、階段の横から上のお堂に辿り着いた。
「『裏技』って…こういう事だったんですね」
「そういう事だ。ちゃんと参道を通っているから割り込みにはならないし、こっちなら体力がなくてもゆっくり上がれるしな」
 そう言うと土井垣はふっと笑って葉月の頭を撫でる。その暖かな雰囲気に瑛理は笑みが漏れた。上のお堂も下と同じ様に大きく華やかで、境内もかなり広い。また境内には巨大な鉄下駄と共に小さな鉄下駄が多く並べられていた。どうしてこんなものがあるのだろうと思い、瑛理はまた問い掛ける。
「何で、鉄下駄がこんなにあるんですか?」
 瑛理の問いに、葉月がにっこり笑って答える。
「ここは元々天狗様も祀ってるんですよ。それがまず一つの理由。もう一つは…下駄は二つ揃って始めて役に立つって事から、夫婦和合とか、縁結びの意味もあるの。そういう意味も込めてここには下駄が奉納されるんですよ」
「そうなんですか…」
 葉月の言葉に瑛理は思わず顔が赤くなる。不知火との縁結びを願ってみようか。そして不知火も同じ気持ちでいたらいい―そんな想いも込めて瑛理はお堂に参拝する。参拝した後、葉月と土井垣は新しいお守りを買ってお互いの守り袋に入れていた。瑛理も不知火に何か買おうと思い、三人に声をかけた後、札所の人垣に紛れ、品を覗いてみる。交通安全から学業成就まで様々な品が揃っていたが、瑛理の目にふと『身代わり守り』という守り袋が目に入る。自分の代わりに、不知火にこのお守りを持ってもらおう―そう思った瑛理はその守り袋を手にして買っていた。人垣から抜け出した瑛理に不知火は声を掛ける。
「何を買ったんだ?」
 不知火の問いに、瑛理は顔を赤らめながら買った守り袋を彼に差し出して口を開く。
「あの…守さんに…これを。身代わりお守りだそうです。私の身代わりにって思って…」
「…」
 瑛理の言葉に不知火は顔を赤らめて沈黙する。しばらくの沈黙の後、彼は守り袋を受け取ると、ぼそりと口を開く。
「…ありがとう」
「いえ…」
 二人の様子を、土井垣と葉月は微笑ましげに見詰めていた。暖かい空気が流れる中、ふと不知火が思いついた様に口を開く。
「そうだ、お返しに俺も瑛理に何かお守りをあげなくちゃな。レースをしている身でおかしいかもしれんが、交通安全のお守りでも買うか」
「…あ、ちょっと待って不知火さん」
 そう言って買いに行こうとした不知火を葉月がにっこり笑って引き止めると、少し離れた所へ行って、何やら耳打ちをする。彼女の耳打ちに彼はみるみる顔が赤くなっていき、くるりと踵を返し戻ってきて、ぼそりと口を開いた。
「…お守りよりいいものがあるそうだから、そっちにする」
「守さん?」
 不知火の言葉の意味が分からず、瑛理は不思議そうな表情を見せる。土井垣は意味が分かった様でにやりと笑い、葉月もにっこり笑うと口を開く。
「じゃあ、また裏道通って奥の院に行ってみますか」
 そう言うと葉月は土井垣と共に二人を促して緩やかな山道を登る。しばらく上ると、小さくて簡素なお堂が目に入って来た。どうやらここが奥の院らしい。四人は回りこんで奥の院に入って参拝した後、更に葉月と土井垣の案内で山道を下っていく。
「あれ?元来た道を帰るんじゃないんですか?」
 瑛理の問いに、葉月は悪戯っぽくウィンクして答える。
「こっちに、いいものがあるんですよ」
「いいもの…?」
 瑛理は分からないながらも不知火や土井垣と共に葉月に付いて行く。そうしてしばらく下った所に何やら多くの襷が吊るされたやはり簡素なお堂がある。葉月はそこで立ち止まると、にっこり笑って説明した。
「ここのお堂に願い事を書いた襷を奉納して、できるなら代わりに願いが叶った人の襷を持って帰って身に付けていると、願いが叶うって言われてるの。で、願いが叶ったらお礼参りでお借りした襷を返すのと一緒に自分もまた襷を奉納してっていう繰り返しで。私もここに願った事は大体叶いましたし、結構ご利益あるのよ」
「そうなんですか…っていう事は…」
「…そういう事だ」
 不知火は顔を赤らめてぼそりと呟くと、賽銭を払ってそこに置いてある赤い襷を一本手にすると、一緒に置いてあるマジックで願い事と自分の名前を書いて、奉納する。瑛理が奉納した襷を見ると、そこには『瑛理が元気で事故なくレースを勝ち進めるように』と書いてあった。瑛理は不知火の想いに胸が一杯になり、不知火の胸に顔を埋めると、やっとの事でぽそりと口を開く。
「…ありがとう、守さん」
「いや…」
 二人の暖かな雰囲気を、土井垣と葉月も幸せそうに寄り添いながら見詰めていた。四人はしばらくそうしていたが、やがて瑛理がふと問い掛ける。
「そういえば…土井垣さん達はここにお願い事しなくていいんですか?」
 瑛理の問いに、二人は微笑んで答える。
「俺はもう願い事をして、叶う事待ちだからな。二つも願い事はできんし」
「私は十分幸せで、今のところここにはお願いする事ないから」
「そうなんですか~」
「…」
 瑛理はにっこり笑って頷く。土井垣は微笑んで言葉を紡いだ葉月を先刻の不知火と同様赤面しながら見詰めていたが、やがて抱え込む様に引き寄せた。その雰囲気に、不知火と瑛理は気恥ずかしくなりながらも問い掛ける。
「もうお堂はなさそうですよね」
「後まだお参りする所はあるのか?」
 二人の問いに、葉月は土井垣に抱え込まれて照れながらも、優しく答える。
「あ…いえ。もうここでお参りする所はなくなりましたから、帰りましょう。下りも歩きでいいですか?」
「は~い」
「宮田さんが大丈夫ならいいが…」
「私は大丈夫。行きと同じ様にゆっくり帰ってくれればいいから…いいでしょ?将さん」
「顔色も悪くなさそうだし、大丈夫だろう。…とりあえずはゆっくりとな」
「うん」
 土井垣に抱え込まれたまま頭を撫でられて恥ずかしそうに葉月は頷くと、身体を離して先導して歩き出す。三人もそれにつられて歩き出した。帰りも色々と話しながら坂を下りると、上りとは違い、あっという間に下りられる。そうしてまた電車に乗り、景色を楽しみながら小田原駅へ帰って来ると、もう昼になっていた。