シーズンも終盤になった頃、義経は一通の手紙を受け取った。その送り主を見て、彼は嬉しさで胸が弾む。その手紙の『送り主』と彼はある縁から親しくなっていて、彼が携帯やパソコンを持っていないため、折に触れて手紙をやり取りする仲になっているのだ。そうした経緯でこの間遠征先から彼が葉書を出していたので、おそらくその返事を送って来てくれたのだろう。義経ははやる気持ちのままに部屋へ入り封を開けると、おとなしめだが読みやすい丁寧な文字で書かれた手紙と共に何かのパンフとチケットが入っていて、手紙を読むとこう書かれていた。

――義経光様
 こんにちは、この間も綺麗な絵葉書を送って下さってありがとうございました。試合も順調に勝っている様で嬉しいです。それで、いつも綺麗な絵葉書を送って下さるお礼にならないかもしれませんが、今回の私達の芝居の公演のチケットをお贈りしたいと思います。今回は例年より一週間早く公演があって、日本シリーズの日程にも当たらないので、意地悪にはならないかと思って贈らせてもらいました。もしこの時期お暇でしたら見に来て頂けたら嬉しいです。ではどうかお身体には充分気をつけて過ごして下さい。
神保若菜――


パンフを読んでみるとテーマも重厚で中々面白そうな芝居である。行ってはみたいがこの時期自分がどうなっているのかまだ分からない。オフならありがたいが、もしかすると日本シリーズのための練習が入っているかもしれない。でも彼女の芝居をする姿を観てみたい――義経は自分の心のジレンマに溜息をついた――

 そうしてクライマックスシリーズも一位で通過し、日本シリーズまで間があるので三日間鋭気を養うためにも休養のためにオフにする、と土井垣監督は選手達に告げた。それを聞いた義経は不意に若菜の渡してきたチケットの事を思い出し、胸が弾んでくる。確か公演はこの土日だった。彼女の芝居を観に行く事ができる――そう考えていると嬉しさがにじみ出ているのに目ざとく気付いたチームメイトが彼に口々に声を掛けてくる。
「どうしたんだよ義経、随分と機嫌いいじゃん」
「そんなに休養が嬉しいのか?」
「もしかして彼女とのデートの約束とかがあるとか」
「え?…ああ…いや…そうじゃない」
 彼女ではないが気になる女性に会える事は確かである。ある種の図星を指されて赤面しそうになりながらも、義経は平静を保った口調で応える。
「何だよ~怪しいな~」
「まあ、義経はそういう意味じゃないけどあんまり女に興味もないからな。彼女とかはないか」
「そうか、何か趣味でもやろうと思ってるのか?」
「ああ、まあ…そんな所だ」
「ふぅん…」
 義経の態度に、それでもチームメイトは怪訝そうな表情を見せていた。

「監督」
 帰ろうとしていた土井垣を義経は呼び止める。
「何だ?義経」
 振り返った土井垣に義経は頼もうとしていた事を口にした。
「すいませんが…宮田さんに連絡を取ってもらえませんか?」
「葉月に?…またどうして」
「ちょっと宮田さんに今すぐ相談に乗ってもらいたい事があって、でも俺は宮田さんの電話番号が分からないものですから…」
 土井垣は義経の表情に何かを読み取ったのか、にやりと笑って応える。
「いいぞ。しかし電話だとやり取りも面倒だろうから呼び出してやる」
「しかし、こんな遅くに…」
「いや、その代わり俺も同席する」
「監督…」
「何を企んでいるのか、俺も乗りたいからな」
「…」
 楽しそうに笑みを見せている土井垣に、義経は絶句する。それを見て土井垣は更に笑うと、葉月に連絡を取った。
「ああ、葉月か?…ああ、俺だ。今大丈夫か?…そうか。いや、実はな、義経が相談に乗ってもらいたい事があるそうなんだが、出てこれるか?…そうか。じゃあ俺達もドームだしお前も出やすいだろうから、地下鉄のS駅の改札でな」
 土井垣は電話を切ると、にやりと笑って口を開く。
「どうやら葉月には事情が分かっている様だな。即答で『行く』と言っていたぞ」
「…」
 義経は赤面したまま黙り込む。そんな義経を見て楽しそうに笑みを見せながら義経を連れてS駅へ向かう。改札では葉月が待っていて、にっこり笑って二人を出迎えた。
「お二人とも、お疲れ様。それから日本シリーズ出場おめでとうございます」
「ありがとう、葉月」
「ありがとう、宮田さん」
 葉月の素直な言葉は嬉しいので、二人とも素直に言葉を返す。そうして地上に出た後、三人は居酒屋に入ると、それぞれ飲み物を頼み運ばれてきた所で乾杯した後、ニコニコ笑いながらおもむろに葉月が問い掛ける。
「…で、義経さん。私に相談って何ですか?」
 事情が分かっていて明らかに口を割らせようとしている葉月の口調に頭を抱えながらも、問題は解決したいので、義経は赤面しながらも正直に『相談内容』を口にする。
「…いや、実はこれから三日間オフだから、神保さんの芝居の公演が観に行けると思ってな。行こうと思ったんだが…花束を持っていくとして、彼女はどんな花が好きなのか分からなくて、宮田さんに相談しようと思ったんだ」
「ほう…義経、もうオフの予定を決めていたのか。余裕だな」
「…」
 土井垣のからかう様な口調に義経は更に赤面して沈黙する。その様子を葉月は楽しげに見詰めていたが、やがて自分のノンアルコールカクテルを一口飲むと、さらりとその『回答』を返した。
「義経さんの気持ちは良く分かりました…でも、結論から言うとお姫の場合は『花より団子』なんですよ」
「『花より団子』…?つまりお菓子を差し入れる方が喜ぶという事か?」
 葉月の言葉の意味が分からず問い返す義経に、葉月は苦笑しながら更に答える。
「いいえ、一番喜ぶのは『現金』つまり『ご祝儀』なんですよ。お姫は優しいし、ご祝儀が嬉しいっていう理由は別に金の亡者って訳じゃないですから口には出しませんけどね」
「ほう…しかしまた何で…」
 義経の言葉に、葉月は説明する様に続ける。
「お姫のところはアマチュアでもかなり大規模な芝居をやりますからね。それだけ出て行くお金も大きいんです。色々市や団体から補助ももらってますけど、それだけじゃ足りなくて、ノルマがあるわけじゃないんですけど、チケットをかなり売らないと懐事情がかなり大変なんですよ。でもお姫のファンってお姫からチケット買わないで普通に券を売ってる所で買っちゃうし、お姫も私以上にチケット売り下手だからあんまり自分の手では売れないんです。だからご祝儀で観た感激を還元してあげればちゃんと劇団にお金が入って翌年もいい芝居作りができるんで、お姫も喜ぶって訳です」
「そうか…じゃあ宮田さんも?」
「はい、仕事についてからはヒナとそれぞれ包んで毎年」
「…そうか」
 義経は納得した様に頷く。それを聞いていた土井垣は不意に不機嫌な口調で葉月に声を掛けた。
「…葉月、じゃあお前が今度の土日は『用事がある』と言っていたのは、俺を放って芝居を観に行くつもりだったからか?」
 土井垣の不機嫌な様子に、葉月は宥める様に返す。
「だって、将さんこの時期予定分からないじゃない。だから毎年ヒナと行ってたんだもん…だから今年もヒナと行く予定だし…」
「…俺も行く」
「え?」
 急に低い声で言い出した土井垣の言葉に、葉月は驚く。しかし土井垣は低い声のまま続ける。
「俺だけ仲間外れというのが気に食わん。それにご祝儀が増えれば彼女も喜ぶだろう」
「…まあ、お姫にチケット取り置きしてもらえますし、当日売りでも値段は一緒だからいいですけどね。土井垣さんが一緒だとヒナが気を遣って可哀想だなぁ…ちょっと待って下さいね」
 そう言うと葉月は携帯を取り出し、誰かに連絡を取る。話の内容だとどうやら弥生らしい。
「ああ、ヒナ?今大丈夫?…そう…じゃあ詳しい経緯はメールするから直球で話すよ。あのね、今度の芝居なんだけど、土井垣さんが一緒に行きたいって言い出しちゃって…ああ、やっぱりそうだよね。ごめんね…え?じゃあヒナも誰か連れのあてがあるの?…ああ、微笑さんか。確かに面白がってくれそうだね。それに、皆で行ってあげればお姫も喜ぶね。…うん、そうしよっか。じゃあ土曜の4時に、小田原に集合って事で…うん。じゃあね、何もないといいね」
 葉月は電話を切ると、にっこり笑って言葉を紡ぐ。
「ツアー組む事にしましたよ。皆で行きましょう。とりあえず土曜でいいですか?」
「え?ああ…」
「じゃあ土曜日の午後4時に小田原駅の小田急の改札に集合ですよ」
 葉月の言葉で義経は不意にパンフに書いてあった時間を思い出し、問い掛ける。
「しかし、公演開始は午後6時だろう、早過ぎないか?」
 義経の言葉に、葉月は苦笑しながら応える。
「甘いですよ義経さん。あの劇団のすごさはそんなものじゃありません。行ったらきっとびっくりしますよ。全席自由だし、4時でも遅いくらいです」
「そうなのか?」
「葉月、どんな劇団なんだそこは…」
「神奈川随一の歴史を誇る、素敵な劇団ですよ」
 義経と土井垣の言葉に、葉月はにっこり笑って応えた。