そして義経は念のため宿泊できる様にホテルの予約をして、当日はまずホテルにチェックインした後、言われた時間より少し早めに駅の改札へと足を運ぶ。広々とした駅構内は場所を指定しないと確かに迷ってしまいそうだ。そうしていると、葉月と土井垣が改札から出てきて義経を見つけ、声を掛けてきた。
「義経さん、こんにちは。早かったですね」
「ああ、宮田さん、監督。どうも」
「じゃあ、あっちのJRの改札に移動しますか」
「え?」
「ヒナ達はあっちから来ますから。あっちで待っててあげないと」
「そうなのか」
 そうしてJR側の改札に移動した時、丁度弥生と三太郎がやって来た。二人は待っていた三人に声を掛ける。
「はーちゃん、おひさ。元気そうだね。しっかり休暇勝ち取ったんだ。明日最大手あるのに」
「もちろん、ここの芝居観ないと一年終わんないもん。無茶言ってでも休み取るわよ」
「義経~こんな予定があったんだな~?黙ってるなんて水臭いぜ」
「…」
 三太郎の不敵な笑顔(とはいえ一見いつもと変わらないが)に義経は沈黙する。そうしてしばらく話していたが、不意に葉月と弥生が口々に一同をせき立てた。
「…あ、しゃべってちゃまずかった。早く行かないと」
「そうだね。いい席取れなくなっちゃう」
「葉月、朝霞さんも、そんなに慌てなくても…」
「甘いって言ったじゃないですか。行けば分かりますよ。さあ、早く行きましょう」
 そう言うと5人は葉月と弥生の案内で市民会館へ向かう。「本当はお城とか街並の案内もしたいんですけどね」と二人は残念そうに言っていたが、それでも迫っている時間の事も考えているのか、かなり早足で歩いていた。そして10分程歩いただろうか。市民会館に着いて、男三人は二人の言葉の意味がようやく分かった。そこではもう開場を待つ観客がかなり並んで列を作り、整理の人間まで出ていたのだ。そして自分達が並んだ後もそれは続々と増えて行き、みるみる長蛇となっていく。その様子に男三人は目を見張り、葉月と弥生は慣れているのかのんびりと話している。
「今年も多いね~去年より多いんじゃない?」
「そうだね。でも列整理も大分手馴れてきてるし、晴れてるからいいよね。前に雨降った時なんか寒くてね~」
「そうそう、いつ開くか、いつ開くかって震えながら待ったもんね~今日はまだそんなに寒くもないし、いいよね」
 二人の会話に、三太郎が問い掛ける。
「ヒナさん、毎年ここ来てるの?」
「ええ、はーちゃんとまた会っておゆきがここに入ってるって聞いてからはずっと」
「そういえば…葉月はどうして彼女がここに入っていると知ったんだ?確かお前一年留年して皆と音信不通になっていたよな」
「そういえばそう言っていたな…ああそうか、宮田さんのお父さんからもしかして聞いたのか?確か神保さんは元部下だと言っていたものな」
「当たりです、義経さん。ちょっと事情は違うんですけどね。お姫は卒業してから一年、俳優の養成所に通ったんですけど、プロの周りを蹴落とすって言う雰囲気が生理的に合わなくてプロになるのを諦めたんです。で、大学入り直した時にこの劇団の事を思い出してここなら自分のしたい芝居ができるって入ったそうですよ。で、市でもパンフは取り扱うから父が気付いて教えてくれて、私も観に行く様になったって訳で」
「お前、そんな話を義経にはしていたのか?」
 不機嫌になる土井垣を宥める様に、葉月は彼に言葉を掛ける。
「だって、将さんには話す機会がなかったんですもの。むしろお姫との関わりは義経さんの方が多かったから気付いただけですって。…その内たくさん裏話は教えてあげますから」
「…分かった」
 とりあえず無愛想な表情のままながらも機嫌を直す土井垣を見ながら、三太郎は苦笑して言葉を紡ぐ。
「宮田さん、土井垣さんの機嫌取りも大変だな」
「いいえ~それだけ愛されてると思えば苦労じゃないです」
 葉月の言葉に、弥生はくすくすと笑いながら言葉を重ねる。
「よく言うわね、はーちゃん。昔のはーちゃんからは想像つかない反応よ。おゆきもそうだけど」
「そうだよね~義経さんにチケットプレゼントするなんて、あの頃のお姫から考えられる?」
「うんうん」
「『おひめ』…『おゆき』…どういう事なんだ?」
「どっちの名前が正しいんだ?」
 混乱する土井垣と三太郎に葉月が悪戯っぽく答える。
「どっちも当たりでどっちも外れです。本名は若菜」
「そういえば『お姫』の理由は俺も教えてもらったが、『おゆき』の方は理由を知らないな。以前神保さんと食事をした時にも聞きそびれたし」
「何?お前そんな事してたの?お前も結構隅に置けないな~皆にばらそうかな~」
「別にかまわん、後ろ暗い事は何一つないからな」
 義経の態度に、三太郎はつまらなそうに言葉を重ねる。
「…つまんないな~…じゃあ話にいくら尾ひれをつけてもいいって事だな」
「それは…やめてくれ」
「貸しは高いぜ~」
「…」
 三太郎のからかいに沈黙する義経に弥生が助け舟を出す。
「微笑君、あんまり義経君をいじめちゃ駄目よ」
「う~ん、ヒナさんに言われると弱いな~。じゃあ、聞いた事だけ話すから後で教えろよ」
「…分かった。で、話を戻して『おゆき』の理由は何なんだ?朝霞さん」
 三太郎の面白がっている風情に義経は頭を抱えながらも、弥生に聞く。弥生はにっこり笑って応える。
「ああ、おゆきの名前を付けたおゆきの家族って、みんな古典文学が好きでですね、若菜の名前も百人一首の中の歌からとったんだそうです。おゆきって一月七日生まれなんですけど、丁度その頃のものを歌ったものがあったんで」
「ああ、もしかして『君がため 春の野にいでて若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ』という歌か?」
「当たりです。だから『おゆき』」
「ほう…中々凝っているな」
「でしょ?ヒナの方がそういう意味じゃ風雅だし頭いいんです」
「でもはーちゃんの『お姫』だっていいじゃない。あの頃のおゆきの雰囲気にぴったりだったし」
「昔の神保さんはそんな雰囲気を持っていたのか?今はどちらかというと話せばともかく、見た目は男の様な雰囲気を出しているが」
 義経の問いに、弥生は更に答える。
「ええ。あたし達三人は皆部活で一緒だったのは知ってますよね」
「ああ」
「はーちゃんは前言った通り高嶺の花的雰囲気もあったんですけど、舞台の時以外はものすごく恥ずかしがり屋で。でもおゆきはそれに輪をかけて恥ずかしがり屋だったんですよ。一緒に活動してる男子はもちろん、女子の先輩にも慣れるまでほとんど話し掛けられない位、ホント内気で」
「いっつもヒナにあたし達が引っ張ってもらってたんだよね。今更ながら感謝」
「はいはい、今更ながらでも嬉しいわ。…でも舞台に立つと不思議と一番映えるし、頑張ってたのもおゆきだったんだよね」
「うん、それは認める。お姫は頑張ってたし、華があった。だから騒がれはしなかったけど静かに人気があったんだよね。誘ったり告白して来る男子もみんな本気でぶつかってくるのばっかりで」
「ほう…」
 義経は若菜の意外な一面を聞き、何だか嬉しくなると共に軽い胸の痛みを覚える。もしかすると自分との関わりに直接会う必要がない手紙という手段を選んでいる彼女は、本当は自分が知らないだけで恋人か、そうではなくても忘れられない男性がいるのではないか――そんな邪推をしてしまう自分が醜いと思いながらも胸の痛みが更に強くなった時、次の葉月の言葉でふと我に返る。
「でも、お姫いつも『嫌です』か『お断りします』の一言で蹴散らしてたよね」
「そうそう、結構もててた男子もそれで蹴散らしたりしてたから女子からはそれで恨まれてたけど、本人『お付き合いする気もないのに変に期待させるのは失礼じゃない』ってどこ吹く風で」
「…実は一番肝が座ってたのってお姫だったんじゃないかって今更ながら思うわ」
「…あたしもそう思う」
 二人の言葉に、ふと自分の気持ちが浮き立った義経は思わず葉月に問い掛ける。
「それは…本当の話か?」
「え?義経さん、どうしたんですか?」
「あ、いや…ちょっと…」
 義経の勢いに驚いている葉月に、彼の気持ちにいち早く気付いたらしい三太郎がからかう様に口を開く。
「そうか~そういう事か~やっぱり貸しは高いな~」
「…」
 三太郎の言葉に、義経は赤面して絶句する。その様子で他の面々も彼の内心が分かって苦笑していると、丁度開場時間になった。
「あ、開場しましたね。じゃあ土井垣さんと微笑さんは千円入口で出して取り置きしてもらったチケット受け取って下さい」
「分かった」
「でも安いよな~。今時はアマチュアでも二千円以上は取るぜ」
「それが小田原っ子の粋を表現してるここのポリシーだそうですよ。『安い値段で、気軽にいい芝居を見てもらいたい』っていう」
「へぇ…」
 そう言っている内に入場の場所へ行き、義経と葉月と弥生はチケットをもぎりしてもらい、土井垣と三太郎はその場でチケットをもらって、ご祝儀を渡した後入場する。ホールに入ると中央の少し前よりに葉月は面々を案内した。
「ラッキー、いいとこ取れたね。ヒナ」
「そうだね」
「なあ…最前列じゃなくていいのか?」
 三太郎の問いに、葉月はにっこり笑って答える。
「最前列だと見上げる形になって、逆に首痛くなるんですよ。視力がそれなりにあるなら、この辺りが一番観やすくて丁度いいんです。皆さんプロ野球選手やってるんですから、遠視力…まあ普通に言う視力は大丈夫ですよね」
「ああ」
「ですからここがいい席なんです。ね、ヒナ」
「そう。座ってみると分かるわよ、微笑君」
「ああ…あ、ホントだ。舞台が丁度正面だ」
「でしょ?」
 感心する三太郎に弥生は若干乱視があるので眼鏡を掛けながらにっこり笑って応える。そうしてしばらく話していると、ベルと共に場内アナウンスがかかり、開演が知らされる。そしてもう一度ベルが鳴ると会場が暗くなり、不意に拍子木の音と共に黒子が現れ、携帯の電源を切るようにとの注意をコミカルに演じた後、舞台が始まった。舞台の内容は小田原藩が維新後にどう終息を迎えて行ったかという内容で、藩主の別邸を舞台に、嵐による城の破損と取り壊しに藩自体の消滅。そしてそこに藩主とその跡取りの死に家老の娘と次席家老息子の恋と何年も葉桜の咲かずの桜の様子を織り交ぜた素晴らしい舞台であった。最後は死んだと思っていた次席家老の息子が別邸に現れ、藩主の死に殉じて、突然満開になった咲かずの桜の下で切腹するという結末で終わるのだが、義経には一幕の最後で病身の藩主が次席家老に『我の心はあの頃から少しも変わってはおらぬ。すなわち朝廷には信、幕府には忠じゃ』と言い切り、逆賊と言われるに耐えられず、朝廷軍に一矢報いて切腹しようとする若い藩士を『胸を張るがよい、我らは逆賊にあらず。主家徳川家へ義を尽くさんとしたのみ、それのどこが逆臣ぞ、どこが逆賊ぞ』と諌めるシーンで胸が一杯になり、最後の切腹のシーンでも詠唱された、その前の藩主の一周忌に跡取りの戦死が知らされ、彼の残した辞世の句を詠む所でその感動は確かなものになる。

――帰りなん いざ 我が幻の小田原へ 天翔けて逝く 益荒男の天守へ――

 もちろんこの辞世の句は創作であろうと分かっている。しかし跡取りの望郷と無念の思いを表すその句と、その句で慟哭し、泣き崩れる家臣や侍女達の中でただ一人正室が『…終わったの。二百六十年徳川に仕えし小田原藩の終息じゃ』と静かに呟くその対比が更に悲劇を増幅させる。気が付くと義経は涙を流していた。その涙でアマチュアでここまでの脚本と演出、そして演技をするこの劇団の凄さと、それを楽しみに観に来るこの大勢の人々の心が分かった気がした。そしてその中で端役ではあるが侍女役として一生懸命に、そして可憐に演技をする若菜の『華』を改めて感じ、胸が高鳴る自分に気付いた。そして緞帳が下り、盛大な拍手と共にもう一度緞帳が開き、一列に並んだ座員により座長の挨拶と共にカーテンコールが行われる。そこでほとんどの役者は花束をもらっていて、中には持ちきれない程もらっている役者もいるのに、若菜には花束が一つもない。気になった義経は土井垣越しに葉月に問い掛ける。
「…ご祝儀がいいとは言われたが、本当は花も用意した方が良かったんじゃないか?」
「大丈夫ですよ。お姫は花がもらえないからって拗ねる子じゃないし、逆に荷物になってしょうがないって言ってるくらいですから。それにお姫のお父さんって結構厳しいから花束持って帰ったら絶対誰からかチェック入るからそれが嫌だって言ってますしね。お父さん本人も必ずお姫の芝居、観に来ますし」
「そうか…」
 義経は葉月の話に頷くと改めて若菜を見る。若菜はニコニコ笑って花束をもらっている面々を見ているが、どこかその笑顔が寂しげに思えるのは自分の気のせいだろうか――そうしている内にカーテンコールは終わり、座員は一礼して緞帳が下りた。