――昨日の夢と同じ場所で、海老茶式部の『彼女』と学生姿の『自分』が並んで座り、本を広げて楽しく話している。『自分』が本を見せながら色々と話すと『彼女』は目をきらきらと輝かせてその本を一緒に読みつつ話に聞き入り、やがて心から楽しそうに『自分』に話しかける。

――あなたの古典文学の解説はとても分かりやすいですわ。それに今の方々や女学校の先生が断じている様なつまらないものでは決してないどころか、それぞれの奥深さや面白さに気づく事ができます。この様に、それぞれの作品の真の素晴らしさを他の方が自分で分かる様にきちんと語る事ができるというのは、あなたがそれだけ一生懸命学んでいらっしゃる証拠ですわね――
――僕にはこれ位しか取り柄がありませんから。それに、どうも僕は最近流行の社会主義思想や西洋文学や自然主義文学を始めとした新しい文学に傾倒している他の学生達と話が合わないんですよ。今の思想や流行に馴染めず、むしろこうして古典の言葉遣いや世界の美しさや趣に浸って、それを継いだ文学を書きたいと思う僕は…今の社会に向いていないのかもしれませんね――
――そんな事はありませんわ。新しいものにばかり目が行き有難がって、古き良きものを見失う事は寂しいじゃありませんか。確かに悪しき因習は変えていかなければなりませんが、それとは違う古き良きものは大切にして、そのまま継いでいく人間も絶対必要だとわたくしは思います。それに、見せて頂いたあなたの詩歌や文章で、あなたならそれができるとも思っております。わたくしがあなたの作品の最初の応援者になりますから、きっとその様に素敵な文学者になられて下さいませ――
――ありがとうございます。あなたの様に聡明で教養深いだけでなく、本来ならこうして顔を合わせる事すら叶わない程立場が違う身分の高い姫君に認めて頂けて、僕は光栄ですね――
――……――
――どうか…なさいましたか?急にそんな哀しげな顔をなさるなんて。…もしや、何か僕はあなたに失礼な事を言ってしまったのでしょうか――
――そうではないのです。…わたくしは、あなたに…今、ここにいる時だけは…互いの立場や身分をお忘れになっていて欲しかったのです。ここにいるわたくしは、ただの文学好きな女学生、そしてあなたはそのわたくしに文学の楽しさを教えて下さる…いいえ、それは関係なく、わたくしにとってかけがえのない大切な方。…そしてその『ただの女学生』のわたくしは、あなたと二人でただ文学について語りたい…いいえ、何よりお慕いするあなたにお会いしたいから、こうしてここに来ている。それだけなのですから――
――…あなたは、僕の事をその様に思って下さっていたのですか…?――
――意地悪な方。…わたくしがあなたをからかったり、陥れるためにこの様なはしたない行動をし、言葉を発していると思っていらっしゃいますの?――
――そんな事は!…しかし、僕はその様な大した存在では…――
――いいえ。わたくしにとってはその様な存在です。信じられませんか?…でも、わたくしは心からそう思っております。ですが…これはわたくしだけの、勝手な想いですから…ご迷惑ならどうかそう…はっきりおっしゃって下さい。そうしたら、もう諦めがつきますから…二度とここには参りません。それで、あなたも今の言葉とわたくしの事は、どうぞお忘れになって下さい――
――…いいえ。そんな事をおっしゃらないで下さい。…あなたに先を越されてしまいましたが…正直に告白します。あなたと出会ってから、僕はずっとあなたをお慕いして…僕にとってもあなたは、かけがえのない方になりました。それはあなたが華族の姫君だからではありません。僕の文学観や作品を慕って下さるからでもありません。あなたと同じ様にただ…あなたがあなただからこそ、僕にとってとても大切な…かけがえのない方なのです。だから僕も…そんなあなたに会いたいからこそ、こうして…あなたの立場を悪くしてしまうと分かっているのに…拒むどころか、自分から人目を避けてあなたに会いにここへ来ているのです――
――本当ですの…?――
――はい。…ですからこうしてお会いできる時が、僕とあなたの青春のほんの短い間しかないと分かっているだけに…哀しいですが、それ以上に…愛おしいのです。こうして吹いている風の様に、ほんの一瞬吹き抜けていくだけの時だからこそ…その一瞬一瞬を大切に…心に刻みつけている程に――
――わたくしも…同じです。いつ終わるか分からない、儚い夢の様な逢瀬だからこそ、一欠片も忘れずにいられる様に…今を心に刻み付けていますわ――
――僕にもっと勇気があったなら、あなたを奪って逃げるのに…僕がそうする事であなたを不幸にしてしまうかもしれないという恐れが、その勇気より大きくて…そうできません。こんな情けない僕を、どうか…恨んで下さい――
――いいえ。…わたくしこそ…もう没落した身なのにその家を守るためと、全てを捨ててあなたの所へ飛び込む勇気がないのですから、あなたに恨まれて当然です。あなたこそ…わたくしをどうか、恨んで下さいませ――
――いいえ、僕はあなたを恨む事はできません。…この想いを形としてお見せできないのが悔しいですが…これ程にあなたを愛おしいと思っていて、どうして恨めましょう――
――わたくしも、恨めるものなら恨んでいます。…でも、恨む心を消してしまう程にあなたが愛しくて…どうしたら恨めますの…?――
――そうですか。……ならばせめてお互いにこれからも、この時の終わりが来るまでただ…刻み付けていきましょう。この…愛おしい大切な時間と、お互いの存在を――
――はい――
――ああ、風が冷たくなってきました。これをどうか掛けて下さい――
――はい、ありがとうございます。……でも…あなたも肌寒いでしょうから、一緒にどうぞ…お入りになって――
――いいのですか?――
――…本当に意地悪な方ですのね。…嫌でしたら、この様な先程以上にはしたない言葉…女の口から申し上げませんわ――
――…そうですか――

 そうして自分と彼女は寄り添うと、自分のマントを分け合って風をしのぎながら、また静かに語り始めた――


 義経は目を覚ます。若菜も目を覚ましていた様で、彼に包まれながらもどこか哀しげな眼差しで彼を見詰めていた。その眼差しの意味を受け取り、彼は彼女に囁きかける。
「…また、夢を見たな」
「…はい」
 二人は見ていた夢の哀しさから逃れようとする様に、離れまいと互いに身を寄せ合う。そうして身を寄せ合いながら、彼女がぽつりと呟いた。
「私達は幸せで、お互いを満たそうとしているのに…どうして…こんなに哀しい夢ばかり見るのかしら。…光さんはああ言っていたけど、まるで…いつか必ず私達にも哀しいお別れが来るんだって、言い聞かされているみたいに思えてくるわ」
 そう寂しそうに呟いた若菜を義経は力づける様に改めて抱き寄せると、こちらも今までの夢を見てきた事で生まれた思いを呟く様に返す。
「…そうだろうか」
「光さん?」
「俺はむしろ…自分達の様に哀しい結末を迎えない様に、と諭されている気がした。…今の俺達も、俺達はそのつもりはなくても…一歩間違えばお互いの立場から抜け出せずに、この夢の俺達の様に別れてしまいかねない危険を孕んでいるだろう?だから…この夢は、お互いの想いをきちんと結び合って、自分達と同じ過ちを繰り返さず絶対離れるな、と言いたいんじゃないかと…俺は思った。だから、もう今だから言ってしまうが…あなたが倒れた時、あなたが遠くへ行ってしまう…最悪この世からいなくなってしまうんじゃないか、と…恐ろしくなったのかもしれない」
「…光さん」
「それからもう一つ。こんな事を言うと不気味がられるかもしれないが…この夢は、そうして諭しながら…俺達自身でさえもあずかり知らない『俺達』が、今の俺達の身体と魂を借りて自分達も満たそうとしているんじゃないか、とも思った。自分達の生で果たせなかった想いを、せめてその想いだけでも…昇華したいと」
 義経の言葉に若菜は静かに頷くと、彼の胸に顔を埋めて呟く。
「そう言われると…そうかもしれないわ。私が見た最初の夢の事を話すけど…その夢の中の『私』は最後まで会う事の出来ない『私』の『光さん』に会いたがっていたの。それで…その後の夢で…いつかお別れしなきゃいけない哀しさもあったけど、その短い間でも『光さん』の傍にいる事は…本当に幸せだったわ。だから…もしかしたらその『私』がここでやっと『光さん』と会えて…もう一度幸せになろうとしているのかもしれない。私達と一緒に」
「非科学的すぎるが、でも俺達ならそんな事があるかもしれない。何せ俺達は一目会った時から恋に落ちたもののすぐに離れ離れになって、その時は二度と会う事も決してなかったはずで…俺の方はあなたの存在すら忘れたはずなのに、再会して…また恋をしたんだから」
「…そうだったわね」
「真相がどうであれ、今ここにいる俺はあなたを離すつもりはない。二人で幸せになる未来しか見えていないし…あなたに見せるつもりもない。それだけは信じて欲しい」
「…私もよ、光さん。あなたと離れるつもりはないし…離れたくもないわ」
 そう言って二人は笑い合うと、更に互いに身を寄せ合い、改めて互いの体温と存在を確認しながら眠りに就いた。