その場で土井垣に彼女の祭りの詳しい地区と日程を聞いた瑛理はすぐにホテルを手配し、日程に合わせてバイクで目的地に向かった。祭りにあわせて市内のイベントも同時に行うらしく、ホテルはツインしか取れなかったが、それでも葉月に久し振りに会える嬉しさと、見た事のない祭りに対する期待で、それはあまり気にならなかった。祭りの前日の夜にホテルでチェックインを済ませ、フロントに祭りについての事を少し聞いてみるとフロントは少し興奮気味にその楽しさを教えてくれて、彼女の行きたい地区への最短ルートも教えてくれた。話を聞いて更に期待を膨らませながら、夜を幸せな興奮の中で過ごし朝食後、フロントに聞いたルートでバイクを走らせ、10分程走る。フロントに言われた通りに入った側道には神輿と大きな屋台が置かれ、地区の人間らしい人達が忙しそうに準備に立ち働いていた。瑛理はその中の一人に問いかける。
「あの~すいません」
「何?」
 気の良さそうな中年の女性は、瑛理に明るい口調で答える。
「この辺りに宮田さんってお家があるらしいんですけど…どこか分かりますか?」
 瑛理の問いに、女性はからりと笑って答えた。
「ああ、宮田さんね。この辺りには四軒あるけど、住んでる地区はみんなこの先よ。まっすぐ先を見てごらんなさい。ここと同じ様なとこがあるでしょ?そこだからそこで聞くといいわ」
「あ…本当ですね。ありがとうございます」
 瑛理はお礼を言うと更にバイクを走らせ、見えていた事務所でまたバイクを止め、そこにいた初老の男性にまた声を掛ける。
「あの~」
「何かな?」
 声を掛けた男性は、ゆったりとした口調で言葉を返す。その雰囲気に勇気付けられた瑛理は、先刻と同じ問いをまた掛ける。
「ここに、宮田さんって女性がいるはずなんですけど…どこに行けば会えますか?」
自分でもこんなに物怖じせずに声を掛けられるのが不思議だったが、この町の空気は何故か初めて葉月と出会った店の様な雰囲気を漂わせている気がして、何となく気負いなく話せる気がした。瑛理の問いに男性は少し考えると、口を開く。
「宮田さんねぇ…ここに来る人間だと女性なら三人位いるけど…ここにもいるし。とりあえずその子を呼ぼうか。お~い、宮田さ~ん!お客さんだよ~!」
 男性は見かけに見合わない大きな声で、屋台の上に声を掛ける。男性の声に女性の声で「分かりました~」という答えが返って来てしばらくの後、屋台の中から女性が出てきた。出てきた女性を見て、瑛理は似ているが人違いだと気付いたが、何も言えずに立ち尽くしていた。
「山本さん、あたしにお客さんって誰ですか?」
「ああ、この女の子」
「え?…あなた誰?」
「あ、あの、すいません…人違いだったみたいで…」
「そう。山本さ~ん、ちゃんと確認お願いしますよ」
「悪い悪い。でも宮田さんって言ってたし、歳も近そうだからどっちにしろ君の身内だろうしね」
「もう…あら、ごめんなさい。無視しちゃって」
「ああ、いえ…」
「でもまあ、確かにこの辺で宮田ってうちの家族と親戚しかいないからね。誰捜してるの?」
 女性の気さくな言葉に、瑛理も思わず言葉を返す。
「えっと…わたしが捜してるのは、宮田葉月さんって人なんですけど…」
 瑛理の言葉に女性は一瞬きょとんとした表情を見せたが、やがて少し葉月に似た声でコロコロと笑って明るく言葉を返した。
「何だ、葉月のお客だったのね。葉月はこっちじゃなくてちょっと離れた所にいるわ。案内してあげる。山本さん、ちょっとここ外しますね」
「ああ、いっといで」
「じゃあ付いてらっしゃい…あ、そのバイクあなたの?じゃあ一緒に持ってきて」
「あ、はい」
 そう言うと女性は事務所から少し離れた小さな路地にあるガレージに瑛理を案内する。ガレージに着くと、男性が何人か立ち働いていた。女性はそこにいた男性の一人に声を掛ける。
「隆君。葉月いる?お客さんなんだけど」
「ああ、ちょっとタイミング悪かったな。葉月ちゃん、ここの準備が一段落したからお義父さんと着替えに一旦家に戻ったよ。すぐ戻ると思うけど…って瑛理ちゃんじゃないか!」
「あれ?秋山さんじゃないですか。何でこんな所にいるんですか?」
 振り返った男性が自分の知り合いだと気付き瑛理が思わず声を上げると、男性は笑って応えた。
「ここは俺の地元。瑛理ちゃんこそ何、葉月ちゃん頼って遊びに来たの?」
「はい。ここで今お祭りやってるって聞いて、宮田さんにも会いたかったんで来ちゃいました」
「そうか。楽しんでいくといいよ。本当に楽しいから」
「隆君、彼女知ってるの?」
 瑛理と男性の親しげな様子に女性は不思議そうな表情を見せ、問いかける。隆は笑ったまま説明する様に更に答えた。
「ああ。彼女が前葉月ちゃんが俺に話を聞いてきた、バイクレーサーの盾野瑛理。俺は仕事柄、彼女のメカニック関係のスタッフと仲が良いから彼女とも知り合いだって言ったろ?」
「ああ!この子が!あんまり仲良さそうだったからちょっとやきもち妬きそうになっちゃった」
「何言ってるんだよ、俺は文乃さん一筋だって」
「はいはいありがと…ああ、ごめんなさい。またあなたを無視しちゃった。じゃあ、葉月と隆君の知り合いだとしたら、遅ればせながらあたしも自己紹介しなくちゃかしら。あたしは宮田文乃。葉月の姉でこの隆君の一応妻って事になるかしら」
 そう言って女性は悪戯っぽく笑った。葉月の姉だと言われると話し方も含めて確かに二人は良く似ている。少し違うのは、葉月の方が愛らしさを前面に出した雰囲気であるのに対して、彼女の方はクールビューティーという言葉が良く似合う雰囲気という所か…文乃の挨拶に、隆が少し不満げに声を上げる。
「一応ってのは何だよ。本当に妻だろ。その上お腹に俺との子供までいるじゃないか」
「ま、そうだけど」
「そうですか…ってあれ?お二人ご夫婦なんですよね、何で名字が違うんですか?」
 瑛理の問いに、隆が照れ臭そうに答える。
「ああ、本当は文乃さんの名字で正しいんだ。でも仕事してると旧姓の方が通りがよくてね。俺は仕事の時は、通称で旧姓をそのまま使ってるんだよ。何かとそれで風当たりも強いけどね」
「結婚して旦那の籍に入った女性の気持ちがよ~く分かるでしょ」
「そうなんですか~」
 三人はそれぞれ笑う。と、準備をしていた男性陣が隆に声を掛ける。
「隆~氷来たから割ってクーラーボックスと樽に入れてくれ~!」
「おお!…じゃあ文乃さん、後は任せて。瑛理ちゃんは準備を見ながら葉月ちゃん待ってな」
「ありがと隆君、後よろしくね。じゃあ楽しんでね、盾野さん」
「はい、ありがとうございました…ええと…」
「文乃でいいわよ。ここで実動してる宮田って男女含めて何人もいるから」
「じゃあお言葉に甘えて…文乃さん、ありがとうございました」
 瑛理の言葉に文乃はにっこり笑うと、元の場所へ戻って行った。男性達はガレージを座敷の様に整えていて、隆は頼まれた氷を割る作業をしている。瑛理が楽しげにそうした様子を見ていると、しばらくの後、葉月と彼女に面差しの似た長身の初老の男性がやって来た。
「すいませ~ん、着替えてきました~…って盾野さん、もう来てたんだ!久し振りですね」
「はい。お久し振りです宮田さん。かっこいいですね~」
「そうですか?」
 葉月は照れ臭そうに笑う。白たぼに膝丈のやはり白い祭り用の股引。足袋も短めの白。そこに藍染らしきかなり凝った模様の法被をきりりと着た姿は、瑛理が何度か見ていた彼女とはまた違った印象を与え、何となく見とれてしまう。そんな二人の様子を見ていたもう一人の男性が不意に葉月に声を掛ける。
「葉月、彼女がこの間言ってた盾野さんけ?」
「うん、そうだよ。恥ずかしがりやだからあんまり脅かさないでね」
「ああ、聞いたから分かってるべ…ああすまないね、挨拶が遅れて。盾野さん…ですね。私は葉月の父です。どうか祭を楽しんでいって下さい」
「はい、ありがとうございます」
 温和な男性の言葉に瑛理も明るく言葉を返す。男性は法被こそ同じだが葉月と違って長い股引に足袋も丈が長いものを履いている。良く見回すと、立ち働いている男性陣も頭にバンダナを着けていたり、手甲を手首に巻いていたりと、法被と白と言う基調以外は違った格好をしていた。結構服装は自由度が高いのだろうか。不思議そうな表情を見せている瑛理に、葉月が声を掛けた。
「どうしたんですか?盾野さん?」
「え?何だか皆色々微妙に違う格好なんだな~と思って」
「ああ、うちは自治会さん手伝ったり、他の神輿会さんがお手伝いに来るのもあって、この法被と地を白にする以外は自由ですからね。明日出る本神輿はそれなりに揃うんですけど」
「そうなんですか~」
「本当はうちの祭りを楽しんでもらうなら竜宮さんが一番、せめて一色さんとか稲荷山さんの方が作法に合ってるんですけどね~うちはちょっと異端ですから」
「『異端』?」
「そのうち教えますよ…って少し準備手伝ってもらっていいですか?見てるだけだと退屈でしょうし、折角だから中に馴染むのも含めて、参加してみません?」
「いいんですか?」
「どうぞ」
「じゃあお言葉に甘えて…」
「ありがとうございます。宇佐美さ~ん、彼女とあたしが一緒にできる仕事何か下さい」
 葉月が『宇佐美さん』と呼んだ大柄の男性に声を掛けると、男性は身体と同じ様な気風のいい声で指示を出した。
「おーよ、じゃあとりあえず二人で座敷のテーブル作って、上布巾で拭いてくんねぇけ?」
「は~い…じゃあお願いしていいですか?」
「はい」
 葉月の気遣いに瑛理はにっこり笑う。そうして瑛理は葉月と一緒にテーブル等の組み立てを手伝ったりしながらガレージの事務所作りを手伝っていった。そうしていく内に、段々と老若男女混じった人間が集まって来る。
「おはようございま~す」
「おはよう。今日と明日、頼むな」
「は~い」
「おはよ~、あ~痛ぇ」
「おはようございます。あら、昨日のでもうギブアップ?」
「ああ、寄る年波にはかなわねぇな」
「おいおい、お前にそう言われたらおら達はどうなるんけ?」
「お前からしたら担ぎ手としちゃもう棺桶に片足突っ込んでる歳になるべ」
「あ…すんません宮田さん、鈴木さん」
「はい、裕也さんの負け~」
「おはようさん…おっ?そこにいるのはもしかしてレーサーの盾野瑛理でねぇけ?何でこんなとこにいるんけ」
「ああ、うちのお祭りを見がてら葉月ちゃんに会いに来たんだよ」
「そうけ!宮田の友達け~!…そうだ、俺あんたのファンなんだ。握手してくんねぇけ?」
「あ…はい、いいですけど…」
「ありがとよ!」
 そう言うとその男性は瑛理の両手を握ってぶんぶん振り回す。あまりの事に戸惑っている瑛理を見て、葉月がそれとなく声を掛ける。
「藤崎さん、盾野さんはプライベートで来てるんですから騒がない様にして下さいね。あんまり騒ぐと迷惑掛かっちゃいますから」
「ああそうだべな。悪ぃ事しちまった。盾野さん、すまねぇな。俺らみたいに神輿担ぐ様な人間は馬鹿で品のねぇ人間ばっかだが、悪気はねぇんだ。何か嫌な事があったら遠慮なく言ってくれよ。まあ、とりあえずは楽しんでってくれや」
「はい」
 おどけた男性の会話につられてにっこり笑いながら、瑛理は土井垣達の心配が杞憂だと感じる様になっていった。豪快な面々ばかりで面食らってもいるが、知り合いの隆もいるし、そうでなくても皆確かに気は良さそうで、前に馴染む事のできた合唱メンバーと同じ様に接していれば何とか大丈夫そうだと思えた。そうして人が集まり、軽い昼食を摂った後そこに集まったメンバーと、本部だという事務所に集まった子供達が合同で、神輿と一緒に国道沿いの神社へお払いに行った。お払いの後また事務所に戻り休憩を取ってから町を練り歩くという事で、それぞれは神輿の傍に付いたり事務所でビールを飲んだりしながら休憩をとっていた。瑛理も葉月や隆ともらったジュースを飲みながら道路に座り話していると、またぱらぱらと人が集まってくる。
「今年も手伝いに来たよ」
「会長はどこだい?」
 白たぼに長い股引の集団と、それに真っ赤な法被を着た集団が隆に声を掛ける。隆は立ち上がると、礼儀正しく挨拶をする。
「ああ、道祖神さんに昇龍会の皆さん!今年もお願いします。会長なら白龍の方の事務所ですよ。今案内します」
「大丈夫だよ、勝手知ったる他人の家ってね。白龍の事務所だね、自分達で行くよ」
 集団が去っていくと、今度は葉月の父と同じ様な服装をしたやはり長身の男性が葉月に近付き、にっと笑いながら声を掛けて来た。
「よぉ葉月、タカも。久し振りだな。元気そうで何よりだ」
「あ~柊兄おそ~い!」
「悪ぃ悪ぃ。その代わりうちの若いのも連れてきたぜ。明日の本神輿も担がせてもらうからよ」
「そう、ありがと。今年もよろしくね」
「おーよ。おっ、一緒に居るのは盾野瑛理だよな。タカつながりか?それとも土井垣から葉月か?」
「ん~?両方。とりあえずはあたし関連で来てくれたんだけど」
「そうか。折角の祭りだ。楽しんでいってくれよ、盾野」
「えっと、宮田さん…この人誰ですか?」
 瑛理が葉月におずおずと問いかけると、その男はばつが悪そうに頭を掻きながら口を開いた。
「ああ、悪ぃ。俺は御館柊司って言って、文…葉月の姉さんの悪友だ。こいつらとも幼馴染だがな。そんなこんなであんたが有名だからってだけじゃなく、あんたの事は間接的には知ってんだ」
 柊司は口調こそ荒っぽいがその雰囲気は不快感を覚えさせず、それどころかある種の品の良さがあり、好感すら持てた。瑛理もそれに安心して言葉を返す。
「そうなんですか~。知ってるみたいですけど一応…盾野瑛理です。秋山さんや宮田さんとは、みた…て…さんと同じ様に友人なんです。よろしくお願いします」
「秋山…?ああ、タカか。よろしくな。…ところでよ、葉月」
「何?柊兄」
「文が今年も山車で笛吹くってマジかよ」
「あ、うん。止めたんだけどね~安定期に入ってるから大丈夫だって言って聞かなくって」
「…ったく、妊婦の自覚があるのかあいつは!山車はただでさえ揺れるし、太鼓がある上はてきめんだぞ!流産でもしたらどうする気だよ」
「それも言ったけど『あたしの子よ、これくらいで流産する訳ないじゃない』ってどこ吹く風」
「~っ!…文に一発ガツンと言ってくる!」
「何をガツンと言うのかしら~?」
 葉月と柊司が話していると、不意に文乃が声を掛けて来た。そのお気楽な様子に、柊司はものすごい勢いで文乃に説教をし始めた。
「文!お前は妊婦、しかもマル高だって自覚を少しは持て!この前も俺が傍でうっかり煙草吸っちまった時に止めた言葉は何だよ!『あたしも吸いたくなるからやめて』…ったく!お前だけならまだいいが、葉月の血も入ってるんだ!大事にしてやれ!山車なんかに乗って何かあったらどうすんだ!」
「だから尚更よ。葉月に縁がある子なら白神さんがきっと護ってくれるし、そうしてもらうためにも山車に乗るの」
「あのな~…」
 しれっとした文乃の言葉に柊司は頭を抱える。それを見ていた葉月が宥める様に声を掛けた。
「もうこうなったらお姉ちゃんが聞かないの、柊兄も知ってるでしょ。好きにさせてあげて」
「…タカ、これでいいのかよ」
「俺も葉月ちゃんと同意見。文乃さんの好きにさせてあげる方に腹決めたから。まあ山本さんも同乗してくれるし、何か変だと思ったらすぐに降りるって約束もしたしね。大丈夫だよ」
 葉月と隆の言葉に柊司は大きく溜息をつくと、静かに文乃に声を掛けた。
「…約束は守れよ、文」
「分かってる。そのくらいの分別は持ってるつもりよ」
「お前はそこが信用できねぇから言ってんだ」
「はいはい、柊の心配はよ~く分かってるから。何せ葉月の甥っ子か姪っ子になる子だもんね~」
「文!」
「あらごめん、図星だったか。じゃあね~」
 そう言うと文乃はひらひらと笑って手を振り山車の方へ戻って行った。柊司は苦虫を噛み潰した様な表情になっている。瑛理は四人の会話を聞いていてふと一つの疑問が湧いて、それを隆に問いかけた。
「秋山さん」
「何?瑛理ちゃん」
「文乃さんが言っていた『宮田さんに縁がある子なら神様が守ってくれる』ってどういう意味ですか?」
 瑛理の問いに、隆は笑って答えた。
「ああ、偶然だと思うけど、葉月ちゃんが神輿担ぎ始めてから出てきた縁起話だよ。葉月ちゃんが担がない年は、必ずお祭りで物損事故があったり本神輿でけが人が出てね。担ぐとぴたりとそれが止まるから、葉月ちゃんは神社の申し子だって話になってね。そういう事もあって、葉月ちゃんは毎年このお祭りに関わってる面もあるんだよ。葉月ちゃんも義理堅いからそれに付き合うし」
「そうなんですか~」
「葉月が担ぐと何もねぇ様にしっかり締めるから、それが伝染して怪我しねぇだけだろ。事故の方は偶然だ。葉月もそんな縁起担ぎに付き合わなきゃいいのによ」
 柊司のぶすっとした言葉に、葉月はにっこり笑って応える。
「いいの。神社の仕事でこっちの宮入参加できないのは残念だけど、元々神輿担ぐのが好きだから、縁起担ぎのおかげで担げないのは同じだけど、本神輿に関われるからそれなりに楽しいもん。だから柊兄もそんな顔しないで楽しく担ごうよ。ほら、お立ちだよ」
 見ると、神輿につけと召集がかかっていた。四人は立ち上がると神輿に寄って行く。とはいえ瑛理は担ぐのも悪いと思うし、どうしたらいいかともじもじしていた。と、先刻の葉月の父親が不意に声を掛けて来る。
「どうする?担ぎたいかい?」
「ああ、いえ…この格好だと私だけ浮いちゃいそうなんで…いいです」
「そうか…じゃあ触れ太鼓を叩いてくれるかな?」
「え?いいんですか?」
 瑛理がびっくりしていると、彼はにっこり笑って法被を彼女に手渡し、更に言葉を紡いだ。
「ああ。折角だから何らかの形で参加したいだろうしね。とりあえず自治会の法被を借りてきたからこれを着なさい。叩き方とする事は今教えてあげるよ。簡単だからすぐに覚えられる」
「…ありがとうございます!」
 葉月の父親の心遣いに、瑛理は心から感謝した。そうして彼に叩き方と叩き手がする事を教えてもらう。その間にお清めの酒が振舞われ、飲み干した担ぎ手達によって神輿が立ち上がり本部の前に立ちはだかる。瑛理が見ていると、葉月が神輿の前を押さえて、『何本ですか?』と葉月の父親と同年代位の拍子木を持った男性に聞いていた。男性が『二本で行け』と言うと葉月は頷き、良く通る声を張り上げ掛け声を掛け始めた。
「オイーサー!」
『コラーサー!』
葉月の掛け声に神輿の面々が応える。それを聞いた葉月は聞き慣れない歌を歌いだした。神輿の面々もそれに更に応える様に歌う。
「そ~おぉりゃんえ~えぇ」
『おう!』
「めでた~め~でた~のよ~おえぇえ」
『そりゃやっとこせ~のぉよ~お』
「そ~おぉりゃ、若~松~様~だ~よぉ、よ~おい~と~な~」
『オイーサー!コラーサー!』
「そ~おぉりゃんえ~えぇ」
『おう!』
「粋で~い~なせ~なよ~おえぇえ」
『そりゃやっとこせ~のぉよ~お』
「そ~おぉりゃ、若い衆~たのぉ~む~ぞぉ~よ~おい~と~なぁ!」
 その言葉を皮切りに神輿が事務所に突っ込む。葉月はもう一人の男性に助けられながら必死にそれを抑えていた。その迫力に思わず瑛理はびっくりして一瞬引いてしまう。土井垣が心配していたのはこの事だったのか…と今更ながらに実感して、この先大丈夫なのかと少し心配になった。その内拍子木が叩かれ、突っ込んでいた神輿が止まる。少し引きながらも見ると、本部の人間は笑って拍手をしていた。ここではこれが当たり前なんだとそれで分かったが、それでも少しの不安が残る。そうしている内に神輿が向きを変え、道路を練り歩き始めた。瑛理は不安ながらも気を取り直して、神輿の先導で太鼓を叩き始める。と、葉月が本部の人間に笑顔で一礼した後、瑛理の方に走って来た。
「ごめんなさい。びっくりしたでしょ」
「はい、ちょっと…」
「これがうちの神輿の基本の流儀ですから。慣れるまでしばらくかかると思いますけど、本当に駄目だったらいつでも私でも隆兄さんでもお父さんでもいいから声を掛けて下さいね」
「あ、はい…」
「それから、何かお父さんが無理言ったみたいですけど、これも駄目ならすぐに言って下さい。代われる人間はちゃんといますから」
「はい…でも大丈夫です。折角ですから頑張ってみます」
「そうですか…でも本当に無理はしないで下さいね。じゃあ」
 そう言うと葉月は神輿に戻り、声を張り上げ始めた。女性も混じっている神輿とはいえ、他の女性はほとんど声を出していないのか、特徴的な声ともあって葉月の声はかなり目立つ。しかも、神輿が少しでもぶれると一番に『おら気ぃ抜くな!肩入れろ!』と声を張り上げる。瑛理は彼女の様子に、知らなかった一面を見た気がしてしばらくびっくりしていたが、その一生懸命な様子に様子は違っても基本は仕事の姿勢と同じなんだと気付くと、その様子も頼りがいのある感じに思えてきた。瑛理が太鼓を叩いていると、家々からご祝儀を片手に持った人が顔を出して、瑛理に手渡して来る。瑛理が言われた通り貰ったご祝儀を掲げて門前に立つと神輿は葉月を含め何人かが持ち回りで歌っていたが、最初に事務所に突っ込んだ様にそれぞれの門前へ突っ込んで行く。瑛理は驚きながらも段々と慣れてきて、少しずつだがその様子を楽しめる様になってきた。そうしてしばらく担ぎ、傍の裏山を途中まで登ったところで休憩が入り、メンバーに飲み物が回される。瑛理も手渡され飲んでいると、隆と葉月が声を掛けてきた。
「どうだい瑛理ちゃん、楽しんでる?」
「あ、はい」
「なら良かった。でも盾野さんの太鼓、初めてにしては堂に入ってて、かっこいいですよ」
「そうですか?」
 褒められて瑛理は何となく気恥ずかしくなる。照れながら持っていたお茶を飲んでいると、今度は柊司が近付いてきて葉月に声を掛けた。
「葉月、相変わらずのいい声だな。木遣りも宇佐美さん達までとはいかねぇが若ぇ連中の中じゃ一番だ。野郎共に負けんなよ。前みたいに女だからって変に遠慮したり拗ねて泣いたりすんじゃねぇぞ」
「ん、ありがと柊兄」
「よし」
 葉月がにっこり笑って頷いたのを見て柊司は満足げに笑いながら彼女の頭を撫でると、今度は瑛理にも気軽に、しかし労わりの込められた声を掛けて来る。
「盾野も結構しっかり太鼓叩けてるな。さすがはスポーツ選手だ。門付けの先触れもちゃんと出来てるし、初めてにしちゃ上等だぜ。この調子で叩いていけよ。それからな、水分は面倒かもしれねぇが休憩毎に取れ。でないとばてるからな」
「あ、はい。ありがとうございます」
 柊司は相変わらず乱暴な言葉遣いだが、瑛理や葉月に対するそれとない気遣いが良く分かり、瑛理も素直にその言葉に応えられた。そうして少しずつ楽しさを増しながら練り歩き、一回りを終えて事務所に戻りもう一度事務所に突っ込んだ後神輿を置くと、エプロンを着けた女性が何人か大皿に盛った料理を持って、事務所に置きに来た。
「ほら、お腹すいたでしょ。食事よ。しっかり食べて夜の渡御も頑張ってね。あなた達はそっちがメインなんだし」
「ありがとうございます。頂きます…でも残念だな。六花子おばさんが参加できないのは」
 メンバーの一人が、料理を持ってきたショートヘアの小柄な女性に声を掛ける。『六花子おばさん』と呼ばれたその女性は、困った様に口を開いた。
「それ言わないで。私も心臓さえ大丈夫だったら一緒したいんだから。代わりに葉月と雅昭さんをこき使って。とはいえ葉月、お父さんもいい加減歳なんだからあんたがちゃんと担ぎなさいね」
「分かってるよ。お母さんの名代、しっかり務めるから」
「分かってるならいいわ。じゃあ私は婦人会に戻るわね」
 そう言うと女性は去って行った。瑛理は葉月に尋ねる。
「えっと、もしかして今のが宮田さんの…」
「そう、母です。昔は一緒に担いでたんですけど、働き過ぎで心臓壊しちゃいましてね。激しい運動ペケになっちゃって。とはいえやっぱりお祭り好きだし今は婦人会の仕切りしてるんですよ」
「そうなんですか…もしかして悪い事聞いちゃいました?」
「気にしなくていいですよ。この辺の人達皆知ってる話ですから。それより折角の料理ですから食べて下さい。動いた後の料理は格別ですよ」
「ありがとうございます…あ、本当だ。おいしいです~」
「でしょう?」
 料理のおいしさに感嘆する瑛理に、葉月はにっこり笑う。そうしてしばらく料理を食べながらしゃべっていると、文乃が苦虫を噛み潰した表情でやって来て隆と柊司に声を掛けた。
「隆君、柊、悪いけど次のお立ちまで一緒に山車で太鼓叩いてくんない?」
「どうしたんだよ、文乃さん」
「山車で太鼓叩いてた子達が自分の間に合わせろってケンカになっちゃってね~。まったく、あれだけ練習の時に『お囃子は皆でするものよ』って口酸っぱくして言ったのに、最近の子は自分が目立つ事しか考えないんだから。親も親で、自分の子供の事しか考えないし。長縄とかムカデができないって嘆いてた山本さんの気持ちが良く分かるわ」
「文がそれだけ困ってるんじゃ相当なもんだな。よっし!じゃあ、生意気なガキ共にお手本でも見せてやるか。俺達の他は誰がやるんだ?」
「とりあえず笛は山本さんに吹いてもらうわ。後は美和子と由加ちゃんと洋太君に頼んであるの。だから後三人は…あたしと隆君と柊でいい?」
「分かった。文乃さんの頼みじゃ断れないよ。でも久し振りだから準備したいよね。文乃さん、ムカデ無理だし…長縄しよっか。だとすると回し役にもう一人欲しいな…葉月ちゃん、来てくれる?」
「いいの?」
「ああ、太鼓叩けなくても毎年長縄は見てたんだから、回すだけなら文乃さんとは姉妹なんだしできるだろ?手伝ってよ」
「うん!」
「じゃあ葉月も来て。長縄してから叩きましょ」
 そう言うと文乃は一足先に去って行った。柊司と隆はそれぞれ立ち上がるとそれに続く。葉月も立ち上がったが、不意に瑛理の肩を叩いて声を掛けた。
「盾野さんもおいで。名人級のお囃子が聴けますよ」
「え?本当に一緒してもいいんですか?」
「ええ、私だって長縄以外は役立たずなんだし。あの面子のお囃子はもう聴けないに等しいし、すごく上手いから盾野さんにも近くで聞いてほしいわ」
「はい…じゃあ折角ですから」
 瑛理も葉月に促され山車の置いてある事務所へ向かう。メンバーはもう集まっているらしく、文乃も長縄を持っていて来た葉月に一端を手渡し道路に広がると、二人で息を合わせて回し始めた。まずは一人ひとりが順番に縄の中に入っては出て行く動作を繰り返し、最後に一人ずつ全員入り、縄に合わせて跳ぶ。誰一人引っかかる事がなく長縄をこなすと、メンバーは歓声を上げた。
「久し振りなのに全然引っかからなかった~!」
「この分ならお囃子も成功間違いなし!」
「よっしゃ!このまま行くぜ!」
「ああ!お前ら、ちゃんと先輩のお囃子聴いてろよ!」
 メンバーはケンカをしていたらしい子供達に向かって声を掛けると、次々に山車へ入って行く。しばらくの間の後、一つの太鼓の音を皮切りに高い太鼓の音と大太鼓らしい一際低い太鼓の音が重なり、更にそれにすり鉦と笛が加わりキレのある素晴らしい演奏が始まった。それぞれの太鼓の協調と間に笛が重なる時もあれば、笛だけが夕空に響いたりと、その見事さに思わず瑛理は聞き惚れる。テンポの違う何曲かを演奏しどれ程経っただろうか。最後らしい笛と太鼓が響いた後、本部からもケンカしていた子供達からも拍手が上がっていた。葉月はもとより、瑛理ももちろん拍手を送る。山車から出てきたメンバーに、子供達が口々に声を掛けた。
「おじさん達すご~い!これがお囃子なんだね」
「ごめんなさい。僕達自分の事しか考えてなかった」
「分かればいいよ。今のお手本でお囃子がどんなものか分かったよね」
「うん!」
「だったらあんまり山本さんや文姉さんを困らせるなよ。お囃子は奥が深いんだ。今の気持ちを忘れなきゃもっと楽しくなるぞ」
「はい!」
「よっし!お前らいい奴らだ。頑張れよ」
 笑って子供達の頭を叩く柊司と隆に、葉月が興奮した様に声を掛ける。
「最高~!やっぱり隆兄や柊兄のお囃子が一番だね!」
 葉月の言葉に、柊司と隆がそれぞれ言葉を返す。
「そうか?そう言われると照れちまうなぁ」
「俺達が今の子達より上手いのは当たり前だよ。俺達の頃はお祭り前にちょっとしか練習しない今と違って、合宿したり年中練習してたじゃないか」
「そうだけど…やっぱり最高!あたしも叩けたら楽しかったかな」
「あんたは自業自得でしょ~?お囃子に誘われてたのにとっとと神輿に行っちゃったんだから」
「そうだけどさ~」
 葉月の言葉にやはり出てきていた文乃が突っ込みを入れる。その言葉に瑛理はふと問いかけた。
「あれ?宮田さんはお囃子できないんですか?」
 瑛理の問いに葉月は笑って答える。
「ええ、私は習わなかったの。誘われてはいたんですけどお神輿の方が魅力的で最初からそっちに専門で行っちゃって。でもあれ聞くと、習わなかったのはちょっと後悔かな」
「まあ、あんたはその分木遣り覚え込まされて上手くなったんだからそれでいいのか」
「そだね」
 そう言うと一同は笑った。その内にまた招集が掛けられ、今度は国道に向かって担ぎ始めた。瑛理は触れ太鼓の代わりに提灯を渡され、左右に揺らしながら神輿の前を歩いた。夜は昼の様に突っ込む事もあったが、それ以上に神輿を上下に揺らしながら、拍子木と笛に合わせて家の前につく担ぎ方で担いでいた。瑛理は不思議に思い、休憩に入った時に葉月に問いかける。
「あの、宮田さん」
「何ですか?」
「何か今度は違う担ぎ方してますよね。意味があるんですか?」
 瑛理の問いに葉月はにっこり笑って答える。
「ああ、今は担ぐメインが自治会じゃなくて白龍会ですから。お神輿の提灯と高張り…あの竿に付いた大きな提灯の事ですけど、お昼と変えたでしょう」
「そういえばそうでしたね。でも『はくりゅうかい』って…?」
 瑛理の更なる問いに、葉月は微笑みつつ言葉を噛み砕きながら、丁寧に答える。
「うちは私も含めて神輿好きが多くて、勢いで作った神輿会の事です。事務所も盾野さんが案内された所がそうで、法被も私のと盾野さんが着てる自治会のとは違うでしょう?この通り、一応白龍会は自治会と連携は取ってても独立していて、担ぎ方のメインも違うんですよ。自治会だと地元に合わせてお昼に担いだ『小田原流』っていう担ぎ方なんですけど白龍会は『江戸前』っていう東京で良く担がれてる担ぎ方で。今は白龍会メインだから江戸前で担いでるんです。まあ、どうしてもって所は小田原流でも担ぎますから、結局はあれこれ混じってるんですけどね」
「そうなんですか。お神輿も結構奥が深いんですね」
「私も白龍に入ってから覚えたんですけどね。しかも明日の本神輿はまたちょっと違いますよ」
「そうなんですか?楽しみです~」
「そう、慣れてくれるか心配でしたけど、本当に楽しんでくれてるみたいで安心しました」
 感心する瑛理に、葉月は明るく笑って応えた。そうして瑛理は楽しく時を過ごし、帰った後、事務所で宴会も含めた食事を摂り、ホテルへ戻った。『明日は9時からだからね』と言われ、自分も仲間だと認めてもらったのが何だか嬉しくて、その気持ちのまま帰って来てシャワーを浴び、ベッドへ入るとすぐに睡魔が襲ってくる。でもその疲れは幸せなもので瑛理はその気持ちのまま眠りに就いていった。