翌日も瑛理はバイクで言われた時間に昨日と同じ場所へ行き、また太鼓を叩かせてもらう。今度は山がメインという事もあって、神輿を頂上までトラックで運び下りて来るような形を取った。神輿と一緒にメンバーはトラックに乗りわいわい騒ぎながら山を登る。頂上まで上ると、晴天の空に爽やかな風が吹き、下を見下ろせば市街地と青い海が広がっていてとてもいい景色だ。瑛理はその風景に心が弾んだが、ふとこの風景を不知火と見られたらいいのにと思った。どうして急に不知火の事を思い出したのかは分からない。でも傍に不知火が居てくれたらいいのに、という気持ちはどうしても消せなかった。複雑な表情を見せている瑛理に、葉月が声を掛けてくる。
「盾野さん、どうしたんですか?」
「え?…ええ、ちょっと…」
「昨日頑張らせすぎて、少し疲れたのかしら。もしだったら太鼓他の人に頼みます?」
「いえ、大丈夫です。ただ…」
「ただ?」
「宮田さんだから言いますけど、ちょっと守さんの事思い出しちゃったんです」
「不知火さんが恋しくなっちゃったか…じゃあ後で私が『おまじない』掛けてあげるわ」
「『おまじない』?」
「ええ、もっと後になっちゃうけど、必ず掛けてあげるから」
「…?」
 葉月の言葉の意味が分からずきょとんとする瑛理に葉月はにっこり笑うと持っていたスポーツドリンクを差し出し、神輿の傍に戻って行った。きょとんとしたままの瑛理に、不意に柊司が声を掛ける。
「『おまじない』…か。葉月も盾野の気持ち良く分かってんな…いや、あいつも祭りの準備に追われて相当寂しくなってたんだろうな」
「御館さん、聞いてたんですか?今の話」
「ああ、すまねぇが耳に入っちまってな…で、続きだがあんたら表の性格は全然違うが中身は良く似てるから、葉月もあんたが今どんな気持ちが良く分かったんだろうな。でなきゃあいつの事だ。『おまじない』なんて祭りの私物化は自分が寂しくても絶対しねぇからな」
「宮田さんとわたしが似てる…?それに宮田さんが寂しい…?」
 不思議そうに呟く瑛理に、柊司は更に言葉を掛ける。
「ああ。盾野、関わる人間限定してた昨日の様子だと、普段人と必要以上に関わってねぇ様に見えたが、どうだ?」
「え?…あ…はい…実は…」
 柊司の鋭い読みに思わず瑛理は本音が出る。それを聞いて柊司は言葉を続けた。
「あんたとは意味合いがちょいと違うが…葉月もなんだよ、ああ見えて」
「ええ?」
 柊司の意外な言葉に瑛理は思わず声を上げる。柊司はそれを見て苦笑しながら更に続けた。
「あいつは一見人懐っこく見えるから誤解されてるが、本当は簡単に相手に心を開かねぇんだよ。どっかに壁を作ってる。中学の時の事があってからは尚更な」
「『中学の時の事』…?」
「…っと。ああ、これは昔話だ、聞き流してくれ。…とにかくな、昔っから丈夫じゃねぇって事で同じ様な年頃の奴から遠巻きにされて大人に囲まれて育ったせいか、葉月は上手く人と関われねぇんだよ。でもあいつはそれを見せて家族に心配かけたくねぇから、わざと人懐っこくして仲良くしてる様に見せてんだ。俺はそれ分かってるから辛ぇが、見ててやる事しかできねぇしな…」
「御館さんって…もしかして…」
 柊司の言葉に瑛理はある事を感じ取り、それを言葉に乗せようとする。しかし柊司は寂しげな笑顔を見せてそれを制し、言葉を続けた。
「言うなよ。…これも昔話さ、気にするな」
「…はい」
「…まあ、やっとの事でそれを受け止められる奴もできたみたいだから安心もしてるがな。盾野、あんたにもいるんだろ?そういう奴が」
 そう言ってにっと笑う柊司につられて、瑛理も思わず笑みとともに言葉が零れ落ちる。
「はい」
「だからいいんだ。やっと自分が出せる奴ができたんだ。たまにはあいつも自分の気持ちに正直にならにゃな」
「どういう事ですか?」
「それがあいつの『おまじない』さ。まあ見てりゃ分かるぜ…ほら、お立ちだ。行くぜ」
 そう言うと柊司は瑛理を促して神輿へ戻る。山を少しずつ降りてきて事務所に近い家に呼ばれた時、不意に葉月が自分から神輿の前へついた。
「すいません。私ここが多分今年最後の門付けになるんで、一本やっていいですか?」
 葉月の言葉に拍子木を持った宇佐美が納得した様に頷く。
「そうだな。お前午後は神社だもんな…よし、行け」
「ありがとうございます」
 葉月は今までの門付けの時と同じ様に神輿の前を押さえる。しかし唄った木遣りは今まで何度も繰り返していたものではなく、瑛理がそこまで一度も聞いた事のないものだった。
「そ~おぉりゃんえ~えぇ」
『おう!』
「惚れて~か~よえ~ばよ~おおぉえ」
『そりゃやっとこせ~のぉよ~お』
「そ~おぉりゃ、千里~も~いち~り~だ~よ~おい~と~なぁ!」
 その歌は恋を歌った木遣歌。離れていても恋する心があればその人は近くにいる。瑛理にはそう聞こえた。葉月が言っていた『おまじない』とはこれの事だったのか―瑛理は葉月の心遣いと彼女自身の心を思い、そして不知火の心を葉月が呼び、同時に自分の心を離れた不知火に届けてくれた気がして、少し心が温かくなった。不知火は確か今日投げるはずだ。離れているから、直接応援はできない。でも、今の唄で離れていても自分の心が不知火の傍にあり、彼を応援している事に気付いてくれればいいと思った。無理かもしれない。でも彼女の歌声はそんな不可能を可能にしてくれそうな響きを持っていた。拍子木が叩かれ神輿が向き直ると、葉月は瑛理に向かってウィンクをする。柊司も葉月に気付かれない様に瑛理に向かってにっと笑った。瑛理は二人に笑い返すと、また太鼓を叩き始めた。

 そうして事務所にまた戻ると、不意に慌てた様子で父親と隆に声を掛ける。
「あ、こんな時間になってる!もう行かなきゃ。お父さん、隆兄、盾野さんの事頼むね」
「ああ、任せとけ」
「葉月ちゃん、お風呂入らなくていいのか?」
「大丈夫、禊ついでに使えって神社のお風呂貸してくれる事になってるから」
「葉月、待ちなさい。お風呂は貸してくれてもご飯は出ないでしょ?これ持って行って向こうで食べなさい。お腹すいても『仕事中』は食べられないでしょ」
 母親からおにぎりとお茶二本を渡され、葉月はにっこり笑って受け取ると神輿の面々に笑って一礼し、昨日お払いをした神社の方向へ走って行った。
「ありがと、助かるお母さん。じゃあ皆さん、後お願いします。行ってきま~す!」
「おう!今年もしっかり頼むぜ!」
 笑って言葉を返す面々を見て不思議に思った瑛理は、隆に問い掛ける。
「宮田さん、あんなに慌ててどうしたんですか?」
 瑛理の問いに、隆は笑って答える。
「ああ、昨日言った『縁起担ぎ』の一端でね。葉月ちゃんはこれから本神輿が宮入するまで、神社側に拘束されるんだ。まあ、この後のうちの渡御が終われば分かるよ」
「はあ…」
「それより盾野さん、お昼を食べなさい。午後の渡御も山だから食べておかないとくたびれるよ」
「…あ、はい。ありがとうございます」
 瑛理は二人に促されて昼食を摂ると、午後の渡御にも参加した。葉月がいなくて不安になるかと思ったが、葉月の父や隆や柊司が何かと気を遣ってくれて、それ程気後れすることなくこなす事ができた。そうしてまた戻って来ると、神輿を担いでいた面々が三々五々に散っていく。隆も柊司も事務所から離れて行った。どうしたんだろうと思って丁度山車から下りてきた文乃に瑛理は問いかける。
「あの、文乃さん」
「どうしたの?」
「皆どこかに行っちゃったんですけど、どうしたんですか?」
 瑛理の問いに、文乃は安心させる様に笑うと答える。
「ああ、大丈夫。ここの男衆ほとんど全員本神輿の宰領したり担ぐから着替えに行っただけよ。宰領は朝から神社行っちゃってるから昨日より地区の担ぎ手いなかったでしょ?でもこっちはすぐ戻って来るわ」
「そうなんですか?」
「ええ…ほら、うちのお父さんはもう来た」
 文乃の言葉にふと見ると、確かに葉月と文乃の父親がそこにいた。下は変わっていないが、頭に何かの家紋の様な物が染め付けられた鉢巻らしきものを巻き、上着は白い和服の様な珍しい形の服になっていた。その内に隆や柊司を含めた他の面々も同じ格好で集まって来る。中には服の袖を頭に通したのか、袖が襷がけの様になっている者もいる。瑛理は戻って来た隆に問いかけた。
「秋山さん、その格好って…?」
「ああ、後は自治会神輿は宮入だけだから本神輿のために白張に着替えたんだよ。本神輿はこれ着ないと担げないし」
「『しらはり』?」
「簡単に言うと、うちの本神輿担ぐ時の正装だな。小田原流の神輿は本神輿含めて普通揃いの浴衣を着て担ぐんだけど、うちは自治会では白たぼか法被だし、本神輿も浴衣着るのは宰領…神輿の責任者の事だけど…だけ。担ぎ手はこれでね。珍しい類に入るかな」
「ああ、それが昨日宮田さんが言ってた『異端』って事なんですね」
「へぇ、葉月ちゃん、そんな事言ったんだ。そう言われればそうかもな」
「で、何で袖をたすきみたいに掛けてる人がいるんですか」
「いや、そっちが本当。白張の袖は広がるから危ないし気合を入れる力だすきって意味もあるかな。でも結構苦しいから担ぐまではそうしない人も…って宇佐美さん、何袖千切ってんですか!」
 見ると、宇佐美の着ている白張には袖がなく、大柄な身体が白張からはみ出して一見酷く言えばサンドイッチマンの様な姿になっていたのだ。瑛理は思わずくすくす笑ってしまう。慌てる隆とは裏腹に、宇佐美も豪快に笑って答えた。
「だってよぉ、これ以上でけぇ白張がなくてよ、袖が邪魔だったんだよ」
「…一応借り物なんですから勝手に袖千切らないで下さいよ。むしろ、白張に体型合わせろって事じゃないですか」
「うるせぇ、いいんだよ祭りなんだから。かまわねぇべ、今年からおらっち専用で使うからよ」
「…そうせざるを得ないが正しいですよ」
 そう言って隆は溜息をつく。そうやって人が集まり、他の地区の神輿や山車が通り過ぎるなど賑やかに時が過ぎ去って行くと、不意に低い太鼓の音が聞こえて来る。瑛理は自分が覚えた触れ太鼓のリズムだと気付き、隆に問いかける。
「あ、あの音触れ太鼓ですよね。どこの神輿が来るんですか」
 瑛理の問いに、隆はウィンクをして答える。
「あの音だと本神輿だな。渡御の前の各地区へのお払いに来たんだ。結構な見所だよ」
 太鼓の音が近付いてくると共に、神主とその従者らしき姿の少年達、それから裃姿に笠をかぶった男達と浴衣に緑の襷をかけた男達が交通整理の人間に囲まれてトラックに積まれた神輿と共に歩いてくる。神輿の後ろには天狗の面をつけた人間と巫女姿の少女達。そして…
「あ、宮田さん!」
 四人の巫女を引き連れる形で、その四人とは少し着ている物が違うが、やはり巫女姿の葉月が静かに歩いて来る。集団は本部の前で止まると、天狗姿の人間は用意された椅子に座り、神主が従者の控える中祝詞を唱え、お払いの動作をする。お払いの後神輿の後ろにござが敷かれ、テープで音楽が流れ出すと、葉月を含めた巫女達がござの上に上る。葉月はそのまま神輿に向かって跪き、他の四人は流れてくる歌に合わせて踊り出した。
「これが白神の巫女舞だよ」
「唄まで葉月の声で録り直してやがる…ほんと縁起担ぎまくってんな」
 隆が瑛理に耳打ちし、柊司が呆れた様に呟く。瑛理は巫女舞の愛らしさに思わず見とれていた。巫女舞が終わると、集まっていた地区の人間から拍手が起こる。巫女達が拍手を背にござから降りるとござはまた丸められ、天狗も立ち上がり群がる子供達に手を振って集団は去って行った。
「今年の天狗はノリが良かったな。いつもなら歩くだけでも必死で怖がらせる奴が多いのに」
「まあいいんじゃないの?ああいうノリでも。体力ある人間が受け持つってのもありだろうし」
「あれが宮田さんの『仕事』…?」
 呟く瑛理に隆が説明する様に声を掛ける。
「ああ、あれは葉月ちゃんには前哨戦みたいなものだけどね。ああやって各地区を回ってお払いをしてから本神輿は担ぐんだよ。他の巫女役の女の子はこれで見せ場おしまいだけど、葉月ちゃんは大巫女役だから宮入まで見せ場だらけだよ」
「そうなんですか~」
 感心している瑛理とは裏腹に柊司は呆れた様に声を上げる。
「でもいい加減二代目考えてやってもいいだろうによ。葉月だって縁起担ぎにいつまでも駆り出されるのは嫌だろうに」
「ま、葉月ちゃんが結婚・出産すれば二代目考えるんじゃないの?…あれだと道は遠そうだけど」
「…ったく、いつまで待たせる気だよ、あいつぁ!」
 葉月の恋愛事情を知っている様な二人の口ぶりに、瑛理は思わず問いかける。
「身内の秋山さんはともかく、御館さんも宮田さんが誰かとお付き合いしてるって、知ってるんですか?」
 瑛理の問いに、二人はあっさり答える。
「俺は探偵含めた何でも屋をしてるんだが、文からそいつの身辺調査を頼まれたからな。その後、そいつ自身の依頼も受けて個人的にも知り合ってるし」
「俺も文乃さんと付き合ってたせいもあって前々から知ってたけど…っていうか、もうここの人間は皆知ってるし、実質葉月ちゃんの婿って扱われ方されてるよ。前マスコミで騒がれたって事も原因だけど、その前からオフに頻繁にここに遊びに来てたから、その頃からばれちゃっててさ。でも義理堅い二人がそういう挨拶あえてしないんだから何か事情があるんだろうって知らない振りしてたんだ。でも、『騒動』の後は「いい加減知らない振りするのが面倒だ」ってなって遠慮なく身内扱いされちゃってるんだよね~」
 そう言って隆は笑った。マスコミで二人の事が騒動になって大変だったという話は不知火からそれとなく聞いていたが、その時はレースで海外に居た事もあって、詳しい話を彼女は知らない。しかし隆の笑顔からは町内の人間がマスコミの騒動より、彼本人を信じているという事が良く分かり、必死に隠している様で結構間が抜けている彼の行動と、そうした彼の人柄を町内の人間も良く理解しているのだと思えて、瑛理は思わず笑みが漏れた。そうしていると、本神輿の集合と宮入のために神輿を移動させるからと声が掛かり、瑛理達は神輿に近付いて行った。