神輿は手作りの台車で神社の傍に運ばれ、その後に子供達に引かれて山車が続く。そうしてこの神社に関わる全ての地区らしい神輿と山車が集まり、白張を着た本神輿の担ぎ手も各地区から集まって来る。そして本神輿の立ち上がりを今か今かと、担ぎ手も瑛理を含めた見物客も待つ。本神輿はどんな形で担がれるのだろうと瑛理が胸を躍らせながら竹で四隅を囲まれた本神輿を見詰めていると、不意に頭を叩かれる。驚いて瑛理が見上げるとそこにいたのは――
「守さん!どうしてここにいるんですか?」
 驚きと嬉しさで問いかける瑛理に、不知火は照れ隠しの様にキャップのつばをつまんで答えた。
「いや、今日は試合が早く終わってな。しかも相手はこの人だし…連れて来てもらった」
 そう言って不知火が横を指すと、横に土井垣も照れ隠しのような無愛想な表情で立っていた。
「土井垣さんも!来てくれたんですか?」
「ああ。今日はドームだし、試合が早く終わったからもしかしたら間に合うかもと思ってな。…気が付いたら守を連れて、新幹線に乗っていた」
 相変わらず無愛想な表情で言葉を紡ぐ土井垣を見て、瑛理は思わず笑みを漏らし、呟いた。
「…本当に『おまじない』効いたみたいね」
「ん?何か言ったか瑛理」
「いいえ~何でもないです」
 不知火の言葉に瑛理は笑って応える。その反応が分からず首をひねる不知火を尻目に、土井垣は周囲を見渡していた。
「どうしたんですか?土井垣さん」
「ああ、いや…葉月はいないのかと思ってな」
「宮田さんなら…」
 瑛理が答えようとすると、不意に柊司が後ろから土井垣にチョークスリーパーを掛けてきた。
「ど~い~が~き~~、よ~くノコノコとそのツラが出せたなぁ~?」
「うわっ!…御館さん、それはどういう…」
「お前がいつまでもうだうだしてっから、葉月の気苦労が絶えねぇってこったよ」
「はぁ…?」
「ごめんごめん将さん、柊司さんの保護者スピリッツ発動だよ。葉月ちゃんなら今神社の仕事中。後で会えるよ」
「将君、忙しいだろうに来てくれたんだな。ありがとう」
「…ああ、隆さん、お父さんも。ご無沙汰してます」
 土井垣が隆と葉月の父に挨拶をすると、土井垣達に気付いた担ぎ手達が口々に声を掛けて来る。
「将け!おっ不知火付きだべ!」
「おい、お前ら何呑気にしてんだよ!お前らも担ぐだら!?」
「おら早く支度してこぉ!もうすぐお立ちだぞ!」
「ええっ?俺も担がなきゃいけないんですか!?」
 担ぎ手達の威勢のいい口調のせいで言葉を本気にして困惑する不知火に、土井垣は笑って説明しながら、担ぎ手たちに申し訳なさそうに言葉を掛ける。
「守、これがみんなの挨拶なんだよ。…皆さんお元気そうで何よりです。自分も担ぎたいですけど、すいませんがシーズン中ですから肩や膝痛められませんし…」
「そうけ、そうだべな。残念だ。でも折角来たんだ。葉月も会いてえだろうし、うちの直会には来いよ。それからとっとと引退して一緒に担ぐべ」
「そうしたいですけど、引退する頃には自分は担げるかどうか…」
「な~に言ってんだ。お前の未来のおやじさんは赤襷過ぎてもこの通り未だに現役だべ」
「お父さんを基準にされると…」
 そこで一同は爆笑する。瑛理は会話の中に分からない言葉が出て、思わず呟く。
「『あかだすき』…?」
 瑛理の言葉に気付いたのか、隆がまた説明する様に言葉を掛ける。
「ああ、瑛理ちゃんは分からないか。担ぎ手の中に何人か赤い襷をしている人がいるだろ?」
そう言われて見渡してみると、何人か初老らしき担ぎ手の中に、赤い襷をした人間がいる。
「あ、本当ですね」
「あれを赤襷って言ってね。あれを付けるのは今年還暦を迎える人達なんだ。言い換えればあの赤い襷は還暦の赤いちゃんちゃんこと同じでね。特に意味はないけど還暦記念って事かな」
「っていう事は…」
「お義父さんは去年赤襷だったんだよ。でも今年も現役で担いでる。他にも赤襷過ぎても担いでる人が何人かいるよ」
「…すごいんですね…宮田さんのお父さんってそう考えると」
「そうだねぇ…おっと呼ばれてる。じゃあな、瑛理ちゃん」
 そう言って隆は呑気に笑う。と、担ぎ手に招集が掛けられ神主と巫女姿の女性と共に、同じく巫女姿の葉月が静かにやって来た。土井垣は巫女姿の葉月に気付き、目を見張る。不知火も驚いた表情で見詰めていた。浴衣姿の宰領から担ぎ手全員に全体の注意が告げられ、改めて神主の祝詞とお払いが続く。神主のお払いの後神輿の前で先刻と同じ音楽で、今度は葉月とその女性が踊りだした。先刻の巫女舞も愛らしかったが、葉月の巫女舞は更に動きが複雑で神聖さと共に華やかささえ漂う。葉月の巫女舞が終わると、先程より大きな拍手が見物客から飛び出していた。女性と葉月は神輿に一礼すると、神主と神社の方向へ戻る。瑛理は溜息をついて呟いた。
「ホント綺麗でしたね~」
「ああ、そうだな…って土井垣さん、土井垣さん?…駄目だ、いっちゃってる」
 同意する様に頷いて土井垣の方を見た不知火は、土井垣の様子に思わず声を上げる。土井垣は無言で立ち尽くしていた。その表情と眼差しからして彼女の姿にすっかり見惚れてしまった様だ。不知火は溜息をつくと、土井垣を揺り動かして正気に返らせる。
「土井垣さん!ほら、神輿が出ますよ!」
「…えっ?…あ、ああ…」
 やっとの事で正気に返った土井垣を見て、瑛理は何だか微笑ましくなってまた笑みが漏れる。不知火は呆れた様にまた溜息をつくと、声を掛けた。
「折角の神輿なんですから見て行きましょうよ。この神輿、この通りしか動かないみたいですし」
「…ああ、そうだな」
「宮田さん言ってましたけど、このお神輿、他とはちょっと違うらしいですよ」
「そうか」
 土井垣は頷くと、勢い良く立ち上がった神輿について歩いていく。瑛理も不知火について歩く。神輿の動き方からするとどうやら小田原流らしい。でも葉月が言った様にどこが違うんだろうと不思議に思っていると不意に瑛理が最初に道を尋ねた事務所の直前で止まり、宰領が声を上げた。
「よし、じゃあとぶぞ!」
『オリャ、オリャ、オリャ、オリャ…!おお~!』
「よ~し、次は振るからな!三回だぞ!」
『おお!…そーりゃ!そーりゃ!』
 宰領の声と同時に神輿が急に走り出し事務所の前で止まると、担ぎ手の声に合わせるかの様に大きく左右に傾けられる。傾いた方にいる宰領達はそれを支え、向こう側に戻していた。やがて神輿が元に戻ると、見物客から拍手が送られた。瑛理も拍手をしながら、感嘆した様に口を開く。
「ああ、これなんですね~。確かに宮田さん達が担いでたお神輿だとやらなかったです」
「そうなのか?」
「はい」
 不知火は瑛理からこの二日間であった事を聞きながら、神輿を見つつ付いて行く。瑛理は楽しげに彼に体験した事を話し、彼も興味深そうに聞いていた。土井垣はそんな二人が目に入っているのかいないのか、神輿を凝視しながら歩いている。神輿は瑛理達がいた事務所でも走った後傾けられ、更に先へ歩いて行き、そして国道に繋がる交差点へ来た時…
「さすがに国道は歩かないよな。どうやって戻って…って、ええ!?」
 神輿は宰領の『行くぞ!』という声に続いて、先刻と同じ様に掛け声と共に走り出し、そのまま国道へ飛び出す。もちろん交通整理の人間がいるのでその辺りは安心だが、初めて見る人間には無謀とも思える行動に二人は面食らう。神輿は国道の中でぐるぐる回転すると、また通りへ駆け戻って来た。それにまた見物客から拍手が起こる。神輿はそこで休憩になり、二人は驚いて口々に口を開いた。
「まさか飛び出すとはな…」
「怖くないんでしょうか…」
「ああ、担ぎ手はあれが楽しくてやってるんだから皆怖がってなんかないわよ」
「あ、文乃さん」
 不意に声を掛けられて瑛理が声の方向を見ると、文乃が笑って立っていた。文乃は笑ったまま続ける。
「あれが白神名物の『ぶん回し』。『とび』と『振り』はさっき見たわよね。『とび』は小田原の他の神社もやるけど、『ぶん回し』と『振り』は白神の本神輿の特徴よ。うちは他みたいに木遣り唄ったり門付けはしないけど、あれをこれから帰りの事務所と側道でやるから派手よ~最後は最後で国道完全に止めるし」
「そうなんですか!?」
「ええ、盾野さんも不知火君…よね…も、もちろん将君もしっかり見ときなさい。年に一度の無礼講なんだから」
「はあ…」
 二人は気が抜けた様な返事を返す。土井垣は黙っていたが、やがて重い口調で口を開いた。
「…文乃さん」
「どうしたのよ将君」
「…あんな危ない事をやりたがる葉月の気持ちが、まったくもって分かりません…」
 土井垣の言葉に文乃は苦笑して応える。
「まあね。あの子はお父さん子だから、すっかり神輿にも染まってるし…それに、本神輿は絶対女は担がせてもらえないから余計に憧れなんだと思うわ。普通の神輿でも女だって事で嫌な思いかなりしても担ぐのは好きなのよ。今は巫女って形で関われてるから、まだおとなしい方よ」
「はぁ…」
「…ああそうだ。大体宮入って言うと神社に入るまでしか皆見ないけど、あんた達は上まで上るといいわ。葉月の『仕事』、最後までちゃんと見てやって」
「…はい」
 複雑な感情を表に出して答える土井垣の表情を見て、瑛理は彼に声を掛ける。
「土井垣さん、宮田さんのお神輿担いでる姿、わたし最初はびっくりしましたけど、すごく生き生きしてて大好きになりましたよ。土井垣さんは、そんな宮田さんは嫌いなんですか?」
 瑛理の言葉に土井垣は複雑な表情を見せて応える。
「いや、神輿を担いでいる葉月は決して嫌じゃない。担げば元気でいるし、楽しそうでむしろ見ていて嬉しい。…ただ、危険も伴うから、危ない事をして欲しくないというのも本音でなぁ…」
 土井垣の言葉に瑛理も土井垣の気持ちが分かり、そこからある思いも浮かび上がって、瑛理はにっこり笑うと更に言葉を紡いだ。
「大丈夫ですよ。土井垣さんのその気持ちがあれば傍にいなくてもきっと土井垣さんは宮田さんを守れます。それに、おんなじ様に離れていても宮田さんは土井垣さんを守ってくれますよ」
「瑛理ちゃん、それはどういう…?」
「内緒です」
「…?」
 瑛理の言葉が分からず困惑した様な表情を見せる土井垣に、彼女は微笑みかけた。葉月が掛けてくれた『おまじない』それはきっと葉月自身にもかかってくれると瑛理は信じていた。そして同時に自分達にもかかってくれる―そう思った。そうしている内に神輿が立ち上がり、今度は事務所ごとにとんで振った後は休憩を取りながら、側道に逸れ国道と重なる度に先刻と同じ様に国道を止め、ぶん回しをして見物客を喜ばせる。そうして出発地点に戻り、本神輿は長い休憩に入った。文乃は三人に挨拶をすると山車に戻り、それと同時にそれぞれの地区の山車の祭囃子の演奏が佳境に入り、その腕前を披露する。そしてその中で、それぞれの自治会神輿が宮入をしていった。瑛理達は神社の入口付近で見物したが、最後という事もあってか何本も木遣りを歌い、境内の急な石段を駆け上っていく神輿の迫力に三人は思わず溜息をつく。瑛理がいた自治会の神輿は協力団体がいるとはいえ、本神輿とメンバーが重なるので一番に宮入していったが、葉月がいなくてもその迫力は落ちる事もなく大きな拍手を貰いつつ宮入から戻って来た。三人はすぐに本神輿に戻ったメンバーの穴埋めに戻って来た神輿を台車に戻す作業を手伝った後、また本神輿の宮入を道路に沿って待つ。やがて神輿が立ち上がり国道が止められ、交通整理の人間に管理されながら国道へ飛び出して来た。神輿は国道一杯を使って縦横無尽に駆け回り、時に振り、時にぶん回しをする。その合間時折神社に入ろうとする素振りも見せるが、見物客の『まだまだ!』『もっと回してろ!』の言葉に乗っているのか、鳥居まで行っても入らずそのまま下がり、また駆け回っては入ろうとするという動作を繰り返していた。瑛理を含めた三人はその勇壮さに目を見張り続ける。しかし、警備をしている警察らしき人間の見物客に与える注意の口調で警備の人間のイライラの状態も同時に分かってきて、このままだと警備と担ぎ手の間でトラブルが起こるのではないかという一抹の不安を覚えた時、やっとの事で見物客の拍手の中神輿はゆっくりと鳥居をくぐり、先刻の宮入と同様に境内の石段を駆け上っていった。警備の人間は見物客に道路から出る様に指示しながら交通整理を始め大半の見物客はそこで戻っていったが、三人を含めた一部の人間達は神輿に付いて境内の階段を上っていった。三人が境内に着くと葉月と巫女姿の女性がもう一人と神主が本殿の階段の上におり、神主は立ったまま、葉月と女性は榊葉を掲げて、神輿の動向を見守っている。神輿は本殿の周りをぐるぐると走り回っていて、何周か回った後、本殿に突っ込む素振りを見せた。葉月と女性はそれにも怯まず掲げた榊葉を前にかざし、神輿を止める。それ皮切りに拍子木が鳴り神輿は大きく上下に上げ下ろしされた後、本堂の前に置かれた。女性と葉月は奉納舞という意味であろうか、先刻と同じ様にテープに合わせて先刻とはまた違う振り付けで神輿の前で踊り一礼した後社務所らしき所へ戻って行った。その後もう一度神主がお神酒を備えた後祝詞を唱え、従者、宰領の順番で榊葉を奉納した後、神主が神輿の中から何かを取り出し紙に包んでもう一度入れ同じく社務所に戻ると、宰領の挨拶があり、独特の一本締めをする。そこで本神輿は終わりらしく、関係者らしき人々によって手早く片付けが始まる。それを確認すると三人は神社から出て、置いてあった神輿の所まで戻って行った。