神輿のメンバーは三人を待ってくれていたらしく、戻ってきたのを確認して『じゃあ山車は先に戻ったから神輿も戻そうか』と声を掛けてくれ、台車を転がしながら神輿を事務所に戻した。事務所に戻るともうこちらも片付けが始まっていて、山車の装飾の解体や太鼓の片付けなどが始まっていた。三人は神輿の片付けを手伝っていたが、神輿は翌日が土曜という事もあり、事前に借りていた倉庫に仮置きし、土曜休みのメンバーで瑛理が最初にいた事務所とともに片付けるという事で、それ程時間がかからずその日の片付けが終わり、本神輿を担がず残っていた神輿会の面々に促され、直会に参加する事になった。直会の会場に着くと、手伝いに来てくれていた神輿会の面々や早く着替え終わった本神輿の面々がすでに食事をしている。そこには葉月の父もいて、瑛理は自分が着ている法被の事を思い出し、彼に声を掛けた。
「あの~宮田さんのお父さん」
「ああ盾野さん、お疲れ様。この二日良く頑張ってくれたね。ありがとう」
「いえ…あのこの法被、どこに返せばいいんでしょうか」
 瑛理の問いに彼はにっこり笑うと瑛理から法被を受け取って口を開いた。
「ああ、忘れてたよ。悪かったね気を遣わせて。今下で返す手続きをしているからやっておこう」
「すいません。お手間をお掛けして」
「いいんだよ。どうせ私の名前で借りたからね。私が返すのが筋だ。すぐに終わるし、今返して来るよ。盾野さんは疲れただろうから、ここでゆっくりしていなさい」
「ありがとうございます」
 そう言うと彼は立ち上がり、下へ下りて行った。瑛理は彼の気遣いに感謝しながら、土井垣と不知火に並んで座敷の空いた席に座る。並んでいる料理の他に、婦人会の人達からそばやうどんを振舞われ、周囲からビールや酒やウーロン茶が回されそれぞれに注いでもらい、不知火もそれに返杯する。瑛理は遠慮深く不知火の横で大人しくしていたが、その内にふと土井垣の様子がまたおかしい事に気付いた。いつもなら返杯などは率先して行う土井垣が動かず、ぼんやりとしているのである。どうしたのかと思って声を掛けようと思ったが、どう声を掛けていいのか分からない。困惑していると、段々と本神輿を担いだり宰領をしていた面々や、山車の片付けが終わったお囃子のメインにいた文乃なども着替えて直会に入って来る。座敷にほぼメンバーらしき面々が集まった所で、自治会長からのお礼の挨拶がされ乾杯となり、また歓談に移っていく。運よく瑛理の周りは葉月の父や隆や柊司が座り、瑛理も不知火を交えて安心して話していたが、土井垣はぼんやりしたままビールにも手をつけない。その様子を見た一同はそれぞれに声を掛ける。
「土井垣さん、どうしたんですか」
「土井垣、何ボケてんだよ」
「将さん、疲れたのか」
「将君、どこかで休むかい?」
「…」
 それぞれの言葉にも土井垣は応えずぼんやりするのみ。どうしたものかと一同が考えていると、不意に葉月の特徴的で元気な声が、座敷に聞こえて来た。
「戻ってきました~。皆さん、お疲れ様でした!」
「おっ、お帰り宮田。お疲れさん」
「さあ、腹減ったろ。しっかり食えよ」
「は~い」
 その声を聞いた土井垣は不意に立ち上がり、座敷の入口で立ち話をしていた葉月の方へ歩いて行く。近付いて来た土井垣の姿を見て葉月は驚いた様に声を上げた。
「土井垣さん…来てたんですか…?」
 葉月の言葉に、土井垣は優しく言葉を掛ける。
「ああ。お前の晴れ姿、しっかり見せてもらったぞ…でもな」
「でも?」
「見ていてお前があんまり綺麗で一生懸命で…段々他の奴に見せたくなくなってしまった」
「…」
「我侭だとは分かっているがな…でも本当に綺麗だったぞ。よく頑張ったな、葉月」
 そう言って土井垣は彼女の頭を優しく撫でる。土井垣の言葉と行動に張り詰めていた気持ちが切れたのか葉月の目から不意に涙が零れ落ち、彼女はそのまま大声で泣き出した。土井垣は泣いている彼女をしっかりと抱き締める。その様子を見ていた座敷の面々から冷やかしの口笛や歓声が飛び出したがそれでも二人は気にせず、しばらくそのままになっていた。その様子を見ていた神輿会のメンバーの一人が、葉月の父に遠慮がちに声を掛ける。
「…いいんすか宮田さん、あの二人ああしといて。完全に公開ラブシーンっすよ」
 メンバーの言葉に、葉月の父は微笑ましげな笑みを見せながらのんびりと応える。
「かまわねぇよ。おらとしちゃ今がどうあれ、もう葉月はあいつに手渡したつもりだしな。今のも嬉し泣きだと思えばどうって事もねぇ」
「まあ、それならいいっすけど…」
「…ただし、本気で葉月を泣かせる様な真似しやがったら、ただじゃあ済まさねぇがな」
「…その時は俺も加勢しますよ、おじさん」
「…宮田さん、柊司さんも、怖いっすよ…」
 微笑ましげな笑みから、ドスの利いた笑みに変わった葉月の父と傍にいた柊司に、声を掛けたメンバーは恐れおののく。瑛理と不知火はそんな二人の親心(?)に恐れながらも、何か温かいものを感じ取り、同時に抱き合っている二人の心と絆を思い、二人を優しい笑顔で見詰めると、やがて自分達もお互いを見詰め合いにっこりと笑った。その内泣き止んだ葉月が身体を離した所で、婦人会の女性が声を掛ける。
「仲がいいのはいい事だけど葉月ちゃん、お昼からほとんど食べてないだろうし、泣いたらお腹すいたでしょ?食事しなさい。まだそばもうどんもおかわり一杯あるわよ。どっちが食べたい?」
「ありがとうございます。…じゃあ、おそばもらいます」
「そういえば将君も食べてなかったわね。あなたはどっちにする?」
「じゃあ、俺もそばで」
「『信州信濃の新蕎麦よりも私ゃあなたの側がいい』ってか?…ったく、当てられっ放しだべ」
「そんなに仲が良いんだから、いい加減もう待たすね。早く俺らに祝いの木遣りを唄わせろや!腕磨いて式に乱入すんの楽しみにしてんだからよ」
「あ…」
「はあ…」
 面々に冷やかされて、二人は真っ赤になって言葉を失う。照れている二人を、瑛理と不知火は微笑ましく見ていたが、やがて面々の矛先が二人にも回ってきた。
「そうだ。盾野と不知火、折角縁がこうしてできたんだから、お前ぇらの時も乱入してやるべ」
「え…?」
 まさか自分達の仲もばれたのかと二人は慌てたが、男達は豪快に笑って更に言葉を続ける。
「どっちも結婚式の時にゃ呼んでくれよ。心を込めて唄ってやるぜ」
「…はぁ」
 どうやら自分達の仲はばれていないと分かり、何となく二人は胸を撫で下ろす。と、葉月が不意に瑛理に声を掛けて来た。
「盾野さん、二日間お疲れ様。すごく気を遣っちゃったんじゃないですか」
「いいえ、ちょっとは驚いたりしましたけど、皆さん気遣ってくれましたし、いい方達ばかりで楽しめました。遊びに来て良かったです」
 楽しかったのは事実であるし、葉月の心からの労わりの言葉にも感謝しながらその感謝を瑛理は言葉の限り述べる。瑛理の言葉に葉月は微笑むと、更に言葉を紡いだ。
「ありがとうございます。そう言って貰えると嬉しいです…それで今回の記念に、押し付けになるかもしれませんけど、これ盾野さんにあげます」
 そう言うと葉月は二種類の首からさげる焼印の押された木札を差し出した。一つは昨日葉月が話してくれた白龍会の物。もう一つは白神神社のものだった。
「お神輿の守り札です。会のはそこにいる会長からお礼に渡してくれって頼まれてて。神社の方は普通担ぎ手と宰領位にしか配らないんですけど、宮司様にお願いして貰って来ちゃいました」
「本当にいいんですか?」
「ええ。受け取ってもらえると嬉しいです。お守りの効果は保障しますよ」
 そう言って悪戯っぽく笑う葉月とこの土地の人達の温かさが染み透り、瑛理は胸が一杯になる。皆の温かさに感謝を込めて、瑛理は精一杯の笑顔を見せて受け取った。
「ありがとうございます。嬉しいです」
「良かったな、瑛理」
 瑛理の笑顔に不知火も笑いかけ、葉月と側にいた土井垣も微笑みかける。そんな温かさのままに直会を過ごし、手伝いに来ていた神輿会の人間がお礼に一本締めて帰るのと同時に、土井垣と不知火も席を立った。
「俺達は明日もあるから東京に帰らんとな…皆さん、ご馳走様でした。お先に失礼します」
「そうけ。本当は『帰るね、泊まってけ』と言いたい所だがそうもいかねぇもんな。名残惜しいがまた来てくれや」
「はい。お邪魔しました」
「私もお名残惜しいですけど、そろそろホテルへ帰ります。本当にありがとうございました」
「盾野さん、本当にこの二日ありがとうな。これに懲りなかったらまたきっと来てくれな」
「はい」
「じゃああたしは皆を送って、そのまま家に帰るよ。お父さん、いい?」
「ああ、気ぃ付けて行ってこ。小田原まで行くんならけえりはタクシー使え。金はあるけ?」
「大丈夫、それ位は持ってるよ。じゃああたしも…お疲れ様でした」
 一同の温かい言葉に満たされて、瑛理は幸せな気持ちで三人と共に直会の会場を出た。会場を出て、瑛理のバイクが置いてある所まで四人で行くと、葉月が三人に声を掛ける。
「忘れてましたけど、盾野さんバイクで来てたんですよね。どうやって帰ります?土井垣さん達はここから歩いてすぐのとこに登山の駅あるから、新幹線使うならそっちの方が交通の便としてはいいんでしょうけど…盾野さん、折角だからもう少し不知火さんといたいですよね。…とはいえ、小田原駅まで歩くのは盾野さんバイク押してじゃ大変でしょうし、そうじゃなくても結構距離あるし夜は危ないから、地元民以外は勧めたくないし…どうしたらいいのかしら」
 三人が一番いい方法を何とか考えようとしている葉月の心遣いに、瑛理はまた心が温かくなる。必死に考えている葉月に土井垣がふと尋ねた。
「葉月、ここから小田原駅までバイクだと何分位だ?」
 土井垣の問いに葉月は少し考えると答える。
「ええと…トンネル使えば10分かからないはずですけど…盾野さん確か駅前のホテルでしたよね。その位でホテルから来られてました?」
「はい、その位でしたね」
「だったら守は瑛理ちゃんの後ろに乗せてもらって駅まで来い。登山線を使えばここから一駅だから、俺はそれで駅へ行く。それで待ち合わせれば電車の時間で時間のずれもできるから、守達が一緒にいる時間も作れていいだろう。瑛理ちゃん、予備のヘルメットは持ってるよな」
「え?はい」
「ならそれが一番瑛理ちゃんと守にはいいだろう。それで決定だ。瑛理ちゃん、守を頼むぞ」
「はあ…」
 どんどん仕切っていく土井垣に圧され、瑛理は思わず頷く。葉月はその様子をぼんやり見ていたが、やがて寂しそうな笑顔で土井垣に声を掛けた。
「土井垣さんが登山使うなら、慣れてるし私が送るまでもないですね。私はここで帰ります。…土井垣さん、また明日も試合、頑張って下さいね」
「ああ。お前も疲れたろう?この後体調を崩さない様に、今夜はゆっくり休めよ」
「はい。…じゃあ盾野さんも、不知火さんも…土井垣さんも…お疲れ様でした。また会いましょうね。失礼します」
 そう言って三人に精一杯の笑顔を見せて頭を下げ、踵を返そうとする葉月の姿に瑛理は彼女の本当の心を感じ取り、その心はいくら『おまじない』でもごまかしてはいけないと気付いた瑛理は、その心のままに思わず声を掛けていた。
「宮田さん、待って下さい」
 瑛理の呼びかけに、葉月は驚いた様に振り返り応える。
「どうしたんですか、盾野さん」
「ちょっとだけ待ってもらえませんか。…あの、土井垣さん、守さんも。確かお二人の明日の試合はドームで相手はお互い、しかもナイターでしたよね」
「え?…ああ」
 訳が分からないまでも瑛理の言葉に応える土井垣に、瑛理は更に言葉を続ける。
「だったら、お二人ともお昼までにドームに着けば大丈夫って事ですよね」
「まあ、そういう事になるが…それがどうかしたのか、瑛理ちゃん」
 土井垣の問いに、瑛理は少し考える素振りを見せた後、はっきりと自分の考えを口にした。
「だったら無理に帰らなくていいじゃないですか。試合が終わってからお祭りに充分間に合った距離ですよ。明日帰っても大丈夫でしょう?東京に帰らなくちゃいけない理由があるんですか」
「ああ、いや、一応守には外泊届けを出させて小次郎にも俺が預かると言ってあるが、宿泊先の事もあるし…」
「だったら守さんは今晩わたしのところへ泊めます。丁度借りてるのはツインの部屋ですし…だから、土井垣さんは今晩宮田さんの傍にいてあげて下さい」
「盾野さん」
「瑛理」
「瑛理ちゃん」
 今までにはなかった瑛理の大胆な言葉に、三人は驚いた表情を見せる。瑛理はそんな三人に、真剣な表情で言葉を続けた。
「いくら千里の距離も一里としか感じなくても、本当は好きな人には傍にいて欲しいんです。だから、一緒にいられるなら少しでもその時間を大切にしようと思って下さい、お願いします」
「瑛理、それは…?」
「どうしたんだ、瑛理ちゃん」
「盾野さん…」
 土井垣と不知火は瑛理の言葉が理解できていない様だったが、葉月だけは瑛理の言葉の意味を理解したのかまた涙を零すと、土井垣の背中から服の裾を掴んですすり泣き始めた。
「…本当は帰って欲しくないの、将さんと一緒にいたいの。…でも、それはあたしの我侭だって分かってもいるの…だから…」
「…」
 彼女のすすり泣きに、他の三人も沈黙する。やがて気まずい沈黙がどれだけ過ぎただろうか。不意に土井垣が口を開いた。
「…瑛理ちゃん」
「何ですか?」
 土井垣はしばらく言葉を捜す様に沈黙していたが、やがて向き直り、はっきりと口を開いた。
「今晩、守は瑛理ちゃんの所に置いてもらえないか?」
「土井垣さん?」
 土井垣の言葉に不知火が驚いた様に問い返す。土井垣は更に続けた。
「瑛理ちゃんの言う通りだ。ほんの少しでも一緒にいられる時間が作れるならそれを大事にした方がいい。だから守は瑛理ちゃんの厚意に甘えさせてもらえ。守、明日の9時半に新幹線の切符売り場に来い。それで帰れば充分間に合う…今夜は瑛理ちゃんと一緒にいろ」
「土井垣さん…ありがとうございます」
 不知火は驚いた表情ながらも、嬉しそうにお礼を言う。土井垣は頷くと、彼の服の裾を掴んだまますすり泣いている葉月を自分に向き直らせ、穏やかな表情でゆっくりと言葉を紡いだ。
「…葉月、お前が言った事は我侭じゃない。本当は俺もお前と一緒にいたいんだ。だから…今夜は一晩、お前の家に泊めてもらえないか?お父さん達ならきっと許してくれるだろうしな」
 土井垣の言葉に葉月は驚いた表情を見せる。
「…いいの?…」
「ああ」
「…ん」
 驚いた表情から泣き笑いになった葉月を抱き締めると、土井垣は瑛理の方を向き、口を開いた。
「こういう事だな…瑛理ちゃん」
「はい」
 瑛理は土井垣に自分の気持ちが伝わったと確信しにっこり笑って頷くと、予備のヘルメットを出して不知火に手渡した。
「じゃあ、わたし達はこれで失礼します。また明日お見送りの時にでも会いましょう。お二人とも、気をつけて帰って下さい」
「ああ、瑛理ちゃん達も気をつけてな。また明日会おう」
「はい。じゃあ失礼します」
 そう言って瑛理は不知火をバイクの後ろに乗せると、もう一度二人に一礼してバイクを出発させた。バックミラーには土井垣と葉月が寄り添いながら手を振って見送る姿が映り、そして段々と遠ざかって行った。