瑛理は葉月と弥生の案内で舞台横を回り、まずは同じ階上の楽屋へと足を運ぶ。ドアを叩くと、日本髪にシャツ姿の女性が顔を出した。
「…誰かに用?」
女性の問いに、葉月はにっこり笑って言葉を返す。
「はい、神保若菜さんに用があって来ました」
「そう。神保~、客~。着替え始めてないね」
女性の言葉に返す様に奥から『あ、は~い』と声が聞こえてきて、ドアに巫女姿の女性が現れる。その女性の顔を見て、瑛理は思わず葉月の後ろに回りこんでしまった。
「…どうしたの?瑛理さん」
「…すいません、葉月さんのお友達だって分かってるんですけど…顔が怖いです~!」
「あらら…ごめん、お姫。こんなで」
「いいよ。やっぱりこのメイクは近くで見ると怖いか」
「ま、ね。随分作り込んだじゃない。その顔」
葉月の背後に隠れて抱きついている瑛理を見て葉月は謝る様に口を開いたが、若菜は気にしていない風情でにっこり笑って言葉を返す。その言葉に弥生も同意する様に言葉を掛けると、若菜は更に言葉を返す。
「うん、最初は地を白にする以外は普通にメイクしてたら『いっちゃってる巫女なんだからそれらしくしろ!』って脚本の後藤さんに駄目出しされてね。宇佐美さんと山路さんに指導してもらって、これでやっとOKもらったの。今から思えば、確かにこの役ならこの顔の方が合ってるけど…自分で見てもこれは怖いわね」
そう言うと若菜はくすりと笑う。その顔は舞台メイクとはいえ、顔は一際白っぽく塗られ、眉をテープで消し、代わりにドラマに出てくる怪しい公家を大げさにしたような眉に、目張りからアイシャドウまでばっちり決められ唇もおちょぼ口に描かれ、普通に見るとかなり怖いものだったのだ。若菜は更に口を開く。
「まあ怖がられるのも嫌だし…ちょっと待ってて、メイクだけ簡単に落とすから」
そう言うと若菜はメイク落としシートでメイクを落として眉のテープをはがすと『これなら大丈夫?』ともう一度三人の前に現れる。それを見た瑛理は、今度は見惚れてしまう。メイクを落とした若菜は愛嬌のある日本美人といった風情だったからだ。それが巫女姿で更に強調され、とても綺麗だ。見惚れている瑛理に、葉月と弥生はにっこり笑って声を掛ける。
「ほら、瑛理さん」
「見惚れてないで差し入れあげなきゃ」
「え?…あ、はい…あの、これわたしが買ってきたお菓子です。皆さんで食べて下さい」
瑛理から若菜は微笑んでお菓子の入った袋を受け取る。
「ありがとう、明日になっちゃうけど、皆で頂くわね…ああじゃあ悪いけど私、着替えなくちゃいけないから。早くここ撤収しないとだし」
「うん、ホールで皆と待ってるから、早く来てね」
「ええ…じゃあまた後で」
そう言うと若菜は笑顔で一礼し、ドアを閉める。ドアを閉めた所で葉月が口を開く。
「じゃあ次は男子楽屋ね」
そう言うと葉月は地下への階段を降りて行き、ドアを開ける。
「こんばんは~差し入れ持って来ました~」
「こんばんは…って、いや~!」
瑛理は思わず叫び声を上げる。そこでは男性のほとんどが着替えていたのだ。瑛理はまた葉月の後ろに回りこんでしまう。葉月は苦笑すると、既に着替えが済んでドア口に来た座員と会話する。
「…おや、葉月ちゃん、珍しいね。楽屋に顔出すなんて」
「いえ、宇佐美さんにちょっと用があって…着替え終わってます?」
「ええと…宇佐美さ~ん、着替えはどうだい?」
「ああ、今終わった所」
「葉月ちゃんが来てるよ。用があるって」
「そうか…ああ、宮田君どうしたの?」
「ええと…とりあえず楽屋の外に出て、ドア閉めてくれます?主役が恥ずかしがっちゃって前に出て来れませんから」
「ああ、分かった…で?」
葉月の言葉に楽屋のドアを閉め出てきた宇佐美を確認すると、葉月は後に回りこんだ瑛理を励ます様に声を掛ける。
「ほら、瑛理さん、もう大丈夫だから。ご挨拶して差し入れプレゼントしなさいな」
「はい…お久し振りです。こんばんは」
葉月の背後から恐る恐る出てきた瑛理に、宇佐美は嬉しそうに声をあげる。
「おっ!盾野さんじゃねぇけ!久し振りだな~元気だったけ?」
宇佐美の相変わらずの温かい言葉に、瑛理は勇気付けられ、一生懸命言葉を紡ぐ。
「はい…あの、今日のお芝居、すごく良かったです。わたし、思わず泣いちゃいました」
「ありがとう。皆そう言われると喜ぶよ」
「それから…これ、わたしが買ってきたお菓子です。皆さんで食べて下さい」
「ありがとうな、気を遣わせて。後で皆で食べるよ」
宇佐美はにっこり笑って瑛理から包みを受け取ると、更に優しく言葉を掛ける。
「また、お祭りの時にはおいでな。皆待ってるから」
「はい」
宇佐美の言葉に瑛理はやっとにっこり笑う。宇佐美も更ににっこり笑うと、今度は葉月に言葉を掛ける。
「さあ、宮田君のお目当ては神保君だろ?早く行ってあげな」
「はい、そうします。宇佐美さん、お疲れ様でした」
「ああ、じゃあな。宮田君も神輿を担ぎに戻っておいで」
そう言って四人は別れるとホールに戻る。ホールでは土井垣達が待っていて、不知火が瑛理に言葉を掛ける。
「どうだ、差し入れはあげられたか?」
「はい、何とかあげられました」
「そうか、良かったな」
そう言うと不知火は瑛理の頭を撫でる。それを微笑ましそうに一同は見ていた。そうしてしばらく待つと、ポニーテールにジーンズにジャンパーというボーイッシュな格好の女性がバッグを持って近づいて来る。若菜だと良く見て瑛理は気付いた。義経はすぐ気付いたらしく、花束を持って駆け寄ると、彼女に優しく言葉を掛ける。
「若菜さん…今年も素晴らしかった」
「あんな役だったのにですか?」
「でも役柄上も、若菜さん自身も誇りを持って演じているのが良く分かった。だから…素晴らしい。そうだ、また…花束を」
「光さん…ありがとうございます」
優しく言葉を掛け、花束を渡す義経から、若菜は嬉しそうに微笑んで百合の花束を受け取ると、その胸に顔を埋める。義経も花束を潰さない様に腕を回した。それを見た三太郎と小次郎がはやし立てる様に言葉を掛ける。
「お~い、俺達置いてけぼりか~?」
「勝手に二人の世界作るんじゃねぇよ。目の毒だぜ」
「…」
二人の言葉に、義経と若菜はばつが悪そうに身体を離す。それを見て柊司は苦笑すると、全員に声を掛ける。
「じゃあ、飲みに行くか!『つばめ』と『足柄』どっちがいいか…」
「そうですね、私としては厄介な人達が来そうな『つばめ』よりは座長とかが来るでしょうから、『足柄』に行きたいんですけど、この人数じゃ狭いかな…『つばめ』の方が無難かも…」
「『厄介な人達』?」
瑛理の素朴な問いに、若菜は苦笑して答える。
「まあ…劇団の中にも色々事情があってね。嫌な話だから聞かないで」
「そうなんですか~」
「でも、お姫の事情は抜きにしても『足柄』のシロはホントおいしいから食べてもらいたいし…『足柄』行ってみる?」
「だな。とりあえずついて来い、案内してやるから」
そう言うと柊司は一同を案内して駅の傍の居酒屋へと入れる。と、そこのカウンターで飲んでいた老年の男性が若菜に気付いて声を掛けてきた。
「神保!ここに来たのか」
若菜はその男性を見ると、緊張した様に言葉を紡ぐ。
「あ…後藤さん、いらしてたんですか」
「ああ。全部観てから一足先にな。とりあえずお前は及第点だ。明日もあの調子でやれ」
「はい、ありがとうございます。じゃあ私は連れがいますので向こうで飲みます」
「ああ、明日もあるんだから飲み過ぎるなよ」
「後藤さんも。お体があまり良くないんですから、飲み過ぎない様にして下さいね」
そう言うと若菜は一礼して瑛理達が座ったテーブル席へとつく。飲み物が運ばれてきて乾杯した後、葉月は若菜にふと問い掛ける。
「もしかして…あれが後藤さん?」
「そう、うちの座付き作家、後藤翔如氏。今回の脚本も手がけた人よ」
若菜の言葉に、柊司も感心した様に言葉を紡ぐ。
「へぇ…初めて見たぜ。脚本通りのイメージの人だな。豪快だがすっと一本筋が通って、ちょっと厳しそうな」
「ええ。だから色々座に言いたい事もあるらしくて。先に飲んでるって事は、きっとまた何か思う所があったんでしょうね。私も分からないでもないですが」
「神保さん、どこか手厳しいな。君も何かありそうだ」
土井垣の言葉に、若菜は苦笑して応える。
「ええ…色々と。でもそんな話は止めましょう。今回の芝居はどうでした?」
話題を変えた若菜の心を感じ取り、一同はそれ以上深く追求せず、飲みながら今回の芝居について感想を述べていく。
「初めて観ましたけど、すごく皆さん上手なんですね。わたし、感動しました」
「俺も今年も感動したぜ。去年も思ったけど皆芝居うまいし、セットも効果もすごくてさ」
「確かに。凛を連れて来てやれば良かったな。こういうビシッとした芝居なら楽しみそうだし」
「そうですか。ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいです」
「それに、毎年の事だが脚本がいいぜ。唐人お吉でああいう書き方は斬新だ。普通はハリスとの恋愛物に仕立て上げたがるもんだが、そうしないでお吉を使命感を持った女にしただけじゃなくて、外国人に関わった女らしく英語を喋らせた上、ハリス本人も出さねぇってのは意外だった」
「ええ、ハリスはできる役者さんがいないからってああいう書き方にしたそうですが、お吉の描き方は、それが後藤さんの狙いだったみたいですよ。御館さん、ちゃんと分かったんですね。それ言ったら後藤さん、きっと喜びますよ」
「そうか。また今年も座長に当てて手紙出すからよ」
「はい、お願いします」
「それに、あんたの芝居もうまかったぜ。一歩間違えば悪目立ちする役をちゃんと周りと馴染ませてよ」
小次郎の言葉に、若菜は恥ずかしそうに応える。
「ああ…あれは、相手の宇佐美さんの受け方がいいんですよ。私はただ必死にやってるだけで」
「その一生懸命さが伝わるからいい芝居になっているんだ。だから…若菜さんも良かったんだ」
「…ありがとうございます」
義経の一生懸命な優しい褒め言葉に、若菜は恥ずかしそうに沈黙する。それを見て他の面々は楽しげに笑うと、不知火が更に感心した様に言葉を紡ぐ。
「それに、女性の中では一番声が通っていたんじゃないかな。はっきりセリフが言葉として聞こえたのは君だけだった。男性でも伊佐…だったか、あの悪役らしい侍の人と、公家の三条…だよな。君と絡んだ年寄りの方の人と君と一緒に出てきた三人の侍の一人以外は聞きづらかったな」
「ああ、それは皆マイク頼っちゃうんで声が自然と小さくなるんですよ。伊佐役の座長とか三条役の宇佐美さんとか侍の真木役の酒井さんは昔からの舞台人だから声張りますし、私も養成所で習った事が身に染みているせいか、マイクの事いつも忘れて声張る方なので。で、私は声帯も強いせいか声が通る方なので、逆に『声落とせ』って言われるんです」
「いや、今位の方がむしろ聞きやすい。これ以上落とさない方がいいぞ」
「そうですか。今位ですね、覚えておきます」
土井垣の言葉に、若菜は頷く。今度は葉月が口を開く。
「それにしてもあんたの役、観てやっと分かったわ。あれ以上書き様がないのね」
「そういう事。説明つかない役でしょ?」
「っていうか、あんた何気にコスプレ率高くない?」
弥生の言葉に、若菜は考え込む様に言葉を紡いでいく。
「そうね…一年目は平家物語で女官役だったから十二単もどきのお引きずりで、二年目は『もうひとつの教室』だから在日韓国人の役でラストにチマ・チョゴリ着たし…三年目は…なんだったっけ?」
「隠れキリシタンの話じゃなかったっけ?」
「ああそうだ。『伴天連始末記』で、あの時は妊婦役で…次は『万治三年一揆』だから…おばあさん役で、まだらに白髪に染めて、しかも泥汚れにするために茶色のドーラン塗りたくって、一揆の話だから途中竹やりまで持って!」
「そうそう!あれは結構すごかった!」
「…あんた、色物街道歩いてきてんだな…」
親友三人の会話に、小次郎が感服した様な、呆れた様な言葉を紡ぐ。その言葉に、若菜は苦笑して言葉を紡ぐ。
「…まあ、うちの女優陣、口では『羨ましい、やりたかった役だ』って言っても、本気で色物やろうって人、誰もいませんからね。自然と断らない私に集まるって訳で。でもその分演じきれば腕も上がるし、私としては役者としては楽しんでもらえれば本望ですから、これもありかなって思っています」
「そうか」
「でも、若菜ちゃんの一生懸命さがうまく作用して、際物になりかねねぇ役を、きちんといい意味で味のある脇役にしてるから、そういう意味ではああいう役は若菜ちゃんじゃねぇとできねぇと俺は思うな。それ分かってるからの毎年のキャストじゃねぇか?今年もお吉と妹芸者のおふく役やった毎年主役張ってる女優は、確かにうめぇかもしれねぇが、技巧に走り過ぎてるっていうか…どっか熱意は片手間に見える時があるんだよなぁ。華はあっても、きれいな役しかできねぇタイプだな」
「…御館さん。その話は、座長と後藤さんの前だけにしておいて下さいね」
「…おーよ。分かってるぜ」
若菜の重い言葉に、柊司も重い口調で返す。義経は柊司の言葉に、嬉しそうに言葉を紡ぐ。
「でも、御館さんも若菜さんの一生懸命さを分かってくれるんですね」
義経の嬉しそうな言葉に柊司と葉月と弥生がそれぞれ口を開く。
「もちろんだぜ。俺だって一応人形劇とはいえ、芝居やってた身だぜ?そこら辺は分かるつもりだ」
「あたしだってお姫の一生懸命さは良く分かってるつもり。メインキャラやらせてもらえないのに、愚痴なんて一言も言わないで、あれだけ見事に演じ切って」
「おゆきは演研時代から、もらった役にかじりついて、何か変わった事やってやろうって言うより、役に溶け込む事を考えて、無心で一生懸命やるタイプだったもんね。変わってないのは毎年の芝居観てれば良く分かるわ。いい事よ」
「ありがとう…皆」
先輩や親友の言葉に、若菜は嬉しそうに涙を零す。それを見た義経が優しく言葉を掛ける。
「嬉しいのは分かるが…泣く必要はないだろう?今の言葉を胸に、更に精進するといい」
「ええ…そうね、光さん」
そう言って涙を拭う若菜を見て、瑛理は心が温まる気がした。と、ばつが悪くなったのか、話題を変える様に若菜が口を開く。
「あ、シロが来た。あったかいうちに食べて下さい。冷めると味が落ちますから」
「じゃあ遠慮なく…うわ、うまいなこれ。皆も食べろよ」
三太郎の言葉にそれぞれはタレで焼いた焼き鳥を口にすると、感嘆の声をあげる。
「え?…うわぁ、甘くておいしいです~」
「それに口の中でいい具合にとろけやがる、うめえよこれ」
「確かに…今まで食ったシロの中では一番のうまさかもしれん」
「だろ?ここのシロがうまくなきゃシロが好きとは言えねぇぜ」
面々の言葉に、柊司が満足げに口を開く。葉月も弥生も若菜も楽しげに言葉を紡いでいく。
「皆が喜んでくれて、嬉しいな」
「ホントね。楽しんでもらえるのが一番よ」
「そうね。あ~後藤さんには及第点って言われたし、お酒も食べ物もおいしいし、皆喜んでるし、髪も結ってないからのんびり眠れるし、今年は最高だわ」
「そっか、確かに。今年のお姫は、普通に結んで髪飾りつけてただけだったね」
「付け毛で髪の長さ伸ばしたから、その継ぎ目隠すために髪飾りつけたんだけどね。付け毛はパーティーショップの安物だし、髪飾りも画用紙に色塗っただけの使い捨てだし、結構粗忽者の私としてはありがたいわ」
「え?『髪結ってない』って…どういう事ですか」
葉月と若菜の会話が不思議で、瑛理はふと問い掛ける。その問いに、若菜は丁寧に説明する。その説明に瑛理も不知火も小次郎も、去年の若菜の帰りの姿を見ていない三太郎も驚いた。
「…じゃあ、女性のほとんどは地毛を日本髪に結ってるって事か…?」
「そうです。かつら使う場合もありますけど、近所に日本髪結える美容師さんがいてお値段勉強してくださるから、その方が安いって事で、結ってもらうんですよ。で、櫛や簪も町人用の質素なものなら座の小道具にありますし。その代わり、髪は絶対に切れませんし、結ったら一晩持たせなければいけないので寝る時が大変で、あんまり睡眠が取れない事が多くて…でもかつらだと重かったり、頭の形に合わないと頭痛くなったり、ちょっとネットを切っただけでもびっくりする程修理代するので、地毛の方が楽と言えば楽なんですけどね」
「でも男はかつらだろ?全然違和感ねぇぞ」
「そう言ってもらえると、美容師さん大喜びですよ」
「そうだったんですか…じゃあ楽屋でシャツであの髪型だった人は結ってたんですね。すごいです」
「じゃあ、去年の侍女役の時は、姫さん髪結ってたのか?」
「はい」
「似合っていただろう?」
「ああ、違和感全然なかったぜ。黄八丈も馴染んでさ」
「確かに。今回の巫女さんは特別だから抜いても、顔立ちからすると、日本髪も着物も似合いそうな顔だよな」
「…ありがとうございます」
義経と三太郎と小次郎の言葉に、若菜は恥ずかしそうに応える。そうしておいしい料理と酒に舌鼓を打ちながら話題が弾む。瑛理は言う事は言っても芯は優しい若菜に慣れる事ができ、色々芝居について楽しげに聞く。若菜も丁寧に答える。葉月や土井垣や不知火は二人が仲良くなった事を喜びながら話していると、店に年配の男性数名がやって来る。その男性陣は、若菜を見つけると声を掛けた。
「若菜ちゃん、ここで飲んでたんだ」
「あ、座長、宇佐美さんに山路さんに酒井さんも。やっぱりこちらに来ましたか」
「やっぱりって事は…狙って飲みに来たのかい?」
「ええ、まあ…あっちのメンバーよりは座長達の傍の方がどんな話題出ても大丈夫だと思って」
「まあね。若菜ちゃんは由紀ちゃんや真佐子ちゃん達苦手だもんね。こっちの方が落ち着くか」
「ええ」
若菜と会話している『座長』と言われた男性に、柊司は立ち上がると、丁寧に挨拶する。
「関谷さん。どうも。今年も観させてもらいました。また感想書かせてもらいますんで…」
「御館君、毎年ありがとう。君の鋭い感想はありがたいよ。本当なら演出の後継者として、君にも座に入ってもらいたい位だ」
「いえ…嬉しい言葉ですが、俺は東京の仕事が忙しいんで…その内小田原に帰って来られた時でも入れて下さい」
「ああ、楽しみにしてるよ」
「ああ、盾野さんも飲んでるんだね。楽しんでるかい?」
「あ、はい宇佐美さん。若…菜さんもいい方で話も興味深いし、楽しいです」
「そうか。楽しんでね」
「はい」
そうして男性陣は一同から離れると、飲んでいた後藤に声を掛ける。
「ああ、ゴンちゃん、やっぱり来てた。飲もうよ」
「そのつもりだぜ、秀さん、宇佐美さん、酒ちゃん、山さんも。今回もみっちり言わせてもらうぜ」
「了解」
そうして飲みながら話し始める男性陣を見て、不知火は口を開く。
「あれ、声からすると悪役の人と公家やってた人と侍の人だよな。あんな気の良さそうな人だったのか…」
不知火の言葉に、若菜がにっこり笑って答える。
「はい。座長は普段の姿は気のいいコロッケ屋さんですし、宇佐美さんも酒井さんも皆いい方です。皆ベテランの役者さんだから、あれだけ悪役ができるんですよ。だってアマチュアとはいえ、創設してからほぼずっと荒久にいる、生粋の役者さんですよ?山路さんは引退していますけど、メイクとかで手伝って下さっていて。でも演じれば見事な芝居を見せて下さいます」
「そうなのか…」
「だから私もあの通り安心して芝居が預けられるんです。他の方だとああはいきません。こう言っては何ですけど」
「まあな。あえて若菜ちゃんをあの人達と組ませる様な役にしてるのはそこら辺もあるかもな。何せ一年目は女性陣と組んだら息が合わなくてミス連発したのに、二年目から関谷さんや宇佐美さんや山路さんと組んだら、一気に上達して、存在感増したもんな。若菜ちゃん」
「ふむ…そこを見ると色々考えている様だな。座長さん達は。バッテリーを組む時の参考にも一度、人の合わせ方について話してみたいものだ」
柊司の言葉に、土井垣は感心した様に言葉を紡ぐ。そうしてまたしばらく楽しく飲んだ後、遅くなったので解散する事にした。
「じゃあ、私はこれで。…ああ、そうだ犬飼さん。これを」
若菜は持っていたバッグの一つを差し出す。
「おようから頼まれた過去の芝居のビデオとDVDです。お役に立てばいいのですが」
「ああ、ありがたく借りるぜ。モチベーション向上に役に立ちそうだ」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
「じゃあ…若菜さん、行くか」
「はい、光さん」
「おい義経~、お前姫さんの所に泊まるのか~?」
三太郎のからかいが含まれた言葉に、義経は苦虫を噛み潰した様な表情で言葉を返す。
「若菜さんのお父さんから、『ちゃんと守って帰って来る様に』と言われているんだ。悪いか」
「い~や?別に~?ちなみに明日の観光はどうすんだよ」
「俺は、若菜さんの芝居をもう一度観に行くから…辞退する」
「ふ~ん…」
楽しげににやにや笑う三太郎に、若菜は顔を赤くし、義経は更に苦い顔になる。それを見ていた弥生がたしなめる様に言葉を紡ぐ。
「ほら、三太郎君。あんまり義経君いじめないの。おゆきが可哀想でしょ」
「それもそうだ。ごめんな姫さん」
「いいえ…ではまた会いましょう。盾野さん、お菓子ありがとう。それに一緒に飲めて、楽しかったわ」
「あ、はい…こちらこそ。ええと…若菜さん…?おひめさん…?おゆきさん…?」
「どれでも。呼びやすい呼び方でいいわ」
「じゃあ…おゆきさん…また会いましょうね。で、できたらわたしもおゆきさんのビデオ見せて下さい」
「嬉しい言葉、ありがとう。じゃあそのビデオ、犬飼さんから不知火さんにそのまま渡して下さい」
「ああ。分かった」
「じゃあ、こちらこそまた会いましょうね」
そう言うと義経と若菜は二人で楽しげにタクシーに乗っていった。それを見送ると、不知火が苦笑して言葉を紡ぐ。
「あの悟り澄ました様な態度で『クールな美形』って言われてる義経が、あれ程甘くなるとはな…まあ土井垣さんも似た様なものだから分からないでもないか」
「それはどういう意味だ、守」
苦い顔で不知火を睨む土井垣に、柊司がさらりととどめを刺す。
「だから、そういう意味じゃねぇのか?土井垣」
「~!」
柊司のとどめに、土井垣は言葉がなくなる。それを見て柊司はにやりと笑うと、口を開く。
「じゃあ帰るぜ。まだ登山は何とか残ってるからそれ乗るぞ」
そうして全員で小田急線のホームに行き、一駅乗った後、まず柊司は葉月の家へ向かい、家まで葉月達を送る。
「じゃあ葉月、弥生ちゃん、盾野。また明日な」
「は~い。守さん、また明日」
「ありがとうございました。送ってもらって。じゃあね、三太郎君」
「じゃあ柊、後よろしく。将さんもまた明日」
「ああ…じゃあ土井垣、不知火、微笑、犬飼、うちに連れて行くから来い」
「じゃあな…葉月、名残惜しいがまた明日」
「弥生さん。明日な」
「瑛理、あんまり二人に迷惑掛けるなよ」
「じゃあな皆、また明日会おうぜ」
そう言うと男性陣と女性陣は別れて、女性三人は葉月の家に入る。葉月の両親は寝ている様で、居間と布団を敷いてある和室に、小さな明かりがついているだけであった。それを見た葉月は、小さな声で二人に声を掛ける。
「…じゃあ、お風呂の様子見るから瑛理さん、ヒナの順番に入って。あたしは最後に入るから」
葉月に合わせて、二人も小さな声で返す。
「…オッケー」
「…じゃあ、お言葉に甘えます」
そう言うと葉月は風呂の温度を確かめ、『丁度いいから入って』と言うと、自分も寝る支度を始める。まず瑛理が入り、冷えた身体を温めた後、入れ替わりで弥生が入り、最後に葉月が入って、全員寝支度を済ませると、それでも寝るのが何となく惜しくてしばらく色々話す。特に瑛理は初対面だが気さくな弥生の話が聞きたくて、色々尋ねていた。弥生もそれに明るく返す。葉月は瑛理が弥生に慣れてくれた事に安心して微笑みながらその様子を見ていた。そうして色々話した後、段々心地よい睡魔が訪れて、三人は眠りに就いた――