それより少し前の京都の某スタジオでは今回のカメラマンである遠山という男性が義経と若菜の二人を前に上機嫌で話しかけていた。
「いや~君が受けてくれて助かったよ~あの新聞の写真見た後キャンプとかで君を直に見たらどうしても君じゃないとイメージが湧かなくってね。お嬢さんには悪かったけど力技使わせてもらった。でもそうして正解だったな~。…お嬢さん、君のその容姿、きっと装束着たら似合う!一応こちらで選んできたモデルもいるけど、こうして見ると義経君と並んだら君の方が断然いい!」
「はあ、そうですか?…でも折角抜擢されたそのモデルの方に悪いです。それに私はむしろこうした形で表に出るのは控えたいので、できれば光さんのサポートと装束の勉強専門にして、イメージキャラクターとしての仕事はその方にお任せしたいのですが…」
「謙虚な人だね。それも気に入ったし、正直君のその雰囲気は惜しい…じゃあこうしよう、そのモデルと君の二人に装束を着てもらって、どっちが彼に合うかスタッフにコンペしてもらおう。折角勉強しに来たんだし、こんな機会はそうないだろうから君も装束を着てみなさい」
「…はあ」
そう言っていた時にスタジオにすらりとした20そこそこに見える和風美人という印象を受ける女性が、マネージャーらしい男性を連れてカメラマンの前に現れて口を開く。
「おはようございます、遠山先生。…こちらが義経選手?噂通り端正な方ですね」
話言葉こそ丁寧だったが、その口調や義経に向けられた眼差しはあわよくば目に留まって彼に恋人がいると知ってか知らずか陥落させてしまおう、自分の魅力に落ちない男はいないという意図と自信が見え見えの猫撫で声と媚態。普通の男ならこれとこの容姿で一コロだったかしれない。しかし相手は義経だ。義経は一般からしたら華やかな職業のプロ野球選手であるし、若菜に選手通用口で堂々と告白した前科と、それ以降も逃げも隠れもせず堂々と甘い態度で接しながら彼女を連れて街を歩いている事から、今回光源氏のイメージを持たれた様に今では軟派というか派手なプレイボーイに見られがちになってしまったが、実際の所は若菜に対する想いと行動こそが特別というか異質で、基本的にはスターズに入団するまでは渋民で山伏道場の次期総師という役割に何の疑問も持たず修行の日々の生活を送っていたし、今でもそれが当たり前だと思っているので、彼女との話が出る以前に言われていた恋人や女遊びどころか、女の影一つ誰もスクープできないというかしようもない位健全(ある種とても不健全なのだが)な生活を送っている女に対しては淡泊…いや、それどころか友情や職務以外で関わろうとする女性に対しては事務的付き合い以上の関わりを持たない位無関心という評判こそが真実。故にそれが無意識だろうが意識的だろうが、こうした女性の媚態は正直苦手どころか嫌悪すら覚えるという芯から硬派なタイプ。結果この女性の態度に対しても馴れ馴れしく思い好印象は抱かず、その媚態に対して顔をしかめた。その表情にその女性は怪訝そうな表情を見せ、やっと隣に若菜がいる事に気づいたのか彼女に問いかける。
「…あら、全然気がつかなかったけれどお隣に女性が。あなたどなた?恰好からすると球団スタッフか義経さんのマネージャーの方?」
「あ、ええと…その…」
その女性の若菜に向けた冷たい視線と明らかに棘のある口調に、若菜は今まで彼と付き合ってきて街も平気で一緒に歩けた位彼の優しさに包まれていたおかげで気付かないでいる事ができた、義経といる自分に対する他の女の敵意を初めて感じ取って、学生の頃男性一般が苦手だった上、たった一度だけ会った義経を想い続けていたが故に、男性の告白を断り続けていた当時に同年代の少女達からある事ない事言われて冷たい視線を浴びせられていた時の様な、いやそれ以上の恐怖を感じてたじろぐ。義経は仕事上も毅然としているそうだし、舞台度胸もある彼女が珍しく初対面とはいえ仕事仲間となる存在に委縮している理由は分からなかったが、その委縮した雰囲気は感じ取ったので、彼女を守るためにそっと後ろに隠す様にその女性との間に立ち、静かに、しかし毅然とした口調で彼女の代わりに言葉を返す。
「彼女はマネージャーじゃありません。僕の妻で、こうした仕事のパートナーです。ところであなたこそどなたですか。人に名前を聞く時には自分から名乗るのが礼儀でしょう」
「!」
自分の魅力に陥落しなかったばかりか自分を差し置いてパートナーという女性がいて、とどめに礼儀作法で説教までされるとは思っていなかったのだろう。女性はむっとした表情で怒りのためか顔を赤くして口をつぐむ。そしてピンと張りつめた雰囲気が走った所でカメラマンの遠山が宥める様に言葉を紡ぐ。
「すまないね瑠璃ちゃん。義経君こういう業界には慣れてないから許してあげて。…義経君。彼女は僕が君の相手役に選んだモデルの瑠璃ちゃん。このジャンルではトップモデルだよ」
「そうですか。彼女がいるのでお世話にならないかもしれませんが、よろしくお願いします」
「…」
義経のある意味実直、ある意味正直過ぎて場の雰囲気を読んでいない対応に瑠璃は更に不機嫌な表情になり、その表情のままの言葉を紡ぐ。
「どういう事ですか遠山先生。私は紫の上のイメージキャラクターとして先生に選ばれたんじゃないんですか?こんな風にパートナーっていう方がいるとは聞いていませんわ」
瑠璃の言葉に遠山は心底申し訳なさそうに言葉を返す。
「ゴメン、瑠璃ちゃん。事情がちょっと変わった。最初はこのお嬢さんには義経君に裏のサポートでついてもらおうと思ったんだけど、こうして会ってみたら彼女でもイメージが湧いてきてね。一応彼女もアマチュアとはいえ役者経験長い娘だからこうした仕事は教えればできるだろうし、申し訳ないけどこれからスタッフにコンペしてもらってどっちがイメージキャラクターになるか決める事にした。そこで堂々君が選ばれればいい事だろう」
「…そうですね。じゃあ、正々堂々戦いましょうね…お名前は?」
「神保…若菜です」
「そう、若菜さん、よろしく」
そう言って笑顔で、しかし眼差しは変わらない敵意を持って手を差し出してきた瑠璃の手を若菜は恐ろしくて拒みたかったが、円滑にこの撮影を進める必要性が分かっていたので、仕方なくおずおずと手を差し出す。そして握手をしたのを確かめて遠山が説明していく。
「まずルール説明をするよ。確かに撮るのは光源氏と紫の上のポスターだけど、ここにはあえてポスターとしていいものを撮りたかったから他の光源氏に関わった女性達をイメージした装束も大方用意してある。紫の上はコンペに勝った方に着てもらうから、今はその他の装束を君達が選んで着てもらいたい。そうして同じ様に装束を着た義経君に並んで立ってもらって雰囲気が合う方をイメージキャラクターとして紫の上になってもらう。それで皆いいね」
「はい」
「分かりました」
「…」
「じゃあ皆支度に入って」
そう言うと瑠璃は慣れているのか控室に何の躊躇もなく足を運ぶ。その時若菜にしか聞こえない声で彼女に『こんなおばさんと勝負なんて…遠山先生も何考えてるのかしら』と囁きかけていった。それを聞いて恐怖のあまり立ちすくむ若菜を見て義経は心配になり声をかける。
「…いいんだ、無理をしなくても。俺は若菜さんがいてくれるだけで充分だ。そんな泣きそうな表情になる位なら、俺はあなたの笑顔があれば一人で頑張れるから…無理はして欲しくない。俺のためにも…あなたが笑顔でいられる様にしてくれ」
義経の自分を心底心配する言葉に若菜は心が温まると共に、彼女の敵意に勝てなければこれ以降も義経と付き合っていくと、添い遂げるどころか他の女性ファンのこうした眼差しにも勝てなくなり辛いだけになってしまうという現実に気付き、加えてこうしたプロの他人を蹴落とす生き残り競争が嫌いでプロの役者になるのを諦めた身だけれど、それ以上に相手を貶める言葉を平気で吐くトップというのに怒りが湧いてくるのを感じ、静かに頭を振っていつもの芯の強い笑顔を義経に見せ言葉を返す。
「…いいえ、大丈夫です。光さんの横に立つのは…私でないと嫌です。だから…頑張ります」
「そうか…でも本当に無理はしないでくれ」
「ありがとう。光さんのその言葉があれば…私は頑張れるから」
「…じゃあ…後で」
そう言うと義経もスタッフに呼ばれて控室へ行く。若菜もうん、と頷くとスタッフに促されて控室に行き、その様子を遠山が見つめていた――
控室に入ると源氏物語の女性登場人物の名前の紙が添えられた装束のセットがずらりと並び、衣装スタッフと着つけスタッフとメイク担当の女性がスタンバイしていた。瑠璃は何のためらいもなく紫の上と同等とも言える光源氏永遠の女性、藤壺の装束を選び、元の化粧を落とし彼女の美しさが更に際立つメイクをしてもらう。若菜はこの沢山の装束の中から何を選ぼうかと悩むのと同時に、装束の事も学びに来たのだからとまずは装束の色々について詳しく話を聞いて行く。衣装スタッフもその彼女の熱心さに装束の色々な知識を教えてくれた。そうした若菜の様子に、メイクが終わり装束を着せてもらっている瑠璃が意地悪な口調で声をかける。
「あ~ら、勝てないと思って媚を売る戦法に出たのね。さすがおばさん、老獪だわ」
「…」
若菜は瑠璃の傲慢な様子に怒りのあまり怒鳴りつけたい衝動にかられたが、トラブルを起こしてしまったら義経に迷惑をかける事になると分かっているので唇を噛み締めて堪える。それを見ていた衣装スタッフは若菜を励ます様に口を開く。
「気にしちゃダメよ。瑠璃ちゃんもアマチュアのあなたに仕事をとられるって思ってなかったから、プロの意地もあってきつくなってるんだし…ところであなたはどれにする?」
「あ、はい…ええと…」
そう言われて若菜は装束を見渡すと、ふと一つだけ目立つ程に質素な色合いの装束が彼女の眼に入って来る。その装束をイメージされた登場人物の札を見た時に若菜はこれだ、と思った。確かに自分には瑠璃の様な若さやモデルとしてのキャリアはない。けれど長年アマチュアとはいえ培ってきた役者としてのキャリアと知識がある。そしてそのアマチュア劇団に入っていたからこそ得られた知識がこの装束なら生かす事ができる。プロと張り合うのなら自分の持っているものでそれに負けないものを見せよう、一世一代の大芝居を――
「…その…蘇芳色ですよね…が表の装束にします」
若菜が選んだ装束にスタッフは驚いて止めようとする。
「ええっ!?これ!?…これはやめた方がいいわ。遠山さんがどうしてもっていうから用意したけど…他の華やかな装束に比べたら見て分かる通りすごく地味よ?それにこの人物だって…」
「いえ、いいんです。これが…私は着たいです。それに…ばくちかもしれませんがやってみたい事があるんです」
若菜の決意のこもった眼差しにスタッフはため息をつくと彼女に装束を渡す。
「そう。…アマチュアとはいえ全力尽くしたいって事ね…ならこれを着こなしてごらんなさい。難しいけど着こなせたら…あなたは下手なモデルより素質があるってことよ」
「はい」
そうして衣装を着つけスタッフに渡すとそのスタッフも驚いて若菜の顔を見る。瑠璃も衣装につけられた人物の札を見て嘲笑う様に口を開いた。
「やけ起こしたの?これであたしに勝てる訳ないじゃない」
瑠璃の言葉に若菜は自分の誇りと、彼女の想いをきっと分かってくれるだろう義経を信じる想いのままに、瑠璃に対して先刻までとは違ういつもの芯の強い眼差しを見せ言葉を返す。
「勝つ勝たないじゃありません。…私はこれを着たい、と思ったから着るんです」
「…」
若菜の言葉と眼差しに瑠璃は初めて怯んだ。そしてそのままメイクスタッフに『難しい注文ですが…お願いできるでしょうか』と自分のメイクに対しての希望を告げる。それを聞いたメイクスタッフは一瞬驚いた顔をしたが、すぐににっこり笑って『素人さんにこんな難しい注文付けられるとは思ってなかったわ…でもやるわよ。あたしの腕にかけて』と承知してくれた。若菜は『ありがとうございます』とお礼を言うと支度にかかった――