その夜、三人は部屋に集まった。ピアノは蓋が開けられ、いつでも弾ける様に準備がされ、『彼女』が出る時間を待ち、その時間が訪れた。
「よし。…じゃあ弾いてみるぞ」
ブロッケンJr.は楽譜の旋律を辿って行き、そこに書かれている歌詞を口ずさみだした。
曲が進むにつれ、『彼女』の姿がはっきりと浮かび上がってくる。
「…今回も、当たりってとこだな」
「やだ、ホントに出てきちゃったわね…」
ピアノを弾くブロッケンJr.を『彼女』は不思議そうに見詰める。
『何で…?何であなたがこの曲を知ってるの?』
その言葉に、ブロッケンJr.は『彼女』に向き直り口を開く。
「俺もこの歌詞を知ったのは今日だったよ。…俺が知ってる歌詞は…こっちだ」
そう言うとブロッケンJr.は更にピアノを弾き、歌を口ずさんだ。
「…ねえ、あの楽譜にはこんな歌詞、付いてなかったわよね」
「ああ。でもあいつが知ってるのはこっちらしい…どういう事だ」
エルンストとルイーゼはぼそぼそと不思議そうに囁き合う。しかし『彼女』はブロッケンJr.の口ずさむ歌詞を聞いて、みるみる驚きの表情に変わった。
『どうして!?…この歌はあの人と私しか知らないはずなのに…あなたは…あなたは誰!?』
『彼女』の言葉に、ブロッケンJr.は手を止めるともう一度『彼女』に向き直り、ゆっくりと口を開いた。
「親父はよく、この歌を口ずさんでたよ。…珍しい歌だったから覚えちまったんだけどよ、母さんが作った歌だって知ってやっと分かった。…親父は母さんを思い出していたんだな…」
『『親父』…『母さん』…どういう事?』
『彼女』はブロッケンJr.の言っている事が理解できずに、混乱した様子を見せる。その様子にエルンストとルイーゼはまたもやぼそぼそと囁き合う。
「…何か、奥様かなり混乱してらっしゃるみたいね」
「そりゃそうだろ。奥様が亡くなったのは、あいつが2つの時だぜ。あんなでかくなっちまったら、まさかあれが自分が見てた可愛い息子だとは思わないだろうよ」
ぼそぼそと囁き合う二人を鋭い目つきで制しながら、ブロッケンJr.は『彼女』に向かって声を上げる。
「母さん…母さんはここにいちゃいけない。…早く天上に昇って親父のところへ行けよ…そうじゃなきゃ…親父、母さんを迎えに来てやれよ!」
その叫びと同時に部屋の一角がぼんやりと明るくなる。三人が明るくなった方を見ると、その中から人影が浮かび上がった。その人影とは――
「親父…!」
「だんな様…!」
『え…?』
三人の様子に『彼女』もその方向を向く。現われたブロッケンマンの霊は、愛しげな表情で『彼女』を見詰めた。
『置いて行ってすまなかったな。…アマーリエ…』
『あなた…あなたなの…?』
ブロッケンマンの霊の言葉に、『彼女』は驚いた表情を見せ、しかしすぐに涙を流しながら嬉しげに彼に駆け寄った。
『あなた…!やっと…やっと逢えた…!』
ブロッケンマンの霊は彼女を抱き締めると、三人に向かって声を掛ける。
『お前達のおかげで、ここまでの道ができた。…礼を言う』
「礼なんかいらねぇけどよ。母さんを置いて、自分だけとっとと天上に昇るなよな。…おかげでこっちは大変だったんだぜ?」
照れくささを隠すために、ブロッケンJr.はわざとぶっきらぼうな口調で言う。その言葉にブロッケンマンの霊は生前の様に余り感情を見せず、代わりに軽い溜息をついて口を開く。
『いや、これはもう天上へ昇っているものだとばかり思っていたからな。…まさか私を待っていたとは…』
「それだけ奥様はだんな様を愛してたって事ですよ。大事にしないと、罰が当たるんですからね」
「お、おい…いくら亡くなられてるからって言っても、だんな様に失礼だろ」
咎める様な口調で、人差し指を立てながらかつての主に言うルイーゼの口を、エルンストが慌てて塞ぐ。その様子にブロッケンマンの霊は生前にはあまり見せなかった穏やかな表情で二人を見詰め、口を開く。
『いや、ルイーゼの言う通りだ。…大事にしなくてはな』
『あなた、この人達は一体誰なの?』
『彼女』が不思議そうにブロッケンマンの霊に問う。彼は穏やかな表情で三人を見詰め、口を開く。
『もうお前が死んで十数年経っているんだ。…あそこにいるのが、お前と私の息子だよ』
『…えっ?ぼうや…ぼうやなの…?』
『彼女』はブロッケンJr.に近付くと、彼をしっかりと抱き締めた。あの時の暖かさがまた彼に伝わる。『彼女』はブロッケンJr.の顔をなぞりながら口を開く。
『ぼうや…私の可愛いぼうや。…本当にあの人にそっくりね。…こんなに大きくなったぼうやに逢えるなんて…』
ブロッケンJr.は気恥ずかしさと嬉しさで動けず、また『彼女』に抱かれるままになっていた。その二人をブロッケンマンの霊が、生前には見せなかった様な優しげな表情で見守る。エルンストとルイーゼは邪魔にならない位小さな声で、しかししみじみと囁き合う。
「…良かったな。奥様はだんな様に逢えたし、あいつは奥様に成長した姿を見せられたし…」
「ええ…どんな形であれ、やっとこの人達は親子三人の時間が持てたのね…」
「…あ、もう夜が明けるわね」
ルイーゼが窓を見ると、窓辺から見る景色は白々と夜が明けてきていた。それを見たブロッケンマンの霊は、『彼女』の肩に腕を回し、ブロッケンJr.に向かって口を開く。
『さあ、もう行かなくては…世話になったな』
「親父、もう母さんを離すんじゃねぇぞ」
『ああ』
ブロッケンマンの霊は穏やかな表情で笑う。『彼女』は少し涙をためながらも微笑んだ。
『さようなら、ぼうや…ぼうやに逢えて嬉しかったわ…』
「ああ、俺も母さんに逢えて嬉しかったよ…」
『では…もう逢う事もあるまい…さらばだ』
二人は三人に向かって背を向けると、寄り添いながら朝日と共に消えていった。三人はそれを見送ると、大きな溜息をついてその場に座り込んだ。
「…まったく、余計な手間をかけやがってあのクソ親父…」
「でもいいじゃない、あなたのおかげでだんな様は奥様を迎えに来られたんだし、いい事したのよあなたは」
「これで幽霊騒ぎも収まるだろうし、一件落着…ってとこだな」
三人は顔を見合わせると、やがて大きな声で笑い出した。ひとしきり笑うと、ルイーゼがうっとりした表情で口を開く。
「でもいいわよね~死んでからも続く愛…か。あたしもそんな恋愛に出会いたいな~」
うっとりとして言うルイーゼに、エルンストが冷めた口調で突っ込みを入れる。
「ば~か、あのお二人は特別だよ。そんな恋愛、そこらに転がってるもんじゃないさ」
「何よ、あんたにはロマンってものが分からないの?」
「ロマンよりも現実を見ろって事だよ」
「なにさこのリアリスト!少しは乙女心ってのを理解しなさい!」
言い争う二人を尻目に、ブロッケンJr.はぼんやりと昨夜の事を思い出していた。
母の思い出が全くなかった自分。それは仕方がない事と割り切っていたつもりだったが、どこかに一抹の寂しさはあったのだ。しかし、この騒動のおかげでほんの僅かではあるが、自分も母の思い出を持つ事ができた――ブロッケンJr.はこの奇妙な騒動に感謝するとともに、天上での二人の幸せをそっと祈った。
「よし。…じゃあ弾いてみるぞ」
ブロッケンJr.は楽譜の旋律を辿って行き、そこに書かれている歌詞を口ずさみだした。
――浅い眠りに浮かぶのは
私を照らすあなたの微笑み
叶わぬ望みを胸に抱き
私は歌う恋の歌
風に乗せればこの歌は
あなたの耳に届くでしょうか
私の想いはどうすれば
あなたに伝えられるでしょうか――
私を照らすあなたの微笑み
叶わぬ望みを胸に抱き
私は歌う恋の歌
風に乗せればこの歌は
あなたの耳に届くでしょうか
私の想いはどうすれば
あなたに伝えられるでしょうか――
曲が進むにつれ、『彼女』の姿がはっきりと浮かび上がってくる。
「…今回も、当たりってとこだな」
「やだ、ホントに出てきちゃったわね…」
ピアノを弾くブロッケンJr.を『彼女』は不思議そうに見詰める。
『何で…?何であなたがこの曲を知ってるの?』
その言葉に、ブロッケンJr.は『彼女』に向き直り口を開く。
「俺もこの歌詞を知ったのは今日だったよ。…俺が知ってる歌詞は…こっちだ」
そう言うとブロッケンJr.は更にピアノを弾き、歌を口ずさんだ。
――かすかに聞こえる囁きは
我を導く君の歌声
変わらぬ想い胸に秘め
我はさまよう恋の闇
この白き花の言葉借り
君に伝えん我が想い
果て無き闇を切り裂いて
我たどり着かん君が元――
我を導く君の歌声
変わらぬ想い胸に秘め
我はさまよう恋の闇
この白き花の言葉借り
君に伝えん我が想い
果て無き闇を切り裂いて
我たどり着かん君が元――
「…ねえ、あの楽譜にはこんな歌詞、付いてなかったわよね」
「ああ。でもあいつが知ってるのはこっちらしい…どういう事だ」
エルンストとルイーゼはぼそぼそと不思議そうに囁き合う。しかし『彼女』はブロッケンJr.の口ずさむ歌詞を聞いて、みるみる驚きの表情に変わった。
『どうして!?…この歌はあの人と私しか知らないはずなのに…あなたは…あなたは誰!?』
『彼女』の言葉に、ブロッケンJr.は手を止めるともう一度『彼女』に向き直り、ゆっくりと口を開いた。
「親父はよく、この歌を口ずさんでたよ。…珍しい歌だったから覚えちまったんだけどよ、母さんが作った歌だって知ってやっと分かった。…親父は母さんを思い出していたんだな…」
『『親父』…『母さん』…どういう事?』
『彼女』はブロッケンJr.の言っている事が理解できずに、混乱した様子を見せる。その様子にエルンストとルイーゼはまたもやぼそぼそと囁き合う。
「…何か、奥様かなり混乱してらっしゃるみたいね」
「そりゃそうだろ。奥様が亡くなったのは、あいつが2つの時だぜ。あんなでかくなっちまったら、まさかあれが自分が見てた可愛い息子だとは思わないだろうよ」
ぼそぼそと囁き合う二人を鋭い目つきで制しながら、ブロッケンJr.は『彼女』に向かって声を上げる。
「母さん…母さんはここにいちゃいけない。…早く天上に昇って親父のところへ行けよ…そうじゃなきゃ…親父、母さんを迎えに来てやれよ!」
その叫びと同時に部屋の一角がぼんやりと明るくなる。三人が明るくなった方を見ると、その中から人影が浮かび上がった。その人影とは――
「親父…!」
「だんな様…!」
『え…?』
三人の様子に『彼女』もその方向を向く。現われたブロッケンマンの霊は、愛しげな表情で『彼女』を見詰めた。
『置いて行ってすまなかったな。…アマーリエ…』
『あなた…あなたなの…?』
ブロッケンマンの霊の言葉に、『彼女』は驚いた表情を見せ、しかしすぐに涙を流しながら嬉しげに彼に駆け寄った。
『あなた…!やっと…やっと逢えた…!』
ブロッケンマンの霊は彼女を抱き締めると、三人に向かって声を掛ける。
『お前達のおかげで、ここまでの道ができた。…礼を言う』
「礼なんかいらねぇけどよ。母さんを置いて、自分だけとっとと天上に昇るなよな。…おかげでこっちは大変だったんだぜ?」
照れくささを隠すために、ブロッケンJr.はわざとぶっきらぼうな口調で言う。その言葉にブロッケンマンの霊は生前の様に余り感情を見せず、代わりに軽い溜息をついて口を開く。
『いや、これはもう天上へ昇っているものだとばかり思っていたからな。…まさか私を待っていたとは…』
「それだけ奥様はだんな様を愛してたって事ですよ。大事にしないと、罰が当たるんですからね」
「お、おい…いくら亡くなられてるからって言っても、だんな様に失礼だろ」
咎める様な口調で、人差し指を立てながらかつての主に言うルイーゼの口を、エルンストが慌てて塞ぐ。その様子にブロッケンマンの霊は生前にはあまり見せなかった穏やかな表情で二人を見詰め、口を開く。
『いや、ルイーゼの言う通りだ。…大事にしなくてはな』
『あなた、この人達は一体誰なの?』
『彼女』が不思議そうにブロッケンマンの霊に問う。彼は穏やかな表情で三人を見詰め、口を開く。
『もうお前が死んで十数年経っているんだ。…あそこにいるのが、お前と私の息子だよ』
『…えっ?ぼうや…ぼうやなの…?』
『彼女』はブロッケンJr.に近付くと、彼をしっかりと抱き締めた。あの時の暖かさがまた彼に伝わる。『彼女』はブロッケンJr.の顔をなぞりながら口を開く。
『ぼうや…私の可愛いぼうや。…本当にあの人にそっくりね。…こんなに大きくなったぼうやに逢えるなんて…』
ブロッケンJr.は気恥ずかしさと嬉しさで動けず、また『彼女』に抱かれるままになっていた。その二人をブロッケンマンの霊が、生前には見せなかった様な優しげな表情で見守る。エルンストとルイーゼは邪魔にならない位小さな声で、しかししみじみと囁き合う。
「…良かったな。奥様はだんな様に逢えたし、あいつは奥様に成長した姿を見せられたし…」
「ええ…どんな形であれ、やっとこの人達は親子三人の時間が持てたのね…」
「…あ、もう夜が明けるわね」
ルイーゼが窓を見ると、窓辺から見る景色は白々と夜が明けてきていた。それを見たブロッケンマンの霊は、『彼女』の肩に腕を回し、ブロッケンJr.に向かって口を開く。
『さあ、もう行かなくては…世話になったな』
「親父、もう母さんを離すんじゃねぇぞ」
『ああ』
ブロッケンマンの霊は穏やかな表情で笑う。『彼女』は少し涙をためながらも微笑んだ。
『さようなら、ぼうや…ぼうやに逢えて嬉しかったわ…』
「ああ、俺も母さんに逢えて嬉しかったよ…」
『では…もう逢う事もあるまい…さらばだ』
二人は三人に向かって背を向けると、寄り添いながら朝日と共に消えていった。三人はそれを見送ると、大きな溜息をついてその場に座り込んだ。
「…まったく、余計な手間をかけやがってあのクソ親父…」
「でもいいじゃない、あなたのおかげでだんな様は奥様を迎えに来られたんだし、いい事したのよあなたは」
「これで幽霊騒ぎも収まるだろうし、一件落着…ってとこだな」
三人は顔を見合わせると、やがて大きな声で笑い出した。ひとしきり笑うと、ルイーゼがうっとりした表情で口を開く。
「でもいいわよね~死んでからも続く愛…か。あたしもそんな恋愛に出会いたいな~」
うっとりとして言うルイーゼに、エルンストが冷めた口調で突っ込みを入れる。
「ば~か、あのお二人は特別だよ。そんな恋愛、そこらに転がってるもんじゃないさ」
「何よ、あんたにはロマンってものが分からないの?」
「ロマンよりも現実を見ろって事だよ」
「なにさこのリアリスト!少しは乙女心ってのを理解しなさい!」
言い争う二人を尻目に、ブロッケンJr.はぼんやりと昨夜の事を思い出していた。
――確かに親父は大ボケをかましたけどよ…でもそのおかげで、俺は母さんに逢えたんだよな――
母の思い出が全くなかった自分。それは仕方がない事と割り切っていたつもりだったが、どこかに一抹の寂しさはあったのだ。しかし、この騒動のおかげでほんの僅かではあるが、自分も母の思い出を持つ事ができた――ブロッケンJr.はこの奇妙な騒動に感謝するとともに、天上での二人の幸せをそっと祈った。