そうして翌日。朝食を食べて乾燥まで終わった洗濯物を片付けた後、あたしは職場に二日間有休を取ることを告げ、今日の一日二人で何をしようか決める。あたしは買う物はとりあえずないけれど、将さんはあんまりデパートとかに行きたがらないから、何だか柊と位はデパートに行きたいなと思って、それを口にする。柊は悪戯っぽく笑って『じゃあ、デパートでウィンドウショッピングな。欲しい物が見つかったら自腹で買う事』って言って同意してくれた。そうして街へ出かけると、平日なのに人が沢山いて背が高くて歩幅が大きい柊について歩くのはやっとの事。そうして一生懸命付いて歩いていると、不意に柊があたしを引き寄せる。あたしが驚いて見上げると、柊は照れくさそうに『腕くらい組んで歩いても…罰は当たらねぇだろ』って言った。それが何でだか嬉しくて、甘えたくなって、あたしはにっこり笑って柊の腕に自分の腕を絡めた。柊はそれを見てやっぱり照れくさそうに笑った。そうしてデパートのメンズショップやブティックを見て回る。まだ冬物が主だったけれど、春物もちらほらとあった。そんな中で、あたしは一着のワンピースに目が止まる。若草色を地にして、襟と袖口と飾りボタンと太めのウエストベルトが白くアクセントになっている、爽やかな感じの春物のワンピース。色違いで少し薄めのばら色もある。あたしは何だか着てみたくなって柊に『試着してもいい?』と問いかける。柊は笑って『かまわねぇよ』って答えた。それを確認してあたしは若草色の方を持って試着室に入る。試着してみると、あつらえたみたいにぴったりだった。色もあたしの好みにぴったり合っている。何だか嬉しくてあたしが試着室のカーテンを開けて店員さんと柊に見せると、店員さんは営業用スマイルで『よくお似合いですよ、ねぇ旦那様?』って柊に話を振った。夫婦に間違われているのが何だか気恥ずかしくてあたしは顔を赤らめて俯いた。柊も顔を赤らめながらじっとあたしを見ていたけれど、ぼそりと『俺は…あっちの…赤っぽい色の方が似合う気がする』って色違いの方を指して呟いた。店員さんは気を利かせて『そうですか。旦那様もこうおっしゃってますし、折角ですからご試着なさいますか?サイズは同じですよ』と問いかける。あたしは柊が気を遣ってくれたんだって思って、断るのが悪い気がして『はい』と答える。店員さんはその答えを聞いて、色違いのばら色の方を持ってきてくれた。そうして着て鏡をちょっと見てみると――本当だ。何て言って説明したらいいのか分からないけれど、こっちの方があたしの見た目に確かにしっくりきた。いつもはいいなと思っても、女性らしい雰囲気が何となく似合わない様に思えて避けてた色だったから、意外な結果にあたしは驚く。そうしてあたしが驚いたまま試着室のカーテンを開けると、店員さんも驚いた様に『本当に…旦那様のおっしゃる通りですわ。こちらの方が奥様の雰囲気の柔らかさと華やかさがより引き立って、もっとお似合いです』って言った。あたしがどうしていいか戸惑っていると、柊はまたぼそりと『…やっぱな。お前緑とか青が好きで、こういう色はどっちかっていうと敬遠する事多いけどよ。お前の雰囲気にはこっちの方がホントは合う気がしたんだ』って言った。あたしの事を、当のあたしより分かっている柊。そんな柊の存在が嬉しくて、でもそう考えるのは将さんへの裏切りの様な気がして、あたしは何とも言えなくなる。そうしてしばらく戸惑っていると、それを見た柊が申し訳なさそうに『…ごめんな。こっちは完璧俺の好みだからよ。やっぱり葉月が好きな色を選んだ方がいいよな』って言った。その言葉に、あたしは無意識にこう返していた。
「…ううん、こういう色にも慣れたいし、本当にこっちの方が似合うみたいだから、こっちにする。それに…柊が似合うっていう服も、たまには買いたいし」
「葉月…」
 あたしの言葉に柊は心底驚いた表情を見せる。あたしも自分で言っておいて自分の言葉に驚いていた。店員さんは『まあ、本当に仲のよろしいご夫婦ですわね』って笑っていた。そうしてワンピースと一緒にジャケットも2〜3枚試して一番ワンピースに似合う物を選んで買う事にすると、会計する段になって、急に柊が『これの代金は…俺が払う』って言い出した。あたしは柊との約束を覚えていたから『買う時は自腹って決めたでしょ?』って返すと、柊は顔を赤らめながら『俺が…お前に贈りてぇんだよ。俺の好みの服だから、俺からのプレゼントって事にしてぇの』って更に返した。柊の想いが分かる言葉にあたしが何も言えずにいると、店員さんが『奥様、旦那様の気持ちに甘えればよろしいじゃないですか。こんなにお優しい事をおっしゃる旦那様、滅多にいらっしゃいませんよ』と楽しげに言葉を掛ける。あたしは恥ずかしくて、でもちょっとだけ嬉しくて、しばらく考えた末、『…うん』って答えた。柊はその場でカードを使って買うと、店員さんは気を利かせてプレゼント用らしく、綺麗にラッピングしてくれた。それがまた気恥ずかしくて、あたしはその後黙ったままお店を後にした。そうしてお店から離れた所であたしはぽつりと呟く。
「ごめんね…柊。買ってもらっちゃって」
 あたしの言葉に、柊は照れくさそうに返す。
「いや、俺こそごめんな。勝手にプレゼントにしちまって」
「ううん…柊の気持ちは嬉しいから…そっちはいいよ」
「…そうか」
「…うん」
 そこでまたあたし達は沈黙する。しばらく居心地の悪い沈黙が続いた所で、あたしはおどける様に柊に言葉を掛ける。
「あ…あのさ、あたしばっかり買ってもらっちゃ悪いから、柊にあたしも何か買うよ。あんまり高い物は買えないけどさ」
 あたしの言葉に柊は赤面してしばらく考え込む素振りを見せていたけれど、やがてぼそりと呟いた。
「それじゃあよ、外部の仕事用のYシャツとネクタイ買ってもらっていいか?…どんなもの買うかは…お前のセンスに任せるからよ」
「…うん」
「でもその前に昼飯な。そろそろ腹減ったろ」
「あ、そういえば」
 柊の言葉でお腹が減っている事に気付いたあたしは笑う。柊も笑い返す。そうしてあたし達はデパート内のイタリアンレストランに入った。

 そうしてパスタとピザを半分こして食べた後、あたしは柊の希望通りいくつかメンズショップを回って、柊に似合うと思ったYシャツを二枚、ネクタイを二本選ぶ。Yシャツは薄いブルーに濃いブルーのストライプの物とごく薄いレモンイエローの物、ネクタイは藍染め風の地にやはり絣風の太いラインが入った物と、えんじの地に小さな犬の絵が模様に入っているちょっと遊び心が入ったもの。店員さんは『奥様のセンスは個性的ですけれど、不思議と旦那様に馴染みますね』と褒め言葉なのか良く分からない言葉を紡ぎ、柊はそれを聞いて照れくさそうに笑いながら『ええ。彼女は俺の好みを一番分かってくれているんですよ』って返していた。そうしてあたしも持っているカードで支払いを済ませて買い物を終えると、デパートの外へ出た所であたしは問いかけた。
「ねえ…あたし、柊の好みなんて分かんないよ?それにセンス悪い方だと思うし…何でお店であんな事言ったの?あの店員さんの言葉だと、柊があんな風に言ったら柊のセンスも悪いって思われちゃうよ?それで柊、いいの?」
 あたしの言葉に、柊は優しい笑顔を見せて答える。
「何言ってんだ、お前センスいいぜ?確かに普通の会社員が着るシャツとネクタイとしちゃ、選択が大胆だけどよ、俺は自営業。ある程度の遊びがあった方がハッタリかませるんだよ。ちゃんとお前、俺の着てるもの無意識だろうが見てたのか、俺がいつも外行く時着てるのと同じ様な物買ってたんだぜ?気づいてなかったのか?」
「…うん、気付かなかった。そうだったんだね」
「ああ。だから俺は嬉しい。無意識かもしれねぇが、お前がちゃんと俺を見ててくれたって分かったからよ…この買い物で」
「そうなの?」
「そうだ」
「良かった。柊に喜んでもらえて…うん、それに将さんとだとこんな風に買い物ってあんまりできないから、できて…嬉しかった。今日はありがとね」
「ああ。俺もお前が喜んでくれて嬉しい。サボったかいがあったな」
「そだね…あ、そろそろ帰ろうよ。柊のカレー、ゆっくり煮込んで仕上げて、おいしく食べたいもん」
「そうだな、帰るか。…そうだ、その前に一つだけ約束してくれねぇか」
 不意に柊が真剣なまなざしになったから、あたしは戸惑って俯いて黙りこんでしまった。そうしてしばらく居心地の悪い沈黙の後、あたしは静かに問いかける。
「…何?その約束って」
 あたしの問いに、柊はふっと柔らかな表情になって言葉を紡いだ。
「もしそれまでにお前が土井垣を選んだとしても…もう一度だけでいいから、今日のワンピースが着られる陽気になったら着てよ、俺とデートをさ、またしてくれねぇか」
「…」
 柊の真剣な気持ちが痛いほど伝わって、あたしはどう答えようか答えを探す。でもふっとこのワンピースを着たあたしが柊と笑っているのが目の前に浮かんだ気がした時、あたしの答えは一つしかなかった。
「うん…約束する。一度だけじゃなくてもいいよ。将さんに文句は言わせないから、何度もこれ着て…柊とまた二人で歩こう?それで、映画見たり、喫茶店入ったり、二人で思いっきり楽しもうね」
「いいのか?…でもありがとな、葉月」
「うん…いいの。だってこの服は、柊があたしのために買ってくれた、柊の好みの…でもあたしにとっても良く似合う服だもん。だから、柊だけのために着る」
「ホントに…ありがとな。葉月」
「柊も…ありがとう。だって、このワンピースでも良く分かるもん。あたしの事、本気で想ってくれてるの。今のあたしはその想いに応えられるか分かんないけど…何度も言うけど、柊の事、恋愛とか考える前から大事なのは本当なんだよ。だから…もっとちゃんと柊を知って…将さんとの事も真剣に考えて、それでちゃんとどっちか選ぶって…約束する」
「そうか」
「うん」
「…ありがとな」
 そう言うと柊はあたしをまたふわりと抱き締めた。今は何だか柊の体温もそうだけど、心のあったかさが嬉しかった。将さんを傷つけるって分かってるのに、このあったかさはあたしがずっと欲しかったもので、ずっとこのあったかさに包まれていたいって何となくだけれど感じていた。そんなあったかさをくれる柊の事を愛してるのかは分からないけど、恋愛とかそんなもの考えなくても、ううん、全部飛び越えた次元で大切な存在だって事だけは分かった。ああは言ったけど、あたしは選べるのだろうか。こんなに形が違う二人の愛のどちらかを――そんな迷いを少し零す様に、あたしは柊の背中にぎゅっと腕を回して、呟いた。
「柊…もしあたしが結局将さんを選んだら…どうするの?」
 あたしの問いに、柊は即答した。
「そのときゃ、俺は恋愛って意味では身を引くが、それでも…お前以上に愛せる女はできねぇから…一生独りでお前を見守っていくぜ。お前がいつも笑顔で、幸せに生きていける様に」
「柊、そんな自分の人生投げる真似しないで。将さんと幸せにしてるあたしなんか、見たくないでしょ?」
 あたしの更なる問いにも、柊はきっぱりと答えた。
「いいや、俺はお前が笑顔でいてくれれば充分幸せなんだ。だから、お前が愛する男と家庭を持って、その男との子どもを産んで、育てて幸せに笑ってる…そんな風に生きてくのを見守れるのも最高の幸せさ。…そりゃ、その男が俺だったら、最上級の幸せだけどな」
 柊のきっぱりとした、でも優しさと愛は充分伝わる言葉に、あたしは柊の背中に腕を回したまま、泣きたくなるのを堪えて静かに言葉を返す。
「柊は…優しすぎるよ…もっと悪い男だったら良かったのに。…これじゃ、あたし将さんを選んでも、柊を切り捨てる事、できないよ…」
 あたしの言葉に、柊は抱き締めている腕に力を込めて、更に静かに、きっぱりと言葉を紡ぐ。
「いいから。…今お前がそう言ってくれるだけで、俺は幸せだから…お前は何にも気兼ねする事ねぇさ。だから冷静になって…ちゃんとお前が生涯の伴侶って意味で、愛するべき人間を見極めろよ?一時の迷いで一生後悔する姿だけは、俺は見たくねぇんだからな」
 柊の言葉にある思いを感じ取って、あたしはそれを口にする。
「柊、それって…あたしが結局は将さんを選ぶって事…?」
 あたしの言葉に、柊は読めない笑顔で笑って応える。
「…さあな。それはお前が決める事だ…さあ、腹減っちまったよ。帰ってカレーの仕上げするぞ?」
「…ん、そうだね」
 あたしは柊に何か言いたかったけど、何を言ったらいいか分からなくて、何も言えずにただ頷いて、あたし達は家路についた――