数日後、フランツは結婚の許しをもらうためアマーリエを屋敷へ連れて行く。思っていた以上に豪華な屋敷に、アマーリエが少し気圧された様子を見せているのに気付き、フランツは優しく彼女の肩を抱くと、声を掛ける。
「胸を張っていればいい。見かけがどうであろうと大切なのは中身だ」
「…ええ、でも」
「大丈夫だ…私が守る」
「…ありがとう」
そうして屋敷に入ると、大勢の使用人と共に、テオドールとクラウス、そしてクラウスの父であり、この屋敷の現執事であるハンスが出迎える。
「いらっしゃいませ」
「よく来たな、アマーリエ」
「おめでとうございます」
「どうぞこちらへ」
「はい…こちらこそよろしくお願いいたします」
アマーリエは緊張しながらも、舞台で慣らした度胸できちんと優雅に挨拶をする。そうしてハンスの案内で屋敷内のある一室に五人で行くと、そこには当主であり、フランツの父であるマクシミリアンがベッドに横になっていた。マクシミリアンは病でもう長くは無い、と宣告されている身なのだ。マクシミリアンはアマーリエを見て微笑むと起き上がり、口を開く。
「よく来てくれた…当主のマクシミリアンだ。この様な姿で見苦しいが、許してくれ」
「いいえ、どうか横になって下さいませ。少しでも楽な様になさって…」
アマーリエの言葉に、マクシミリアンは横になると、更に口を開く。
「…優しい娘だ。フランツもきちんと人を見る目を育てた様だな」
「ええ…彼女のおかげです」
「そうか…アマーリエと言ったな」
「はい」
「どうか…こちらへ来て、顔を良く見せてくれ」
「…はい」
アマーリエが近付くと、マクシミリアンは彼女の手を取り、言葉を掛ける。
「フランツがどんなものを背負っているか…知っているな」
「はい」
「あなたの名誉を汚す事になるぞ。それでも…一緒になるか」
「はい。私は名誉などいりません。ただ、私の音楽で喜んでくれる人が一人でもいれば…充分です」
「…そうか」
マクシミリアンはじっとアマーリエの瞳を見詰める。アマーリエは戸惑いながらも見詰め返す。彼はふっと笑うと更に言葉を重ねた。
「本気で言っているな…ただ優しいだけではない、芯も強い娘だ。あなたならフランツと添い遂げられるだろう」
「マクシミリアン様…」
「どうか『お父様』と呼んでくれ」
「…お父様」
アマーリエは涙ぐむ。マクシミリアンは彼女の前髪をすきながら、更に言葉を紡ぐ。
「聴かせてくれないか…あなたのピアノを。丁度訓練室に一台ある。…あまり優雅な場所ではないが…いいかな」
「はい…喜んで」
そう言うとマクシミリアンは車椅子に乗って、ハンスの案内で訓練室へとアマーリエを含めた面々を連れて行く。無機質な部屋にはアップライトのピアノが一台あった。
「調律は…きちんとしてあるから心配は要らない。聴かせてくれ」
「はい」
そう言うとアマーリエは演奏する。彼女の紡ぎ出す旋律はまるで無機質な部屋に情景を運んで来る様だった。自分達が聴いた時よりも更に腕を上げた事に気付いたクラウスとテオドールは息を飲み、ハンスもマクシミリアンも目を閉じ、その演奏に聞き入っていた。そして最後の一音が出され、演奏が終わる。一同は一斉に拍手した。
「すげぇ!アマーリエ、また腕上げてるじゃねぇか!」
「素晴らしい演奏でした、アマーリエ」
「旦那様の気持ちも晴れますでしょう」
「ああ、ありがとう、アマーリエ。素晴らしい演奏だった」
「お父様…私こそ、お父様に演奏を聴いていただいて…嬉しかったです。知っての通り、私は素晴らしい育ての親はいますが、孤児ですから…親と呼べる人に演奏を聴いてもらえるのが、とても嬉しいのです」
「そうか。…では私はもっと長生きをしなければな。あなたの喜びを少しでも増やせる様に」
「お父様…」
「フランツ、彼女を精一杯守るんだ。世間の批判から…そして一族の思惑からな」
「父さん…それは…」
「分かっている。お前がしている事も、一族の者達が私が病身であるのをいい事に…実権争いをしている事もな」
「…」
「アマーリエはお前と一緒になったら、そういったものとも闘わなければならない。だから…お互いに守りあえ、いいな」
「…はい」
「ありがとうございます…お父様」
マクシミリアンはまたベッドに戻り、ハンスも気を利かせて席を外し、客間で友人達四人の席になる。クラウスのいれてくれたお茶を飲みながら、四人は話す。
「クラウスさん、こんなにお茶をいれるのが上手なんですね。今度コツを教えて下さい」
「ええ、そんな事でしたらいくらでも」
「でもまあ、あの親父にしちゃまともな事言ってたよな。自分のした事棚に上げて」
「『自分のした事』…?」
「いや何でもねぇ。こっちの話だ」
「テオドールさん、お父様にどこか手厳しいわ。あんなに優しい方なのに…どうして?」
「…ああ、確かにあの親父は優しいさ。でも、優しすぎて人を一人不幸にしちまった。俺はそれが許せねぇんだ」
「テオドール…」
「どういう事?」
「…これ以上はすまねぇが話せねぇ。その内…時期が来たら分かっちまうがな」
「アマーリエ、申し訳ないですがこの件は、テオドールにはかなり辛い話ですから…」
二人の言葉にアマーリエは事情を察し、頷く。
「…ええ、私からは聞かない。言いたくない事って誰にでもあるもの」
「ありがとよ…アマーリエ」
「さあ、次は親族との晩餐をどうクリアするかの作戦会議です。皆、それぞれ意見を出して下さい」
そう言うと四人は額をつき合わせて話し合った――
そうして夕刻。親族との顔合わせになる晩餐が行われる。マクシミリアンは病身という事で席には着かず、フランツが実質の当主として晩餐を取り仕切り、アマーリエはとりあえず賓客としての扱いで席に着いた。席に着くと、親族の冷たい目と様々な言葉が耳に入ってくる。
『ほら…あの娘が』
『貧しい孤児の身でよくもまあぬけぬけと』
『どうやってフランツをたぶらかしたのかしら』
様々な悪口雑言にアマーリエは胸が痛んだ。しかしフランツが守ると言ってくれた。それに大切なのは中身だ、胸を張れと――その言葉を改めて胸に刻み彼女は深呼吸をすると、最高の微笑みを見せて親族に対峙する。親族達はその微笑みに圧されて言葉を失った。そして料理が運ばれ晩餐が始まる。彼女はピアニストになってから何かと晩餐に呼ばれる様になっていたので、テーブルマナーは完璧だった。しかも親族達の意地悪な会話にもにっこりと微笑んでさりげなく返す。フランツも、テオドールも、給仕をしているクラウスも、彼女に初めて会ったハンスですら、その様子に胸がすく思いだった。本人は気付いていないだろうが、彼女ピアニストとしてだけでなく、女主人としての風格も充分持ち合わせている――そうして晩餐が終わり、そこでフランツは彼女を自分の妻として迎えると宣言する。その言葉に、親族達はもう返す言葉が無かった。自分達は勝ったと思った。その時は――