数日後の昼下がり、アマーリエがミーテハウスでピアノを弾いていると、窓をコツコツと叩く様な音が聞こえる。何かと思って窓の方へ行くと、そこではテオドールがさかさまにぶら下がっていた。
「よっ」
「きゃっ!」
アマーリエは驚いたが、嬉しい闖入者に窓を開けると迎え入れ、お茶を出す。テオドールはばつの悪そうな顔をしていたが、それでもいつもの子どもの様な悪戯っぽい態度で彼女に対する。
「…すまねぇ、脅かして。ちょっと話がしたくなってよ。でもドアから行ったら目立っちまうだろ?だから窓から来させてもらった」
「あれだと、窓の方が目立つんじゃないかしら」
「それもそうだな」
二人は笑うと、しばらくとりとめのない世間話をしていたが、やがて不意にテオドールが真剣な表情になり、『本題』を話し出す。
「それで…フランツとの件なんだが…」
「ああ…」
アマーリエの表情が少し暗くなる。しかし次のテオドールの言葉に、彼女は驚きが隠せなかった。
「フランツが駄目なら…俺とならどうだ?」
「えっ?」
驚くアマーリエに、テオドールは真剣な口調で問いかける。
「よく見てみろよ。…似てねぇか?…俺とあいつは」
「テオドールさん、まさか…」
よく見ると、元来の性格や髪や瞳の色の明らかな違いで気付かなかったが、確かに顔立ちは彼に似ている…いや、生き写しだ。テオドールは静かに続ける。
「そうさ、俺はあいつの腹違いの兄貴なんだよ。しかも…数日違いのな。フランツ達はもちろん知ってるし、一族の間でも有名な話さ。『当主が正妻を裏切って身分の低い女へ走った』ってな。…その女は一族から陰湿な嫌がらせを受けて、男の子を産んですぐ死んだ。そして残った子どもは当主の温情で秘密裏に育て上げられて、参謀として次期当主の補佐をしてる…って訳だ」
「じゃあ、お父様にあれだけ冷たかったのは…」
「そうさ。日陰でもよかった。母さんを守るどころか、結局捨てて元の生活に戻った親父への怒りさ。…でも、フランツに関しちゃ何の恨みもねぇ。俺の大切な親友で…たった一人の血を分けた弟だ」
「そう…だったの…」
静かに、しかし少し寂しげに話すテオドールに、アマーリエは静かに頷く。しばらくの気まずい沈黙の後、テオドールは真剣な目で彼女を見詰め、もう一度問う。
「で、話を戻すが…身代わりって言っちゃあ何だが、俺と結婚しねぇか?俺なら身分だ何だは言われるこたぁねぇし、そうすれば…アマーリエはフランツの傍に行けるだろ?悪い話じゃねぇと思うが…」
テオドールの言葉に、アマーリエは静かに首を振る。
「いいえ。…私はテオドールさんとは結婚できない…それだけじゃない…フランツ以外の人とは結ばれるる気はないわ」
「アマーリエ」
「テオドールさんの人を思い遣る優しさはいい所だし、嬉しいけど…あなたもそうやって、自分が恨んだお父様と同じ事をするの?いけないわ。自分を粗末に扱うのは…それに」
「それに?」
「テオドールさんが本当に愛しているのは…姉さんでしょ?だから、この事はだけは絶対に他を気遣わずに、自分の幸せだけを考えて。きっと亡くなられたお母様だってそれが一番の望みのはずよ。だから…自分の本当の気持ちに従って、姉さんと幸せになって。これは私からのお願いよ」
「アマーリエ…」
テオドールはしばらく驚いた表情を見せていたが、やがてにっと笑うと口を開く。
「よく言ってくれた!これで俺の話に乗る様だったら、軽蔑してたとこだぜ!」
「じゃあ…テオドールさん、私を試したの?」
「ああ、悪いがな。でもこれでよ~く分かった。アマーリエはまだあいつしか想ってねぇし、気持ちはこれからも変わらねぇってな。だったら、それをあいつにぶつけてやってくれ。そうしねぇとあのバカタレは何にも気付かねぇからな」
「でも、どうやって…?」
「それはアマーリエが考えるこった。じゃあな。また暇があったらこの事関係なしに遊びに来るからよ…っと!」
そう言うとテオドールは風の様に窓から飛び降りて去って行った。アマーリエが驚いて見送っていると、今度は背後からドアを叩く音がする。今度は誰だろうと彼女がドアを開けると、そこにはクラウスが小さな花束を手に微笑んで立っていた。
「クラウスさんまで…」
「どうやらテオドールも来た様ですね」
「ええ。クラウスさんは何の用で…?」
「フランツの…『最後のプレゼント』を届けに来ました」
「フランツから…?」
「ええ。『新しい婚約者に失礼だから、想いを切るならばっさり切りなさい』と一喝して用意させました。これが…フランツの今の気持ちです」
そう言うとクラウスは持っていた白い野草の花束と封書を差し出す。驚きながら受け取るアマーリエに、彼はにっこり笑って言葉を掛ける。
「これを見て、あなたがどういう行動を起こすか…場合によっては後押ししますよ。テオドールと二人で」
「クラウスさん…」
「では…失礼します」
クラウスは一礼すると部屋を出て行った。アマーリエは花束を見詰める。この花は初めて彼が自分に贈ってくれた花。そして封書を開けて一枚の便箋を取出し、そこに書かれた手紙の文章を見て――彼女は涙があふれて来る。しかしその涙は哀しい涙ではなく、喜びの涙だった。そうして彼女はしばらく泣いていたが、やがて涙を拭うとピアノに向かい、曲を作っていく。夜半に曲が出来上がり、アマーリエは帰ってきたカタリーナと長い間話し合った――