そうして一同はまた男性や葉月や弥生の指導の下に練習を続け、5時半になった頃に涼子が声を上げる。
「じゃあ今日の練習はここまで。お疲れ様でした!」
『お疲れ様でした!』
「碧ちゃん、下とマジック研究会と筝曲部へ行って、五十嵐君達と栗原君と千代ちゃんを呼び戻してきて。他の皆は舞台の片付けするわよ!」
「はい!」
 そう言うとショートヘアの黒いジャージを着た新入部員らしき女生徒が教室を出て行き、残ったやはり黒ジャージの部員達で片付けが始まる。暗幕は明るい所で見るとかなり質が良い物で、部員達も床に付けない様になど丁寧に扱っている。また影絵や一緒に置いてあった人形劇に使うらしい人形も手作りだが中々本格的な出来の物であるし、照明は古びてはいるが全て舞台で使う様なもので、三太郎と義経は驚く。また舞台も良く見ると手製の様でそれも彼らを驚かせた。
「下袖も上袖も…前、奥と…あるわね。文字は…オッケイ、緞帳…オッケイ、ケコミ…オッケイ、ホリゾント…オッケイ…天丼も…あるっと」
 涼子は幕のチェックをしながらコンテナに入れ、部員達がそれを運んでいる。が、その中でいきなり脈絡の無い言葉が出てきたので、訳が分からないと思った三太郎が弥生に問い掛ける。
「弥生さん、いきなり『てんどん』って…何それ」
 三太郎の問いに、弥生はくすくすと笑いながら答える。
「『天丼』って言うのは『天井幕』の事。字が似てるからってわざと幕にそう縫い付けてあるのよ。だからみんなそう呼ぶの」
「そうなんだ。そういうシャレも忘れない部活なんだな」
「ええ、ちなみに今の舞台はここにいる御館さんが作ったのよ」
「え?そうなんですか?」
 驚く三太郎と義経に、男性は苦笑しながら応える。
「ああ、丁度俺の代は俺ともう一人…大沢って奴しかいなかったからな。丁度舞台も酷使されて壊れかけてたし、OBの残してくれてた設計図を使って一年がかりで作ったんだ。でもそれから永年使ってくれてありがてぇ限りだぜ」
「はあ…言う事を言うだけあってしっかりした人なんですね」
「ありがとよ。…ああ、そうだ挨拶が遅れたな。俺は御館柊司って言って、葉月の姉さんと悪友同士で、葉月とも幼馴染だ。お前らの事は葉月と土井垣から良く聞いてるぜ。よろしくな」
「あ、はい」
「よろしくお願いします」
 にっと笑って右手を差し出してきた柊司に、三太郎と義経は戸惑いながらも好感が湧き、こちらも笑って握手をする。そうして片付けが終わり、部員が男女交代で部室で着替えた後、柊司の案内で駅の傍の喫茶店へと足を運んだ。若菜には葉月から連絡を入れてもらってその場に来る様にし、一同は喫茶店へと入る。新入部員達は柊司に気を遣いながらもそれぞれオーダーをし、三太郎や義経もコーヒーを頼む。弥生は紅茶を頼んでいたが、葉月が少し迷う素振りを見せている。どうしたのかと思った三太郎や義経が声を掛ける前に、柊司が声を掛けた。
「どうした?…ジェノヴェールに来たんだからいつも通りパフェ頼めばいいじゃねぇか」
「でも、ここのパフェ、量が尋常じゃないじゃん。食べ切るのは簡単だけど、今から食べてご飯食べられなくなったらお母さんに悪いもん…」
「そうか…そうだ」
「何?柊」
 何かを思いついた様な柊司に葉月が問い掛けると、修司は優しい口調で提案を口にする。
「俺が半分食ってやるよ。そうすればいいだろ?」
「うん!ありがと柊兄。じゃあチョコパフェ一つ頼むね」
「相変わらず御館さんと葉月さんて仲がいいですよね」
「恋人とかじゃないって言ってますけど、それでもいい感じですよ」
「そうか?照れちまうなぁ」
「こら、大人をからかわない」
 二人の親しげな様子に、三太郎と義経は先刻感じた不安をまた感じ、弥生に声を掛ける。
「弥生さん、いいのか?あの二人放置しといて」
「この有様を監督が見たら、一瞬にして卒倒だぞ。多分」
 二人の言葉に弥生は苦笑して応える。
「ああ、あの二人はあれがデフォルトだから。はーちゃんがそういう感情持ってないって分かってるから渋々黙認って感じね。土井垣さんも御館さんには敵わないのよ。…でも」
「でも?」
「…何でもないわ…ああ、おゆきが来た。ここよ、おゆき」
 弥生は店の中を見渡している若菜に向かって声を掛ける。若菜は微笑みながら一同に近付くと、挨拶をする。
「ごめんなさいね、何にもしてないのにお茶だけ一緒しちゃって」
「いいえ、若菜さんは土曜に見てくれてるじゃないですか。指導も丁寧だし、すごく助かってるんですよ」
「ありがとう…ああ、御館さんお久し振りです」
 若菜は座っている柊司に気づくと挨拶をする。それに柊司もにっと笑うと応える。
「久し振りだな。どうだ?今年の芝居の演目はもう決まったか?」
「はい。今年はちょっと趣向を変えてきましたよ、作家さん」
「そうか、楽しみだな。また観に行くからよ」
「はい、ありがとうございます」
 にっこり笑って会話をしている二人に割って入る様に義経が若菜に声を掛ける。
「若菜さん…久し振り」
 若菜は義経に気づくと、気恥ずかしげに微笑みながら問いかける。
「あ、光さん…お久しぶりです。どうでした?小田原見物は」
「ああ、堪能させてもらった。いい所だな。小田原は」
「…はい」
「すいませ~ん、いきなり二人の世界作らないで下さ~い」
「私達には目の毒で~す」
「…」
 面々の言葉に若菜と義経は赤面して沈黙する。それを見て一同は爆笑すると、二人を隣り合わせに座らせる様に席を替え、色々と先輩を肴にからかい出す。それに辟易しながらも幸せそうに若菜と義経、三太郎と弥生は後輩に応酬していく。それを見ながら葉月はパフェを少し寂しげに食べていた。それに気付いた柊司が、彼女に声を掛ける。
「葉月、大丈夫か?繁忙期で少し疲れてんじゃねぇか?」
「…ん?だいじょぶだよ、柊。あたしは元気だから」
「そうか…そうだ、今日はうちで飯食って、ついでに少し話さねぇか?お袋も葉月が来れば喜ぶし、おばさんには俺がちゃんと話してやるからよ」
「でも…お母さんも、おば様も、もうご飯の用意してると思うし」
「大丈夫だよ。うちとお前んとこの仲じゃねぇか。それに一人分くらい何とかなるさ」
 柊司の言葉に葉月は少し迷う素振りを見せた後、呟く様に口を開く。
「うん…じゃあ甘えちゃおうかな」
「よっし!じゃあ俺おばさんとお袋に電話掛けてくっからよ。パフェは食えるだけ食っていいぞ」
「うん。ありがと、柊」
 そう言うと柊司は店の外へ電話を掛けに出て行った。それを見送った弥生と若菜が苦笑しながら口を開く。
「ホントに、御館さんははーちゃん笑わせようってなると一生懸命なんだから」
「そうね。御館さん、おようのナイトみたい」
「ヒナも、お姫もからかわないでよ。柊はあたしが赤ちゃんの頃からの付き合いだから子ども扱いしてるだけだって」
「はーちゃん、ホントにそう思ってる?」
「…うん、当たり前じゃん」
「…?」
 少し寂しげな口調になった葉月を不思議に思い、義経と三太郎は見詰める。彼女はその視線に気付くと少し無理があったがにっこり笑ってパフェを口にする。と、柊司が戻ってきて彼女に言葉を掛ける。
「オッケーだ。おばさんもお袋も承知してくれたぜ。ちなみにうちの夕食は偶然だがお前の好きな伊豆谷のがんもどきを煮た奴だとよ。だから『早く帰って来い』ってお袋言ってたぜ」
「ホント?…いいのかな、お邪魔しちゃって。多分一杯食べちゃうよ。あたし」
「いいんだよ。お袋はお前が一杯食うのを喜んでんだから。おばさんだってそうだろ?」
「…うん」
「だからいいんだ。一杯食って元気出せ、な?」
「…うん」
 葉月は頷くと柊司に向かってにっこりと微笑む。それを見た柊司も笑って頭を撫でた。その雰囲気に何となく入り込めないものを面々は感じ取ったが、そうは見せない様にして明るく話を続け、それぞれ勘定を済ませると散って行った。弥生達四人は三太郎と義経の願いもあって、そのまま居酒屋へ直行し、更に話を続ける事になった。四人はそれぞれサワーやビールなどを飲みながら今日の事を話していたが、やがて三太郎が口を開く。
「なあ、弥生さん、姫さんも。…ちょっと聞きづらいこと聞いていいかな」
「俺も…聞きたい事があるんだが」
 三太郎の言葉に義経も続ける。二人の問いたい事が分かっている二人はそれぞれに言葉を紡ぐ。
「はーちゃんと御館さんの事でしょ?…あの二人は御館さんのお父さんがはーちゃんのお父さんの小学校と中学の先輩なのと、ご夫婦で中学校の教師をしてたから、児童福祉の仕事をやってたはーちゃんのお母さんとも関わりが深いのもあって家族ぐるみで仲がいいのよ。家もご近所で文乃さん…はーちゃんのお姉さんね…も、御館さんと同級生だし仲が良かったのもあって、ちっちゃい頃からしょっちゅう遊んでたらしいわ」
「おようはちっちゃい頃から丈夫じゃなくって、大人に大事にされてて友達も少なかったから自然と御館さんとすごく仲良くなって…幼馴染より擬似兄妹って言った方がいい仲なんです」
「でもそれにしちゃ…何かこうさ、ちょっとした緊張感がある感じがしたけど」
「…もしかして…」
 恋人二人の言葉に観念したのか、二人は更に言葉を紡いでいく。
「…当たり。御館さん、はーちゃんの事が好きなのよ」
「それもずっと…私が知ってる限りだと、おようが高校に入った時にはもう恋をしてました。…それからずっと…よそ見もしてません。おようは気付いてなかったんですけど…でも、土井垣さんと付き合い始めてやっと気付いたみたいで…気まずいからああなってるんです」
「はーちゃんは御館さんの事、恋じゃなくても本当に大切に思ってるから、冷たくできないの。でも土井垣さんしか恋愛対象にはできないから…御館さんの想いにも応えてあげられない。御館さんもそれ充分分かってるから、無理矢理だけど『お兄さん』してるのよ。はーちゃんもそういう御館さんの気持ち分かってるから、それには応える様にしてる…って訳」
「そうなんだ…宮田さんって無邪気に幸せ気分味わってる訳でもないんだ」
「監督との様子を見ていると、本当に無邪気に思えていたんだがな…」
 男性二人の言葉に女性二人も言葉を返す。
「そうよ。あんまり言いたくなかったから言わなかったけど、はーちゃんのあの無邪気さは一種の壁なの。一見無防備に見せて本当に大事なところはシャットアウトするとこがあるのよ」
「おようはちっちゃい時からそうやって寂しいとか辛いとかいう心を隠して周りには明るく振舞ってました。でも、そのガードが本当に周りと自分を隔てる壁になったのは…あ…」
「…どうしたんだ?若菜さん」
 不意に口元を押さえて言葉を濁した若菜が不思議に思えて、義経は問いかける。若菜はそれに申し訳なさそうに答える。
「…ごめんなさい。これ以上は光さんや微笑さんには言えないわ」
「あたしも同意見。土井垣さんは知ってるけどね。…あんまり口外できない話なの。察してね」
「…ああ」
「…分かった」
 女性二人の沈痛な表情に男性二人も何か相当重い理由があるのだという事を察して頷く。そうして気まずい沈黙が続いた後、弥生が口を開く。
「その理由の事もあって、御館さんはもっとはーちゃんを守る様になっててね…はーちゃんもその御館さんの優しさには素直になれたから、恋愛感情はなかったけど、ずっと一番素直な姿を見せてたの。だから余計に今が辛い時期だわ、二人には」
「でも…あの二人は何があっても憎みあう事はないって私もモモも思ってるんです。お互いに恋愛感情はすれ違っても、それ以上に大切な想いや絆があるって事は…分かってるみたいですから」
「そっか…」
「…いい事だな」
「…まあ、土井垣さんはちょっと不幸なんですけどね。自分と同等か…それ以上に大切な存在がいるって事ですから」
「土井垣さんは御館さんが優しいのは兄貴分としてだと思ってるから、御館さんの本当の想いに気付いたら…ちょっと危ないかな」
 女性二人の言葉に、男性二人は心配になってそれを言葉に出す。
「それ分かってて…どうしてどっちかに何とかする様に仕向けないんだよ」
「修羅場にでもなったら、三方ともに不幸だぞ」
 男性二人の言葉に、女性二人はにっこり微笑んで応える。
「そりゃ、面白いからに決まってるじゃない。…ね?おゆき」
「そうそう。それにこれ位乗り越えられなくて、どうして恋愛や結婚ができるんです?」
「…弥生さん…」
「…若菜さん…そんな事を考えていたのか…」
 しれっとした態度で微笑みながら言葉を紡いだ自分達の恋人に、男二人はある種の恐怖を感じた。女性とは、かくも恐ろしい存在なのか――そして、あれだけの雰囲気を出していて何も気付かない土井垣の鈍さが幸せだと思った。土井垣の鈍さは筋金入りだが、その代わり実直な分嫉妬深くもある彼の事だ。気付いたらどんな修羅場が待っているか――考えるだけでも恐ろしい。そしてそんな修羅場になった時に、自分達のチームメイト――特に葉月と幼馴染で仲がいい里中辺りがどれだけ面白がるだろうかと思うと、その時の土井垣の気苦労が偲ばれ、このまま一生気付かないで欲しいと思い、二人は溜息をついた――