「…おい、さっき言った事は本当なのかよ!」
 6月も半ばのブロッケン邸の中庭。テオドールは彼の恋人であるローザを慌てた口調で問い詰めていた。彼の慌てた状態とは裏腹に、楽しげに笑うローザはその表情のままの明るい口調で、その問いに答える。
「当たり前じゃない。あたしがこんな事で冗談を言う様な女だと思ってるの?」
「いや、そうは思わねぇが…いくらなんだってあそこで言わなくても、まず最初に言うんだったら当事者の俺にさしでだろ」
「そうかもしれないけど…あの子達見てたら何だか言いたくなっちゃったんだもの。言っちゃったものはしょうがないでしょ」
「…」
 彼は内心頭を抱えた。彼女の言った事は決して悪い事ではない。いや、むしろ祝福されるべきだし、彼にとっても最高の慶事ではあるのだが、反面彼にとっては間が悪い事この上なかった。その慶事とは、彼女の妹でありこの屋敷の当主夫人であるアマーリエの出産祝いに今日彼女は来ていたのだが、一時は生命すら危うかった状態から持ち直し、幸せ一杯に過ごす妹と久し振りに話している内に、彼女とその夫である当主、そして共に祝いに来ていた執事夫妻と今日は特別に連れて来ていたその息子がいる前で告白した『自分も子供を宿している』という事実。父親は確実に彼だとその場にいた全員が理解しているし、それは彼自身も確信している。しかしその彼ですら初耳の話どころか、数日前に彼女がいる酒場に行った時にはそんな事は何一つ触れずに接していたのだから、彼が混乱するのも無理はない。とにかくちゃんと話を聞こうと、慌てて彼女を連れこの中庭に退避して来たものの、何をどう話して言いか分からず、彼は心のまま徒然に言葉を畳み掛けていた。
「…いつ生まれるんだ」
「お医者様の話だと、年明けくらいですって」
「…もちろん父親は俺だよな」
「当たり前でしょ。他に誰がいるって言うのよ」
「…で、もちろん産むんだよな」
「ええ。…でも無理に責任取らなくていいわよ。あたしにはおじさんも酒場の皆もいるし、一人でちゃんと育てるから」
「そうじゃねぇだろ!…だから…そのよ……あ~っ!もう間が悪ぃったらありゃしねぇ!」
 テオドールは頭を乱暴に掻くと大きく深呼吸をして、真剣な目でローザを見詰めゆっくりと口を開く。
「…子供ができたからって訳じゃねぇ、ずっと言おうと思ってた。…俺と一緒になってくれよ」
「テオドール」
「本当はよ、今の情勢があんまりにも怪しいから、もうちょっと落ち着いてから言おうと思ってたんだ。…情勢が落ち着けば俺はフランツの傍を離れても任務ができるから、俺がそっちに行けるしな」
「どうして?…あたしがこっちに来るのは迷惑?」
「そうじゃねぇ。むしろお前がこっちに来てくれた方が、俺としてもありがてぇけどよ…無理だろ?お前があそこを離れるのは」
「…」
「アマーリエが国中の宝になったのと同じだよ。お前はあの酒場の宝だ。絶対に離れるべきじゃねぇと俺は思ってるし…何よりお前は歌の仕事から離れたら、生きてはいけねぇだろ?…だから俺が行くんだ」
「…いいの?」
「いいんだ」
「…テオドール…ありがとう」
 ローザはそう言うと涙を流してテオドールに抱きつく。彼が彼女を優しく抱き締めると、不意に庭の隅から拍手が上がる。驚いて二人が拍手の上がった方を見ると、彼の親友二人が喜びの表情で二人に近寄ってきた。
「おめでとう、テオドール。ローザ、これの人柄は私が保証する。幸せになってくれ」
「まあ一見軽そうに見えますけど、これで結構いい男ですからね。お買い得ですよ?ローザ」
「…ち、畜生!お前ら覗き見してやがったのか!」
「当たり前でしょう。あんな言葉から連れ出されたんです。ローザに何があるか分からないですからね」
「…」
 ある意味一番恥ずかしい場面を覗き見されて恥ずかしさのあまり声を荒げるテオドールに、クラウスはしれっとした言葉を返す。クラウスの言葉に顔を真っ赤にして絶句するテオドールにもう一人の親友であり、この屋敷の当主である男が宥める様に声を掛ける。
「…とりあえずアマーリエの所に戻ろう。覗いたのは悪かったが、連れ出されたのをあれがかなり心配していたんだ。あれの心配を無くす為にも、ちゃんとこの事を報告してやってくれ」
「…ああ、分かったよ」
 いつもは『ドイツの鬼』と恐れられる身だが、こと妻に関しては甘いこの主兼親友に呆れつつも、自分とてローザに対しては彼と似た様なものだという事は自覚していた。それにあの状態をローザの妹である彼女が心配するのは当然だろうし、彼女に心配をかけるのは本意ではないので、彼は親友兼主人の言葉に同意する。傍らで恥ずかしそうに俯くローザにテオドールは近寄ると、ばつの悪そうな口調で問いかけた。
「…何だかすげぇかっこ悪ぃ求婚になっちまったけどよ。…こんな俺でも…いいか?」
「…いいわよ、そういうあんたをあたしは好きになったんだから」
 恥ずかしそうにだが、芯の強い彼女らしく真っ直ぐにテオドールの目を見詰め、彼女は答える。彼女の言葉とその目の真摯な様子にテオドールは満面の笑みを浮かべ、ローザを引き寄せる。
「よーし、じゃあいっちょアマーリエに報告と行くか!」
「そうね」
 二人は顔を見合わせて笑うと、親友二人を引き連れてアマーリエの部屋へ戻り、彼女に事の次第を報告する。二人の言葉に、アマーリエも彼女についていたクラウスの妻イザベルも心からの祝福の言葉を贈り、幸せが二倍になった事を皆一様に喜んだ。永い別れがその後に起こる事など誰も予想せぬままに――