緞帳が下りきった所で、葉月は一同に問いかける。
「さて、これからどうします?お姫は中締めに行くと思うんで、会いたいなら時間とってもらう様に連絡取りますけど」
「いやぁ、もう何だかこの感動を持ったまま帰りたい!って感じだから俺はいいな。宮田さんやヒナさんが言いたかった事、よく分かったぜ。でも話は確かに聞きたいからその内…うん、オフにでも会わせてくれよ、宮田さん」
「そうですか。ヒナは?」
「あたしも今日は実家に戻るから、早めに行かなきゃ。もうこの時間だと熱海方面電車少なくなってるし」
「じゃあ俺が駅まで送るよ。いいだろ、ヒナさん」
「それじゃあ頼もうかな。土井垣さんは?」
「俺は、葉月の家に泊まる事になっているから…葉月と一緒にいる」
「土井垣さ~ん、やりますね~」
「…」
 からかう様な三太郎の言葉に土井垣は赤面して沈黙する。葉月は照れながらもそれをかわし、義経に今度は尋ねる。
「義経さんはどうします?」
「俺は…その…」
 義経は迷う。少し若菜と話したいのも確か。しかし皆が帰ると言っているのに自分だけ残ると言ったら、また三太郎にネタを提供するだけだ。どうしようと沈黙していると、葉月がそれに気付き、にっこりと笑って口を開く。
「あたしはちょっとお姫と話したいから呼び出そうかな。…土井垣さん、すいませんけどちょっと待って下さい」
 そう言うと葉月は土井垣に目配せした。土井垣もそれに気付き、ふっと笑うと言葉を重ねる。
「そうか…しかし男が俺一人だと彼女も気を遣うだろう。三太郎は朝霞さんを送らなければいけないから…義経、残れ」
「ああ、はあ…」
 義経は嬉しさ反面、戸惑いもあり生返事をする。葉月は携帯を取り出すと若菜らしき相手と話す。
「ああお姫。今大丈夫?…あ、ゴタゴタしてるのね。じゃあ手短に。ちょっと話したいから着替え終わったらホールの入口にいるから来てね。…うん、大丈夫、待ってるから。じゃあお疲れ様」
 葉月は電話を切るとにっこり笑って口を開く。
「オッケーです。『着替えとメイク落としに時間かかるかも』って言ってましたから、ヒナと微笑さんはここでお別れかな。ヒナ、ごめんね放置して」
「いいよ。でもまたその内予定立てて三人で遊びに行こうよ。十二月になれば皆そこそこ暇だしね。じゃあまたね、はーちゃん。じゃあお願いしていい?微笑君」
「ああ、喜んで」
 そう言うと二人は楽しげに話しながら去って行った。それを見ていた土井垣がふと言葉を零す。
「あの二人も…よく見ると中々いい雰囲気じゃないか」
「まあ、どれだけ自覚してるかは、あたしには分かりませんけどね。でもヒナはスターズの皆さんのアイドルだし。ね?義経さん」
「ああ。今回の事もばれたら相当叩かれるな、きっと…」
「それ逆手にとって、さっき言ってたお姫の事、口止めしたらどうですか?」
 葉月の中々賢しい策略に、義経は驚く。
「宮田さん…中々の策士だな」
「うふふ」
 義経の感心した言葉に、葉月は悪戯っぽく微笑む。そうしている内に客は去って行き、少し遅れて舞台の横から人が出てくる。おそらく座員達だろう。その中の年配の男性の何人かは葉月に声を掛けてきた。
「ああ宮田君、来てたんだ。お母さんも最近は元気でいいね」
「はい、おかげさまで。宇佐美さんにはお世話になりっぱなしで」
「いや、宮田さんご夫妻にはこっちこそ世話になりっ放しだったからね。お互い様さ。今日は神保君を待ってるのかい?」
「はい」
「多分もう少ししたら出て来るんじゃないかな。じゃあお休み。また神輿を担ぎに戻っておいで」
「はい、お休みなさい。息子さんによろしく言って下さい」
「ああ、葉月ちゃん、来てたの?ああ!土井垣監督と義経選手までつけて!」
「オフで観に来たいって言ったんで連れて来ちゃいました。客層が年配者で助かりましたよ」
「そうだね…あ、すいませんがお二人とも握手してもらえませんか?」
「あ…はい」
「かまいませんが…」
「ありがとうございます」
 そう言うとその男性は笑って二人と握手をして、更に問い掛ける。
「葉月ちゃん、若菜ちゃん待ってるのかい?」
「はい、臼田さん。今日中締めあるんですよね。だからその前にちょっと話したいと思って」
「いや、今年は中締めなし。皆歳だからくたびれちゃってね。だから今夜はゆっくり話せるよ」
「そうですか?嬉しいな」
「じゃあね、楽しめるといいね。…じゃあお二人も、失礼します」
「失礼します」
「どうも」
 通り過ぎる男性を二人も一礼して見送る。と、赤いウールの着物に半巾帯を締めた日本髪姿の若菜がバッグを片手にドアから出てきた。その可憐な姿に義経は不意にまた鼓動が早くなる。葉月は楽しげに、土井垣は感心した様にそれぞれ彼女に声を掛ける。
「お姫、着物着る様になったんだ。それだとお稽古帰りの芸者さんみたいでかっこいいよ」
「うん、おようのお祖母様に感謝してるわ。着たくても細かい所忘れてた私に着物の詳しい扱い改めて教えてくれたんだもの。最初は面倒だからって着なかったけど、さすがに横浜の招聘公演の時、電車で片道一時間ジャンパーにジーンズにこの頭で往復した時に恥ずかしくなったしね」
「しかしその髪は…本当に結っていたのか」
「はい。かつらの人もいますけど、結髪できる方がいらしてお値段勉強して下さるからその方が安いっていう事で、結ってもらうんです。その代わり髪を切れないですし、一晩保つのが大変なんですけどね」
「でも、かつらと全く区別が付かなかったぞ」
「そうですか。美容師さんもそれを聞いたらきっと喜びますよ」
「…それに、着物と合わせて…良く似合っています」
「…そうですか」
 二人と違い、やっとの事でそれだけ言った義経に、若菜も不意に口数が少なくなり、ぽつりと応える。それを見た葉月と土井垣は顔を見合わせて笑うと、葉月が若菜に声を掛ける。
「じゃあ、あたしはこれで帰るから。お姫、もう国府津方面のバスないから家までタクシーでしょ?この辺じゃタクシー掴まりにくいし、乗り場ある小田原まで義経さんに送ってもらいなよ。あたし達は家まで歩ける距離だし、ここから歩いて帰るから。いいでしょ?将さん」
「そうだな、そうするか。…という訳だ義経、こんな暗い夜道を女性一人で歩かせるのは危険だ。送って行ってやれ」
「監督…」
「およう!あんたってば~!」
 葉月と土井垣の言葉に、義経は赤面して絶句し、若菜は怒った様に口を開く。二人はそれも気にせずに更に畳み掛ける。
「いいじゃん。あたしは将さんと二人でいたいの、だからお姫が邪魔なんだも~ん。だから義経さんに押し付けるんだ~…ね?将さん」
「そうだな。俺も葉月と二人でいたいから…義経、神保さんを頼む」
「じゃあね~」
「…」
 葉月と土井垣は二人に笑いかけると、寄り添い合って去って行った。二人を見送りながら困った様に立ち尽くしている若菜に、義経は声を掛ける。
「あの二人の言った事はともかく…こんな暗い所を女性一人で歩くのは確かに危ないし、俺も駅前のホテルに滞在していますから…戻りがてら送りますよ」
「…いいんですか?」
「…ええ」
 若菜は少し迷う素振りを見せた後、静かに頷く。
「…はい、お願いします」
「じゃあ、行きましょう」
「はい…って…やだ…」
 頷いて歩き出そうとした時に、不意に小さく若菜のお腹が鳴る音がした。義経はそれでふっと力が抜け、少し気楽に若菜に声を掛ける。
「神保さん、お腹がすいているんですか?」
 義経の問いに、若菜は恥ずかしそうに答える。
「あ…はい…実は。公演の時には、集中するために食事はほとんどとらない様にしているので…」
「だったら、帰る前に一緒に食事もしませんか?俺も芝居に夢中で食事の事を忘れていたから少し空腹なので」
「…いいんですか?」
「ええ」
 若菜はまた少し迷う素振りを見せたが、やがてまた静かに頷いた。
「じゃあ…お言葉に甘えて」
「じゃあ、駅の傍で食べましょう。お店もあるでしょうし」
「そうですね」
 そう言うと二人は並んで歩き出す。何かを話したいのだが、何を話していいのか分からず、二人は黙って歩いて行く。しかしお互いを意識しているのはどちらも感じていた。そうして駅前の居酒屋に入り、酒と料理を頼み、乾杯し飲んで一息ついた所で義経はやっと話の糸口を見つけ、若菜に話しかける。
「今日の芝居…感動しました。ビデオでも確かに見事でしたが、生はやっぱり迫力が違いますね」
「そうですか…そう言ってもらえると、役者も裏方も皆喜びます」
「それに…役者やセットはもちろんですが、何より脚本が素晴らしくて…感動しました」
「そうですか?嬉しいです!座の中では脚本に対して色々難を出す人もいるんですけど、私はこの方の脚本が大好きなんです。軸があって、内容も重厚だし、映画にしても素敵じゃないかなって思っている位です。座がここまで来たのも、この方のおかげの所がたくさんあるんですよ」
「そうですか…」
 若菜の嬉しそうな表情と言葉に、義経はふと胸が痛くなる。彼女がそういう意味で『好き』といっている訳ではない事は充分分かるのだが、それでも胸が痛むのだ。そんな思いで彼女を見詰めていると、彼女はふと寂しそうな表情になって更に言葉を零した。
「それに…この方の脚本だから、端役でも一生懸命やろうって思えるんですよ」
「神保さん、それは一体…」
 義経の言葉に、若菜は寂しげに続ける。
「私だって欲がありますからね。主役が欲しい時だってありますよ。でも、絶対今の体制だと無理なんです。でも、一生懸命やろうって思うのは、この方が脚本を座員の事を考えて一生懸命書いて下さるからなんです。戯曲って言うのはそう簡単に書ける物じゃないんですよ。それをこの方は毎年違う物を事情まで考えて、しっかり書いてくれる。それが嬉しいから一生懸命になれるんです」
「神保さん…」
 義経は胸が一杯になる。若菜の一生懸命さとそれが報われない無念さがその言葉で充分伝わってきたからだ。そうして言葉を失っている彼に、彼女はふっと宥める様に微笑むと言葉を重ねる。
「…すいません。悪酔いしてるみたいですね。余計な事まで話してしまいました」
 若菜の言葉と寂しげな表情で義経は彼女が痛々しくなり、その自分が感じている彼女の痛みを自分の手で癒せたら、と思わず言葉を零していた。
「明日も…観に行きます。今度は花束を持って」
「義経さん…」
 若菜はふと一瞬涙ぐんだが、すぐに微笑んで悪戯っぽい口調で言葉を返す。
「ありがとうございます。収入が増えて助かります」
「そうですか」
「じゃあ…ちょうど余ったチケット持っていますから、渡しますね。どうぞ」
 そう言ってチケットを渡そうとする若菜に、義経は言葉を掛ける。
「ああ、今度は払います。自主的に行くんですから」
「でも…」
 ためらう彼女に義経は自分の想いを隠しながら、しかし彼女が受け取りやすい様な理由と、ほんの少しでもいい、彼女に自分の想いを伝える言葉を考え、口にする。
「そうしないと俺の気がすみません。たかが千円、されど千円…俺の気持ちです」
「義経さん…じゃあ、頂きます」
 義経の想いには気付かなかった様だが、彼が気を遣っている事は分かった様で、若菜は嬉しそうに微笑むと彼から千円を受け取った。その後は以前の芝居の失敗談や面白かった事や不思議な事件などを話題にして話が盛り上がり楽しく話して食事をした後、名残惜しかったが時間も時間なので彼女をタクシー乗り場に送って行き乗せて別れた後、ホテルに戻り眠りに就いた。