「あ~っ!もう言葉にならないよ!」
「あえて言葉にしても、『見事』っていうつまらない言葉しか出てこないな」
「義経も出たら絶対笑ってやろうと思ってたのに…何だよあの違和感ないどころか、からかえない位威厳のある雰囲気は!」
「しかも感動の締め役、きっちり果たしてましたしね」
「な~に言っとんのや。あのへぼい猿芝居のどこに威厳があったんや」
「とか言ってるおめぇの目から出てるもんは何づら」
「じゃかましい!これは鼻水じゃい!」
席を立ちロビーに出ながら一同はそれぞれの感動を口にしようとするが、言葉にすると全てが台無しになってしまう様な気がして、ただ騒ぐだけになっていた。そしてロビーに出た所で葉月が里中と土井垣と三太郎に声をかける。
「じゃあ智君、微笑さん、土井垣さんでお姫の所に早く行って写真撮らせてもらいましょう。とりあえず男子楽屋にお邪魔する様には話つけてありますから」
「お前ら、いい写真撮ってこいよ」
「ああ、もちろん」
「任せなさいって」
「でも監督まで何で行くんですか。しかもさっき今持ってる花束渡しに行きませんでしたよね?」
星王の問いに土井垣は答える。
「俺は座長さんへのご挨拶だ。義経の世話に対する礼はもちろん、写真も撮らせてもらうのだから監督から直に礼を尽くした方がいいと思ってな」
「ああ、そういやそうですね。んじゃ監督、俺達の分も挨拶お願いします」
「づら」
「残ったあたしらは溜まってると目立つし、飲む場所確保しなきゃだから先に駅に行くね」
「うん、お願いねヒナ。…そうだ、武蔵坊さんとおじいちゃんもご一緒しませんか?義経さんと久しぶりにお会いできる機会でしょうし」
「しかし、わしらが一緒で本当に良いのか?」
総師の遠慮のこもった言葉に、葉月と弥生はにっこり笑って返す。
「当り前じゃないですか。せっかくこうして親しくなりましたし、遠慮はなしです」
「チェーンの飲み屋さんになると思うんで、精進ものしかダメとかなら、そういうおつまみ頼みますよ」
「…ありがとうな。せっかくじゃ武蔵坊、ご好意に甘えるとするかの。食事は大丈夫じゃ。こういう時は特別じゃからのう」
「そうさせてもらいましょうか…ありがとう、宮田さんに朝霞さん…だったな」
「いいえ、では一緒という事で。じゃあ早く行ってこな…」
そう話していた時、突然ロビーにいた客から声が上がる。
「あ~!あそこにいるの岩鬼じゃないか?」
「っていうか他にも土井垣監督含めたスターズの選手が集団で!何でここにいるんだ?」
「まずい…入場で気付かれなかったから安心していたが、見つかったか。皆、行ってくれ。朝霞さんは店に落ち着いたら連絡をくれ。合流するから」
「はい…じゃあ一旦解散!」
そう言うと撮影組は楽屋へ、残りのメンバーは飲み屋を探しにと、握手やサイン攻撃をすり抜け足早に向かった。
若菜と義経が楽屋へ行くと、そこには葉月と土井垣と里中と三太郎が顔を連ねていた。義経は葉月と土井垣はともかくとして何で里中と三太郎まで来ているんだと少し不機嫌さで顔を歪める。その表情を見て葉月が申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。
「…ごめんなさい、義経さん。私いいカメラ持ってなくて丁度カメラ買った智君と予防線で最低限写メールでもって微笑さんに撮影係頼んだんです」
「ああ…そういう事か」
「でも来て正解だったぜ。おかげさんで鉄司さんが欲しがってたものほんの舞台衣装とかかつらのアップ写真撮らせてもらったし。皆さん、ご協力ありがとうございました~」
「ああ、こんな事でよければまた協力するよ」
すっかり馴染んでいる三太郎に頭を抱えたそうな表情を見せた義経に苦笑しながら、土井垣と里中は関谷に向かって言葉を紡ぐ。
「では座長さん、お騒がせしてすいませんが、少し写真撮影に時間を頂きます」
「後おじさんには話行ってるはずですけど、おじさんと義経が一緒の写真も撮らせて下さい」
「ああ、了解。一応まもちゃんにも撮ってもらってあっちに渡す様に手配してあるから、もしだったら若菜ちゃんも含めた三人の写真を智君は持ってったらどうだい?パターンいくつかあった方があっちもいいだろうし」
「あ、確かにそっちの方がいいや。おじさん、ナイスアイデーア!」
「伊達に取材慣れはしてないよ…じゃあそこのドア出た廊下で撮ろうか」
「?」
里中と関谷の会話に不思議なものを感じながらも義経は一同と一緒に廊下に出て写真を撮る。まずそれぞれ個人のもの、そして義経と若菜二人のもの、最後に三人での写真を里中はデジカメで、三太郎は手早くデジカメに加えて携帯カメラで撮影すると関谷にお礼を言って義経と若菜にも『じゃあ着替えたら外で待ってるから、ご飯食べに行こうね』と声をかけて立ち去った。立ち去った所で若菜が『早く撤収しないといけないのに、申し訳ありませんでした』と謝罪の言葉を紡ぐと、逆に関谷が二人に申し訳なさそうな口調で言葉を返す。
「いや、実はむしろ僕が二人に謝らなくちゃいけないんだ」
「座長さん、そういえばさっきの里中との会話がおかしかったですが…何かあるのですか」
義経の問いに、関谷はいきなり頭を下げると口を開く。
「…すまない!新聞社一社だけなんだが、君に関しての取材を受けてしまった!」
「ああ、頭を上げて下さい。でも皆細心の注意を払っていたのに…どこから話が漏れたんでしょう」
義経の言葉に関谷は言葉を続ける。
「…いや、どうやら君がうちの稽古に何度も来てるのに気づいた住民がいて、その人がそこの新聞社の記者と知り合いで、私的な会話で話が出たそうでね。そこから調べてスターズのメンバーが飲み屋で君の事を話していたので裏付けたそうだ。とはいえ裏付け現場を掴んだそこのデスクさんがすごく良心的な方でね。僕が事前取材を受けて変な所じゃないのは確認したし、スターズのメンバーと僕ら両方が出した条件を全部呑んでくれたから、受ける事にしたんだ」
「条件?」
「大きくは三つだ。まず、その記事を出すのは君の追っかけが公演に来て騒がない様に公演後。とはいえ念のため取材日は明日にしてもらった。二つ目はチケットはこちらが用意するから、公演自体もきちんと観て記事を書く事。最後の一つは記者にはとっても難しい注文だったんだが、デスクさんが『その条件で記事を書いてこそ一人前になれるから』って呑んでくれたよ」
「その『最後の一つ』とは?」
「記事の内容を変にお涙ちょうだいものとか、若菜ちゃんとのラブストーリーとかにしないで、君や僕が話したありのままを記事にしてもらう事」
「座長さん…」
関谷の心遣いに義経は取材を受けることになった困惑よりも、感謝の心が勝った。その心のままに義経は口を開く。
「ありがとうございます。そこまでして頂いたのなら皆さんにもご迷惑がかからないと思いますので…取材、お受けします」
「申し訳ない。こんな事になって」
心からの謝罪をする関谷に、義経は笑顔で言葉を返す。
「いえ、いくら隠し立てしても結局は当日に分かってしまった話です。悪い事をしている訳ではないのですし、むしろちゃんと事情などを話した方がいいと思います」
「…ありがとう。ああ、そうだ。取材には若菜ちゃんも同行して」
「え?私もですか?」
「ああ。君たちの仲の事が知られているだけに、こうなった事についての君からの話も聞きたいそうなんだ。悪いけど、お願いしていいかな」
「…そうですね、この件に関して、私だけ隠れている訳にもいきませんし」
「じゃあお願いするよ。取材は明日ここを完全撤収する時間くらいに記者とデスクさんがここに来るそうだから、打ち上げ前に僕の家で」
「はい。分かりました」
「じゃあ話が長くなっちゃったね。着替えて撤収しないと。さあ、行こうか」
「はい」
そう言うと三人はそれぞれ楽屋へ戻りメイクを落として着替え、丁寧にかつらや羽二重や衣装を整頓した後、義経と若菜は葉月達一同と合流し、食事をしながら芝居の話でひと時盛り上がった後、タクシーで家に戻り、彼は彼女の勧めでもう一度丁寧にメイクを落とした後、ゆっくりと風呂を使う。風呂から出ると彼には珍しく体力的な、しかし心地よい疲労感が訪れ、そのまま海に沈みこむ様な感覚で眠りの世界に沈んで行った――
疲れていたし、寝た時間も遅かったはずなのに、翌朝彼は早い時間にすっきりと目を覚ます。身支度をして顔を洗うと、髪を結い直さなければならないため今日も早く出る若菜も起き出してきて、家族の分も含めた朝食を作り出した。手持無沙汰なのと、何となく手伝いたくなった義経はそれとなく彼女の傍へ行き手伝う。彼女は手伝い始めた彼に気づくとにっこり微笑んで、そこからは二人で朝食を作った。そうして朝食ができた頃若菜の両親も起き出してきて和やかに食事をとった後、彼女は昨日と同様に着物姿で一足先に出ようとする。彼はその彼女について一緒に家を出た。並んで歩きながら、彼女は不思議そうに問いかける。
「光さん、今から行ったらまだ多分会場開いていませんよ?もう少しゆっくりすればよかったのに」
その言葉に義経は考えていた事をふっと笑って応える。
「いや、髪を結うところを実は見てみたくてついていこうと思ったんだ。三太郎じゃないが、なかなかこんな機会には出会えないし」
「そうですか」
そう言うと二人は微笑み合いながら会場の傍の小さな美容院へ行き、義経は若菜が座った調髪台の後ろにある客待ち用にあるソファに座って美容師が髪を結っていくのを見学させてもらう。
「まあ、日本髪って言っても本式じゃなくってピンとかを使う上に本式より持たない新日本髪だけどね。でもせっかく頼りにしてもらってるから、一応研究してるのよ」
そう義経に笑いながらも美容師は見事な手さばきに口まで使って髪を結っていく。ピンなども確かに使うが、本式の日本髪の様に鬢付け油も使って、新日本髪ではあるが芝居の動きに耐えうる強度もきちんと作り、全て結い終わった後髪がほつれない様ダメ押しでヘアスプレーをかけて『はい終了』と声をかけると、初めてこの姿で会った時と同じ、稽古帰りの芸者の様な若菜がそこにいた。美容師はにっこり笑って言葉を紡ぐ。
「昨日の公演見せてもらったわ。自分で言っちゃいけないかもしれないけど結構舞台から見てもかつらと比べて見劣りしないのよ」
「はい、僕も去年や一昨年は観客でしたから分かります。でも彼女から話には聞いていましたが、確かにこれを一晩保つのは大変だと、今結っているところを見ていて分かりました」
「彼女くらいの長さになれば、大分保つのは楽なんだけどね。でもやっぱり洋服とか着ちゃうと襟足のたぼがつぶれてほつれたりするし、そうじゃなくても日本髪慣れてない今の子は一晩保つのが本当に大変みたいね。彼女も結い始めて2~3回は一晩寝たらもうぐちゃぐちゃで、毎回朝、『何で崩したんだ』って由美ちゃんに怒られながら結い直してたものね」
「そうですね。そうして着物もちゃんと着る様にしてやっと何とか酷くても撫でつけですね。だから結わなかった去年と初めから崩してる今年は正直に言うと本当に楽で、安眠してました」
「そうなのか」
そう言うと三人は笑った。ひと時笑った後美容師が二人に言葉をかける。
「さあ、行ってらっしゃい。もう一回だけど、だからこそしっかりお芝居なさいね」
「はい、行ってきます。ありがとうございました」
そうして会場に行きそれぞれの楽屋へ別れ、義経はできる範囲で支度をしていると集合がかけられ、昨日の駄目出しと公演終了後の片付けについての確認が行われ、軽食を取った後、メイクを完全にしたり、衣装を着ている内に昼公演ではあるがもう公演一時間前を切っていた。しかし昨日とは違い、身体の余計なこわばりはなく、代わりに心地よい緊張感に包まれている自分を感じ、彼は変に慣れてもいない、しかし悪い緊張ではないこの緊張感を嬉しく思いつつ、役に昨日と同様に自分を重ねて行く。途中で若菜がやってきたが彼の状態が分かったのか、昨日とは違い、言葉ではなく彼女の緊張感も伝わる視線をかけ、彼を役に引き込んでいく。そうしてお互いの緊張感をうまく引き合せながら二度目の、そして最後の公演を終わらせる。昨日に引き続き観客は感動に包まれた様子で舞台に見入り、義経の場面に参加していた。そうしてカーテンコールでは義経と若菜は何とそれぞれお互い相手の両親から花が贈られた。彼が照れつつもふっと彼女を見ると、彼女は花を受け取りながら嬉し涙だとは分かるが、ほんの少し涙を浮かべていた。今まで一生懸命芝居をしてきたが、内気で優しい性格が災いしてあまりこういうはっきりした形の評価を得ていなかった彼女の努力が身内とはいえ評価として表してもらえて本当に嬉しいのだろう。彼も彼女の努力がささやかでも実った事に喜びを感じながら彼女を優しい微笑みで見つめていた。そうしてカーテンコールを終わらせ、全員での記念写真を撮り、緞帳が降り切った所で役者、スタッフ全員から拍手と歓声が起こる。そして全員で三本締めを行った後、撤収のための戦場の様な片付けが始まった。舞台スタッフがセットの大枠を崩しているうちに義経は忙しく片付けを行っている一同に少しづつ尋ねながらまずかつらを外して元の袋に入れると用意してあった業者の箱に丁寧に入れ、衣装を脱いで当座衣紋掛けにかけると肌襦袢から服に着替えて羽二重をとり、言われた通りに縁の部分や紐を綺麗に伸ばし、塗ったドーランをクレンジングクリームで落してティッシュできちんと拭き取り他の羽二重に重ねる。その間に小笠原が衣装を片づけてくれたのでお礼を言った後メイクを落とし、荷物を大体まとめた後、楽屋の人間に言われた通りもう一度舞台に戻ってセットの分解と片付けを手伝う。彼は初めてなのでくぎ抜きを渡され、分解したパネルや棒の釘を抜いて片づける様に指示されその通り丁寧に釘を抜き、釘を所定の缶に入れ、棒などをとりあえずひとまとまりにしておく。その内若菜がやってきてそうして片づけられた棒などを更に紐やパネルを吊っていたワイヤーで縛り、舞台端の搬入口に持っていく。そうして片づけた後はほうきでごみを掃きながら釘やホチキスの針などの落し残しがない様に磁石を持った人間が舞台上を何往復もした後、最後に照明専門の職員が照明をしまう中、掃除機でもう一度舞台を掃除する。そしてパネルや小道具などを全て搬出すると、舞台はがらんとしたただの空間になった。義経は芝居をした時に感じた広さとは違うがらんとした広さを感じながら舞台と客席を見ていると、何だか寂しい気持ちになってきた。その心情を察したのか、若菜がそっと寄り添い、静かに声をかける。
「…寂しいですか」
「…ああ。充実した気持ちなのも確かなんだが、同時に…寂しくもある」
義経の言葉に、若菜はふっと優しい微笑みを見せると、静かに言葉を紡ぐ。
「私も初舞台の時は、やっぱり今の光さんみたいな感じだったんです。私の場合は失敗したんで、その時は充実じゃなくって後悔の気持ちでしたけど。それに、今でもやっぱり終わった後こうしてがらんとした舞台を見ると、寂しくなります。でも」
「でも?」
「この寂しさを大切にしようって思ったんです。寂しいって思えるのは、それだけ一生懸命芝居をした証拠だし…何より『夢』をちゃんと見ることができたんだって事が…何となくですけど分かったから。だから…寂しいって思えるって事は、光さんもちゃんと『夢』を見られたんですよ。だから、ちゃんと今の夢からは覚めて、新しい夢が見られる様にまた一生懸命になればいいんです。光さんは…今度は野球の世界で」
「若菜さん…」
義経は彼女の言葉にふっと微笑み返すと、静かに言葉を返した。
「…そうだな、そうしなければな」
「はい」
そうしていると楽屋の片づけを手伝う様に声がかけられる。二人はもう一度微笑み合うと、舞台を後にした。
「あえて言葉にしても、『見事』っていうつまらない言葉しか出てこないな」
「義経も出たら絶対笑ってやろうと思ってたのに…何だよあの違和感ないどころか、からかえない位威厳のある雰囲気は!」
「しかも感動の締め役、きっちり果たしてましたしね」
「な~に言っとんのや。あのへぼい猿芝居のどこに威厳があったんや」
「とか言ってるおめぇの目から出てるもんは何づら」
「じゃかましい!これは鼻水じゃい!」
席を立ちロビーに出ながら一同はそれぞれの感動を口にしようとするが、言葉にすると全てが台無しになってしまう様な気がして、ただ騒ぐだけになっていた。そしてロビーに出た所で葉月が里中と土井垣と三太郎に声をかける。
「じゃあ智君、微笑さん、土井垣さんでお姫の所に早く行って写真撮らせてもらいましょう。とりあえず男子楽屋にお邪魔する様には話つけてありますから」
「お前ら、いい写真撮ってこいよ」
「ああ、もちろん」
「任せなさいって」
「でも監督まで何で行くんですか。しかもさっき今持ってる花束渡しに行きませんでしたよね?」
星王の問いに土井垣は答える。
「俺は座長さんへのご挨拶だ。義経の世話に対する礼はもちろん、写真も撮らせてもらうのだから監督から直に礼を尽くした方がいいと思ってな」
「ああ、そういやそうですね。んじゃ監督、俺達の分も挨拶お願いします」
「づら」
「残ったあたしらは溜まってると目立つし、飲む場所確保しなきゃだから先に駅に行くね」
「うん、お願いねヒナ。…そうだ、武蔵坊さんとおじいちゃんもご一緒しませんか?義経さんと久しぶりにお会いできる機会でしょうし」
「しかし、わしらが一緒で本当に良いのか?」
総師の遠慮のこもった言葉に、葉月と弥生はにっこり笑って返す。
「当り前じゃないですか。せっかくこうして親しくなりましたし、遠慮はなしです」
「チェーンの飲み屋さんになると思うんで、精進ものしかダメとかなら、そういうおつまみ頼みますよ」
「…ありがとうな。せっかくじゃ武蔵坊、ご好意に甘えるとするかの。食事は大丈夫じゃ。こういう時は特別じゃからのう」
「そうさせてもらいましょうか…ありがとう、宮田さんに朝霞さん…だったな」
「いいえ、では一緒という事で。じゃあ早く行ってこな…」
そう話していた時、突然ロビーにいた客から声が上がる。
「あ~!あそこにいるの岩鬼じゃないか?」
「っていうか他にも土井垣監督含めたスターズの選手が集団で!何でここにいるんだ?」
「まずい…入場で気付かれなかったから安心していたが、見つかったか。皆、行ってくれ。朝霞さんは店に落ち着いたら連絡をくれ。合流するから」
「はい…じゃあ一旦解散!」
そう言うと撮影組は楽屋へ、残りのメンバーは飲み屋を探しにと、握手やサイン攻撃をすり抜け足早に向かった。
若菜と義経が楽屋へ行くと、そこには葉月と土井垣と里中と三太郎が顔を連ねていた。義経は葉月と土井垣はともかくとして何で里中と三太郎まで来ているんだと少し不機嫌さで顔を歪める。その表情を見て葉月が申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。
「…ごめんなさい、義経さん。私いいカメラ持ってなくて丁度カメラ買った智君と予防線で最低限写メールでもって微笑さんに撮影係頼んだんです」
「ああ…そういう事か」
「でも来て正解だったぜ。おかげさんで鉄司さんが欲しがってたものほんの舞台衣装とかかつらのアップ写真撮らせてもらったし。皆さん、ご協力ありがとうございました~」
「ああ、こんな事でよければまた協力するよ」
すっかり馴染んでいる三太郎に頭を抱えたそうな表情を見せた義経に苦笑しながら、土井垣と里中は関谷に向かって言葉を紡ぐ。
「では座長さん、お騒がせしてすいませんが、少し写真撮影に時間を頂きます」
「後おじさんには話行ってるはずですけど、おじさんと義経が一緒の写真も撮らせて下さい」
「ああ、了解。一応まもちゃんにも撮ってもらってあっちに渡す様に手配してあるから、もしだったら若菜ちゃんも含めた三人の写真を智君は持ってったらどうだい?パターンいくつかあった方があっちもいいだろうし」
「あ、確かにそっちの方がいいや。おじさん、ナイスアイデーア!」
「伊達に取材慣れはしてないよ…じゃあそこのドア出た廊下で撮ろうか」
「?」
里中と関谷の会話に不思議なものを感じながらも義経は一同と一緒に廊下に出て写真を撮る。まずそれぞれ個人のもの、そして義経と若菜二人のもの、最後に三人での写真を里中はデジカメで、三太郎は手早くデジカメに加えて携帯カメラで撮影すると関谷にお礼を言って義経と若菜にも『じゃあ着替えたら外で待ってるから、ご飯食べに行こうね』と声をかけて立ち去った。立ち去った所で若菜が『早く撤収しないといけないのに、申し訳ありませんでした』と謝罪の言葉を紡ぐと、逆に関谷が二人に申し訳なさそうな口調で言葉を返す。
「いや、実はむしろ僕が二人に謝らなくちゃいけないんだ」
「座長さん、そういえばさっきの里中との会話がおかしかったですが…何かあるのですか」
義経の問いに、関谷はいきなり頭を下げると口を開く。
「…すまない!新聞社一社だけなんだが、君に関しての取材を受けてしまった!」
「ああ、頭を上げて下さい。でも皆細心の注意を払っていたのに…どこから話が漏れたんでしょう」
義経の言葉に関谷は言葉を続ける。
「…いや、どうやら君がうちの稽古に何度も来てるのに気づいた住民がいて、その人がそこの新聞社の記者と知り合いで、私的な会話で話が出たそうでね。そこから調べてスターズのメンバーが飲み屋で君の事を話していたので裏付けたそうだ。とはいえ裏付け現場を掴んだそこのデスクさんがすごく良心的な方でね。僕が事前取材を受けて変な所じゃないのは確認したし、スターズのメンバーと僕ら両方が出した条件を全部呑んでくれたから、受ける事にしたんだ」
「条件?」
「大きくは三つだ。まず、その記事を出すのは君の追っかけが公演に来て騒がない様に公演後。とはいえ念のため取材日は明日にしてもらった。二つ目はチケットはこちらが用意するから、公演自体もきちんと観て記事を書く事。最後の一つは記者にはとっても難しい注文だったんだが、デスクさんが『その条件で記事を書いてこそ一人前になれるから』って呑んでくれたよ」
「その『最後の一つ』とは?」
「記事の内容を変にお涙ちょうだいものとか、若菜ちゃんとのラブストーリーとかにしないで、君や僕が話したありのままを記事にしてもらう事」
「座長さん…」
関谷の心遣いに義経は取材を受けることになった困惑よりも、感謝の心が勝った。その心のままに義経は口を開く。
「ありがとうございます。そこまでして頂いたのなら皆さんにもご迷惑がかからないと思いますので…取材、お受けします」
「申し訳ない。こんな事になって」
心からの謝罪をする関谷に、義経は笑顔で言葉を返す。
「いえ、いくら隠し立てしても結局は当日に分かってしまった話です。悪い事をしている訳ではないのですし、むしろちゃんと事情などを話した方がいいと思います」
「…ありがとう。ああ、そうだ。取材には若菜ちゃんも同行して」
「え?私もですか?」
「ああ。君たちの仲の事が知られているだけに、こうなった事についての君からの話も聞きたいそうなんだ。悪いけど、お願いしていいかな」
「…そうですね、この件に関して、私だけ隠れている訳にもいきませんし」
「じゃあお願いするよ。取材は明日ここを完全撤収する時間くらいに記者とデスクさんがここに来るそうだから、打ち上げ前に僕の家で」
「はい。分かりました」
「じゃあ話が長くなっちゃったね。着替えて撤収しないと。さあ、行こうか」
「はい」
そう言うと三人はそれぞれ楽屋へ戻りメイクを落として着替え、丁寧にかつらや羽二重や衣装を整頓した後、義経と若菜は葉月達一同と合流し、食事をしながら芝居の話でひと時盛り上がった後、タクシーで家に戻り、彼は彼女の勧めでもう一度丁寧にメイクを落とした後、ゆっくりと風呂を使う。風呂から出ると彼には珍しく体力的な、しかし心地よい疲労感が訪れ、そのまま海に沈みこむ様な感覚で眠りの世界に沈んで行った――
疲れていたし、寝た時間も遅かったはずなのに、翌朝彼は早い時間にすっきりと目を覚ます。身支度をして顔を洗うと、髪を結い直さなければならないため今日も早く出る若菜も起き出してきて、家族の分も含めた朝食を作り出した。手持無沙汰なのと、何となく手伝いたくなった義経はそれとなく彼女の傍へ行き手伝う。彼女は手伝い始めた彼に気づくとにっこり微笑んで、そこからは二人で朝食を作った。そうして朝食ができた頃若菜の両親も起き出してきて和やかに食事をとった後、彼女は昨日と同様に着物姿で一足先に出ようとする。彼はその彼女について一緒に家を出た。並んで歩きながら、彼女は不思議そうに問いかける。
「光さん、今から行ったらまだ多分会場開いていませんよ?もう少しゆっくりすればよかったのに」
その言葉に義経は考えていた事をふっと笑って応える。
「いや、髪を結うところを実は見てみたくてついていこうと思ったんだ。三太郎じゃないが、なかなかこんな機会には出会えないし」
「そうですか」
そう言うと二人は微笑み合いながら会場の傍の小さな美容院へ行き、義経は若菜が座った調髪台の後ろにある客待ち用にあるソファに座って美容師が髪を結っていくのを見学させてもらう。
「まあ、日本髪って言っても本式じゃなくってピンとかを使う上に本式より持たない新日本髪だけどね。でもせっかく頼りにしてもらってるから、一応研究してるのよ」
そう義経に笑いながらも美容師は見事な手さばきに口まで使って髪を結っていく。ピンなども確かに使うが、本式の日本髪の様に鬢付け油も使って、新日本髪ではあるが芝居の動きに耐えうる強度もきちんと作り、全て結い終わった後髪がほつれない様ダメ押しでヘアスプレーをかけて『はい終了』と声をかけると、初めてこの姿で会った時と同じ、稽古帰りの芸者の様な若菜がそこにいた。美容師はにっこり笑って言葉を紡ぐ。
「昨日の公演見せてもらったわ。自分で言っちゃいけないかもしれないけど結構舞台から見てもかつらと比べて見劣りしないのよ」
「はい、僕も去年や一昨年は観客でしたから分かります。でも彼女から話には聞いていましたが、確かにこれを一晩保つのは大変だと、今結っているところを見ていて分かりました」
「彼女くらいの長さになれば、大分保つのは楽なんだけどね。でもやっぱり洋服とか着ちゃうと襟足のたぼがつぶれてほつれたりするし、そうじゃなくても日本髪慣れてない今の子は一晩保つのが本当に大変みたいね。彼女も結い始めて2~3回は一晩寝たらもうぐちゃぐちゃで、毎回朝、『何で崩したんだ』って由美ちゃんに怒られながら結い直してたものね」
「そうですね。そうして着物もちゃんと着る様にしてやっと何とか酷くても撫でつけですね。だから結わなかった去年と初めから崩してる今年は正直に言うと本当に楽で、安眠してました」
「そうなのか」
そう言うと三人は笑った。ひと時笑った後美容師が二人に言葉をかける。
「さあ、行ってらっしゃい。もう一回だけど、だからこそしっかりお芝居なさいね」
「はい、行ってきます。ありがとうございました」
そうして会場に行きそれぞれの楽屋へ別れ、義経はできる範囲で支度をしていると集合がかけられ、昨日の駄目出しと公演終了後の片付けについての確認が行われ、軽食を取った後、メイクを完全にしたり、衣装を着ている内に昼公演ではあるがもう公演一時間前を切っていた。しかし昨日とは違い、身体の余計なこわばりはなく、代わりに心地よい緊張感に包まれている自分を感じ、彼は変に慣れてもいない、しかし悪い緊張ではないこの緊張感を嬉しく思いつつ、役に昨日と同様に自分を重ねて行く。途中で若菜がやってきたが彼の状態が分かったのか、昨日とは違い、言葉ではなく彼女の緊張感も伝わる視線をかけ、彼を役に引き込んでいく。そうしてお互いの緊張感をうまく引き合せながら二度目の、そして最後の公演を終わらせる。昨日に引き続き観客は感動に包まれた様子で舞台に見入り、義経の場面に参加していた。そうしてカーテンコールでは義経と若菜は何とそれぞれお互い相手の両親から花が贈られた。彼が照れつつもふっと彼女を見ると、彼女は花を受け取りながら嬉し涙だとは分かるが、ほんの少し涙を浮かべていた。今まで一生懸命芝居をしてきたが、内気で優しい性格が災いしてあまりこういうはっきりした形の評価を得ていなかった彼女の努力が身内とはいえ評価として表してもらえて本当に嬉しいのだろう。彼も彼女の努力がささやかでも実った事に喜びを感じながら彼女を優しい微笑みで見つめていた。そうしてカーテンコールを終わらせ、全員での記念写真を撮り、緞帳が降り切った所で役者、スタッフ全員から拍手と歓声が起こる。そして全員で三本締めを行った後、撤収のための戦場の様な片付けが始まった。舞台スタッフがセットの大枠を崩しているうちに義経は忙しく片付けを行っている一同に少しづつ尋ねながらまずかつらを外して元の袋に入れると用意してあった業者の箱に丁寧に入れ、衣装を脱いで当座衣紋掛けにかけると肌襦袢から服に着替えて羽二重をとり、言われた通りに縁の部分や紐を綺麗に伸ばし、塗ったドーランをクレンジングクリームで落してティッシュできちんと拭き取り他の羽二重に重ねる。その間に小笠原が衣装を片づけてくれたのでお礼を言った後メイクを落とし、荷物を大体まとめた後、楽屋の人間に言われた通りもう一度舞台に戻ってセットの分解と片付けを手伝う。彼は初めてなのでくぎ抜きを渡され、分解したパネルや棒の釘を抜いて片づける様に指示されその通り丁寧に釘を抜き、釘を所定の缶に入れ、棒などをとりあえずひとまとまりにしておく。その内若菜がやってきてそうして片づけられた棒などを更に紐やパネルを吊っていたワイヤーで縛り、舞台端の搬入口に持っていく。そうして片づけた後はほうきでごみを掃きながら釘やホチキスの針などの落し残しがない様に磁石を持った人間が舞台上を何往復もした後、最後に照明専門の職員が照明をしまう中、掃除機でもう一度舞台を掃除する。そしてパネルや小道具などを全て搬出すると、舞台はがらんとしたただの空間になった。義経は芝居をした時に感じた広さとは違うがらんとした広さを感じながら舞台と客席を見ていると、何だか寂しい気持ちになってきた。その心情を察したのか、若菜がそっと寄り添い、静かに声をかける。
「…寂しいですか」
「…ああ。充実した気持ちなのも確かなんだが、同時に…寂しくもある」
義経の言葉に、若菜はふっと優しい微笑みを見せると、静かに言葉を紡ぐ。
「私も初舞台の時は、やっぱり今の光さんみたいな感じだったんです。私の場合は失敗したんで、その時は充実じゃなくって後悔の気持ちでしたけど。それに、今でもやっぱり終わった後こうしてがらんとした舞台を見ると、寂しくなります。でも」
「でも?」
「この寂しさを大切にしようって思ったんです。寂しいって思えるのは、それだけ一生懸命芝居をした証拠だし…何より『夢』をちゃんと見ることができたんだって事が…何となくですけど分かったから。だから…寂しいって思えるって事は、光さんもちゃんと『夢』を見られたんですよ。だから、ちゃんと今の夢からは覚めて、新しい夢が見られる様にまた一生懸命になればいいんです。光さんは…今度は野球の世界で」
「若菜さん…」
義経は彼女の言葉にふっと微笑み返すと、静かに言葉を返した。
「…そうだな、そうしなければな」
「はい」
そうしていると楽屋の片づけを手伝う様に声がかけられる。二人はもう一度微笑み合うと、舞台を後にした。